SCEジャパンスタジオ入魂のアクション最新作のデキはいかに?
SCEJAより2013年9月発売予定のPS3用ソフト『パペッティア』。本作は、主人公の地球の少年クウタロウが、魔法の月の王ムーンベアキングに魂を連れさらわれ、人形にされてしまうところから物語が始まる。そしてさらに、ムーンベアキングの機嫌を損ねてしまったクウタロウは、頭を食べられて捨てられてしまう! 途方に暮れる中、月の魔女と空飛ぶ猫に導かれ、自分の頭を取り戻す旅に出るクウタロウ。果たしてその結末は? SCEジャパンスタジオが贈る珠玉のアクション大作。ここからは、そのプレイインプレッションをお届けする。また、本作の最新情報は週刊ファミ通6月20日号(6月6日発売)に掲載中。そちらも要チェックだ。
誰もが入れる魔法劇場は実在した!(プレイインプレッション)
まず、右の写真を見て頂きたい。これは、SCEJAから公式に送られてきた制作スタッフの集合写真だ。他の業界は正直わからないが、ゲーム業界の宣伝においてこのような写真が出てくるのはわりと珍しい。理由はいくつかあるが、まずめんどくさい。その理由を挙げていくとキリがないので割愛するが、とにかくこういう写真を撮るのはめんどくさいのだ。つぎに、恥ずかしいからイヤだという人が必ずいる。男性でも女性でも等しくこう言ってイヤがる人がいるんです。もちろんこれがまったく筋の通らない主張だという話ではなく、むしろ反論の余地もない正論です。少し言葉を足すとよくわかる。「自分の仕事ではないし、恥ずかしいからイヤだ」。そりゃそうです。ごもっともな話です。余談だが、自分の仕事ではない、という部分で言うと、プログラマやグラフィッカーといった技術職系の人は経験上とくにそういって恥ずかしがることが多い(と思う)。また、いろいろなことが”バレる危険”というのもある。男女比率やメガネ率、服装はカジュアルでオッケーなんだな、などなど。そもそも機密情報が漏れたらどうしよう、などとは考えずに、本当に職場らしき場所で撮影するという大胆さだ。ほかにも理由はいろいろとあるが、総合的に考えて”あんまり意味がない”という判断が下る場合が多く、こういった写真はあまり世に出てこないわけです。では、そういった理由をすべて飛び越えてコレをやるというのはどういう場合か? それはノリです。「スタッフの仲がいいんです」とか「一体感を持って仕事をしています」とかそういう美談方面ではなく、ノリです。実際は「めんどくせー」とか「恥ずかしいなあ」とちょっと思っている人は確実に居るはずで、でもノリがそういう気持ちを上回って笑顔まで出る。これは企業風土だったり職場環境だったり、癖に近いナチュラルなもので、やりたいと思ってできることではない。個人的に、エンターテインメントに関わる人間、チームはこういうノリが実は一番大事だと思うのですがいかがでしょう。
※こんな動画もありますよ
さて、冒頭から話が横道というか獣道レベルまで逸れたが、ここからが本題。このノリのいい(と思われる)人たちが作っている『パペッティア』はどんなゲームなのか。開発陣のプレゼンテーションと実際にプレイして感じたインプレッションをお届けしていく。基本的にシンプルでありながら非常に多彩な要素を含んでいるゲームなので、語り口としてはいくつも考えられるが、今回は3つの視点でお話しよう。
①協力プレイが楽チン&盛り上がる
『パペッティア』は、ひとりプレイとふたり協力プレイが可能。ふたり協力プレイでは、主人公のクウタロウとパートナー(ステージ進行によってキャラクターは変化)をそれぞれ操作することになる。役割は、クウタロウ=ビッグバイパー、パートナー=オプション、と考えるとわかりやすい。……「わかりにくい」という声が聞こえてきそうなのでちゃんと説明すると、クウタロウは基本的なアクションに加えて、さまざまなヘッドの能力や聖なるハサミ カリバスを使って、敵を倒し、仕掛けをクリアーしながらステージを進んでいく。ダメージを受けてクウタロウの体力がなくなってしまうと、ミスとなる。パートナーは、画面内を自在に飛びまわり、アイテムを集めてクウタロウに渡したり、進行方向にある障害物を壊す、敵を攻撃するなど、クウタロウをサポートする役目。基本的にダメージなどは受けない。
役割としては大きく違うが、それぞれ明確にできることとやるべきことがある。また、役割を分担することで、当然ふたりでプレイするほうがゲームを進めるのが簡単になる。当然、と言ったが、実はアクションゲームではふたりでプレイするほうが難しくなる場合も多々ある。この部分を『パペッティア』では、「ゲームの設定で難易度を用意するのではなく、ひとりよりふたりでプレイすると難度が下がるという形を目指した」とのことで、実際、かなり練り込まれたバランス調整が施されていると感じた。どちらを担当するのが大変かは一概には言えないが、ステージを進んでいくという目的に対して双方にできること(責任)があるため、どちらを担当しても自然と熱がこもる。ゆえに、盛り上がる。といっても、常時声を掛け合っていないと上手くいかないということもなく、(慣れもあるが)やいのやいの言いながら進んで行ける場面あり、グッと集中してそれぞれの役目を果たす場面ありと、メリハリもバッチリ。実に心地よいプレイ体験が得られる。開発陣も「ぜひふたりプレイを楽しんでほしい」と言うように、ありそうでなかった協力プレイの新境地を実現している。
②ひとりプレイはかなりのやり応え
協力プレイとは違い、『パペッティア』のひとりプレイはかなりやり応えがある。前述した、クウタロウとパートナーの役割をひとりでこなすことになるからだ。協力プレイを体験してからひとりプレイをやると、地元を離れて一人暮らしを始めて母親のありがたみを知ったときのような気持ちになるくらいやり応えがある。といっても、もちろん理不尽に難しいということではないのでご安心を。アクションの効果を覚える、ステージの構成、ギミックを覚える、といったアクションゲームの基本的な文法は押えられているし、とくに序盤はこれらを順序立てて覚えていく流れにもなっている。アクションのタイミングのシビアさなども、少しづつ難度が上がっていく感じになっているようで、プレイヤーが成長しながら先へ進んでいけるように上手く誘導してくれるだろう。クウタロウとパートナーを自在に操り、状況に応じてヘッドの効果を使い分けられるようになったとき、ひとりプレイならではの快感を得られるのは間違いない。
③人のプレイを観ているのが楽しい
大事なのは、”観ているのも楽しい”ではなく、プレイするのと同等に”観るのが楽しい”という点。ひとりプレイ、ふたりプレイ、観る、という3つのモードがあると言うとわかりやすいだろうか。観るという楽しみ方が独立して成立しているのだ。『パペッティア』は”劇場”をテーマに作られているとのことだが、まず背景やオブジェクトなどの作り込み具合がいい意味でおかしい。作り込みがスゴイというのはゲーム評ではよく目にするが、『パペッティア』はそのレベルを突き抜けて、おかしい。完全に職人集団が勢い余って作っちゃった的なノリ(狂気とも言う)を感じる。冒頭の写真の人たちの仕業ですね、はい。
ほかにも、それらオブジェクトの動きや種類の異様な豊富さ、ネタを交えつつ喋りまくるキャラクターたち(ちなみに、クウタロウは喋らない)、場面ではなくプレイの良し悪しに合わせて客席から歓声が起きるなど、とにかく芸もこだわりも細かい。曰く魔法劇場というものが確かな存在感を持ってそこにある。どこまでやる(こだわる)か、というのは世間一般ではコストやら納期やらさまざまな理由で「ここまでにしよう」という判断が下されることが多々あるが、謎のパワーを発揮してこだわり抜いたものを作り上げてしまう人たちがたまにいる(もちろん納期内に)。『パペッティア』制作陣はそういうチームなのだろう。
そしてさらに恐ろしいのが、このこだわりの芸術的ゲーム内劇場が、『パペッティア』の主役ではないということ。いや、ある意味では主役のひとりなのだが、そもそもクウタロウやキャラクターたちが埋もれてしまうほどの主張はできない、という宿命を背負っているわけです。アクションゲームですしね。実際、よほどの余裕がない限りは、プレイ中に上記の要素すべてを堪能するのは難しい。しかし、それでも妥協せずに贅を尽くして作り上げた結果、”観るのが楽しい”が生まれているわけで、これは本当にスゴイことだと思う。豪奢な作りの劇場で、多彩な演出を交えながらクウタロウの活躍に観入り、キャラクターたちの軽妙なやりとりに耳を傾ける。まさに観劇しているような、観ることがひとつのエンターテインメントとして成り立っている『パペッティア』。コンセプト通り、狙い通りなのだろうとは思うが、ひとつ言えるのは並みのチームではたどり着けないステージだということだ。
というわけで、簡単ながらプレイインプレッションをお届けしてきたがいかがだっただろうか。自分としては、開発陣にまだまだ話を聞いてみたいと思った1本。ビジュアルの独特なタッチや世界観、キャラクターのセリフなど、おもしろい”ノリ”がたっぷりと詰まっていそうだ。無事に公演初日を迎えてくれることを願いつつ、引き続き注目していきたい。(TEXT:佐治キクオ)