ゲームの可能性を閉じ込める“見えない壁”の向こう側へ――ヨコオタロウ氏の講演をリポート【GDC 2014】

GDC 2014の会期4日目に行われた、ヨコオタロウ氏の講演をリポート。

●ヨコオ氏らしいユーモア満載の講演!

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 2014年3月17日~21日(現地時間)、サンフランシスコ・モスコーニセンターにて、ゲームクリエイターを対象とした世界最大規模のセッション、GDC(ゲーム・デベロッパーズ・カンファレンス)2014が開催。
 ここでは、会期4日目に行われた、『ドラッグ オン ドラグーン』シリーズや『ニーア Replicant/ニーア Gestalt』などで知られるゲームクリエイター、ヨコオタロウ氏による講演“Maiking Weird Games for Weird People”をリポートしよう。

 ヨコオ氏流のシナリオ制作術から、ヨコオ氏がゲームを通じて目指すものまで、非常に深い考えが語られたこの講演。非常におもしろい内容ではあるが、ひとつだけ注意点が。
 本講演リポートには、『ニーア』に関するネタバレがいくつか含まれている。もしも『ニーア』をプレイ中の方、もしくは今後プレイする予定がある方には、すべてクリアーしてから読むことをオススメしたい。

 では、リポートを進めよう。 講演の冒頭では、つまらない話を延々と聞かされて、あげくろくでもない結論だったら嫌でしょう……と冗談交じりに、今回の講演の“結論”が提示された。


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 ヨコオ氏にとって、物語やゲーム性は、もっとも重要なことではない。もちろん、お金儲けやグラフィックスなどでもない。ヨコオ氏は、ある“ゴール”に向かってゲームを作っており、物語もゲーム性も、そのゴールに向かうためのえ手段でしかない、と語る。その“ゴール”とは何か、が講演の主題だ。

 話は、ヨコオ氏が初めてディレクターをやることになったときにさかのぼる。それまではグラフィックデザイナーとして仕事をしていたヨコオ氏は、未経験のシナリオライティングに挑むにあたり、まずは“シナリオの書きかた”的な書籍を参考にしようと考える。しかしそこに書いてあるのは、“主人公の自己概念は?”“主人公は世界をどう見ているのか?”“主人公を世界にどのように見てもらいたいか?”といったことで……「自己概念とかわからない。それはストーリーのおもしろさにどう関係があるの?」(ヨコオ氏)。
 結局ヨコオ氏は、その手の本はあてにせず、自分でシナリオを書く方法を考えることにする。そこでヨコオ氏が編み出した手法が、以下のふたつだ。

◆逆算のストーリー作り
◆photo-thinking(フォトシンキング)


●“感情のピーク”に向けて“理由”を積み上げる

 “逆算のストーリー作り”とはどういうことか? ヨコオ氏は、シナリオを作るときに、物語の結論から原因を作るのだという。その手法が、『ニーア』を例に説明された。
 ヨコオ氏いわく、物語は小さな出来事の連続で作られる。ゲームを作るときには、下の画像のように、まず出来事を示す“箱”の数を考え、全体的なボリュームを決めてしまうそうだ。それはコスト面の問題で、予算を考慮して、やれる範囲の作業量で収めるためだ。

 物語の“箱”ができたら、そこに情報を書き込んでいく。ここで考えるのは、“感情のピークは何か”。それは物語がプレイヤーに生み出す強い感情――悲しい、怖い、愛しい、苦しい、かっこいいといった気持ちであり、それが物語で伝えたいこととなる。


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 『ニーア』では感情のピークが複数設定されているが、そのひとつに、“彼女との死別”がある。では、“彼女との死別”でいかに“悲しい”という強い感情を生み出すか。単純に“女が死んだ”という状態だけを見ると、まったく悲しくならない。ここで感情のピークがくるには、“悲しくなる理由”が必要になる。

 ヨコオ氏は、感情が形作られるには理由がある、と説明する。その例として、たとえば“ペットが死んだ”という状況。そこに、“あなたの”、“子どものころから飼っていた”、“幼いころから一緒に育ってきた”、“いつも一生懸命遊んでくれた”“心優しい犬”、“命を全うして天に召された”といった理由が加わると、強い感情が生み出される。
 対して、“ゲームキャラのペットが死んだ”だけでは、悲しくはならない。それは、そのペットが、自分と過去をともにした存在ではないからだ。

 であれば、ゲームキャラクターにも経験を与えてやればいい、とヨコオ氏。プレイヤーに、一生懸命遊んでくれた様子や、献身的な様子など、悲しむための理由を与えていくことで、本当のペットが死んだときと同じ感情を呼び起こせるようになる、というわけだ。

 では“女が死ぬ”に、どんな理由があれば悲しくなるのか? まず、悲しいことの多くは、弱者がしいたげられたり、弱い者がいじめられることから生まれる……というところから、“女は少女である”と設定。さらに、“物語的に弱い立場にいある”ことの表現として、ハンディキャップ――“彼女はしゃべれない”と設定。
 さらに、“彼女は正しくてきれいな性格”であるとする。悪い人が死んでも誰も悲しまないが、悪くない、罪のない人が死ぬのは悲しいことだ。
 そして、“死ぬ直前に大きな幸せが訪れようとしていた”ことにもする。大きな幸せが破壊されると、大きな悲しみを感じる。そこで、“やっと迎えた結婚式で”と設定。

 情報を一気に書き込むと、下のようになる。


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 しかし、少女の死が大きな悲しみとなるためには、昨日今日知りあった人ではなく、親兄弟のように昔から知っている間柄である必要がある。つまり、上記のような体験は、ゲームの中で時間間隔が空いていなければならない。
 そこで、昔からよく知っている存在となるように、冒頭から出来事を積み上げ、間隔をなるべく空け、女の死を後半に持っていく設計となる。あとはそれぞれに適切な表現、イベントをつけてあげれば、シナリオの完成……となるわけだ。ヨコオ氏は、そうした表現は、製品の中で、最大の時間をかけて描くべきだ、と語った。


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 ここまでのまとめとして、感情のピークは経験の積み重ねで起きる現象である、とヨコオ氏は語る。感動をデザインするなら、プロセスに従ってストーリーをデザインするのが効果的で、感情のピークから理由をデザインするというのはそういう意味であり、逆算のストーリー作りはそういう方法である、と説明した。


●“見る”ことが世界を作っていく

 感情は経験がもたらす落差であり、理由を丁寧に、積めば積むほど、落差は大きく、感情のピークは高まると語るヨコオ氏。仮にひとつの理由に共感できなくとも、ほかの理由に共感できればいいわけだから、理由はたくさん用意したほうがいい、と説明する。
 また、ゲームでは複数の事件が並行して起こっているもの。起きた事件と、その理由は、ゲーム制作を進めていくうちに膨大になっていく。ゲーム制作においては、ここで混乱しないように注意する必要がある。

 そこで有効なのが、冒頭に示したもう一つの手法、“フォトシンキング”だ。これは、状況を頭の中で再現する、ということ。


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 “少女が死ぬ”の場面では、“結婚式の最中に殺される”“腹を突かれて殺される”“異文化圏の住人に””彼女は仮面をつけている”……と情報を加えていったとして、それでも情報が足りない。それだけでは、周囲の状況や、彼女の姿勢がどんなふうであるか、といったことは伺いしれない。
 そこで、ヨコオ氏は状況を映像でイメージするのだそうだ。小さく、華奢な少女は、王子の手の中で血まみれになっており、死に際に彼女は、“結婚してくれてありがとう”とささやく……そうした場面をイメージすることで、言葉として書いていないものが見えてくる、というわけだ。


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▲“少女の死”の場面を頭の中で明確にイメージする。

▲ヨコオ氏が紹介した『記憶の宮殿』という書籍。脳内に妄想の宮殿を持ち、そこに覚えたいものを置いていくことで、スムーズに記憶することができる……という“映像記憶術”について説明したものだそうだ。“フォトシンキング”は、そうした映像記憶術の応用だったことに、後になって気づいた、とヨコオ氏。

 といっても、そうした手法に慣れていない人からすれば、イメージせよ、と言われても簡単にはいかないようにも思える。しかしヨコオ氏は、誰もが見えるはずだと主張する。たとえば「人が立っている」ことを想像したとして、真っ白い空間に立っている風景を思い浮かべる人はいない。立ってるなら床があり、首を回せば空が、雲が視界に入り、風が感じられる……そうした情景は、自然に見えてくるはず、というわけだ。

 先の『ニーア』の例で言えば、砂っぽい空気、黄色い空。悲しい出来事で村の空気は暗く、村人は皆沈痛な表情をしている……ヨコオ氏は、こうした情景を“見る”ことで、設定を脳に焼き付けていくのだと言う。
 ここで設定を明確に認識しておくことで、後でこの村を訪れるエピソードがあった場合でも、そこにはよどんだ空気、沈みきった村人たちがいることを、間違えることがなくなるのだ。


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 脳内世界を旅すると、徐々に形が作られていく――ヨコオ氏は、“見る”ことは偉大なことだと語る。しかし同時に、“見すぎる”ことは危険だとも警告する。たとえばさきほどの少女の死のシーン。結婚式に数千人の観客がいる、などというイメージをして、それを元にゲームを作ろうとすると、それを再現することに手一杯になり、肝心の“少女の死”を作ることがおろそかになってしまう。こうしたケースは、若いシナリオライターにありがちなケースだそうで、ヨコオ氏は、「設定を考えすぎて入れ込めません」といった場合には、まずそれは“見すぎ”が原因である可能性が高いと指摘する。感情のピークが悲しみにあるのなら、“悲しい”を作る理由以外のものは、なるべく見ないようにすることもポイントだというわけだ。
 まとめとしてヨコオ氏は、“フォトシンキング”では、大事なことを決めたうえで、それを見失わないことも重要だ、と語った。


●ゲームの可能性――“見えない壁”の向こうへ!

 では、ヨコオ氏にとって“大事なこと”とは? 物語もゲーム性も重要ではないというヨコオ氏にとってのゴールとは何なのか。
 その答えはシンプルだ。ヨコオ氏はゲームクリエイターとして、ゲームを作って、他人に遊ばせる。すると、プレイヤーが何かしらの感情を持つ。そこでどんな感情を起こすか? それだけが大事なことだ、とヨコオ氏は語る。


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 ヨコオ氏が近年強く感じているのが、ゲームショップを覗いても、子どものころのようにワクワクしなくなっている、ということなのだそうだ。ヨコオ氏はそれを、昨今のゲームは、よくできたゲームが増えた反面、何が起こるかわからないドキドキ感が失われているからだと分析する。手軽に遊べるソーシャルゲームから、尋常じゃない予算をかけたAAAタイトル、はたまた低予算でも可愛く、おしゃれで楽しいインディーゲーム。いろいろあっても、その楽しさは想像ができてしまうもので、想像できるということは、意外ではないといこと、とヨコオ氏。
 ヨコオ氏は、こうした状態は、映画や小説のように成熟した文化に見られる一定の傾向かもしれないとしつつも、「あらがいたい。ゲームの可能性はもっとあると信じています」と語る。

 ゲームではできないこと、というのは厳然としてある。ひとつは倫理の問題で、たとえばあまりに度が過ぎた性的描写などは、そもそも法的に許されない。もうひとつはコストの問題で、「100億円かけたゲームを作りたい」と考えても、ほいほいお金を出してくれるパブリッシャーなどありはしない。
 ヨコオ氏は、そうした“ゲームでできること”の外側にあることはともかくとして、その内側、“ゲームでやれること”を、我々はすべてやり切っているのか? と問いかける。


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 『ニーア』をやり込んだ人はもちろんだが、ネットなどでも大きな話題となったため、ご存じの方も多いだろう。『ニーア』のあるルートのラストでは、プレイヤーは、ヒロインを助けるために、セーブデータを捧げることを求められる。

 プレイヤーにとってもっとも思い入れがある“セーブデータ”を、物語が奪う……。ヨコオ氏がこれをイメージしたのは、「オプション画面で人を動かせないか?」と考えたのがきっかけだったそうだ。すばらしいシナリオやイベントシーンではなく、オプション画面で人を動かす。そのために、感情のピークを“オプション画面でデータが消える”ところに合わせて、プレイヤーが「マジか……!?」と愕然とする姿をフォトシンキングし、そこから逆算して全体の物語を作っていったのだそうだ。

 この、物語がセーブデータを消すと言う仕組みは、「やれるかやれないかで言えば、やれること。でもやられてこなかったこと」(ヨコオ氏)。ある人には、「その演出は、ゲームでやってはいけないことに片足を突っ込んでいますね」とも言われたそうだ。しかしその“やっていいのかわからない、もやもやした、未開の地”こそに、ヨコオ氏の目指すものがあると言う。


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 ヨコオ氏は、ゲーム業界が成立してから長い時間が経過し、制約の中でみんなが賢くなって、いろいろなルールが生まれていると指摘する。一定時間遊べないといけない。おもしろくないといけない。物語は感動できなければいけない……。
 ヨコオ氏は、そのルールを“見えない壁”と呼ぶ。見えない壁は、やっていいことだけ包んで、それ以外はやらせてくれないように阻んでいるように見える。しかしヨコオ氏は、ゲームでやっていいことは、もっとあるのではないか、と主張する。
 たとえばフルプライスで10分しか遊べないゲームでも、それがお金をかけた、世界でいちばん美しい10分なら? 誰もクリアーできないゲームは? クリアーできないと学校を卒業できない、というソーシャルゲームは……?
 ヨコオ氏は、こうした想像をするとゾクゾクするそうで、それは見たことがないものだからだ、と語る。そして、“見えない壁”の向こうには、本当は作れるはずの“感情のピーク”がたくさん埋まっているはずなのだ、と。


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 ヨコオ氏が感銘を受けた事例として挙げられたのが、コカ・コーラ社による“Small World Machines”。これは、テレビ電話でつながった自動販売機をインドとパキスタンに一台ずつ置くというもので、ふたつの自販機でゲームに成功すると、マシンからコーラが出てくる仕組みになっている。歴史的経緯から憎み合っている二国の人々が、この仕掛けを通じて笑顔になっている様子は、映像でも紹介されている。



 ヨコオ氏が見たところ、“Small World Machines”のゲームはしごくシンプルで、映像遅延もひどく、端的に言えば「つまんない。くそゲーです」(ヨコオ氏)。しかしこの試みは、「コンシューマーゲームが踏み込もうとしなかった表現にドカドカと踏み込んだ」(ヨコオ氏)という点で、すごいことだとヨコオ氏は語る。もちろんこれはコカ・コーラ社によるマーケティング活動の一環で、そのうちに撤去されてしまうであろうものだ。しかしヨコオ氏は、ゲームクリエイターならば、これを恒常的な体験に落とし込むことができる、と主張する。

 おもしろいストーリー、秀逸なシステムのゲームは、すでにたくさん存在しているものであり、ヨコオ氏の興味はそこにはない。ヨコオ氏は、見えない壁の向こうにある、誰も見たことがないものを追求したいと語る。それは、“感動する”などのいいことに限らず、大人がショップで購入をためらうようないかがわしいものでも、プレイヤーが怒りのあまりコントローラを投げ出すような感情でも。
 ヨコオ氏が欲しているのは、メタスコアで点数がつけられないような体験。なぜならそれこそが、ヨコオ氏がゲームを好きになった理由そのものなのだから……というわけだ。


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 ヨコオ氏は『ニーア』を振り返り、これが“9.11”以降、テロの蔓延した世界に影響を受けたものだと明かした。敵も味方も、自分が正しいと思っていて、それなのに不幸な出来事がどんどん起きてしまう世界。そこで、それぞれの立場で何が見えていたのか。何を考えていたのか……? それを知りたいがために、ヨコオ氏は『ニーア』をデザインしたのだそうだ。
 しかしヨコオ氏は、『ニーア』では世界を変えることができなかった、と述懐する。ヨコオ氏いわく、20年間ゲーム業界にいるが、壁の向こうに行って何かを見たという確信が持てないし、世界どころかゲーム業界を変えることすらできず、「僕は20年かけて失敗したわけです」(ヨコオ氏)。

 それでもなお、ビデオゲームの可能性を信じているというヨコオ氏は、会場に集まったゲーム開発者たちに、「我々ならできるはずです」と強調。とくに生まれたときからコンピュータやネットがあるのが当たり前に育った若い世代の人たちに対して、「ビデオゲームの可能性は広大で、何をしていいかわからなくなることもあるかもしれません。でも、ぜひ“壁の向こう”に一歩でも進んで、世界をグチャグチャにするようなゲームを作って、僕を少年のころのように楽しませてください」と呼びかけて、講演を締めくくった。


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▲マジメに取材している風の写真がほしいプレスの人もいるだろうので……ということで、いかにもGDCっぽいスライドを用意してくれたヨコオ氏。しかしよく見ると……。ちなみにこの講演は午前11時~12時、ランチタイム前に行われたものです。