ゲームファン必見の映画『キング・アーサー』。それではゲームクリエイターは本作をどう捉えているのか? ここでは、『鉄拳』シリーズのプロデューサーにして、映画通としておなじみのバンダイナムコエンターテインメントの原田勝弘氏に『キング・アーサー』の見どころについてうかがった。

テンポのいい演出がゲームファンにはたまらない

——『キング・アーサー』は、ゲームファンにとっても親和性の高いタイトルだと思うのですが、ご覧になられていかがでしたか?

原田 『スナッチ』などで有名なガイ・リッチー監督の最新作と聞いて、楽しみにしていたのですが、本作でも監督独特の演出が随所に見られますね。どちらかというと、現代劇が得意な監督だと思っていたので、このような王道のファンタジー作品を手掛けられたことには、少し驚きました。

——具体的に、よかったと思われる演出を教えてください。

原田 早回しやスーパースロー、逆再生などが効果的に使われていて、とても見やすかったです。10数年単位の時間経過を扱う歴史やファンタジー映画の場合、下手をすると間延びして、退屈に感じてしまうこともあるのですが、本作はとにかくミュージックビデオ並みにテンポがよく、最後まで一気に見られました。2時間6分という尺を、まったく感じさせないところはすごいですね。

——一般的な映画なら、観客を感情移入させるために、主人公の少年時代や成長の過程は時間をかけて描きますが、『キング・アーサー』ではそうしたシーンが、ものすごい速さで描かれていたことに驚きました。

原田 そこがまさに、ガイ・リッチー監督ならではの演出なんですよ。とにかく観客を“飽きさせないこと”に気を遣っている。というのも、本作の場合、主人公のアーサーが成長することは、みんな分かっているじゃないですか。だったらそこに時間を割かず、一気に飛ばしてしまおうと。それでも必要最低限の情報は、登場人物の会話で見せているので、混乱はしないわけです。

原田勝弘氏

——そうした演出は、ゲームにおいても有効なのでしょうか?

原田 そもそもの話になりますが、ゲームは少し前まで、“エンターテインメント”の枠に入れてもらえなかったジャンルなんです。演劇や小説、映画、ミュージカルなどがエンターテインメントで、新興のゲームは、それらよりひとつ下に見られていた。それが近年になり、テクノロジーの向上や、経済効果にも影響することが認知され、ようやくその枠に入れてもらえるようになったのですが、ゲームもほかのジャンルと同様に、最初の数分が重要なんですよ。アーケードゲームなら最初の1分から3分、家庭用ゲームなら最初の30分とか1時間以内でユーザーの心を掴まないと、すぐに飽きられてしまうんです。いかに短時間で、その作品の世界観に入り込めるようにするか? その辺りを意識した演出やテンポのよさは、ゲームに慣れている世代にはなじみがあり、心地よく感じられるのではないでしょうか。

——王道の物語を、ゲームのテンポで見せるところが新しいですね。

原田 そうですね。ゲームなら、退屈なシーンはスキップしたり、途中で中断したりと、自分のペースで遊べますが、映画はそうしたことができないので、とにかく映像だけで飽きさせないように工夫を凝らさないといけない。本作の場合は、テンポよく進む部分と、じっくり時間をかけて描く部分が、緩急をつけて描かれていたのがよかったですね。それともうひとつ、印象的だったのが、ガイ・リッチー監督の作品すべてに言えることなんですけど、“痛み”の表現がすごくうまいんですよ。今回は、剣を使ったアクションがメインなので、どう表現するのか気になっていたんですけど、実際に見てみると、剣で斬るより、打撃のほうが多かったのには驚きましたね。

——具体的に言いますと?

原田 床に叩きつけられたり、殴られたり。脳にガツンと来るような痛みが、映像の中で描かれているんです。一撃の重さや、質量を感じさせる演出に力を入れていて、そこに見入ってしまいました。『鉄拳』もそうですが、対戦格闘ゲームを作る際、技をくり出す側つまり攻撃側のキャラクターのアニメーションをかっこよく見せようとしがちですが、じつはそれだと、一撃の重みはうまく表現できないんです。重さや質量って、やられる側のリアクションがあってこそ、はじめて伝わるものなんですよ。本作でも攻撃を食らう瞬間、やられる側の顔のアップが映し出されるんですけど、それがすごく効果的で、そうした演出はゲームとおなじなんだと感じました。

——映画とゲームの演出が近しくなりつつあるわけですね。

原田 その昔のゲーム業界では、まだテクノロジーもバジェットもぜんぜん足りていない時代から、映画の表現を真似て、そこに追いつこうとする風潮があったんです。それがいつの間にか、映像にインタラクティブな要素を加える、ゲームならではの技術として進化していって。いまでは映像の編集に携わる人たちが、ゲームやアニメからエフェクトの表現を逆輸入するというというか、影響されることがあると聞きますね。。

——ジャンルの垣根を越えて、そうした映像表現が世界中で認知されるのはうれしいですね。

原田 そうですね。『鉄拳7』でも、“スーパースローモーション”という機能を搭載しているのですが、これがものすごく評判になって。お互いに体力が残りわずかの状態で、同時に攻撃をくり出すと発動するんですけど、この表現が映画的といいますか、スーパースローで見せるボクシングのリプレイ映像のような演出を、先読みプログラムによってリアルタイムに行うゲームならではの仕組みが、多くのユーザーさんからご好評をいただいております。『キング・アーサー』でも、そうしたスーパースローが随所で使われていますが、戦場で舞い散る土埃や汗、風の流れなどがスローモーションで描かれたら、アクション好きなら間違いなく「オオッ!」ってなりますよね。見ている人の感情を煽る手法は、ゲームといっしょだなと感じました。

対称的なふたりの男のいきざまに、熱くならないわけがない

キング・アーサー

——ほかにも、印象的なシーンはありましたか?

原田 先ほど、痛みの表現について話した際にも触れましたが、本作のアクションは“剣で斬ること”だけにこだわっているわけではないんですよね。打撃もあるし、腕挫十字固のような関節技も使ったりする。剣だけで戦うというより、体ごとぶつかって、その振動が見ている側にも伝わってくるような。まさに、重さや質量を意識したアクションになっているので、ものすごく見応えがあると思います。それと、アクション映画とは謳っているものの、フィジカルな戦いだけでなく、登場人物たちの“戦う理由”にも焦点を当てて丁寧に描いているところが、個人的には印象深かったですね。それぞれの力に対するこだわりや、権力を得るための闘争、ぶつかり合い。ひとりひとりが何を背負い、いまその場にいるのかを丁寧に描いていたところも、本作の見どころだと思います。

——キャスト陣の芝居も見応えがありますよね。

原田 とくにヴォーティガン役のジュード・ロウが、いい演技をするんですよ。アーサーと対立する悪役なんだけど、あの権力へのこだわりは、のし上がるためなら家庭すら顧みない、出世欲の塊のようなサラリーマンに見えて、ちょっと考えさせられるところがありましたね。最初は、家族を幸せにするために仕事をがんばっていたのが、いつの間にか、出世すること自体が目的になり、妻子すら犠牲にしてのし上がろうとして……。そんなヴォーティガンが、何ひとつ持たず、育ちも悪い若者(アーサー)に倒されるわけですが、作中で突きつけられる「お前は裕福で、俺は貧乏だが、はたしてどっちが幸せかな?」というセリフは、胸に刺さるものがありました。

——アーサーよりも、悪役のヴォーティガンに感情移入されたと?

原田 現代社会で働く男性なら、権力や力そのものに対する欲求って、誰しも少なからずあると思うんですよ。だから、彼のやっていることは悪いことだけど、理解もできるんです。誰だって、力があるに越したことはないし、圧倒的な力で相手をねじ伏せることに、ある種の陶酔感は抱くはずなので。悪者を描いているようで、じつは現代人の力に対する願望を形にしたのが、ヴォーティガンというキャラクターだと考えています。

——なるほど……。会社が舞台だとすると、アーサーはどういった立ち位置になります?

原田 本当の意味で、みんなの上に立つべき人物だと思います。僕個人の意見ですが、上に立つべき人間というのは、上司から引っ張られるだけでなく、部下からも支えられて、押し上げてもらってこそ、初めてその地位に立つべきだと思っているので。反対にヴォーティガンは、権力者や人間離れした大いなる力に引っ張ってもらって、いまの地位に就いた人物なので、自分を脅かす存在が現れることを恐れて、下の立場の人間をとにかく抑え込もうとします。そうして、自分がのし上がることだけを考えて、終盤には、それまでずっと大事にしていたものすら捨てて、アーサーを倒そうとするわけですが、そんなふたりの感情がひしひしと伝わってきて、最後の対決は食い入るように見入ってしまいました。単なる勝ち負けではなく、ふたりの男の生きざまがぶつかるので、熱くならないわけがないですよ。

——対立する両者の生きざまがしっかり描かれているからこそ、物語にも引き寄せられるというわけですね。ちなみに、本作の技術面で、ゲームにも取り入れたいと思われた部分はありますか?

原田 いちばんやりたいと思ったのは、やっぱりCGのリアルタイムレンダリング技術をさらに向上させることですね。現状、ゲームのCGは、オープニングムービーのようにあらかじめ作成したプレレンダリングと、プレイ中にリアルタイムで作成される通常のレンダリングに二極化されるのですが、CPUの処理機能には限界があるため、どうしてもゲーム中のリアルタイムレンダリングのCGのクオリティーには差が出てしまうんです。映画の場合、映像の情報密度がゲームの比ではないので、改めてレンダリングによって生じるグラフィックの差を埋めつつ、情報密度をさらに高めていきたいと感じました。

——現状のCGでも、十分すぎるほど美麗だと思うのですが。

原田 リアルさだけでなく表現の幅を追求することに終わりはありませんから。光の階調をもっと細かく調整して、より自然に光と影を描きたいし、砂埃が舞うシーンなら、砂の一粒一粒まで丁寧に描写したい。けれども、現行のPCやゲームハードでは限界があるので、それが実現可能な映画業界の映像表現は、素直にうらやましく思います。

——映像技術に関しては、突き詰めればまだまだ先があるわけですね。

原田 ゲームの場合、映像のリアルさを追求するだけでなく、自分自身で動かして遊べるインタラクティブ性も加えないといけないので、課題はまだまだ山積みで……。『鉄拳7』では、プレレンダリングで描いたイベントシーンから、実際に自分で操作するシーンへとシームレスで移行するのですが、この演出は多くのユーザーさんからご好評をいただけているようでありがたいです。とはいえ、たとえシームレスでも、その前後でグラフィックに差があることは事実なので、いずれはそうした差異をなくして、オープニングムービーと同等のCGでキャラクターを操作できるようにしたいですね。

爽快なアクションだけではない 重厚なドラマ部分にこそ注目してほしい

キング・アーサー

——続いて、ストーリーに関してもお聞きしたいのですが、本作の主要人物たちの“力へのこだわり”は、『鉄拳』シリーズのキャラクターにも通じる部分があるように感じられました。原田さんは、どのように思われましたか?

原田 劇中で、「お前を駆り立てるものは何だ?」というセリフがあるんですけど、まさにそれが、この映画の本質を突いているなと思いました。「なぜ、戦う必要があるのか?」、「なぜ、ライバルを超えないといけないのか?」という問いかけに対し“力へのこだわり”という明確な理由を提示しているからこそ、観客の心を引きつけることができるんでしょうね。ちなみに『鉄拳』の世界では、三島平八と一八の親子喧嘩がストーリーの中心になっていますが、ほかのキャラクターのプロフィールを見てみても、単純に格闘大会の優勝賞金だけを目当てに戦っている参加者は、ほぼいないんですよ。復讐のために戦うキャラクターがいれば、世界一になった後、さらなる高みを目指そうとするキャラクターもいる。最終目標がぜんぜん違うキャラクターが何十人も登場する対戦格闘ゲームにおいても、「お前を駆り立てるものは何だ?」という問いかけは、非常に重要なフレーズだと思います。

——原田さんご自身にも、何か駆り立てるものはあるのでしょうか?

原田 いまでこそ、僕も家庭を持ってある程度は丸くなりましたが、若いころはそれこそ闘争心の塊でしたから(笑)。仮想敵といいますか、ライバルを設定しては、戦いを挑む毎日を過ごしていました。『鉄拳』の場合、『ストリートファイター』や『バーチャファイター』シリーズをライバルだと思って、いつか並びたい、越えたい!という気持ちで開発に取り組んでいましたね。

——作中では、アーサーとヴォーティガンは力を手にするまでの経緯だけでなく、実際に手に入れてからの立ち振る舞いにも大きな違いがありましたが、それも“駆り立てるもの”が違うからこそ、生じた差異なのでしょうか?

原田 ふたりとも、力を欲して上り詰める部分には、それほど違いはないと思います。ただ、ヴォーティガンのほうが、権力という強さと、フィジカルな強さのすべてを完璧に手に入れようとする気持ちが強かったぶん、結果的に大切なものを失うことになってしまって……。そういう意味でも、いろいろと考えさせられる内容だったのですが、こういう見かたで『キング・アーサー』を見る人って、そんなにいないのかなぁ?

——原田さんならではの視点で語っていただけて、こちらとしてはありがたいです! ちなみに、先ほどから何度かキーワードとして挙げられる“力へのこだわり”ですが、これは現代社会に生きる我々にも当てはまるのでしょうか?

原田 男性の場合、格闘技などのフィジカルな強さに対する憧れは、本能的に備わっていていますが、それと同時に、権力や地位、社会的なヒエラルギーといった力にも惹かれる一面があります。人は基本的に単独ではなく組織文化を持ちますからね。本作は、これら両方を描いているので、敵味方を問わず、登場人物に感情移入しやすいのだと思います。格闘や剣術など、フィジカルだけが強ければいい、というわけではなく、劇中では仲間との絆、巨大な怪物や人の心を操作するパワーや魔術に至るまで、あらゆる力が描かれ、それらをすべて手にしないと目の前の敵は倒せない、といった構成になっています。そうして最後に、仲間とともに立ち上がったアーサーと、自分以外の人間を信じられないヴォーティガンが対決するわけですが、そんな対照的なふたりが戦うからこそ、途中で発せられる「敵を作るよりも、仲間を作れ」というセリフが響くのでしょうね。

——本作の場合、爽快なソードアクションに期待している方が多いと思うのですが、それだけでなく、重厚なストーリーも見どころとなりそうですね。

原田 僕も見る前と見た後で、印象ががらりと変わりました。ソードアクションの出来栄えはよく、見ていてすごく気持ちいいんですけど、どちらかというと、そうしたアクションシーンにたどり着くまでの、気持ちを高めるためのドラマ部分にこそ、力を入れているように感じられました。もうこれ以上、悲劇は起こらないだろうと思わせておいて、さらに悲劇的な事件が起こる。そうして観客のフラストレーションを高めていき、最後の戦いで一気に爆発させる手法は、さすがだと思います。それと、先ほどから何度も言っていますが、「お前を駆り立てるものは何だ?」や、「何のために上を目指すのか?」といったセリフは、登場人物どうしの掛け合いではなく、我々、観客に向けて発せられていると思うんですよ。何でもありの超人ではなく、人間的な弱さのある登場人物たちだからこそ、そうした言葉にもリアリティーがある。ヴォーティガンの邪悪さは我々の中にも普通に存在するわけで、、考えさせられてしまう内容でした。

原田勝弘氏

——まさに、原田さんならではの考察ですね。それでは最後にお聞きしたいのですが、『キング・アーサー』はアーサー王伝説を題材にした映画です。実際にご覧になられて、本作は原作を知らない人が見ても、楽しめる作品だと思われましたか?

原田 まったく問題なく楽しめると思います。エクスカリバーなど、重要なキーワードも続々登場しますが、それらはあくまでも物語を盛り上げるための一要素なので、知識がない状態で見ても、すぐに世界観に没入できるはずです。剣だけでなく肉体そのものを駆使したアクションや、魔法で大群を薙ぎ払うシーンなど、見どころも満載ですが、それら以上にふたりの男が、生きざまをかけてぶつかるシーンは必見ですので、ぜひスクリーンで、この感動を味わっていただきたいですね。

——貴重なご意見、ありがとうございました。

原田 ここまで話したのは、あくまでも僕自身の考察ですのでご注意ください。実際に制作陣に聞いてみたら、「べつに“力、権力へのこだわり”とか、まったく考えていなかった。たまに、君みたいに難しく考えすぎる奴がいるんだよ」とか、言われる可能性は非常に高いです(笑)。

原田勝弘氏の最新作

『鉄拳7』
●対応ハード
プレイステーション4、Xbox One、PC
●メーカー名
バンダイナムコエンターテインメント
©BANDAI NAMCO Entertainment Inc.
※『鉄拳7』公式サイト

『鉄拳7』

 世界屈指の人気を誇る、3D対戦格闘ゲームシリーズの最新作。2015年2月にアーケード向けに登場するや人気を博し、2016年にはバージョンアップ版『鉄拳7 FATED RETRIBUTION』がリリースされる。そして満を持して、2017年6月1日に家庭用ゲーム機向けに発売された。
 本作は、より遊びやすくするためにシステムをブラッシュアップ。 “パワークラッシュ”や“レイジアーツ”などの逆転を狙える新システムが搭載されている。ストーリー的には、シリーズ開始から連綿として続いてきた、三島平八と三島一八に壮大なる“親子喧嘩”がついに決着することでも話題に。

『キング・アーサー』公式サイトはこちら