サイゲームスより配信中のiOS、Android、PC(DMM GAMES)対応ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』で、2022年4月12日に新たな育成ウマ娘“ニシノフラワー”が実装された。その能力や、ゲームの元ネタとなった競走馬としてのエピソードを紹介する。

『アニメ『うまよん』Blu-ray BOX』の購入はこちら (Amazon.co.jp) 『ウマ娘 シンデレラグレイ 6 (ヤングジャンプコミックス)』の購入はこちら (Amazon.co.jp)

『ウマ娘』のニシノフラワー

公式プロフィール

  • 声:河井晴菜
  • 誕生日:4月19日
  • 身長:135センチ
  • 体重:増減なし
  • スリーサイズ:B67、W48、H70

大人しくて愛らしい、純粋無垢な少女。まだまだ咲きはじめで自信もなく、一人前めざして準備中である。
一方でよく気が利き、たとえ自分のことで手一杯でも、周りへの思いやりを忘れない優しい心根の持ち主。
いつか大輪の花を咲かせるため、頑張っている。

出典:『ウマ娘』公式サイトより引用

【ウマ娘・元ネタ解説】ニシノフラワーはバクシンオーにも勝った天才少女。“飛び級”の由来やセイウンスカイとの縁なども紹介

ニシノフラワーの人となり

 栗東寮所属でミホノブルボンと同室。“飛び級”でトレセン学園にやってきたという設定がある。その元ネタには諸説あるが、史実でスプリンターズステークスを(グレード制導入後では初めて)いまで言う3歳時に勝利したエピソードや、小柄で細身、仔馬を思わせるような馬格だったということが影響していそうだ。

 おとなしいが、素直でマジメ、がんばり屋という優等生的性格。勉強も料理も得意で、1コマやカレンチャンの育成シナリオ、ストーリーイベント“栄冠のパティスリー”などでその片鱗が垣間見られる。なお、1コマでノートを見せてもらっているダイタクヘリオスやメジロパーマーは史実で対戦経験があり、いずれもニシノ神の前に敗れ去った。料理の腕はほかにも『うまよん』で披露されており、絶讃されている。

【ウマ娘・元ネタ解説】ニシノフラワーはバクシンオーにも勝った天才少女。“飛び級”の由来やセイウンスカイとの縁なども紹介

 ゲーム内では同室のミホノブルボンのほか、セイウンスカイやタイキシャトル、アグネスタキオンなどとよくいっしょにいる。ミホノブルボンは、史実でニシノフラワーと同い年だが路線が違うため対戦はなし。またセイウンスカイ以下の3人は、史実でニシノフラワーとのあいだに仔がいる。なおセイウンスカイはニシノフラワーと同門(ニシノフラワーが西山正行氏、セイウンスカイが西山牧場所有)で、しかもお墓が隣どうしという縁がある。

 史実でニシノフラワーと同い年のウマ娘はミホノブルボンのほかにも、ライスシャワー、サクラバクシンオー、マチカネタンホイザらがいる。また、2022年3月に新規育成ウマ娘として実装されたメジロブライトとは、誕生日(4月19日)と主戦騎手(河内洋現調教師)が同じだったりする。史実で3歳秋以降、ライバルとして名勝負をくり広げたヤマニンゼファーはひとつ年上だ。

 勝負服には史実で馬主だった西山正行氏の勝負服のカラーリング(黄、紫三本輪、白袖)が反映されている。なお、この後カラーリングが紫から緑に変更されたため、セイウンスカイのイメージカラーは紫ではなく緑となった。また耳飾りなど、随所に花形の意匠があしらわれており、さらにレースで走行中、スカートが広がって花が咲いたような姿になるのが特徴的だ。

【ウマ娘・元ネタ解説】ニシノフラワーはバクシンオーにも勝った天才少女。“飛び級”の由来やセイウンスカイとの縁なども紹介

競走馬のニシノフラワー

ニシノフラワーの生い立ち

 1989年4月19日、北海道鵡川町(現:むかわ町)の西山牧場で生まれる。父はマジェスティックライト、母はデユプリシト。14歳下の妹に、重賞2勝のネロを生み、自身もGIIIのファンタジーステークスで3着に入ったニシノタカラヅカがいる。

 母デユプリシトは当時低迷していた西山牧場の、起死回生の一手としてアメリカより輸入された4頭の繁殖牝馬の1頭で、マジェスティックライトの仔(ニシノフラワー)をお腹に宿した状態で輸入された。

 そんな出自であることから、ニシノフラワーはかなりの期待を受けて生まれてきた。しかし小柄で細身という馬格に加え、調教での動きにも目立つところはなく、入厩の時期が来ても数名の調教師に管理依頼を断られてしまうほどだった。

 脚元もそれほど丈夫でなく、デビュー前に骨膜炎を発症して負担の少ないダートで走ることに。また、3歳時には桜花賞で目一杯に仕上げた疲労からか飼い葉食いが悪くなって調子を崩すなど、サラブレッドらしいデリケートな馬でもあった。

 また、並外れたスピードを誇り、サクラバクシンオーに1200メートル戦で生涯唯一の黒星をつけたことでも知られている。阪神3歳牝馬ステークスやマイラーズカップなど先行策から押し切るレースを多く見せていた一方、優れた瞬発力の持ち主でもあり、桜花賞やスプリンターズステークスのように中団~馬群後方からレースを進めて差す、というスタイルも得意としていた。

 活躍の舞台はおもに1200~1600メートルの短い距離。ただ、当時2400メートル戦だったエリザベス女王杯でもスタミナ不足ではあったものの、3着と善戦している。

【ウマ娘・元ネタ解説】ニシノフラワーはバクシンオーにも勝った天才少女。“飛び級”の由来やセイウンスカイとの縁なども紹介

ニシノフラワーの血統

ニシノフラワー血統表

 西山牧場が期待をかけて輸入しただけあって、母デユプリシトはかなりの良血。産駒のなかでもとりわけ活躍したのがニシノフラワーだが、それ以外の産駒も勝ち上がる馬が多く、安定していた。

 デユプリシトの父ダンジグは、ノーザンダンサーの後継種牡馬として北米を中心に欧州や日本でも活躍馬を多数輩出した超名馬。とくにスピード能力の高さで知られ、日本での代表産駒には海外GIを2勝したアグネスワールドや、ビコーペガサスなどの名が挙げられる。

 ニシノフラワーから母系をさかのぼって3代母(デユプリシトの祖母)のザブライドは世界にその名を轟かせた大種牡馬サーゲイロードの半妹で、アメリカ3冠馬セクレタリアトの全姉。さらにその半姉シリアンシーの来孫(5代後の子孫)には、短距離史上最強の1頭に数えられるロードカナロアがいる。とんでもない名牝系なのである。

 なお、デユプリシトのユは大文字で登録されているが、読みは“デュプリシト”。当時は促音、撥音は小文字でなく大文字で表記することが多かったため(中央競馬では1968年から小文字表記が可能となっている)、登録名はデ“ユ”プリシトとなったというわけ。

 父の血統も悪くはない。父マジェスティックライトは、アメリカでクラシック2冠を無敗で達成し、絶大な人気を誇った“ザ・プリンス”マジェスティックプリンスの産駒。マジェスティックライト自身もGIを4勝している。

 マジェスティックライトの種牡馬としての実績は牝馬にかたよっており、ニシノフラワーのほか、フランスオークスを制したラコヴィアなどを輩出した。そしてニシノフラワーは母系の血が濃く出たようで、短距離~マイルに適性があったようだ。親戚もロードカナロアのように短い距離で活躍した馬が多い。

 なお、ニシノフラワーとセイウンスカイとのあいだに生まれたニシノミライの娘ニシノヒナギク(父アグネスタキオン)から、2歳時に重賞を2勝したニシノデイジー(父ハービンジャー)が出ている。まさに『ウマ娘』血統である。

【ウマ娘・元ネタ解説】ニシノフラワーはバクシンオーにも勝った天才少女。“飛び級”の由来やセイウンスカイとの縁なども紹介

ニシノフラワーの現役時代(表記は現在のものに統一)

 複数の調教師に管理を断られたニシノフラワーだったが、最終的に栗東の松田正弘厩舎に預けられることになる。

2歳(ジュニア級:1991年)

 夏に入って骨膜炎の症状を出していたニシノフラワーは、脚に負担の少ないダートでデビューすることになる。その舞台は1991年7月7日の七夕の日、札幌競馬場。生涯唯一となるダート戦、1000メートルのスプリント戦である。高い評価を受けがちな持込馬でありながら、体の小ささや持ちタイムからその時点ではあまり期待はされておらず、単勝4番人気(6.5倍)に留まった。しかしフタを開けてみれば道中から先頭に立ってそのまま譲らず、4馬身差の圧勝劇。競走馬人生のスタートをすばらしい形で切った。

【ウマ娘・元ネタ解説】ニシノフラワーはバクシンオーにも勝った天才少女。“飛び級”の由来やセイウンスカイとの縁なども紹介

 2戦目は当時芝1200メートル戦だったGIII札幌3歳ステークス(現札幌2歳ステークス)。ここも4番人気で迎えたが、好位追走から危なげなく勝ちきり、鞍上の佐藤正雄騎手に騎手生活22年目で初の重賞勝利をプレゼントした。

 さらに3戦目のGIIデイリー杯3歳ステークス(現デイリー杯2歳ステークス)はトップジョッキーの田原成貴騎手が手綱を取って1番人気で楽勝。3戦で2着に合計11馬身もの差をつける横綱相撲を見せ、一躍世代ナンバーワンの評価を勝ち取るのだった。

 そして迎えたのは、GIの阪神3歳牝馬ステークス(現阪神ジュベナイルフィリーズ)。この年より“関西のジュニア王者決定戦”から、“東西共通のジュニア女王決定戦”に衣替えをしていた。

 抜群の競馬センスを誇る天才少女は、このレースで道中インコースの好位から追走すると、直線でサクっと抜け出し後続の追撃を振り切って優勝。牝馬限定戦として初の開催となったこのレースで、西山牧場、佐藤騎手ともにGI初戴冠と、初物尽くしの勝利を飾った。もちろん、この年の最優秀3歳牝馬(表記は当時のもの)も受賞している。

1991年 阪神3歳牝馬ステークス(GⅠ) | ニシノフラワー | JRA公式

3歳(クラシック級:1992年)

 年明けは3月のチューリップ賞(当時はオープン特別)から始動。しかし仕掛けが遅れたため、馬群から抜け出すのに手こずって1着から遅れること3馬身半、0秒6差の2着と初の敗戦を喫する。勝ったのは、ニシノフラワーと同じくらい小柄な牝馬アドラーブル。札幌3歳ステークスではニシノフラワーから10馬身近くも離された9着に敗れており、リベンジされた格好だった。ニシノフラワーは、そんなアドラーブルとクラシックシーズンを通して激闘をくり広げることになる。

 桜花賞では、敗戦の責任をとってみずから主戦を下りた佐藤騎手に替わり、河内洋騎手が騎乗することに。ファンのあいだでは、「前走は作戦ミスであり、彼女自身の能力には疑いはない」とするものが多く、前走と同じ1番人気に支持された。そしてレースでは、牝馬戦に定評のある名手河内の手腕が大いに発揮されたのだった。

 好スタートを決めたニシノフラワーは、道中は控えて馬群中団にポジションを取る。若干速めのペースについて行けず脱落する馬が続出する中、そのスピード能力を見せ付けるように悠々とポジションを上げていき、第3コーナーの入口では早くも2番手に浮上。最終コーナーを立ち上がる前に先頭に躍り出ると、そのままの勢いで走り続ける。前走がフロックではないと証明したいアドラーブルが必死に追い込むも、直線半ばで再加速して突き放し、同じコースのチューリップ賞とは逆に3馬身半、0秒6差をつけて勝利した。

 スタートから道中のポジション、追い出しのタイミングなどすべてが決まった、まさに完勝だったと言えよう。

1992年 桜花賞(GⅠ) | ニシノフラワー | JRA公式

 しかしその後は疲れが出たのか食欲とともに調子が下降線に……。それを食い止めるのに精いっぱいだった陣営は、ニシノフラワーに思うような調教をつけられないままオークスに挑むことになる。やはりと言うべきか調子は戻りきらず、さらに2400メートルという距離が長すぎたのかニシノフラワーは最後の直線で失速。アドラーブルに雪辱を許し、7着と敗れてしまうのだった。

 秋初戦のGIIローズステークスでも引き続き1番人気に支持されたが、ここでも距離の壁か最後までもたずに4着に敗れる。それでも陣営は、次戦に当時の牝馬3冠の最終戦であるエリザベス女王杯を選んだ。施行距離はオークスと同じ、2400メートルの長丁場である。

 ここで、河内騎手は作戦をそれまでの先行から、スタミナを温存して最後の瞬発力に懸ける差しに切り替える。それが功を奏し、1着にはなれなかったものの、アドラーブルやサンエイサンキューらのライバルに先んじる3着となった。

【ウマ娘・元ネタ解説】ニシノフラワーはバクシンオーにも勝った天才少女。“飛び級”の由来やセイウンスカイとの縁なども紹介

 だが、ここまでで中距離戦線での限界を感じた陣営は、路線転向を決断する。当時は年末開催だった1200メートルの電撃戦、スプリンターズステークスへの参戦を表明したのである。

 相手には、前走でマイルチャンピオンシップを連覇したばかりのダイタクヘリオス、1200~1400メートルの短距離戦で恐るべきスピードの片鱗を見せていたサクラバクシンオー、さらにこの年の安田記念を11番人気で制し、短距離~マイルで売り出し中のヤマニンゼファーなど、有力メンバーが揃った。そんな中、久々の短距離戦ということもあって道中は後方に置いていかれたニシノフラワーだったが、サクラバクシンオーらが作り出す超ハイペースの消耗戦を耐え抜き、最後の直線で有力馬たちを大外から豪快に抜き去って優勝。同世代のライバルや強豪の古馬たちを相手に勝利し“飛び級”を果たしたのだった。

 一般的に短距離線では先行有利の展開になることが多いが、このレースは差し、追込を見事に決めたレースのひとつとして、2003年のスプリンターズステークス(デュランダルが勝利)とともにいまでも語り継がれている。

1992年 スプリンターズステークス(GⅠ) | ニシノフラワー | JRA公式

4歳(シニア級:1993年)

 最優秀4歳牝馬(表記は当時)に加え、スプリンターズステークスの勝ちっぷりから最優秀スプリンターの栄誉にも輝いたニシノフラワー。少々の休養を挟んで、始動は2月末のGIIマイラーズカップとなった。スプリンターズステークスと比べて相手の格も落ちるこのレースでは、再び好位追走の先行策から押し切って勝利。ヤマニンゼファーに“3馬身半”差をつける完勝だった。

 次戦はこの年から国際競走となった安田記念。ディフェンディングチャンピオンのヤマニンゼファーとは3回目の対決である。しかし、勝負は意外な形で決着する。好位につける得意の作戦に出たニシノフラワーだが、第3コーナーに入っても前に進出するどころか少しずつポジションを落としていくのである。そのまま最後まで勝負に加わることなく、初のふた桁順位となる10着に敗れるのだった。優勝は連覇を達成したヤマニンゼファー。2着にはイクノディクタスが入っている。

 続いてファン投票で選ばれた宝塚記念に出走。もともと距離が不安視されていたが、距離なのか不調なのか、不振の原因はわからないまま8着に終わる。なお優勝はメジロマックイーンで、イクノディクタスが安田記念に続き2着に。じつはメジロパーマーも出走しており、ニシノフラワーのさらに後ろ、10着でレースを終えている。

【ウマ娘・元ネタ解説】ニシノフラワーはバクシンオーにも勝った天才少女。“飛び級”の由来やセイウンスカイとの縁なども紹介

 秋はGIIスワンステークスから始動。ここでは勝ったシンコウラブリイから差のない3着と健闘を見せるが、やはりかつてのような勢いは見られなかった。そのままマイルチャンピオンシップへと歩を進めるが、道中は追走もやっとという不調ぶりで、そのままズルズルとポジションを下げ13着と大敗してしまう。勝ったのは前走に続きシンコウラブリイだった。

 天才少女はもう終わった……と思われたが、スプリンターズステークスでは天皇賞(秋)を勝ったヤマニンゼファー、脚部不安から復活したサクラバクシンオーに続く3番人気(5.6倍)に支持される。多くのファンが彼女が再び蘇ると信じていたのだ。

 果たして、天才少女は再び輝きを見せた。道中は先行集団を前に行かせて、外に追い出しやすい絶好のポジションに控えながら、最後の直線で大外から猛然と追い込む。前年の勝利を思わせるようなレース運びで前を追うニシノフラワー。本格化したサクラバクシンオーには及ばなかったが、2着のヤマニンゼファーをあと一歩のところまで追い詰める3着と健闘。プライドのほとばしりを感じる内容だった。

「サクラバクシンオーGⅠ獲った!」【スプリンターズステークス1993】

 このレースを最後にニシノフラワーは引退。年が明けた1994年1月9日に阪神競馬場で引退式が行われ、惜しまれつつターフを去った。16戦7勝、重賞6勝(うちGI3勝)、総獲得賞金は約4億3千万円という記録を残した。

ニシノフラワーの引退後

 引退後は西山牧場で繁殖牝馬として活躍。重賞勝ち馬こそ出なかったものの、子出しもよくさらにほとんどの産駒が複数勝利を挙げている。また、後にひ孫のニシノデイジーが重賞を2勝するなど子孫も活躍しており、母としても西山牧場に大きく貢献することとなった。

 11頭もの仔を生んだニシノフラワーだったが、2008年からは不受胎が続いて2011年には繁殖牝馬も引退。その後は北海道日高町に本場を移転した西山牧場で功労馬としてのんびり暮らし、2020年2月5日午前10時、老衰のため亡くなった。31歳の大往生である。

 墓は西山牧場にあるセイウンスカイの墓の隣りに設けられ、墓石にはその功績とともに“天才少女から偉大な母へ 西山牧場を救った名牝に 感謝を込めて 西山茂行”と記されている。

『ウマ娘』注目記事

『ウマ娘』無課金&微課金の方向け、育成攻略&解説シリーズ