ゲーム会社勤務からフリーのイラストレーターに転身、そして新たな創作の舞台へ――Tony氏の過去と未来に迫るインタビュー。初公開イラストも!

人気イラストレーターTony氏のインタビューをお届け。Tony氏の人生と仕事に関するお話を、たっぷりと語っていただいた。

 柔らかく繊細な女性の絵を描くことで知られる、人気イラストレーターTony氏。数々のゲームやアニメ、フィギュアのキャラクターデザインを手掛けてきたTony氏だが、今年に入ってから、オリジナルコンテンツの制作や、アジア圏のイベント参加などにも力を入れている。

 幼いころから絵を描き続けてきたというTony氏が、これまでたどってきた道筋とは。そして、今後目指すものとは? Tony氏の人生と仕事に関するお話を、たっぷりと語っていただいたので、その模様をお届けしよう。

イラストレーター
Tony氏
フリーのイラストレーター。制作集団アルビオンワークスの主宰でもある。セガゲームスの『シャイニング』シリーズのキャラクターデザインなどで知られる。

●藤子不二雄先生に影響を受けた小学生時代、『マクロス』にハマった中学生時代

――本日は、Tonyさんの過去のことから、今後の活動のことまで、さまざまなお話をうかがいたいと思います。まず、Tonyさんが絵を描き始めたのはいつごろか、教えていただけますか?
Tony氏(以下、Tony) 物心ついたときには、もう絵を描いていたんですよ。4、5歳とか。マンガを描き始めたのもそのころです。

――そんなに幼いころから、コマ割りを意識して描いていたなんて、本当に絵やマンガがお好きだったんですね。
Tony 当時は藤子不二雄先生が好きで、先生の作品をマネして描いていました。ノートにマンガを描いては、友だちに見せたりして。

――男の子って、小さいころは絵を描くのが好きでも、進学するにつれて描くことを止めてしまうことが多いと思うのですが、「絵を止めよう」と思ったりはしませんでした?
Tony まったく思わなかったですね。中学校のころは、テニス部に入ったりもしましたけど、掛け持ちで美術部にも入って、絵を描いてました。ずーっと趣味で、絵やマンガを描き続けていたんです。

――絵への思いが途切れることは、まったくなかったんですね。絵をお仕事にしようと思ったのは、いつごろでしたか?
Tony 小学生のころは「消防士になりたい」なんて言っていたんですけど、中学生のときには、絵に関わる仕事がしたいなと考えていました。それで、高校生のときに「美大を受けようかな」と考えたのですが、家の近くにグラフィックデザインの専門学校ができて、体験入学したらハマってしまって。そのまま入っちゃったんです。

――専門学校では、どんなことを学ばれたのですか?
Tony グラフィックデザインの学校ですから、いわゆる商業系のデザイン。広告やパッケージのデザインですね。その学校に通いながら、趣味でマンガを描いてました。

――Tonyさんの持ち味である、繊細な画風はいつごろ確立されたのでしょうか。
Tony いつごろでしょうね? 小学生のころは、先ほどお話しした通り、藤子不二雄先生のマネをしていたんです。中学校になってからは、『超時空要塞マクロス』とか、『機動戦士ガンダム』とか、メカを描くのにハマっていて。『マクロス』は本当によく描いていて、リン・ミンメイ(『超時空要塞マクロス』のヒロインのひとり)は見ないでも描けるようになってましたし、バルキリー(『超時空要塞マクロス』に登場するメカ)も描けましたし。

――『マクロス』に大ハマりだったんですね。
Tony キャラクターを描くということを意識したのは、『マクロス』がきっかけだったかもしれません。マンガ家のきたがわ翔先生にも影響を受けたと思います。それからだんだん、繊細なキャラクターを描くようになって、高校生くらいに、いまの自分の線に近いものができあがっていたような気がしますね。

●たまたまデータイーストの求人を見つけ、ゲーム業界へ

――デザインの専門学校を卒業されてからは、どのようなお仕事を?
Tony デザイン会社に入って、アパレル系のチラシや、CMのコンテを担当していました。じつはそのころ、いまも食べられている、某麺商品のパッケージをデザインしたりもしたんですよ。

――ええっ、あの生麺の!?
Tony はい(笑)。本当にいろいろなお仕事をやりました。

――デザイン会社に勤めていたTonyさんが、ゲーム業界に入ることになったきっかけは何だったのですか?
Tony たまたま、データイースト(※)の求人を見つけたんです。「ちょっと受けてみようか」と申し込んでみたら、面接が三次くらいまであって。筆記試験もありましたし、絵の実技テストもあったんですよ。なかなかたいへんでした(笑)。試験に受かったその日から、グラフィックデザイナーとして現場に入ったんです。
※かつて存在したゲームメーカー。2003年に業務を停止した。

――データイーストの、どのような作品に携わったのですか?
Tony 僕が入ったときは、ちょうどNEOGEO版『ファイターズヒストリーダイナマイト』(1994年)を開発していたんですね。その現場に突っ込まれて、キャラクターのアニメーションのドット絵をひたすら作ってました。途中からの参加だったので、自慢できるほどのものではないんですけども。

▲週刊ファミ通2015年12月3日号より、Tony氏のイラストコラム。データイースト時代の思い出が語られている。

(C)G-MODE Corporation (C)PAON DP Inc.

――では、そのつぎに携わったのは……?
Tony NEOGEOの『ダンクドリーム』(1995年)です。

――いまのTonyさんの絵とは、まったく結びつかないようなグラフィックですよね。
Tony 正反対ですね。あのころはアメコミ調のキャラクターを描いてました。オープニングタイトルの絵にロゴデザイン、背景にキャラクターと、グラフィック全般に関わっていました。

――そのほかに、データイースト時代に関わった作品で、印象に残っているものはありますか?
Tony そうですね……自分が関わったものよりは、趣味で遊んだもののほうが思い出深いんですが。

――入社前から、データイーストのゲームがお好きだったということですか?
Tony はい。ゲーセンには学生のころから入り浸ってましたし。データイーストに入社したころは、格ゲーに大ハマリだったので、NEOGEOを買って、1本3万円くらいするカートリッジも買って。高かったですねえ(笑)。

――データイーストに勤めた後は、どうなさったんですか?
Tony データイーストでいっしょに仕事をしてきたメンバーと、金子製作所(※)に移って、ゲーム開発をしていました。そこでは、グラフィックデザインではなくて、企画を担当したんですよ。企画をやってみたいな、って言ってみたら、「やってみな」って言われて。それで企画したのが、『サイヴァーン』(1998年)というシューティングゲームです。
※かつて存在したゲームメーカー。後にカネコに社名変更した。

――シューティングゲームもお好きだったんですか?
Tony ゲーム全般が好きで、RPGでもシミュレーションでも、なんでも遊んでいましたね。そうそう、このあいだ昔の絵を整理していたら、金子製作所時代のものが出てきたんですよ。

▲Tony氏が金子製作所時代に描いた線画。

――これはものすごいお宝ですね!
Tony 麻雀ゲームを作っていたときに描いた絵ですね。ゲームに登場する絵は、プロのマンガ家さんが描いたので、これはあくまで下絵です。

――私がマンガ家だったら、プランナーの方からこの絵が上がってきたら、心がくじけちゃいそうなんですけど……。
Tony それ、あとですごい言われました(笑)。

●ホームページの立ち上げがフリーになったきっかけ

――企画を担当するようになって、プランナーとして生きていこうとは考えなかったのですか?
Tony そうはならなかったですね。仕事で絵を描く機会が減って、その反動で、趣味で絵を描く量が増えたんです。それで、ホームページを立ち上げて、イラストをアップしていくようになったんですよね。そうしたら、僕個人にお仕事のオファーが来るようになったんですよ。じゃあ、フリーになってがんばろう、と。

――ホームページが独立のきっかけになったのですね。
Tony フリーになって担当した大きい仕事が、韓国のゲーム『TEMPEST』(1998年)のキャラクターデザインですね。それから、成人向けゲームのお仕事が舞い込んできたので、仙台にアールピーエムという会社を作って、ゲーム制作を始めました。

――そのころはまだ、仙台で活動されていたんですよね。関東に拠点を移すことにしたきっかけは?
Tony データイースト時代からお付き合いがある方が、東京で会社を立ち上げて、「いっしょにゲームを作らないか」と誘ってくれたんです。そこで、東京に出張してゲーム作りをするうちに、こちらで活動するようになりました。

――デザイン会社勤務からデータイーストに移り、金子製作所で企画を担当した後、フリーになって、さらに自分の会社を立ち上げる……と、怒涛の人生を歩んでいらっしゃいますよね。その間、ご自身の絵の描きかたやテイストに変化はありましたか?
Tony 社会人になってからの絵は、村田蓮爾さんに影響を受けているという自覚があります。『豪血寺一族』ですとか。“線の細かい絵”を描くようになったのは、高校生のころなんですけど、いまの絵のもとができたのは社会人になってから……金子製作所に入ったあたりからだと思います。