サイバーコネクトツーが、ほかの会社と違うところとは

 おなじみ黒川文雄氏による、著名人を招き、未来へのエンタテインメントのあるべき姿をポジティブに考える会“黒川塾 (三十二)”が、デジタルハリウッド大学大学院 駿河台キャンパスにて2016年1月28日に開催された。

 今回のテーマは“松山洋からキミへ・・・熱い現場の働き方と未来へのメッセージ”となり、サイバーコネクトツー 代表取締役 松山洋氏が、自身の来歴と、エンターテインメントへの熱い想いを語る内容になった。その模様を以下にお届けしよう。

“黒川塾 (三十二)”松山洋氏が“キャラクターゲーム”を作り始めたきっかけと任天堂のすごさが語られたトーク内容をお届け_01

社会の常識を知る必要があった
 松山氏は、20年以上前の大学時代から来歴を語っていった。
 母校である九州産業大学は『NARUTO』の岸本斉史氏や『CITY HUNTER』の北条司氏などのマンガ家のほか、ミュージシャンやモデルも多く排出している名門校であり、 オタクというよりも、クリエイティビティが高い人たちが集まっていたそうだ。

 その時代、エンターテインメント業界で働きたいと願う学生たちは、マンガの担当編集がつくなどして、すぐに大学を中退して上京するという者も多かったのだという。このことに松山氏は「大学は通過点ときっかけを作るような場所でした」と振り返っていた。

 しかし、驚いたことに、上京した先輩たちのうち、その半数以上が1年ほどで東京から戻って来たのだという。先輩たちが口を揃えて告げたのは「あの業界はおかしい」、「常識がない」などといった、仕事に対する不満だったそうだ。

 松山氏はその先輩の言葉を受けて「何と比較して業界を非常識と言うのか」、「そもそも世の中を知らなすぎるのではないか」と疑問を感じたのだそうだ。そこで松山氏は世の中の常識を知るために、 “お堅い仕事”であるコンクリート会社に入社し、3年間の営業経験を積んだのだという。

入社時はパソコンに触れたこともなかった!
 サイバーコネクトツーを創設した1996年当時のメンバーは10人ほど。有能な技術者に混じって入社した松山氏は、それまでパソコンを触ったことすらなかったのだそうだ(コンクリート会社では見積書をカーボン紙で書いていた)。当時のパソコンに対する不信感は、“ボタンを押し間違えたら爆発する”というほどのものだったという。

 もちろん松山氏がはじめに学んだのはパソコンの使いかただった。Windowsが何であるのかを把握するのに3日かかり、マウスの動かし方にすら相当の苦労があったそうだ。極め付けは文章のコピー&ペーストを学んだときのことで、松山氏はコピーした文を、何もしなくてもほかのパソコンにペーストできる(パソコンどうしが無線的なものでつながっている)と考え、上司に「バカだろ」と怒られたこともあるのだそうだ。

“黒川塾 (三十二)”松山洋氏が“キャラクターゲーム”を作り始めたきっかけと任天堂のすごさが語られたトーク内容をお届け_02

 松山氏はそのような “無知”ではあったが、クリエイティブに必要であったのは、けっきょくや行動力やコミュニケーション力であったそうだ。これは「アイデアがあっても、それを形にしなければ意味がない」という信念によるものだったのだという。

ゲーム会社が鎖国状態だった?
 当時、松山氏は10数社にサイバーコネクトツーの企画書を送ったが、そのうちの1社は“鎖国状態”であったのだという。というのも、会社のホームページにはお客様相談センターの電話番号しか記されておらず、そもそも連絡ができる場所がなかったのだそうだ。
 ちなみに、松山氏によると、昔のファミリーコンピュターのゲームのエンドロールに、本名ではなくペンネームのようなスタッフが記されているのは、“(有能な技術者の)引き抜き防止”のためなのだという。

 そうした一部のゲーム会社が他社に厳しい現状がありながらも、『テイルコンチェルト』をリリースできたのは、「メンバーとパートナー企業に恵まれたこと」、「行動を起こしたこと」、「熱量があったこと」が理由だったのだという。

 松山氏は、当初からサイバーコネクトツーを、パッケージの裏を見て「あの会社だったら買ってみよう!」と期待される会社にならないといけないと考えていたのだという。そのためにも、スタッフみんなの名刺を作るなどして、ブランド力を強めていったそうだ。松山氏は「デベロッパーは、どんどん前に出て行けるようにしないといけない」という想いも強いのだという。

いろいろな経験を経たからこそ
 やがてサイバーコネクトツーは『.hack//G.U.』や『NARUTO -ナルト- ナルティメットヒーロー』をリリースし、社名がユーザーに知れわたるようになっていった。

 当時、週刊ファミ通の巻末にコラム“浜村通信”を連載していた浜村弘一氏は「サイバーコネクトツーがほかのゲーム会社と違うのは、松山さんに3年間のコンクリート会社への経験があったからなのでしょう。また、松山さんは何かの問題があれば、それを実行するかしないかという判断もできています」と評価していたのだという。

 また、黒川氏は多数の転職経験を経ているため、「そうした多数の“常識”を備えたことは、やはり力になります」と語っていた。

生きた情報は人から得る
 さまざまな経験を経た松山氏は、「けっきょく、生きた情報を持っているのは人なんです」と語った。これは「テレビやラジオや新聞などで、誰もが知しることができる情報は“死んだ情報”なんです」という持論によるものだそうだ。

 松山氏はコンクリート会社で働いてきたとき、社長に「そのころは何でも人に聞いて形にしろ」などと言われていたことを振り返り、「若いころは人から得る情報の大切さをわかっていなかった」と反省していたのだという。