ファミ通の歴代『パワプロ』担当編集者が当時の想い出を語る!
2014年で20周年を迎えるKONAMIの野球ゲーム『実況パワフルプロ野球』シリーズ。今回は、週刊ファミ通で『パワプロ』シリーズの記事を担当した歴代編集者の座談会を敢行。『パワプロ』の想い出をファン目線から存分に語ってもらったぞ。
■座談会参加者
フランソワ林
週刊ファミ通編集長、パワプロ班初期メンバー
カミカゼ長田
前週刊ファミ通編集長、初期は趣味でプレイし、『7』~『10』をパワプロ班として担当
時計じかけ豊田
ファミ通.com編集長
『14』、『15』を担当
佐治キクオ
『9』よりパワプロ班に参加
ジャスト野島
『11』よりパワプロ班に参加
中央=フランソワ林
右=時計じかけ豊田
右=佐治キクオ
野球ゲームに革命を起こした『パワプロ』
豊田 初代『パワプロ』は、以前週刊ファミ通編集部に所属していた風のように永田さん(以下、永田)が担当していたと思うんですが、永田さんが推していたのは『パワプロ』のどの部分だったんですか?
長田 野球としての部分だね。疑似3Dを作り出して投球に高低差がついたことで、投打の駆け引きが従来の野球ゲームに比べて圧倒的にリアルだったんだよ。当時、編集部で盛り上がっているかどうかの指標は、社内大会が開かれるかどうかだったんだけど、『パワプロ』はサンプルROMが編集部に届いたら速攻で大会が開催されたほどだった。
豊田 最初は野球部分のクオリティーの高さが注目されたんですね。
長田 そう。野球好きが集まってリーグ戦が開かれていたんだけど、12球団あるから野球好きだけじゃ足りなかったから、野球を知らない編集者も参加していたの。そういった編集者は100点くらい取られてたよ(笑)。
一同 (爆笑)。
長田 アクションゲームだから投打はできる。でも、野球を知らないから打ったあとにどうしていいのかわからなくなって(笑)。
佐治 問答無用で100点取っちゃうところがすごい(笑)。
林 『パワプロ』っていまはサクセスが注目されることが多いけど、アクションゲームとして楽しかったんだよ。当時は野球ゲームとして革命だったから。俺は1994年の秋に編集部に入ったから、最初の『パワプロ』はファミ通を読んで始めたとかではなくて、自然と友だちとプレイしていたんだよね。当時CMをバンバンやっていたわけじゃないのに、野球ファンは「パワプロすげーぞ」という感じで遊んでいたイメージがあるよ。実際、ムチャクチャおもしろかったし。
豊田 編集部で『パワプロ』が取り上げて広まって、攻略チームとして活動し始めたのはいつごろからだったんですか?
林 サクセスの攻略をガッツリ始めたのは『6』からだね。サクセスはその前からあったんだけど、そのときは個々人でプレイしていたんだよ。『6』のときに、杉さん(トマト杉原:パワプロ班、現ニュース担当編集者)とサクセスで作った選手で1チーム作って、そのチームでリーグ戦をまわすという遊びをしていたら、永田さんとマクニール石井さん(元週刊ファミ通編集部所属、パワプロ班初期メンバー)も同じような遊びをしていて、それならいっしょにやろうと。で、そこにエディ是枝さん(元週刊ファミ通編集部所属、パワプロ班初期メンバー)といーです井手さん(元週刊ファミ通編集部所属、パワプロ班初期メンバー)が入ってきて6人でリーグ戦を回すようになって……「これムチャクチャおもしれー」って。
豊田 その流れで作ったのが、1999年9月3日号の特集記事(※)なんですね。
※『パワプロ6』の特集記事。発売5ヵ月が経ったタイトルの特集が組まれるのは異例中の異例。
林 そう。社員旅行で沖縄に行ったんだけど、「特集記事を作るぞ!」とニンテンドウ 64を旅先に持ち込んでやり込んだのを覚えてる。
豊田 初期のパワプロ班は野球愛のある人間が集まった感じだったんですね。
長田 みんな野球が好きだし詳しかった。でも、杉原は左投げのサードを作っていたけど(笑)。
一同 (爆笑)。