2021年8月24日~26日にオンラインにて実施されている、日本最大規模のクリエイターのためのカンファレンス“CEDEC2021”。本稿では、会期3日目にあたる8月26日に行われた、東京大学情報学環教授でソニーCSLフェロー・副所長の暦本純一氏による基調講演“Human Augmentation:人間拡張がもたらす未来”をリポートする。
本講演では、暦本氏が現在研究している人間拡張、ヒューマンオーグメント(Human-Augmentation)の研究内容を紹介。将来的に人間拡張が進むことで社会にはどのような変化、影響があるのか。暦本氏より、深い知見が語られた。
人とAIの融合による進化
近年、人間拡張については日々研究が進んでおり、メディアなどでも取り上げられるトレンドワードになりつつある。しかし、その用語自体はじつは新しいものではなく、A.IやI.A.(Intelligence Amplification)と同時期に生まれたものだと暦本氏より紹介があった。
暦本氏がA.I.とI.A.の一例として挙げたのは、『鉄腕アトム』と『サイボーグ009』。人間の行動や思考を再現するA.I.に対して、I.A.は知能拡張、つまり人間の能力を増幅、拡張させるシステムを示している。当時I.A.と表現されていたものが、現在の人間拡張(Human-Augmentation)に該当するという。
具体的に、人間の能力を増幅・拡張するとはどういうことなのか。東京大学ヒューマンオーグメンテーション寄付講座では、人間拡張を身体、存在、認知、知覚の4つの方向に分類しているそうだ。
外骨格や義足を利用した身体機能の拡張や、我々も利用するオンライン会議による存在の拡張、ARやVRによって本来そこにないものを見えるようにする知覚・認知の拡張も可能になってくる。一見すると未来の話のようだったが、意外と身近なところでも人間拡張は進んでいるようだ。
講演では、指に空気圧で膨らむユニットをつけることで、物を掴む能力を補強するデバイスなども紹介されていた。手の力が弱くなった人の補助道具として使うこともできるようだ。
より先進的な展開として、暦本氏が研究を進めるシステム“Sotto Voice”についても紹介があった。
これは、音声がなくても口を動かすだけでその人の言葉を理解できるようになるシステムで、声帯の問題で声が出せなくなった人の発話を再現したり、電車内など声を出せない場面でも音声認識システムを利用できるような想定をしているという。
顎に当てた超音波エコーで口の中を見て、舌の動きからディープラーニングでAIが学習して音声を復元している。エコーを当てることなく、顎の下にセンサーを装着することで無声での発話を実現する“Derma”も紹介された。かつてヘレン・ケラーもアン・サリバンの顔や喉、口に手を当てて言葉を読み取ろうとした記録があり、“Derma”もそのエピソードからのインスパイアを受けたという。
こういった研究を進める中で、AIだけでなく人間側も学習していることに気づいたという暦本氏。実験をくり返していく中で、システムを正確に作動させるための口の動かしかたがわかってくるのだという。
人間とAIが直結することでAIも含めて自分自身だと感じるようになり、能力を拡張していくと暦本氏は考える。これは、クルマを運転している際、クルマも自分の一部のように感じるのと同じ現象だそうだ。
AIと人間の関係は日々進歩しており、すでに現実的な研究も進められている。その一例として挙げられたのが、『サイボーグとして生きる』の著者であるマイケル・コロスト氏。マイケル・コロスト氏は自身の頭部にチップを埋め込んでおり、このチップのプログラムは書き換えることも可能だという。
この事例について暦本氏は能力を自分で変化させられる可能性を示唆していると感じているようで、今後さらに広がっていくことも予想している。
日本では禁止されているが、スウェーデンでは体内にチップを埋め込むことも許可されており、鍵やクレジットカード、電車を利用する際のICカードのように使っているという。駅で手をかざすだけで、Suicaのように使えるのだとか。
また、現在利用している人も多いであろうAppleのAirPods Proでは、高性能コンピュータに匹敵するチップが搭載されていることも紹介された。
現在はノイズキャンセリングという形で利用しているが、今後は特定の音だけでを聞き分けることで、たとえばエンジンの調子をチェックするための聴覚拡張アプリなども登場するのではないかと暦本氏は予測している。
AIによって時間の操作も可能になる?
昨今話題に上がることも多い、動画や映画を1.5倍速で見るという行為。暦本氏によれば、これも一種の人間拡張であるという。
現実世界で時間を弄ることはできないが、動画であれば倍速で再生することができる。現在はオンラインや動画での講義が多いというが、今後通常の講義に戻った際、学生たちは速度を変えられないことに不便を感じるだろうとも暦本氏は予測している。
「時間を操作するというのが、能力拡張の最上限である」と語る暦本氏。さすがにフィクションの世界のような時間を操作することはできないが、それに近い概念としてスピードや軌道を変えられるボールの研究をしているという。
ボールのスピードを変えることで、テニスをする際にベテランの人が打った球はゆっくりと進み、初心者の球は速くできれば、能力の格差は是正できるとのこと。能力を仮想的に上下させることで、スポーツトレーニングにも影響してくるのではないかと予測している。
その研究として、ボールの中にドローンを入れることでスピードや軌道を変える研究もしていたという。中に入ったドローンを移動させることで、変化球のような動きも可能だということが動画でも紹介された。しかし、現状では強く投げるとドローンが壊れてしまうため、本格的な運動には転用することはできないという。
そのほか、空間はまったく同じサイズで、球のスピードだけを調節できるテニスのVRについての研究も紹介があった。これはテニスコートを使用し、通常のテニスと同じように動きながらVRで表示された球をラケットで打ち返すというもの。
VRではラケットのどの部分に球が当たったかもすべてチェックでき、ボールの速度を少しずつ上げることでラケットの中心に球が集約していくデータも公開された。データとして残り、球の軌道やスピードを調整できるVRは、将来的にはプロのトレーニングでも活用できそうだ。
AIを使った学習は実際に効果的だという研究もあるようで、簡単な内容から少しずつ学習難度を上げることで、通常よりも早く学習できる結果も出ているという。運動はもちろん、英語学習の手法であるシャドーイングなども、AIにより適切なスピードで音声を読み上げることで、上達がスムーズになるようだ。
人間拡張がもたらす社会への影響と恩恵
人と人、人と機械のあいだでインターネットを介して能力を活用する、能力のインターネット(Internet of Abilities,IoA)の可能性についても議題に上がった。
暦本氏は基調講演を例として、オンラインなのでじつは録画でも問題ない、同時通訳のプログラムがあれば英語でしゃべっているように見せることもできると、オンラインだからこそできる活用方法を提示。
IoAについては、ウィリアム・ギブソン著の『ニューロマンサー』に登場する、“ジャックイン”というシステムから暦本氏は大きく影響を受けているという。ジャックインを、他人やロボットに憑依することとして暦本氏は活用している。
他者がつけた機械を介して、その視界を見ることができる“JackIn Head”というデバイスも紹介された。このデバイスを活用することで、スポーツ選手などの視界を体験できるという。他者の視界を見るというのはシンプルな鑑賞方法としてだけでなく、コーチなどが選手の状況を知るためにも使えるのではないかと暦本氏は語っていた。
将来的には、オフィスに設置されたデバイスにジャックインすることで会議などをしたり、講演などのステージ会場でも活用できるのではないかと語る暦本氏。現在はカメラ越しにオンライン会議をするのが主流だが、つぎのコミュニケーションツールになる可能性もあるという。
まだ扉が開けられない、段差を越えられないなどの問題はあるが、オンラインでイベントに参加するためのアバターロボットなども紹介されていた。
講演の最後には、今後人間がどのように進化していくのか、技術の進化は人に幸せするかといった問題について、実例の紹介とともに暦本氏の見解が語られた。
人間は言語を獲得したことで思考能力を得たように、ひとつ能力を得ることで新たな機能を発明していく。現代においては、人間と機械が相互に拡張しあっているのがIoAの世界で、そのスピードはネットワーク化によりはるかに容易になっているという。
そういった現在の状況が幸福につながるのか。暦本氏は機械によって人間の能力が低下している一例として、GPSに頼ることで地理的な空間把握能力が減衰した、機械翻訳の活用で英語の能力が落ちるといった、“デジタル健忘症”が問題視されていることを紹介。
キーボードを活用して文字を入力するのが当たり前で、手書きで漢字を書くときにすぐ思い出せないといった現象には、心当たりがある人もいるのではないだろうか。
すべてを機械がやることが人間の幸福につながるわけではないとして、“人は自分で何かを成し遂げることで幸福を感じる”といった研究事例も多数あるという。自閉症の人に、好きなようにアート作品を作ってもらうとストレスが緩和されるといった実験結果も紹介された。
また、食事介助についても、機械が口に食べ物を運ぶのではなく、自分で食べるのをサポートするほうが幸福度が高くなるそうだ。
たとえば、パーキンソン病の人は手が振動する症状があり、スプーンではうまく食事を取れないことがある。そういった際も機械で食べ物を口に運ぶよりも、スタビライザー機能のあるスプーンを使って自分自身で食べるほうが、幸福度は高くなるという。
暦本氏はこういった一例をもとに、人間拡張はこういった幸福感に大きく寄与するものであると示した。
人間拡張は効率性と効能感の軸に分類すると、4つのクラスに分けられるという。効能感、効率性どちらも高いクラス1は、メガネや義足といった拡張アプローチが必須のもの。クラス2は拡張により性能や効果が向上するもので、人間とAIの融合を指すという。
前述したスタビライザー付きのスプーンは、効率性は低いが効能感の高いクラス3で、拡張により充足感が向上するもの。今後、人間拡張の技術開発では、効率性と効能感のどちらを優先するかを考慮することになるだろうと今後の予測を立てていた。