サイゲームスより配信中のiOS、Android、PC(DMM GAMES)対応ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』で、2023年1月10日に新たな育成ウマ娘“星3[スター・ライト・シップ]ホッコータルマエ”が実装された。その能力や、ゲームの元ネタとなった競走馬としてのエピソードを紹介する。

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『ウマ娘』のホッコータルマエ

公式プロフィール

  • 声:菊池紗矢香
  • 誕生日:5月26日
  • 身長:162センチ
  • 体重:増減なし
  • スリーサイズ:B86、W56、H85

苫小牧からやってきたローカルアイドルウマ娘。
その熱い郷土愛は地元の人々から正式に『とまこまい観光大使』に任命されるほど。
自分の走りとライブで苫小牧をPRすべく、日々真面目に試行錯誤中。
真面目すぎて迷走しがちなのが玉にきず。

出典:『ウマ娘』公式サイトより引用

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ホッコータルマエの人となり

 苫小牧出身で、地元をこよなく愛する“ロコドル”ウマ娘。根は生真面目な努力家で、思ったことをズバズバ言うタイプでもある。“タルマエ”の由来は苫小牧にある“樽前山”であり、モデル馬自身が2015年に“とまこまい観光大使”に任命されていて、ドバイワールドカップに挑む前には同市内で応援イベントも開催されたり、応援歌も作られCDが全国で発売されたりしている。そんなエピソードから、苫小牧のローカルアイドルという設定が生まれたのだろう。

 ちなみに、プロフィールのヒミツ“ゲン担ぎをしないのが1番のゲン担ぎだと思っている”という言葉は、モデル馬と39戦中34戦でタッグを組んだ相棒、幸英明騎手の「げんを担がないのがげん担ぎです」という言葉が由来だと思われる。

 ファル子ことスマートファルコンと同じくアイドルとして活動しており、自分のことを「おら」と言うなど北海道弁で話す。しかし、プライベートではきれいな標準語を使うなど、つねにアイドルモードのファル子とは異なり、オンオフを使い分けている。

 また、スペシャルウィークと同じく北海道出身であることが明言されているが、北海道弁を使うのはアイドル活動時だけで、むしろ方言を練習するのが日課であるくらい、ネイティブではないようだ。地方=方言ではないというのがイマドキっぽい。

 所属は栗東寮で、モデル馬も現役時代にしのぎを削ったコパノリッキーやワンダーアキュートらとはライバル関係。トレーニングよりも風水へのこだわりが目立つライバル、コパノリッキーに対して、彼女の育成シナリオで否定的な態度を見せていたように、火花を散らすシーンも。

 さらに、モデル馬の同期(2009年生まれ)にはゴールドシップがいて、同じ厩舎(西浦勝一厩舎)の先輩にはカワカミプリンセス(2003年生まれ)がいる。

 勝負服は、苫小牧市の観光親善大使“ハスカップレディ”の制服を思わせるデザインに、モデル馬の勝負服のカラーリング(白地、黒山形一本輪、袖赤二本輪)が取り入れられたかわいらしいスタイル。頭のリボンはモデル馬のメンコ、胸元のリボンはハスカップや苫小牧市の市の花ハナショウブのカラーリングが、それぞれ取り入れられているものと思われる。地元愛に溢れた衣装なのだ。

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競走馬のホッコータルマエ

ホッコータルマエの生い立ち

 2009年5月26日、北海道浦河町の市川ファームで生まれる。前述したように、馬名は冠名(ホッコー)+樽前山からつけられたもの。父はキングカメハメハ、母はマダムチェロキー。近親には特筆すべき活躍馬はいない。

 日本では多くの競走馬が3月~4月に誕生するということを考えると、5月末生まれというのはかなり遅生まれの部類である。母のお腹からなかなか出てきてくれなかったタルマエだが、生まれた時間も深夜で、初乳を飲ませるのもたいへんだったようだ。

 ただ、生まれつき非常に賢い馬だったようで、その後はあまり手は掛からなかったという。「おとなしい馬で、けがや病気とは無縁な馬。だから、ほとんど記憶にない」とは生産者の談。幼駒時代も引退後もマジメが過ぎるのか、ムダなことは一切しないのだそうだ。

 また、人にも馬にもやさしい性格で、ストレスが溜まると馬房に吊り下げられたプラスチック製のリンゴのオモチャに向かってヘディングをかまして発散していたという。

 タルマエは1歳時にセレクションセールで1500万円で落札された。決して安い金額ではないが、いわゆる“良血”と呼ばれる馬たちと比べるとかなりのお値打ち価格である。この時点でのタルマエの評価はその程度だったのだ。

 落札後、育成の高昭牧場へ向かったタルマエはそこでも優等生ぶりを発揮し、「逆に印象に残らないほどです」と言われていた。ウマ娘としての生真面目なキャラクターは、こういったところから設定されたのだろう。

 さらに、育成牧場ファンタストクラブ(ウマ娘のモデル馬ではマチカネタンホイザやタイキシャトル、シンボリクリスエスやゼンノロブロイなどもこの牧場出身)を経由して、栗東の西浦勝一厩舎に入ることになる。

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ホッコータルマエの血統

ホッコータルマエ血統表

 父はキングカメハメハ。2004年のNHKマイルカップと日本ダービーをいずれもレコードタイム(前者はレースレコード、後者はコースレコード)で優勝し“変則2冠”を達成したスーパーホースである。ケガで早期引退を余儀なくされるも、種牡馬としても大活躍をし、2010年、2011年と2年連続でリーディングサイアーにもなっている。

 18歳の若さで早逝したが、GI級競走優勝馬を17頭も輩出。ルーラーシップやロードカナロアなど後継種牡馬も活躍を続けている、日本競馬史においても重要な存在だ。産駒は短距離から中距離まで、芝とダートの両方で活躍するなど幅広いフィールドで勝利を挙げている。なんという優等生ぶりだろうか。能力の高さに加え、その万能性で種牡馬として人気を博していたのである。

 活躍した産駒の脚質は比較的先行タイプが多いようで、タルマエのおとなしい気性や脚質などは父の影響が強いようだ。

 一方、母のマダムチェロキーは通算4勝で生涯条件馬のまま引退したが、6歳で引退するまでじつに46戦も走り続けた堅実な馬だった。マダムチェロキーの父チェロキーランは4歳時に、アメリカGIのブリーダーズカップスプリントを勝利するなどダートの短距離戦線で活躍、マダムチェロキー自身もダートが主戦場で、タルマエも母同様に生涯ダート戦線で戦っている。

 ただ、タルマエの芝適性については西浦昌一調教助手がインタビューで「乗った感じから“こなしてもおかしくないんじゃない?”っていう手応えは、確かに帝王賞のときもありました」と語っており、もしかしたら芝で活躍するという未来もあったのかもしれない。

ホッコータルマエの現役時代

※記事中では、年齢は現在の基準に合わせたもの、レース名は当時の名前をそれぞれ表記しています。

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3歳(クラシック級:2012年)

 遅生まれのため仕上がりも他馬と比べてやや送れたタルマエは、2012年1月14日、京都競馬場のダート1400メートル新馬戦でデビューを飾る。

 当時デビュー8年目の中堅、長谷川浩大騎手を鞍上に出走。単勝107.7倍の11番人気と評価は低く、また着順も人気通りの11着ときびしい門出となった。

 しかし、2週後の未勝利戦で9番人気ながらも、村田一誠騎手に導かれて見事に抜け出し初勝利を挙げると、その後は勝てないながらも着実に成長を続ける。生涯のパートナーとなる幸騎手と初めて組んだ、自身5戦目の条件線で2勝目を挙げると、オープンの端午ステークスでも3着に食い込む。

 再び条件戦に戻った7戦目の青梅特別では、古馬混合戦のきびしい条件ながら初めて単勝1番人気となり、その期待に応えて快勝。3勝目を挙げた。レース後に幸騎手は「強かったですね。(中略)スッと抜け出して、あとは遊びながら走っていました。力があります」と語っている。

 これにてオープン入りしたタルマエは、なんとデビュー半年にしてJpnI(※)のジャパンダートダービーに出走する。だが、2ヵ月早く生まれた同期のトップランナーたちとは完成度が違ったのか、見せ場も作れずに5着に沈んだ。その理由については幸騎手が「ハナに行ってもいい、と思っていましたが、物見(よそ見)をしていたので控える競馬をしました。その分、勝負どころで位置が悪くなってしまいました」と語っていたように、相手をナメすぎた結果だったようだ。

※読みかたは“ジーワン”。国際的に認定されたGIレースとは違い、国内限定で最上級に位置するレースのこと。日本では基本的にGIレースと同格として扱われる。

 1ヵ月後、今度は中央の3歳限定重賞であるレパードステークスに出走する。こちらには、タルマエと同様に遅生まれだったり、調整に手間取るなどしてデビューが遅くなった有力馬たちが参戦していた。後の活躍を見る限りは、前走よりもこのレースのほうがきびしい相手が揃っていたのだが、タルマエは前走で反省したのか、キチンと走って強力なライバルたちとの叩き合いをクビ差制して勝利する。

 この時点でタルマエの獲得賞金は約7500万円。1歳時のセレクションセールでの落札価格が1500万円だから、すでに約5倍もの賞金を稼いでいた。デビュー時にはゆるいと言われていた馬体も、青梅特別を勝ったころから変わりだして力強くなっていったという。

 夏を過ぎ、タルマエはデビューから丸7ヵ月で9戦も走ってきた疲労を考慮され、放牧される。帰厩後は11月の古馬混合戦で相手も揃っていた重賞みやこステークスに出走。3着と健闘した。

 そしてついに日本最強のダート馬決定戦とも言えるジャパンカップダート(現チャンピオンズカップ)を迎える。ここには、前走のJBCクラシックでGI級競走初勝利を挙げて勢いに乗るワンダーアキュートら、日本ダート界の強豪たちがこぞって出走していた。

 そんな中、16頭立てで単勝31.6倍の9番人気と下馬評は冴えなかったが、タルマエは逃げたエスポワールシチーから離れた2番手集団の先頭を堂々と突き進む。ただ、その後は勝ったニホンピロアワーズにあっさり交わされ、2着のワンダーアキュートにも及ばずの3着という結果に。3歳上のワンダーアキュートとは生涯で12回も戦い、9勝3敗と大きくリードすることになるが、この初対戦では力負けしたのだった。

 年末の東京大賞典には賞金が足らず出られなかったが、逆に獲得賞金の少なさを活かして、相手が弱いオープン特別のフェアウェルステークスに出走する。単勝1.8倍、断トツの1番人気だったが、相手が弱いと気を抜いてしまうのだろうか、なんと勝ちを逃して2着に終わる。こうしてデビューイヤーは更けていった。

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4歳(シニア級:2013年)

 年明けは、中央のダートでは唯一のGII競走、東海ステークスから始動。ここでも1番人気に支持されるも、出ムチを入れても前に行かないなど気合が入らず、不完全燃焼のまま3着に敗れる。

 いまひとつ調子が上がってこないタルマエを見て、陣営はフェブラリーステークスではなく、地方の交流重賞を転戦することを決める。このあたりは、スマートファルコンの“ドサ回り”との共通点と言えなくもない。

 この地方行脚は大成功を収めた。『ウマ娘』で冠レースを実施したことでもおなじみの佐賀競馬場で開催された佐賀記念、名古屋競馬場の名古屋大賞典と、ふたつの重賞を相次いで圧勝。返す刀で阪神競馬場のアンタレスステークスに参戦し(鞍上は代打で岩田康誠騎手)、ジャパンカップダートで惨敗したニホンピロアワーズを下して重賞3連勝を飾る。そしてこのアンタレスステークスが、GI級以外に出走した最後のレースとなる。

 怒濤のGI級レース23連戦の初戦となったのは、船橋競馬場で開催されるJpnIかしわ記念。8歳を迎えてなお充実期にあった逃げ馬エスポワールシチー、前年の東京大賞典でGI初勝利を飾ったローマンレジェンド(※)、GI級2勝のテスタマッタなど、相手も十分。

※東京大賞典は地方交流競走で唯一国際GIに認定されている。

 しかし、覚醒したタルマエは強かった。先頭集団に取りついて先行し、最後の直線で交わして逃げ切る“王道”スタイルで、ローマンレジェンドやテスタマッタは一度も前に出さず、逃げ粘るエスポワールシチーもあっさり捉えて優勝。GI級競走初勝利を挙げたのである。

 続く帝王賞では、最後にかわす相手が逃げるワンダーアキュートとニホンピロアワーズの2頭になっただけ。不良馬場もなんのその、ジャパンカップダートの借りを見事に返す快勝で重賞5連勝、GI級レースでも2連勝となった。

 一気にダート路線の最前線に躍り出たタルマエは、ここで休養放牧を入れて秋はマイルチャンピオンシップ南部杯から始動、GI級3連勝を狙う。しかし、ここで意地を見せたのが後藤浩輝騎手を鞍上に迎えた8歳馬エスポワールシチー。スローペースの展開から、直後につけられたタルマエの機先を制して残り800メートルで仕掛けて逃げ切る、強い勝ちかたを見せた。持ち味を発揮する前にやられた形のタルマエ陣営は、後藤騎手の見事な騎乗に脱帽するしかなかった。

 連勝こそストップしたものの、タルマエ自身の調子は悪くない。次戦の金沢競馬場で行われたJBCクラシックでは、なんと初めてハナを切って(先頭に出て)逃げを打つ。そしてそのまま最後の直線でワンダーアキュート以下を突き放してレコード勝ち。安定感が出てきたタルマエの強さに、管理する西浦師は「来年はドバイに挑戦したいという夢を持っています」と述べた。

 中央に戻ってきてのGIジャパンカップダートでは、エスポワールシチーの作るペースが速く、先行馬のタルマエにはきびしい展開になる。タルマエは、逃げ粘っていたエスポワールシチーこそ何とか抜くも、残り100メートル地点でベルシャザール、ワンダーアキュートの2頭にかわされてしまい、無念の3着となる。

 この年、交流重賞でGI級を3勝するなど大活躍したおかげで、前年参加できなかった東京大賞典にも参戦する。前走こそ敗れたものの、ダート路線でナンバーワンの評価を受けるにいたったタルマエは、なんとこのGIレースで単勝1.6倍というダントツの1番人気となる。

 レースはゆったりとしたペースとなり、タルマエはライバルである2番人気ワンダーアキュートと3番人気ニホンピロアワーズをマークする4番手の位置を悠々と進んでいく。最後の直線ではワンダーアキュートとタルマエの叩き合いとなる。しかし、スローペースで余力をたっぷり残していたタルマエにワンダーアキュートはついていけず、1と1/2馬身差の完勝。GI級4勝目を挙げた。

 この年の活躍により、地方競馬の賞である“NARグランプリダートグレード競走特別賞”を受賞。ただし、中央開催のジャパンカップダートで敗れたため、JRA賞は逃す。その目標は来年に持ち越された。

5歳(シニア級:2014年)

 年明けは交流JpnIの川崎記念から始動。単勝人気は脅威の1.1倍。支持率は推定で70~90%、つまりほとんどの人が「タルマエが勝つ」と考えていたことになる。この年の川崎記念はダート路線の世代交代もあってか、相手もあまり揃わなかった。前年までの流れだと、タルマエが油断して取りこぼすことになるかもしれなかったが、精神面でも充実してきたようで、ここもしっかりと勝ちきった。

 続くGIフェブラリーステークスでは、日本の競馬史でも有数の下剋上が行われた。最低人気コパノリッキーの激走である。

 1番人気は前年のジャパンカップダートを制したベルシャザール。タルマエは2番人気だった。レースはスローペースで進んでいく。タルマエは5番手を追走していたが、このペースはむしろ歓迎していた。なぜなら、目下のライバルであるベルシャザールは差し馬で、持ち味を発揮するにはある程度ペースが速くなる必要があったからだ。

 しかし、レースは意外な展開を見せる。先頭に躍り出たコパノリッキーのペースがまったく落ちないのだ。楽に行かせすぎた……それが敗因となったが、前走オープン特別で着外に敗れた最低人気の馬がここまで激走するとは思わなかっただろう。結果、ベルシャザールにこそ先着したものの、タルマエはコパノリッキーに半馬身及ばず2着に敗れる。

 そしてレース後、ドバイからの招待を受諾したタルマエとベルシャザールは、日本代表としてドバイワールドカップへ向かうのだった。

 日本競馬界の夢を背負って出走したタルマエたちだが、現実はきびしかった。タルマエは未経験の走路“オールウェザー”に苦しみ、ほとんど勝負に参加することなく最下位に沈んでしまう。さらにレース後にはウイルス性の腸炎を発症して入院する羽目に……。一方のベルシャザールも4コーナーで不利を受けたこともあって11着に終わり、帰国後には屈腱炎を発症して引退する。

 あまりに苦い結果となった日本勢。現地で入院したため遅れて帰国したタルマエは、ダメージを癒やすために秋まで休養することとなる。

 半年もの休養を経て、復帰戦にはJBCクラシック(この年は盛岡競馬場開催)が選ばれた。ここでは再びコパノリッキーに敗れて4着ではあったが、内容も悪くなく復帰戦としては上々だった。本番は次戦のチャンピオンズカップである。この年、ジャパンカップダートから改称し、舞台も中京競馬場に移してのリニューアルとなっていた。

 気分一新のこのレースで、タルマエはコパノリッキーに3度目の正直で勝ちたいところである。そしてレースは意外な展開となる。なんと、1番人気に支持された逃げ馬のコパノリッキーが出遅れて逃げられなくなったのだ。

 場内が騒然とする中、タルマエは悠々と2番手につけてレースを進める。そのまま、コース取りなど余計な力を使うことなく最後の直線へ入り、残り400メートルで早くも先頭に立つと、そのまま押し切って1着でゴール。まさにタルマエのワンマンショーであった。コパノリッキーはけっきょく12着。

 年末最終戦の東京大賞典は、出遅れずにしっかり逃げたコパノリッキーとのマッチレースに。しかしこれもしっかり捉えて4馬身、0秒8もの大差をつけて圧勝。GI2連勝で完全復活を印象づけた。そしてこの勝利が決定打となり、同じくGI級3勝のコパノリッキーを退けて、前年は逃したJRA賞の最優秀ダート馬に選ばれることとなった。

6歳(シニア級:2015年)

 置き忘れてきたものを取りに、再びドバイへの挑戦を決めたタルマエは、前年同様に川崎記念から始動。単勝1.0倍(元返し)という脅威的な支持を受けながら危なげなく勝利すると、フェブラリーステークスには出走せずに遠征に向かうことに。

 ドバイワールドカップはこの年より、コースの維持費の関係から走路がオールウェザーではなくダート走路に戻されていた。勝つための条件は間違いなく前年よりも揃っていた。そしてレースでは敢然と逃げを打つことに。海外ではポジション取りが激しく、日本のように簡単には好位を取らせてくれないため、より有利なコースを取りやすい最前列を狙ったのだろうか。

 結果は、前年を大きく上回る5着。世界の壁は厚かったが、一定の手応えは得られた。なお、もう1頭日本から出走したエピファネイアは最下位の9着に終わっている。

 この年は体調も問題なく、帰国後の6月に帝王賞に出走する。ここには、長年のライバルで9歳になったワンダーアキュートも出走していた。前走のかしわ記念で最年長優勝を記録し、いまだ健在なところを見せていたワンダーアキュートだったが、タルマエもまだ老け込む歳ではなく、貫禄の勝利を決める。また、これでGI級競走の勝利数は9勝となり、ヴァーミリアンとエスポワールシチーの最多記録に並んだ。

 休養を挟んで秋はJBCクラシックから始動。コパノリッキーとは前年末の東京大賞典以来の対戦となったが、この年から武豊騎手とコンビを組むようになったコパノリッキーはひと味違っていた。絶妙なペース配分で逃げ切られ、タルマエは3着に敗れてしまう。

 その後、チャンピオンズカップ、東京大賞典では“コパノリッキー包囲網”が敷かれ、コパノリッキーを楽に逃げさせないような展開となる。しかし、全体的にレースペースも上がり、タルマエにもきびしい状況となっていた。その結果、前者ではサンビスタやノンコノユメ、後者ではサウンドトゥルーといった伏兵に切れ味勝負で敗れ(5着と2着)、GI級10勝目はお預けとなってしまう。

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7歳(シニア級:2016年)

 7歳となり、前年末の3連敗からそろそろ衰えも指摘されるようになったタルマエだが、初戦の川崎記念では数字こそ少し落として単勝2.1倍となったものの、圧倒的1番人気に支持される。そして前走東京大賞典で敗れたサウンドトゥルーを、追い比べの末に今度はアタマ差退けて勝ち、同一GI級競走3連覇の偉業を達成する(※)と同時に、当時史上初となるGI級競走10勝目を記録した。

※川崎記念ではカウンテスアップに続く史上2頭目。ちなみに、ブルーコンコルドという馬がマイルチャンピオンシップ南部杯を3連覇しているが、同馬の主戦もタルマエと同じ幸騎手だった。

 そして3月、タルマエは3年連続でドバイワールドカップに挑戦する。馬場が合わなかった1年目、逃げて力尽きた2年目の経験から、3年目は長い競走馬生活でも初めてとなる後方からの競馬を試みる。馬群を嫌がる性格もあってか、道中は最後方付近まで下がる場面も見られたが、最終的には9着まで追い上げて(12頭立て)ゴール。勝ったのは前年2着だったカリフォルニアクロームだった。

 帰国後は前年同様帝王賞へ。連覇が懸かっていたが最後の直線で力尽き、勝ったコパノリッキーからは2秒4もの大差をつけられて4着に終わる。

 放牧後秋は3年ぶりに南部杯へ出走。ここでもいつもの先行策から最終コーナーをコパノリッキーと並んで先頭で立ち上がるも、最後伸びずに3着。距離を短縮してもコパノリッキーには勝てなかった。

 次戦はさらに距離を短縮することはせず、もっと得意な中距離である2100メートルのJBCクラシックへ。コパノリッキーにこそ連敗しているものの、着実に上位には入っており、単勝も3番人気と上位の評価をされていた。

 そしてこのレースでは、コパノリッキーが猛烈なマークにあって逃げを潰され、タルマエにもチャンスが巡ってきた。第4コーナーを先頭で抜けると、直線ではアウォーディーにかわされるも二の足を使って差し返す。残念ながら3/4馬身およばなかったが「まだまだやれる」という力を見せた2着だった。なお、このレースでコパノリッキーとは通算5勝5敗となっている。

 ところが、チャンピオンズカップに向けた調教中に左前脚にハ行(異常)が見られたため、すでにこの年限りでの引退と種牡馬入りが決まっていたこともあり、予定を前倒して引退することが発表された。

 通算成績は39戦17勝、重賞14勝、うち国内記録となるGI級競走10勝を挙げ、通算獲得賞金は国内外合わせて約11億1千万円(ゼンノロブロイとは約100万円差)。11番人気11着で始まった1500万円の馬が、ここまで大成すると誰が予想していただろうか。

 ケガによる離脱もなく、暴れた等の武勇伝もなく、長きにわたって安定して活躍した名馬である。また、オーナーの地元、苫小牧ではドバイ挑戦に向けて毎年イベントが行われたり、CDが発売されるほど愛されてきたタルマエ。『ウマ娘』の世界でもきっと多くの人に愛されるキャラクターとなってくれるだろう。

引退後のホッコータルマエ

 2017年より種牡馬入りしたタルマエは、優駿スタリオンステーションとイーストスタッドを2年おきに移動する国内シャトルの形態で繋養されている。

 産駒はダートを中心に活躍しており、2022年にはブリッツファングが交流重賞の兵庫チャンピオンシップを、ゴライコウが同じく交流重賞のJBC2歳優駿を勝利し、3年目にして早くも重賞2勝を挙げ、今後の活躍が期待されている。

 なお、地元苫小牧では2023年の現在も、苫小牧観光案内所や樽前山神社などにウマ娘のホッコータルマエの等身大パネルが設置されたりしている。

 『ウマ娘』の波にも乗って、末永く愛されてほしい。

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