『プチコン3号 スマイル ベーシック』BASICへの愛から生まれた“奇跡のソフト” その由来を開発者に聞いてみた

いよいよ、明日(2014年11月19日)にスマイルブームより配信されるニンテンドー3DS用ソフト『プチコン3号 スマイル ベーシック』。同作の開発経緯を、スマイルブーム代表取締役社長 小林貴樹氏と同社 開発本部長 細田祥一氏に話を聞いた。

●熱心なファンに絶大な支持を得る『プチコン』の人気のヒミツとは?

 明日(2014年11月19日)、スマイルブームよりニンテンドー3DS用ソフト『プチコン3号 スマイル ベーシック』が配信される。同作は、プログラム言語“BASIC(ベーシック)”を駆使して、ニンテンドー3DS上でゲームが作れてしまうという、コンストラクションツールだ。ニンテンドーDS用ソフトとして発売された『プチコン』(2011年)、『プチコンmkII』(2012年)につぐシリーズ3作目にあたる。BASICで気軽にゲームが作れるということで、世界中に熱烈な支持者を持つ『プチコン』シリーズだが、初のニンテンドー3DS向けとなる本作はどこまで進化しているのか? ここでは、『プチコン3号 スマイル ベーシック』の開発を担当する、スマイルブーム代表取締役社長 小林貴樹氏と同社 開発本部長 細田祥一氏に話を聞いた。


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 ちなみに、当たり前のように話を進めてしまったが、ご存じでない方のために説明しておくと、BASICとは、Beginner’s All-purpose Symbolic Instruction Codeの略で、1964年に考案されたコンピューター言語。もともと教育用のプログラム言語として開発されたもので、比較的平易な表現でプログラミングを行えるのが特徴。そういった気軽さもあって、1980年代の8ビットパソコンの普及にあわせて一世を風靡した。その利便性の高さなどから、C言語全盛のいまでも根強い人気を誇っている。


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スマイルブーム
代表取締役社長 小林貴樹氏(右)
開発本部長 細田祥一氏(左)


■小林氏のBASICに対する思いからスタートした『プチコン』

――自分で作ったゲームをYouTubeやニコニコ動画でアップするなど、熱烈なファンを持つ『プチコン』シリーズですが、そもそも1作目の『プチコン』は、どのようにして生まれたのですか?

小林 私がこの業界に入ったころは、どこのソフトハウスも必ずBASICを作るくらいの気持ちがあったんですよ。私が在籍したデービーソフトはdb-BASICを使っていましたし、ハドソンもHu-BASICというのを出していた。それで、会社が変わって「いつかはBASICを作りたい」と思っていたのですが、なかなか果たせずにいました。それが、2008年にスマイルブームを設立したときに、「BASICを作りますから!」って宣言したんです。それでもなかなか作るタイミングが取れなかったのですが、ようやく念願がかなって、2011年にニンテンドーDS用配信ソフトとして『プチコン』を配信することができたんです。

細田 最初に小林が、BASICを作ると宣言したときは、「またこの人、わけのわからないことを言うなあ」と思いましたね(笑)。最初に小林が作ったのは、Xbox 360のXNA版だったんですよ。

小林 Xbox 360コントローラー用 キーボード パッドを見て、「これでBASICが作れるなあ」って思ったんです。かな入力もできるし。

細田 社長ながら、「この人何をやっているんだろう?」って呆れましたね(笑)。そのときは、それで終わりになったのですが、その後ニンテンドーDSで『プチコン』を作ると言い出して……。「もういいよ」と(笑)。

小林 少しもかまってくれない(笑)。そんなわけで、最初の『プチコン』は、開発会社といっしょに作ったんです。できあがったアルファ版の動作があまりに重たくて、「誰がMSXの速度まで再現してと言ったよ!」と思ったのは、いい思い出です(笑)。

細田 で、いよいよリリース間際になって、サンプルプログラムが足りないということになり、「プログラマーは1個ずつゲームを作れ!」という社長命令が来たんです。仕方ないから……ということで、いざ作ってみたら、「あれ、これ意外といいな」と(笑)。「BASICってこんなにお手軽にゲームを作れる言語だったんだ」って改めて見直したんです。最初は、「いまさらBASICもないだろう……」とも思ったのですが、実際に組んでみると、これが意外とおもしろい。

小林 じわじわとこちらサイドに……(笑)。

――ほとんど、小林さんの個人的な思いからスタートしたプロジェクトだったんですね。やはり、「ユーザーさんの反応はどうだろう?」という怖さもなく?

小林 完全にありませんよ(笑)。売れなくてもいいと思っていたので。『プチコン』に関しては、もちろん開発費はしっかりとかけていますが、どちらかというと「うちはこんなこともできますよ」という、私たちにとっての“販促グッズ”的な位置づけでいいと思っていたんです。結果的に、じわじわと売れてくれてびっくりしました。「価格が800ポイントで、こんなに何万本も売れることはありませんよ?」と言われたくらいですからね。

――世界中にBASICユーザーはいたということですね。

小林 で、せっかくだから「もう1回作り直そう」ということで、今度は細田が参加してくれて、高速化と最適化を図ったのが、2012年にリリースされた『プチコン mkII』だったんです。『プチコンmkII』 は、これ以上は手が加えられないというところまで作り込みまして……。で、つぎに「ニンテンドー3DS向けを作ろう」という話になったときに、「だったら、イチから作ろう!」ということで、細田と立ち上がった次第です。ただ、社内でも若い人たちはみんな唖然としている感じでしたね。「あのおじさんたち何かやっているぞ……」みたいに見られていて、いまだにかまってもらえない感がある(笑)。

――そこまでしてBASICにこだわるのは、やはり時代的なものですか?

小林 そうですね。何だかんだ言って、BASICがプログラムを覚えるきっかけになりましたし。これ(BASIC)で育ったということはあります。実際のところ、BASICはいまだに使いやすいですし。命令するとコンピュータが動くというのが、わかりやすかったですね。

細田 当時はBASICしかなかったですよね。

小林 お金持ちの友だちの家にマイコンがあって、いじらせてもらったりしましたね。うちは貧乏だから、マイコンは買えなかった(笑)。

――当時はやはり独学で?

小林 はい。基本独学です。雑誌や書籍にあるものを見て勉強しつつ……。いま見たら、きっと汚いプログラムを書いていたんじゃないかな……とは思うのですが、当時は「動けばいいや!」くらいの感じでした。当時、我々は“写経”と呼んでいたのですが、『ベーマガ※1』や『MSXファン※2』といった雑誌にプログラムが延々と書いてあったので、それを写すという作業をくり返していましたね。それが一文字間違えてもダメで、“バン!”と実行を押すと度々エラーが出る。「どこか間違っている~!」と、そんなときは目の前が真っ暗になりました(笑)。

※1:ベーマガ……マイコンBASICマガジンの略。電波新聞社・刊行
※2:MSXマガジン……アスキーから刊行されたMSX専門誌

――BASICあるあるですね(笑)。

小林 「間違っているのはどこだろう?」と……しらみつぶしに見ていくうちに、単語が気になってくるんですね。「“Left”という単語の隣に“3”って書いてあるけど、これ残機のことかな?」とか。「この数字を増やしたら機体の数が増えるんじゃないか?」みたいな感じで数字を改造し始めて、10とかにすると残機が10機に増えて「おおーっ!」と感動する。そんなことをくり返していくうちに、プログラムってこういうふうにして作るものなんだということが、だんだんわかってくるんです。そのときは、“プログラム”という言葉自体はぜんぜん意識していなくて、「この単語を入力すれば、こういうレスポンスがある」という理解だけがあった感じですね。

――そうやってプログラムを覚えていったんですね?

小林 はい。私は、いまCEDECのアドバイザリーボードに加わっているのですが、参加メンバーも私と同じような年齢で、話をすると「自分たちもBASICでスタートした」みたいな文化があるんです。『ゼビウス』の遠藤雅伸さんも、ご自身のラジオで『プチコンmkII』の紹介をしていただいて、けっこう応援してくださったんです。当時は、「プログラムを組みたいと思えば組める環境だったんだよな」と考えると、いま出しても「意外といけるんじゃないか?」という手応えは、『プチコン』をリリースする前に感じていましたね。