あの“熱狂の時代”を振り返る!

 2015年3月18日から3月23日まで東京グローブ座で公演中の舞台『TOKYOHEAD~トウキョウヘッド~』。この物語は、1994年~1995年に全国のゲームシーンを賑わせた3D対戦格闘ゲーム『バーチャファイター』のブームを題材にした青春群像劇だ。この公演にちなみ、劇中の登場人物のモデルであり、現在は週刊ファミ通などの媒体でライター&ゲーム伝道師として活躍するブンブン丸に、あの“熱狂の時代”を振り返るインタビューを敢行! 聞き役は、ともにブンブン丸の後輩にあたるファミ通編集部の豊泉三兄弟(次男)と北口徒歩2分だ。

■参加者紹介
ブンブン丸
かつて『バーチャファイター』の鉄人として名を馳せたゲーマー。現在は週刊ファミ通を中心に、ライター、タレントとして活躍。39歳。Twitterアカウント:@BUNBUN_fam

豊泉三兄弟(次男)
CAPCOM VS. SNK 2 MILLIONAIRE FIGHTING 2001』の闘劇本戦出場など、2D格闘ゲームの全国大会出場経験を持つ格ゲー好き編集者。34歳。

北口徒歩2分
学生時代に『バーチャファイター』シリーズに熱中。『三国志大戦』でブンブン丸と知り合い、その縁で現在の仕事を始めた編集者。32歳。

ブームの中心人物が語る『TOKYOHEAD~トウキョウヘッド~』の時代──『バーチャ』の“鉄人”ブンブン丸インタビュー_01
ブンブン丸

“鉄人”がいま語る『バーチャ』の時代の“熱狂”

豊泉三兄弟(次男)(以下、豊泉) 今日の趣旨は、1994年~1995年の『バーチャファイター』(以下、『バーチャ』)シーンの当事者のひとりであり、原作の小説や現在公演中の劇場版にも登場するブンブン丸さんに、当時のことをアレコレおうかがいしたい……というものです。僕らの知らないエピソードがきっとたくさんあると思うんですよ! 

ブンブン丸 『TOKYOHEAD~トウキョウヘッド~』は、もとを辿れば、かなり昔に出版された小説が原作。で、読み物だからある意味、当たり前なんだけど、“かっこいい”体で書かれている世界なんだよね。だから、いまの時代に照らし合わせてみると、けっこう笑っちゃうような部分もあったりする。でも、当時はホントに、本に描かれていたような熱量でゲームに打ち込んでたよ。

北口徒歩2分(以下、北口) 僕も『バーチャファイター2』(以下、『バーチャ2』)はプレイしてましたけど、空前のブームでしたもんね。

ブンブン丸 そうだね。初代『バーチャ』から始まって、『バーチャ2』の時代がピークだったと思うんだけど、当時のゲームプレイヤーの中ではすごく盛り上がってた。単なるゲームブームというか、社会現象みたいになったところもあったしね

豊泉 当時はファミ通とかで『バーチャ』の記事を読んで、「東京は超盛り上がってるんだな~」とか思ってました。

ブンブン丸 東京だけ突出してたわけじゃないよ。土地は関係ない。俺はたまたまメディアで注目されたけど、どの土地でも拠点となる場所やゲームセンターはあったし、強いプレイヤーもいた。そんな中で東京を舞台にしたのは、原作者の大塚ギチ君独自の切り口やセンスなんだよね。ウチらを題材にしたから『TOKYOHEAD』というタイトルになったんだろうし。そこは無理に東京と関連付けることでもないと思う。

北口 関西とか、北海道とか、それぞれ強い人がいましたよね。ただ、ブンブンさんを始め、東京に有名プレイヤーが多かった気はします。僕は当時北海道に住んでましたけど、「上京したら、聖地の“ゲームスポット21”【※1】や“池袋GIGO”に行くんだ」とか思ってましたもん。

ブンブン丸 当時は、いまみたいにネットが誰でも自由に扱える時代じゃなかったからさ。強いプレイヤーのウワサは、友だちから伝え聞いたりして広がっていた。でも、実際にどんなプレイヤーなのか自分の目で見てみないと、妄想だけが広がるものなんだよね。スゴいやつの話を聞いてから、日を追うごとに自分のイメージだけが膨らんでいって、期待感だけが勝手に大きくなる時代だったと思うんだ。そんなことも影響してたんじゃないかな。

豊泉 やっぱり、当時は新宿西口のゲームスポット21が拠点だったんすか?

ブンブン丸 俺は、もともとは地元のひばりヶ丘のゲーセンでプレイしてたよ。西武新宿線沿線のひばりヶ丘。

北口 “ひばりヶ丘の呂布”として有名だったんですよね。

ブンブン丸 それは俺じゃねえよ!(笑) 知り合いのボクサーのことね。日本チャンピオンにもなったヤツで、身体能力が高い、というか高すぎて対戦相手がみんなK.O.されて、泡を吹いて倒れたっていう伝説の持ち主。

豊泉 強すぎる(笑)。

ブンブン丸 まあ、当時のひばりヶ丘はヤンキーとチーマーが共存してる、アンダーグラウンドな文化のちょうど境目っていうか国境みたいなとこだったんだよね。ここで育ってるから、腕っ節が強いやつはたくさんいたよ。

北口 だから呂布も生まれたわけか(笑)。

ブンブン丸 で、そんな地元のゲーセンで、最初は『ストリートファイターII』(以下、『ストII』)なんかをやり込んでたのよ。西武線の沿線は、石神井公園とかレベルの高いゲーセンが多かったんだ。当時は公式大会こそ出てなかったけど、店舗主催の小さな大会では優勝したりして。

豊泉 確かに、石神井公園は『ストII』が流行ってるという噂を聞いたことがあります。でも、そこからなんで『バーチャ』をやり始めたんですか?

ブンブン丸 初めて初代『バーチャ』を見たときは、みんなそうだったと思うんだけど、とにかくインパクトあったじゃん? モーションが本当にリアルで、ハイキックの動きとか、めちゃめちゃカッコよかった。そのころは格闘技も大好きでよく試合を見ていたから、「これはすげえな」と思って。で、おもしろそうと思ってプレイしてみたら、「あれ、ガードってどうやんの?」みたいな(笑)。

豊泉 ガードの操作は、『ストII』はレバーを後ろに入力すればオーケーですけど、『バーチャ』はガードボタンですからね。僕は慣れるのに時間がかかったなあ。

ブンブン丸 俺はすぐ慣れたけどね。

豊泉 (スルーして)で、そこからどうして新宿をホームにしたんですか?

ブンブン丸 スルーかよ! 突っ込めよ!

北口 豊泉さんヒドい(笑)。

ブンブン丸 まあいいけど。地元にはその当時、筐体を向かい合わせにした“対戦台”はなかったんだけど、それでも友だちとはよく対戦してたんだ。そのころファミ通はすでに読んでいて、羽田さん(※2)が書いた記事で、強いプレイヤーが新宿西口に集まっていることを知ったんだ。それがすべてのきっかけかな。

豊泉 そのころはすでに“ブンブン丸”って名前を名乗ってたんですか?

ブンブン丸 いや、まだだね。この名前はゲームスポット21に行きだしてからだよ。ウルフでジャイアントスイングばっか使って倒してたら、いつの間にかそう呼ばれるようになった

北口 昔読んだ本で、ファミ通の『バーチャ3』ムックかなんかだったと思うんですけど、“ブンブンさんの名前の由来は麻雀でブンブン行くから”みたいなことが書いてあって、「本当かよ!?」ってなってたんですけど、実際のところ、どうなんすか? 『TOKYOHEAD~トウキョウヘッド~』の原作本【※2】でも麻雀が由来ってなってるし。

ブンブン丸 そうそう、ブンブン丸っていう名前の発端はそこなんだよ。当時、ゲームスポット21の常連メンバーでよく麻雀を打ってたんだけど、点数表に名前を書くじゃん? で、みんな“池袋サラ”【※4】とかリングネームを書くんだけど、俺はまだリングネームがなかったんだ。なんて書かれるのかなと思ってたら“ブンブン丸”になってさ。「あ、俺、それなんですね」って(笑)。

豊泉 それが始まりなんですね。

ブンブン丸 だから、打ち筋で決まったわけじゃなく、ジャイアントスイングが由来なの。ただ、雀荘で決まったから、麻雀が関係ないってわけでもないな。だいたい、俺、麻雀の打ち筋は堅実だから! ブンブン振らないし、突っ張らない。 

北口 麻雀は守備派なんすね(笑)。

ブンブン丸 でも、ジャイアントスイングで派手に相手を倒すのが俺のプレイスタイルだったから、そういうイメージがあったんだろうね。当時、勝ちは二の次……というのは言い過ぎかもしれないけど、ふだんの対戦ではそういう闘いを好き好んでしていた。動きを読んで、派手に勝つっていう。ついでに言うと、当時はジャイアントスイングをちゃんと出せる人が少なかったから、積極的に使ってたっていうのもあるね。あれ、けっこう、コツがいるじゃん。

北口 ムズかったですね。

ブンブン丸 そもそも3D対戦格闘ゲームの概念や操作体系がまったく普及していなかった時代で、あのコマンドを決めるってのは、かなりコツが必要だと思うんだ。いまの時代に初代『バーチャ』をやっても同じだと思う。ジャイアントスイングを出すこと自体がまわりの人から大ウケだった。

豊泉 そもそも、キャラはなんでウルフを選んだんですか?

ブンブン丸 プロレスが好きだったからね。あと、投げキャラも好き。『ストII』でもザンギエフを使っていたし。

豊泉 なるほど。ちなみに、そのころっていくつだったんですか?

ブンブン丸 17、18歳とかそのあたり。いまにしてみれば、まだクソガキだよね。

北口 クソガキて(笑)。原作でも、ある大会の決勝戦で「開発者出てこい畜生!」という発言が飛び出したエピソードがありますが、若かったんですね。

ブンブン丸 いやでも、あのシチュエーションなら言うだろ! あの部分は“盛り”ナシの話だよ。

北口 その話、聞きたいっす。フジテレビのイベントの一環で開催された大会だったんですよね?

ブンブン丸 そうそう。“ライブUFO”っていう、代々木体育館で開催されたデカいイベント。その中でセガも出展してて、セガのいろんなゲームの大会があったんだ。『バーチャ』もそのひとつ。会期が5日くらいで、数日の予選を経て最終日に決勝だった。

豊泉 決勝トーナメントの相手は池袋サラさんだったんでしたっけ。

ブンブン丸 当時のあの人は連携がとても強いんだけど、そこに頼り過ぎていて動きが単純だった。俺は駆け引きでは読み勝つことが多かったから、この日も勝てると思ってたんだよね。で、対戦してみたらゲームがバグって、相手の体力ゲージが減らなかった。だって、ジャイアントスイングとスプラッシュマウンテンを決めても、まだ相手のサラが立ってるんだもん(笑)。それであの発言だった、と。

北口 まあ、言いたくもなりますよね。

ブンブン丸 で、その試合に負けて、結果は吉嶺さん(池袋サラ)が優勝。ただ、振り返ってみるとこの大会こそ『バーチャ』というゲームが広く一般層に伝えられた最初の機会だったと思う。“ライブUFO”自体もそうだけど、そこでゲーム大会が開催されたことも話題になったし。

豊泉 いまで言う“お台場冒険王”みたいなイベントなんですかね?

ブンブン丸 うん。まさにそんな感じ。そこでドーンと大会を開催だからさ。テレビの影響力はいま以上に強かったわけだし、けっこうインパクトはあったと思うよ。で、俺はちょうどこの時期にファミ通編集部に入ったんだ。前の仕事を辞めたときに、羽田さんの紹介で。当時は18歳くらいだったかな。『バーチャ2』の稼動直前だっか、直後だったか……というタイミングだったね。


【※1】ゲームスポット21:東京都新宿区の“新宿西口”エリアに老舗のゲームセンター。2015年3月現在も、昔のままの佇まい、店名で営業中。

【※2】羽田さん:新宿ジャッキーというリングネームで活躍した元“鉄人”。元週刊ファミ通編集者で、攻略連載記事“バーチャファイタートゥデイ”を担当。

【※3】『TOKYOHEAD~トウキョウヘッド~』原作本:現在公演中の演劇の原作となる、大塚ギチ氏著作のノンフィクション小説。じつは原作本は体裁の異なる以下の4種類が存在するが、発言の引用は美術出版社版に基づく。なお、劇場版パンフレットには全文+追加描きおろしを収録。『トウキョウヘッド19931995』(1993年/アスペクト刊)、『東京ヘッド New Edition』(増補版/2000年/美術出版社刊)、『TOKYOHEAD:REMASTERED』(増補版/2012年/UNDERSELL ltd. 刊)

【※4】池袋サラ:サラ使いの元“鉄人”。当初は池袋東口のゲームセンター“池袋GIGO”を拠点にしていたことからこの名前が付く。Twitterアカウント:@ikesarah

ブームの中心人物が語る『TOKYOHEAD~トウキョウヘッド~』の時代──『バーチャ』の“鉄人”ブンブン丸インタビュー_02
ライブUFOで行われた『バーチャファイター』大会の当時のファミ通記事。