数々の思い出、いま言いたいこと
ゲームクリエイター・飯野賢治氏が逝去されて今年で10年。週刊ファミ通2023年6月8日号(No.1799/2023年5月25日発売)では、この節目に飯野氏の代表作を振り返り、各タイトルへの飯野氏の関わりかたや、当時画期的だった点を解説する特集記事を掲載した。
同記事では、飯田和敏氏や上田文人氏、坂元裕二氏を始めとする飯野氏と縁の深い方々からのコメントも掲載。飯野氏との思い出や、いま感じることなど、素敵なメッセージの数々が寄せられた。
そのコメントを、ここに再掲載。下記の記事とあわせて読んでいただければ、飯野氏のまた違った一面を見られるはずだ。
飯田和敏氏
(ゲームクリエイター)
時代の風向きが変わって、これまでのようにゲームが作れなくなっていたある夜、飯野さんと会った。明け方、恵比寿から目黒までいっしょに歩いた。飯野さんは夜の東京をタクシーの後部座席から眺めるのが大好きで、たまに付き合ったりしたけれど、それはもうやらなくなったと言っていた。
環境や心情の変化を理解しながら、お互い“つづき”の体制を整える時期だった。その数年後、『きみとぼくと立体。』がリリースされた。Wiiリモコンの存在に焦点をあてたシンプルで好きなゲームだ。
上田文人氏
(ゲームデザイナー/ジェン・デザイン)
僕が飯野さん率いるワープに参加したころ、ワープはまだ15~16人ほどの若くて小さなスタジオでした。『エネミー・ゼロ』の立ち上げから完成までの1年半ほどしか在籍していませんでしたが、毎日が学園祭前夜のような雰囲気で、人生においても強く印象に残る濃密な時間でした。
いま思うと自分の人生において最大のターニングポイントだったようにも思います。飯野さんの最大の功績は、映画や音楽の作家と同じようにゲームデザイナーやディレクターなど制作者の名前が前面に出るようになったことかなと思います。
内海州史氏
(セガ代表取締役副社長Co-COO)
飯野賢治氏は、ドリームキャストローンチ時の戦友です。彼がプレステからサターンにセンセーショナルに乗り換え、自分はプレステのローンチメンバーなのにセガに転職し、という背景もあり、ふたりともソニーに対して特別な思いもあり(笑)、なんとかドリームキャストを勝たせることができないか、昼夜関係なく討議していた記憶があります。
彼はゲームクリエイターの領域を超えたコンセプターであり、熱量も高く、遊んでいても仕事をしていても刺激を受けました。いま、彼がいたら何かいっしょにやりたいと思うことがたくさんあるなあ。
斎藤由多加氏
(ゲームクリエイター/オープンブック)
飯野賢治さんは、とても自分の欲望に正直な人でした。お寿司屋さんに行くと、ウニといくらと大トロしか食べない人、というとわかりやすいと思います。それを仕事に置き換えると、たとえば片っ端から自分の好きな人をキャスティングして作った『風のリグレット』がそうでした。
日本映画やテレビでは考えられない、ゲーム産業ならではの大予算が可能たらしめた稀有な試みと言えます。
そんな飯野氏がいまの時代を生きてたら、どの分野の会社からいくらの予算を引っ張ってどんな贅沢な作品を作っているだろうか? と想像を巡らせてしまいます。
坂元裕二氏
(脚本家)
あるとき飯野さんがうれしそうに何やら差し出すので見たら、株式会社ワープでのわたしの名刺の束でした。これが僕からのメッセージだよと言って彼は笑っていました。一度も配ったことがないので、いまも大事に取ってあります。
そんな強引で妙な所属でしたが、ワープには2年ぐらい通っていました。と言っても週に一度くらい、ほぼ深夜1時とか2時に電話があって、「いまから来ない?」と会社に呼ばれます。朝まで飯野さんの話し相手をするのがわたしの仕事でした。
とにかく話がおもしろくて、アイデアマンで、なぜそれを作品として残さないんだと不思議に思うことばかり。深夜、飯野さんの口から溢れ出た数々の作品を覚えているのはわたしだけで、それはもったいなくもありますが、わたしだけが手に入れた名作として心にしまっております。
西 健一氏
(ゲームクリエイター/Route24 / e-one)
年齢も事務所も家も近くて交友関係もかなり被っていたので、よくいっしょに飲んだり遊んだりしていました。
なにしろ言い出したら人の言うことなんか聞かないし、思い立ったらすぐに実行……。正真正銘の風雲児でしたが、もし生きていてくれたらYouTuberとかになって炎上していたかも(笑)。
もっといろいろと話したかったし、お互いに歳をとって考えかたなども変わるので、そういう時間を共有できないのは寂しいです。
浜村弘一氏
(KADOKAWAデジタルエンタテインメント担当シニアアドバイザー)
飯野さんとは、たくさんケンカもしました。その都度、たくさん議論をし、最後にはお互い仲よく話ができました。本音でぶつかってきてくれた、友人のひとりだったと思っています。
ゲームが単なる工業製品ではなく、作家性を吹き込める作品なのだということを、みずから証明していたクリエイターでした。彼のやりたい夢もたくさん聞かせてもらっていたのに。
彼の作る作品、もっとたくさん見たかったな。
水口哲也氏
(ゲームクリエイター/エンハンス)
イノケン。豪快でやさしくて、才能あふれる友人でした。音楽を聴きながら夜通し語り合ったし、よくいっしょに旅にも行きました。砂漠や海、壮大な地球の風景を眺めながら、ふたりで未来の話をしていました。
きっとやりたいことはまだまだたくさんあったと思うけど、彼のビジョンは僕の中にも刻まれ続けています。
イノケンが手がけてくれた『スペースチャンネル5』のリミックス・トラックは、いまだ色あせない彼との大切な思い出のひとつです。
山田秀人氏
(メディアクリエイター/ライブアライフ)
ある僕の誕生日、ランダム再生を楽しむというコンセプトで発売されたばかりのiPod shuffleをプレゼントしてくれた。箱を開けてみると「そのまま聞いてね」とかわいい手書きの小さなメモ。
常日頃から好きな音楽を教え合ってたので、選曲してくれたのかなと思いながらイヤホンをつけてさっそく聞いてみると「遅くまでお疲れさま!」、「がんばってるあなたってステキ!」と、大きなプレゼンに向け企画に苦労していた僕を励ますいろんな言葉が、再生するたびにかわいらしい女の子の声で聞こえてきた。
コンセプトを活かしながら新しい解釈で遊びに変える飯野さんの発想力に驚いた出来事だったけど、いま思うと、企画に行き詰まってた僕にくれたアドバイスだった気がしてる。それにしてもあの声は、誰だったんだろう(笑)。
吉永龍樹氏
(サラリーマンクリエイター)
運営していた個人ホームページに突然飯野さんからメールが届いたのが15年前。その後、新宿ロフトプラスワンで“飯野賢治とヨシナガの気になること。”というトークイベントを定期開催するようになり、飯野さんからはいろいろな“人生のひみつ”を教わりました。
飯野さんと僕は9歳も離れていたのですが、ついに僕のほうが年上に……。今年は生成系AIが歴史を大きく変える革命が起きていますが、いまでもAIを触るたび「飯野さんだったらどう使うだろう?」と考えます。
事象を斜めから捉えることができる飯野視点、少しでも近づけるようこれからも精進していきますね。