多くの人を虜にしたミステリー
いまから36年前の1985年(昭和60年)11月29日は、ファミコンで『ポートピア連続殺人事件』が発売された日。
『ポートピア連続殺人事件』は、エニックス(当時)から発売されたファミコン初のアドベンチャーゲーム。もとは1983年にPC版として発売された作品で、その後さまざまなPCに移植され、1985年にファミコンでのリリースにいたった。シナリオ、グラフィック、プログラムのすべてを、『ドラゴンクエスト』シリーズの生みの親として有名な堀井雄二氏がひとりで手掛けていることでも有名。なお、ファミコン版の開発元はチュンソフトとなっている。
プレイヤーは刑事(ボス)となって、相棒のヤスとともに神戸で起こった殺人事件に挑んでいくことになる。事件のあらましはこうだ。
“ローンやまきん”の社長“やまかわこうぞう(山川耕造)”の死体が、自身の屋敷で見つかった。遺体の第一発見者である守衛の“こみや(小宮)”と秘書の“さわきふみえ(沢木文江)”を聴取すると、耕造が密室で死んでいたことが明らかになる。何者かに殺害されたのか、はたまた自殺なのか。やがて耕造と金銭的な繋がりがあった“ひらた(平田)”、“かわむら(川村)”という人物が捜査線上に浮かび……。
ゲームの全容を知っている人は多いと思うが、すべて書くのは野暮なのでここまで。
前述のとおり、本作はファミコン初のアドベンチャーゲーム。表示されるコマンドを選択して行動をしていくというスタイルに、筆者は衝撃を受けた。子どもだったので最適解がわからず苦戦した覚えがある。
そうしてむやみやたらに“たたけ”や“たいほ しろ”を連打したりもした。捜査の途中、“むしめがね”画面をいろいろクリックして調べていると、ヤスが「あっ! これはっ!」と言うので何か見つかったのかと喜んだのも束の間、「なーんて うそです」と言い出したときは心の底から怒りが湧いたものだ。そんなヤスには、“むしめがね”で太陽を見せる刑!
本作を象徴するもののひとつに、地下迷路がある。進めども進めども代り映えのない景色が広がる3Dダンジョンに苦戦した人は多いだろう。方眼紙にマップを書くというテクニックを知らなかった筆者は毎回迷い、奇跡を信じてただただ進んだ。背後の壁が急に閉まったときは、もう生きて帰れないと思ったものだ。しかし本作はセーブ機能がないので、一度ゲームをスタートさせたらクリアーするしか道はない。
個性的なキャラクターが織り成すドラマはもちろん、真相に一歩近づいたと思ったらさらなる謎が噴出するという本格ミステリーに、夢中になってプレイした人は多いはず。なぜ茂みから指輪が出てきたのか、“こめいちご”とは何か、耕造はなぜ叫び声を上げていたのか……。
すべての謎を解いて犯人にたどり着いたとき、プレイヤーの心にはあらゆる感情が濁流になって押し寄せたことだろう。
さまざまな要素が当時のゲーマーの心をつかみ、本作は犯人の名前も含めて大きなブームを巻き起こした。ゲームをプレイしたことのない人でも、犯人の名前を知っている人は多いだろう。当時は犯人がわかっているのにゲームをプレイする人が多かったのだから、作品自体に魅力があるとしか言えない。
ちなみに、『ポートピア連続殺人事件』と、堀井雄二氏が後に手掛けた『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』(1984年)、『軽井沢誘拐案内』(1985年)と合わせて“堀井ミステリー三部作”と呼ばれている。
現在、本作を遊ぶにはファミコンでプレイするしか方法がない。そうした点も、この作品がいまなお多くの人の中で輝きを放っている理由なのかもしれない。