2020年3月。コロナ禍の中で迎えた“R-1ぐらんぷり2020”は、史上初の無観客による開催だった。客席からの笑い声がないという、賞レース史上類を見ない特異な状況下。その逆境を見事制したのは、“自作のゲームを自ら実況プレイする”という、目の前に観客がいようがいまいが関係ない構造のネタを披露したマヂカルラブリー・野田クリスタルだった───。
すいません、ここはファミ通.comでした。ふだんお笑い好きなライターとしてテレビコラムなどを書いている筆者。今回は野田クリスタルさんが“超おもしろ総監督”を務めた『スーパー野田ゲーWORLD』について書いてほしいとファミ通.com編集部からお声がかかりました。
『野田ゲー』、家族でずっと遊んでいるんです。
前作『スーパー野田ゲーPARTY』が発売されたのは2021年5月。ちょうどコロナ禍で行動制限がかかったゴールデンウィークで、連休なのにどこにも遠出できない。そんな我が家をステイホームでエンジョイさせてくれたのが『野田ゲー』である。親にとっては救世主であった。
R-1ぐらんぷりで披露された“ももてつ(太ももが鉄のように硬い男てつじ)”や、M-1グランプリの優勝ネタ“つり革”に、当時小5の息子と中3の娘も大盛り上がり。
しかし対戦するにも年齢的に実力差があることもあり、最終的に“おたけさいこっちょーゲーム”で延々盛り上がるというはしゃぎっぷりであった。
総監督の顔で“妥協”する息子
あれから1年と2ヵ月くらい。
もちろん『スーパー野田ゲーWORLD』発売の報はいち早く家族で共有し、子どもたちは「つり革で20人同時対戦ってw」と内容を聞いただけで笑いながら、7月末の発売をいまかいまかと待っていた。
そして発売当日。ダウンロードした『スーパー野田ゲーWORLD』を起動した我々を待っていたのは、アバターのメイキング画面であった。
もうこの時点で子どもたちは「なんなのw」、「雑だなw」と笑っている。
実写のパーツがめちゃくちゃあるのだけど、顔写真をただただ横に切って合わせているので、モンタージュがぴったり合わないのだ。男女混合だし、鼻だけ色白になったりするし、頭頂部はスキンヘッドなのに耳の周りだけ毛がボウボウだったりする。
もはや“変な顔を作って遊ぶ”というコンテンツである。顔ができるたびに笑って、ぜんぜん先に進まない。
結局、息子はデフォルトで設定されている野田さんの顔で「これでいいや」と始めた。“時間がかかるので妥協した顔”が総監督という波乱のスタートである。
リビングに轟く「どんだけあんだよ!」というツッコミ
野田ゲーは存在自体が大いなる“ボケ”であり、どれだけ理解不能&理不尽な要素があっても“ボケてきてる”と思ってツッコめば、すべてが笑いに変わってしまう。
そんなわけで、本編が始まってもずっとツッコみ続ける我が家である。
なかでも我が家でいちばん耳にしたツッコミは「どんだけあんだよ!」だろう。
たとえば“ポーズ”のバリエーション。プレイ開始後、うちの子どもたちが早い段階で確認したもののひとつである。
前作ではゲーム中にポーズをかけると、野田さんの「ポーズ!」の声とともに、何らかのポーズを取った野田さんが登場していたのだ。
これを見つけた子どもたちは、しばらく「ポーズ!」、「ポーズ!」と何度もポーズしては笑い、日常生活で「ポーズ」という言葉が出ると、腕をクロスしてガラスを突き破るポーズなどしたものだった。
もちろんこの要素は今作でも活きている。クラウドファンディングではポーズ画面に出る野田クリスタルのポーズを好き勝手に指定できる権がリターンに設定され、計145人が出資。
そのせいで、何度ポーズをかけても同じポーズが出てこない。そりゃあ「どんだけあんだよ!」と言うだろう。
“NAGAIASU”の自機の種類の多さ、“回転めし”で設定できるレベルの細かさ、“Ashi Kogi Racing”で乗れる椅子の多さ……。野田ゲーは「どんだけあんだよ」にはこと欠かない。
いや、いまどきのゲームならめちゃくちゃいろんな要素があって当たり前かもしれない。ただ『野田ゲー』は、見た目のゆるさやシンプルさと裏腹に物量が多すぎて、シンプルにビックリしてしまうのだった。
デッカチャンを知らずに僕らは生まれた
そして“スーパー音声衰弱”である。
“音で神経衰弱をする”というルールはそのままに、今作では4人対戦やステージ増量などのバージョンアップが行われた。そのなかに“デッカチャン”ステージがある。
このステージ、言いかたが違う「デッカチャンだよ!」が何パターンもあるのだ。
これには子どもたちも「わかるか!」、「どんだけあんだよ!」と総ツッコミだったが、徐々に「デッカチャンだよ!」が聞き分けられるようになるから人間の秘めたる力ってスゴい。
言いかたのクセでセクシーデッカチャンや美声デッカチャン、お経デッカチャンなどと区別して覚えると、何とかなるものなのだ。逆に何も特徴がないと「ノーマルデッカチャンかよ~」ってガッカリしていたりする。ふつうに名乗っているだけなのにデッカチャンかわいそう。
ただ、恐らく子どもたちはデッカチャンが何者なのか、まだちゃんとわかっていない。子どもたちにとってデッカチャンは“ブロック崩しから逃げ回る人”であり、首から下がどうなっているかまでは知らない。
いつか『エンタの神様』などを見たときに「この人が!」ってなってほしいので、親としては見守るのみである。
勝ったらラッキー、負けたら制作者のせい
子どもとのゲームでは、つねに“ちょうどいい手加減問題”がつきまとう。
小さい子は、やっぱりお父さんお母さんとゲームで遊びたいもの。とはいえ、ふつうに対戦したら絶対大人が勝ってしまう。子どもにも勝たせてあげるように振る舞ったり、「ここでアレを取ったら負けるな〜」と独り言を装って教えてあげたりする。
そして成長とともに親の手から離れていくように、手加減のコントロールも親の手から離れていく。友だちと『スマブラ』をやればボコボコされたり、『スプラトゥーン』でオンライン対戦をやれば知らない大人に惨敗して、激怒したり涙目になったりする。
「もっと練習してうまくなればいいじゃん」とか「昔は『アイスクライマー』で友だちをなくしたものだ」とか、いろいろご意見もあるだろう。でもやっぱり“腹立つ”だけでなく“楽しい”という思い出も多くあってほしい、というのも親心。
そこで『野田ゲー』である。
子どもたちと野田ゲーで対戦をすると、激怒したり涙目になったりということがないのだ。オンライン対戦でもそう。なぜか。
「何だよこのゲーム〜」、「野田さんめ~!」と、憤りの矛先が制作者に向くのである。
だって、将棋の駒が爆発したり、マヂラブ村上さんを太らせたり、絶対音感で神経衰弱したりするのだ。もうフィールド自体がおかしい。
言うなれば「三角の土俵で相撲を取ってください」と言われているようなもの。
見ただけで「三角ってw」と笑ってしまうし、それをわかった上で土俵に乗るのだ。勝ったらラッキー、負けたら土俵のせい。何も失うものがない。
それでいて、じつは“三角の土俵”には奥深い戦略があったりする。とんがったところにずっといたら危ないんだな、とわかってきたりする。そうして今度は、三角の土俵を使いこなす者たちの戦いが幕を開ける。
話をちょうどいい手加減問題に戻すと、『野田ゲー』は親子で勝っても負けても「何だよこれ~」とゲラゲラ笑うだけで、もう楽しいのだ。
ゲームを選べば、何だか知らないけどうっかり勝てるやつ(“将棋III”など)や、親が手加減しやすいもの(回転めしなど)もある。相手を邪魔する要素が少ないのもうれしい。
やがて子どもはどんどん上達し、親も本気で戦わないと勝てないレベルに成長していく。手加減などいらない、対等な関係になる。それはとてもうれしくて、誇らしくて、そしてちょっと寂しい。
『野田ゲー』は、笑いが入り口になることで、とっつきやすく、上手くなるのも楽しいゲームだ。憤りの矛先をすべて受け止めておもしろに変える野田さんが、親にとっては何だか救世主に見える。ありがとう野田さん……!
『スーパー野田ゲーWORLD』には、これからアップデートで増えるゲームもある。子どもたちはその説明を見て、「お父さんは何が楽しみ?」と聞いてくれる。
まだまだ我が家のリビングから「どんだけあんだよ!」というツッコミが途絶えることはなさそうです。