サイゲームスより配信中のiOS、Android、PC(DMM GAMES)対応ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』で、2022年8月19日に新たな育成ウマ娘“星3[陰陽八卦☆開運衣]コパノリッキー”が実装された。その能力や、ゲームの元ネタとなった競走馬としてのエピソードを紹介する。

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『ウマ娘』のコパノリッキー

公式プロフィール

声:稲垣 好
誕生日:3月24日
身長:165センチ
体重:秘密☆
スリーサイズ:B83、W55、H87

明るく朗らかな自他共に認めるラッキーガール。
風水への造詣が非常に深く、その知識は本物。
日常生活だけでなくトレーニングやレースにも風水を取り入れている。風水パワーであらゆる人を幸せにしたい!と豪語しており、実際彼女の開運アドバイスの評判は上々なんだとか……。

出典:『ウマ娘』公式サイトより引用

コパノリッキーの人となり

「リッキー☆ ラッキー☆ みんなでハッピー! レースも開運も、ぜーんぶ私にまかせて!」

 そのセリフやプロフィールからは、かなり朗らかそうな性格が読み取れる。コパノ軍団といえば“風水”で有名なのだが、ウマ娘のリッキーも風水とそれらがもたらす運気に造詣が深いらしい。

 モデルとなったコパノリッキー号は、2010年生まれでダートのGI級レースを11勝した超名馬である。所属は栗東だったので、『ウマ娘』でも栗東寮に所属していると思われる。

 栗毛の馬体と額の流星は髪色に、また勝負服のカラーリング(黄地、赤一本輪、黄袖)は耳カバーにそれぞれ反映されている。

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 史実では、2022年7月27日にウマ娘としての登場が発表されたホッコータルマエ(2009年生まれ)、ワンダーアキュート(2006年生まれ)らと熾烈なライバル関係にあった。果たして『ウマ娘』ではどのような関係で描かれていくのか、注目したいところだ。

 また、キタサンブラックは同じ牧場(ヤナガワ牧場)の出身であり、『ウマ娘』が寄稿したかしわ記念の記念イラストにもリッキー、イナリワンとともにその姿を見せている。

競走馬のコパノリッキー

コパノリッキーの生い立ち

 2006年3月24日、北海道日高町のヤナガワ牧場で生まれる。父はゴールドアリュール、母はコパノニキータ。近親にGIIを3勝したサンライズペガサスが、同じ牧場、同じオーナーでの同期に、2014年の高松宮記念を勝ったコパノリチャードがいる。

 父、母の父ともにダートを主戦場に活躍した馬であり、その血を受け継いだリッキーもダートでの活躍を期待されていた。作戦は逃げがメインで、良績は前につけられたときに偏っているので、脚質も逃げ~好位先行と言っていいだろう。適性距離については、ダートの大レースがマイル~中距離に偏っているため最後までわからなかったが、1200メートル~2000メートルでいずれも強さを見せていた。

 性格はとてもおとなしく、非常に乗りやすい馬だったと言われる。クセの強い馬や気性の荒い馬(賢明な読者の皆さんはすぐに名前が浮かぶだろう)は、扱いに慣れた担当スタッフしか乗りこなせないが、リッキーは誰が乗ってもおとなしいため、調教助手全員が調教をつけた経験を持つという、当コラムではむしろ驚かれてしまいそうなエピソードが残されている。デビュー当時は、おとなしすぎてまったく目立たなかったと言われている。

 ただ、若いころはレースになると前のめりになりがちで、逃げもずっと全力で走ってしまい、ヘロヘロになって自滅することがあった。そんな一面も成長とともに改善され、逃げつつ脚をためられるようになり、前人(馬)未踏のGI級レース11勝という記録を打ち立てるにいたるのである。

 穏やかな性格の一方、ウマ娘ではやや高身長の165センチとあるように、リッキーの馬格は大柄だった。流麗なフォルムとはとても言えないが、ダート馬らしく全身がガッチリと筋肉の鎧に覆われていた。現役時代の馬体重は530~540キロ前後。おとなしいだけでなく賢さも備えていたリッキーは、遠征で長距離輸送されて体重が落ちてしまったときも、みずからしっかりと食べて体重を調整していたらしい。

 ダービー直前の骨折など大きなケガも何度か経験するものの、けっきょく7歳まで通算33戦も走りきっており、体質的にも決して弱くなかった。健康面や体格面、性格などどこにも穴がない馬だったのだ。

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コパノリッキーの血統

コパノリッキー血統表

 父ゴールドアリュールは、サンデーサイレンス産駒では唯一の中央ダートGI勝ち馬。2002年のダービーを5着に敗れた後で本格的にダートに転向し、中央、地方のダートGI級競争を5勝している。種牡馬としても非常に優秀で、初年度産駒のスマートファルコンは地方のダートGIを6勝、エスポワールシチーは南部杯、かしわ記念で3勝ずつ挙げるなどダートGIを9勝した。

 その後もコンスタントに活躍馬を出しており、コパノリッキーやクリソベリルなど、GI級勝ち馬を11頭も輩出した。2022年にはナランフレグが高松宮記念を勝ち、産駒初の芝GI勝利も挙げている。

 馬格はやや大きく、気性はサンデーサイレンス産駒としては珍しくおとなしめで、脚質は逃げ~先行と、仔のリッキーと同じような特徴を有しており、リッキーは父の遺伝が強かったことがよくわかる。

 一方の母コパノニキータは生まれつき脚が曲がっていて、1歳時には売れないと判断されて処分される寸前だったという。そこに現れたのがリッキーのオーナー。彼女を救うため買い取ることにしたのだ。そのとき10万円で買われたニキータは、その後無事デビューして3勝を挙げ、さらに繁殖入りしてリッキーを産み、約10億円もの賞金を獲得することになるのだから、わからないものである。

 血統的には悪くなく、父ティンバーカントリーは屈腱炎で早期引退したものの、アメリカでクラシックの一角プリークネスステークスを勝つなど、ダート戦線で活躍した名馬。母父はトニービン(ウイニングチケットやエアグルーヴらの父。『ウマ娘 シンデレラグレイ』のトニビアンカのモデルとも言われる)で、パワー&スピードの遺伝を期待された血統と言える。

 そんな両親から生まれたリッキーは、まさにダートの申し子とも言うべき血統構成である。ただ、引退式で武豊騎手が「芝の馬だったかもしれない」と発言したように、じつは芝への適性もあったかもしれない……とも言われている。

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コパノリッキーの現役時代

※記事中では、年齢は現在の基準に合わせたもの、レース名は当時の名前をそれぞれ表記しています。

2歳(ジュニア級:2012年)

 栗東の村山明厩舎に入厩したリッキーは、12月22日に阪神競馬場のダート1800メートルで行われる新馬戦で、鮫島良太騎手(アストンマーチャンで小倉2歳ステークスを勝利している)を背にデビューした。この時点では、村山師が「おとなしくて目立たなかった」と語っていたようにあまり突出したところはなく、きょうだいも活躍していなかったために単勝は8番人気にとどまり、結果も人気通り8着に。

 まだ、“その他大勢”の中の1頭であり、何者でもなかった。

3歳(クラシック級:2013年)

 2戦目はデビューからわずか中2週。そんな短期間で馬が変わるはずもないだろうと、今回も8番人気だった。すると、川須栄彦を背にスルスルっと前につけたリッキーは、最後の直線に入って先頭に立つと、2番手以下をグングン引き離していく。終わってみれば、5馬身、0秒8差の楽勝である。

 さらに1番人気に評価が急変した3歳500万下も楽勝し、“ダート馬の出世レース”と言われるヒヤシンスステークスに向かうことに。ここでも抜けた1番人気に支持されており、すでにダートでは世代トップクラスの評価をされていた。

 ただ、東京のダートコースはスタート直後に芝コースを通るため、そこで脚を使ってしまったリッキーは3着に敗れてしまう。しかし翌月、芝コースがない伏竜ステークスではやはり強く、つまずいて中団からレースを進める予想外の展開となるも3勝目を挙げた。

 そして初めての地方遠征となる交流GII・兵庫チャンピオンシップに向かったリッキーは、中央、地方のライバルたちに能力の差を見せつけるかのように、2着に6馬身、1秒もの差をつけて勝利する。ちなみにこのときの2着馬は、のちに南部杯を連覇するベストウォーリアだった。

 沸き立つ陣営は、この強さは芝でも通用するのではないかと、つぎの目標を“日本ダービー”に切り替えた。多少日程はキツいが、勝負になるのではないかと思わせるほどの強さをリッキーが見せてくれたからである。

 しかし、直前で右前トウ骨の骨折が判明。秋まで休養を余儀なくされてしまう。さらに復帰後は精彩を欠き、いずれもオープン特別で相手も強くない霜月ステークス、フェアウェルステークスを、それぞれ出遅れて10着、9着と惨敗。春の意気軒高ぶりはどこへやら、暗雲が垂れ込めた中で年越しを迎えることになってしまった。

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4歳(シニア級:2014年)

 絶不調のリッキー陣営が年明け初戦に選んだのは、なんとGI・フェブラリーステークスだった。中央競馬のダートGIはこのレースと、冬のチャンピオンズカップしかなく、国内のダート最強メンバーが勢揃いするきびしい戦いになるのは明らか。いかに素質を見せていたとはいえ、骨折明けで絶不調に陥っていたリッキーでは勝負にならないと、多くの人が思っていた。むしろ、獲得賞金額が少ないリッキーが出走できたことが意外でさえあった。

 ファンの評価は16頭立ての単勝16番人気、272.1倍というオッズにも表れている。支持率に換算すると0.289%。ひとり100円ずつ単勝馬券を買っていたとして、約346人にひとりしか買っていないという数字である。当時の競馬新聞でも、ほとんどが無印だった。

 そんな中でレースはスタートする。好スタートから2番手につけるリッキー。有力な逃げ馬もおらず、落ち着いたペースのなか楽な手応えでレースを進め、最後の直線に入ると早めに先頭へ躍り出る。そしてそのすぐ外側には人気馬たちがこぞってスパート体勢に入ろうとしていた。

 しかし、ここまでほとんど力を使わずに来られたおかげで、まるで追込のようなスピードで逃げるリッキーを、誰も捕まえることはできなかった。2番人気で1歳上のホッコータルマエがメンバー中最速の末脚で迫ってくるも、リッキーは二の足を使ってさらに突き放す。3番手以下は追い抜くどころかさらに差を付けられていく……。

 余裕たっぷりの半馬身差でゴールへとたどり着いたリッキー。世紀の大下剋上劇はこうして成し遂げられたのだ。リッキーはもちろん、オーナーと鞍上の田辺裕信騎手もGI初勝利となった。

 ちなみに、最低人気の馬が平地GIを制したのは、グレード制が導入された1984年以来3回目(障害レースを入れても4回目)。そして単勝払い戻し272.1倍は歴代2位の高額となった。この奇跡的な勝利には、日本中の競馬ファンが「風水の力か!?」と大騒ぎしたものである。

 田辺騎手のペースメイク、最後のスパートを可能にした陣営の猛特訓など、この勝利の陰にはさまざまな要因があったのだが、あまりに劇的すぎたためか、多くの人にとってはフロック視されていた。

 ところが、フロックなどではまったくなかったのである。

 続くレースは、毎年5月5日に開催される交流重賞(JpnI)、かしわ記念。フェブラリーステークスを勝ったにもかかわらず、リッキーは2番人気である。1番人気は、武豊騎手が手綱をとる8歳馬ワンダーアキュートだった。

 スタートで失敗し、出遅れてしまったリッキーだが、ここは役者が違った。メンバー中最速の末脚で先行勢をごぼう抜きし、見事にGI級レース2連勝を果たすのだった。

 不良馬場で行われた帝王賞はワンダーアキュートにリベンジを許し2着に終わるが、休養を挟んで参戦したJBCクラシックでは、ダート戦線の先頭を走るワンダーアキュートやドバイで発症したストレス性腸炎からようやく復帰したタルマエ、さらにはクリソライト(リッキーと同い年で父も同じ)を下してGI級レース3勝目。もはやその実力を疑う者はいなかった。

 12月の中央ダートGI、チャンピオンズカップでは単勝1番人気に。10ヵ月前のフェブラリーステークスでは最低人気だった馬が、いまや日本一の評価である。ただ、ここは出遅れが響いて見せ場なく12着に終わる。1着はライバルのタルマエだった。さらに年末の東京大賞典では2着に入るも、やはり1着はタルマエ。4馬身、0秒8もの差をつけられての敗戦を喫し、それが決定打となって最優秀ダート馬のタイトルもタルマエに奪われてしまったのだった。

 生涯で16回もの勝利を挙げたリッキーはなぜか12月のレースに弱く、10戦して勝ったのは1勝のみだった。

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5歳(シニア級:2015年)

 ここで陣営はある決断を下す。鞍上を、初のGI勝利をもたらした田辺騎手に代えて武豊騎手にすることを決めたのだ。ふたりの前年度の成績にはほとんど差はなかったものの、実績では日本競馬史上最高の騎手に代えるということ、そしてライバルの一角ワンダーアキュートの主戦騎手を起用するということは、陣営のなみなみならぬ決意の表れでもあった。なお、ワンダーアキュートはかつての相棒、和田竜二騎手(テイエムオペラオーなどの主戦としても有名)と再タッグを組んでいる。

 リッキーと武豊騎手は、1月末のGII東海ステークスを逃げ切って新たな船出を飾る。先述したように、体格から走りかたも似ている父のゴールドアリュールの主戦でもあった武豊騎手にとっては、勝手知ったる背中だったのかもしれない。

 しんがり人気からの勝利から1年、2回目のフェブラリーステークスで、今度は単勝2.1倍の1番人気に推される。支持率は約40パーセント。前回の約300倍である。最大のライバルであるタルマエは、前年に続くドバイ挑戦のため、フェブラリーステークスをスキップしていた。

 前回と違うのは人気だけではない。ライバルたちからの注目度、警戒心も比べものにならないほど高まっていた。そんな中、どのようにレースを運ぶのか注目されたリッキーだが、なんとまたしても出遅れてしまう。能力も性格も高く評価されるリッキーだが、スタートだけはどうにも上手くならなかった。

 しかし、そのまま馬群に包まれては勝負にならない。武豊騎手は素早く判断して一気に押して前に出る。ロスは大きかったが、とりあえずいつも通りのポジションでレースを進めることになった。その判断が功を奏し、最後の直線に入ると、前年をなぞるかのように後続を寄せ付けずに逃げ切り、見事史上初のフェブラリーステークス連覇を達成。GI級勝利は4勝目となった。

 あとはタルマエとの決着をつけるのみ……というところだったが、リッキーは2度目の骨折を発症してしまい、秋まで休養。

 そして復帰戦の日本テレビ盃を3着でしのぐと、JBCクラシックではタルマエを破って連覇達成。名実ともに日本のダート界の頂点に立とうとしていた。

 だが、戦国ダート戦線はそんなに甘くはない。ここからリッキーの勝ちパターンについて研究を重ねたライバル陣営の徹底マークが始まり、楽に逃げられないように競りかけてこられるレースが続く。チャンピオンズカップは7着、東京大賞典は4着と、いずれもかなりの差をつけられての敗戦を喫している。

 それでも、ライバルたちもリッキー以上にダート戦線で突き抜けることはできず、JRA最優秀ダートホースはリッキーが初受賞となった。

6歳(シニア級:2016年)

 3連覇を狙ったフェブラリーステークスでもライバルたちのマークに悩まされたリッキーは、力を出し切れずに7着に敗れる。

 リッキーが勝てないあいだに、年下の有力馬がつぎつぎと台頭してきており「世代交代か……」という声も囁かれていたが、リッキーはここからが強かった。

 かしわ記念、帝王賞ではともにムリに逃げず、2番手、3番手から絶好のポジションをキープすることを優先する作戦に切り替えたのが功を奏したのか、久々に胸のすくような勝利を続けた。

 さらに、休養を挟んで挑んだ10月のマイルチャンピオンシップ南部杯は久々に田辺騎手とタッグを組み、いつもの勝ちパターンで勝利。これでGI級レース3連勝である。

 しかし、JBCクラシックやチャンピオンズカップでは、またしても猛烈なマークにあって潰されてしまい、5着、13着と敗れる。さらに東京大賞典ではリズムが崩れてしまったのか、逃げには成功するも最後までもたずに5着。いいところと悪いところがハッキリと分かれた1年となった。

 能力は高いが、勝ちパターンを崩されるとモロい。その対策をどうするかが7歳になっても現役を続けるリッキーの課題となった。

7歳(シニア級:2017年)

 年明け初戦はこの年もフェブラリーステークス。4年連続の出走となったこのレースでは、5戦ぶりに武豊騎手とのタッグが復活したが、ハイペースに最後までもたずに14着と大敗する。人気も単勝9倍の6番人気まで落としており、ファンからは引退も囁かれるようになっていた。ライバルのタルマエは前年限りで引退している。

 しかし、真の強者は何度でも復活する。3連覇を狙うかしわ記念では、なんと中団に控えて大外を回す“差し”作戦を採用。それが見事にハマって最後の短い直線で先行勢をゴボウ抜き。3連覇を達成した。

 そして前年と同じローテーションで挑んだ10月のマイルチャンピオンシップ南部杯では、初タイトルをもたらした田辺騎手が“いつもの勝ちパターン”で圧勝。これでなんと、タルマエに並ぶGI級レース10勝目を飾る。

 11月にはいつものJBCクラシック……ではなく、短距離1200メートル戦のJBCスプリントに出走。7歳、34戦目にして初めての短距離挑戦である。タッグを組むのも初顔合わせの船橋所属、森泰斗騎手。陣営が「本来のスピードを取り戻させたい気持ちもあったから」と決めたレースで、期待に応えてアタマ差の2着と善戦する。

 チャンピオンズカップでは、とうぜん日本記録となるGI級レース11勝目を狙っていた。前走で刺激を入れたことで、スピードは取り戻せているのだろうか……?

 果たして、田辺騎手に導かれたリッキーはものすごい勢いで飛び出していく。かつての強さを見るような見事な逃げに沸き立つ観客席。そして、最後の直線に入ってもその勢いは衰えない。一方で、ジリジリと追い込んでくる年下の若駒たち。3頭がほとんど並んでゴールになだれ込んできて、リッキーはクビ+クビ差の3着だった。

 あれだけ苦しんできた12月のレースでついに見せた好勝負。引退レースとなる東京大賞典に向け、ファンの期待も高まっていた。

 2017年12月29日、大井競馬場。リッキーは単勝で上位と差のない3番人気でレース当日を迎えた。その5日前には、同じ牧場出身で2歳下のキタサンブラックが、有馬記念で有終の美を飾っていた。引退レースだからといって、決してあなどれない……そう考えたファンも多かったのだろう。

 リッキーは、このレースでも果敢に飛び出していく。そして、スピードを取り戻したリッキー以上に出足の速い馬はいない。1番人気の4歳馬ケイティブレイブが並びかけてくるが、頭を並べることは許さなかった。何度となくファンを沸かせた“勝ちパターン”である。

 大井のコーナーは中央の各場と比べると角度がキツい。前にいる馬が絶対的に有利なのだ。その利を活かし、最終コーナーを先頭で回ってきたリッキーは、本当に“最後”のラストスパートを始める。グングンと広がっていく後続との差。最終的に3馬身、0秒6の差をつけて、12月初勝利を飾るとともに、GI級レース11勝の日本記録を打ち立てた。

 通算成績は33戦16勝、重賞13勝、獲得賞金は約9億9500万円。何度も浮き沈みを経験しながら、4歳から7歳まで毎年ふたつ以上のGI級レースを勝利、勝率も約5割と圧倒的な数字を残した。しんがり人気でGIを勝利したり、何度でも蘇る劇的な競走馬生命を見せてくれた彼は、多くの人に幸せを届けてくれたハッピーホースだった。

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コパノリッキーの引退後

 引退後はブリーダーズ・スタリオン・ステーションで種牡馬入り。初年度からかなりの人気を集め、2021年には初年度産駒がデビューしている。現在12歳とまだまだ馬ざかり。父を超えるようなスーパースターの誕生も待ち望まれるところだ。

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