アクションゲームを中心に、数々の名作タイトルの開発を手掛け、業界内で高い評価を得るグッド・フィールが、この10月3日で設立15周年を迎えた。昨年家庭用ゲーム機向けに初の自社パブリッシングタイトル『MONKEY BARRELS(モンキーバレルズ)』をリリースした同社は、今年大阪に事務所を設立し、新たな仲間を募集している。

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 まさに怒涛の展開とも言えるグッド・フィールの戦略とは? 同社の創業者であり代表取締役の蛭子悦延氏に聞いた。

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蛭子悦延氏(えびす えつのぶ)

グッド・フィール
代表取締役社長
(文中は蛭子)

クリエイティブを高めて15年。“いいかんじ”のさらなる先を目指す

――改めてのご質問となりますが、まずはグッド・フィールがどういう会社であるかを教えてください。

蛭子もともと私はファミコンの時代に大手ゲームメーカーに入社して、アクションゲームの有名IP(知的財産)などを中心に多数タイトルを開発していたのですが、仲間と独立して2005年に設立したゲーム開発会社がグッド・フィールになります。“グッド・フィール”というその社名の通り、“いい感じ”というのをモノ作りの理念に掲げています。

――“いい感じ”ですか?

蛭子少しフワッとしているのですが、作っている人も作っている作品もいい感じのものができればということで開発に取り組んでいます。逆にそのフワッとした感じがゲーム作りでは大切だと思っていて、自分たちがやりたいことにもつながるのかなと思っています。まあ、“グッドフィール”は和製英語で、“フィール・グッド”が正しいみたいですけど(笑)。

――今年創立15周年とのことですが、振り返ってみていかがですか?

蛭子ありきたりな表現になってしまうのですが、本当にあっという間でした。この機会にグッド・フィールで手掛けた開発タイトルが何本あるか調べてみたのですが、35本もあってびっくりしました。

――15年間よく続けてこられたという感じですか? それとも通過点のような気持ちですか?

蛭子どちらもありますね。15年間よく続けられたなというのもありますし、設立時の野望としては、もっと自社タイトルを手掛けて、世の中に自分たちのブランドを浸透させたかったという思いもあります。とはいえ、この業界のきびしさも知っているので、“よく15年もやってこられたな”という気持ちではありますね。まあ、ご存じの通り開発会社はお仕事をいただくことで成立しているのですが、“開発案件を取ってくる”ということでは、つねにきびしさがありました。そこを何とかしていこうという間に、15年が過ぎた感じです。

――ああ、大手にいた16~7年間は開発だけに専念していたけれども、会社を作ってみると対外交渉もしないといけなくて、もうちょっとクリエイティブな方向に時間を使いたかったとかです?

蛭子デベロッパーって、いちばんきびしいというか、ユニークなのは、クリエイティブが業績と直結するところです。クリエイティブが認められないと仕事も取ってこれない。両方は直結しているんですね。それは会社を設立するときに何となくわかってはいたのですが、実際にやってみると「やっぱりな……」という状態でした。

――やっぱりな?

蛭子しんどいなと(笑)。

――両方を維持するのがたいへんということですか?

蛭子“いいゲームって何か?”というと難しいのですが、最低限の質というところは維持できるようにならないといけない。でも、質、クオリティーと言うのは、作りの部分もありますが、ゲームにおいては新しい遊びのアイデアも含まれます。仕事を依頼するゲームメーカーの立場からしてみると、そういうところも含めてのクリエイティブということで判断している。遊びを生み出せる力を全体的にどう維持するか、いかに実績を出すかという点で、苦慮してきました。

 たとえば、お饅頭屋さんは、おいしい饅頭を作らないと売れずにお店は苦しいので、おいしい饅頭を作ることが経営の優先事項だと思うのですが、うちはその上に、毎回新作のおいしい饅頭を作らないといけない感じです。

 クリエイターとして、アイデアを考えるのは楽しいことですが、経営視点で考えると、ちょっとしんどくなったりで。

――いずれにせよクリエイティブを高める努力は欠かせないようですね。そのためにはどのようなアプローチを?

蛭子それがいまだにわからないんです(笑)。これを言うとなんなのですが、ひとりのクリエイティブで引っ張っていける会社さんもありますが、当社はそうではないと思っています。そういう会社ではなくて、スタッフを活かして全体的に高めていこうという気持ちもあるんです。ですので、会社の中からクリエイティブな雰囲気を出せる状態に持っていきたいとは思っているのですが、その方法論ということになると、試行錯誤の日々ですね。

――となると、会社設立以降は、会社トータルとしてのスタッフのクリエイティブを高めるために努力した15年間とも言えそうですね。

蛭子そうですね。そうじゃないと生き残れないですから。クリエイティブを高める努力ということでいうと、当社のポリシーではないですが、だいたいのタイトルにおいて企画からやらせてもらってるんです。企画から制作、サウンドまで、当社で完結するように制作していて、その中で作り込んで考えていく部分が多くあるんですね。そこをわりと、みんなで考えるようにはしてます。

――与えられた仕事をこなすというわけではなくて、自分たちで企画から考えるような座組にするということですね?

蛭子できる限りこちらから提案して、内容に関してもこちらが主導で進めさせてもらってます。作業だけ……という状態にはしたくないので。

――それに対してゲームメーカーが共感してくれるところが多かったので、これまで35タイトルにつながったとも言えそうですね。

蛭子まあ、逆に認められるためにがんばってきたというのもあります。いま作っているゲームが認められれば、つぎの仕事に繋がるという連鎖で何とかここまでやってきました。

――そこでの手応えはある程度はある?

蛭子“必死にやってきた”くらいの感じで、でもまだまだ足りないです。当社としての定番オリジナルコンテンツが持てるという目標に至るまではまだまだです。いまは、目の前にある問題を解決するので手一杯という感じかな。

――まだまだ道半ばということなのですね。

蛭子念頭に思い浮かぶ開発体制があるんですよ。私が大手に在籍していたときって、じつは企画担当っていなかったんですね。デザイナーとプログラマー、それにディレクターなどでチームを組んで、全体で企画を出していたんです。在籍していたときは、ずっとその形でやっていたかなあ。内容に関してみんなで考えていたんですね。根幹の部分からみんなで考えて、アイデアを出し合って高め合ったというイメージがあります。

 さすがにいまの時代それではやっていられないので、当社でもプランナー職を設けています。でも、プランナーを設定したことで、開発中に何かあったら「プランナーが悪いんでしょう?」ということになってしまう。“チーム全体で作っている”という想いはずっとありますので、そういう流れは嫌ですね。

――お互いに意見を出し合って、みんなで切磋琢磨して、高め合っていいゲームを作るのが蛭子さんの思い描く理想像だとすると、まだそこまでには至っていないということですね?

蛭子いまの時代、これが全体にとっての答えではないとは思うんですけどね。それこそ大手さんは細分化してそれぞれ専門家が仕事をこなしていて、すばらしいゲームを作られているのですが、私としてはスタッフ全員で切磋琢磨して作り上げていきたいというのがありまして、それに対してはまだまだだなと思っています。

――もしかして、いまのゲーム業界における分業体制には批判的でいらっしゃる?

蛭子いえいえ、それはそれでうまく作れると思っています。ゲームはひとりの天才がいれば、その人のクリエイティブで引っ張っていくという作りかたもあるじゃないですか。一方で、それぞれの持ち場でプロがプロの仕事をして、作品を生み出していくという方法もある。どちらもそれでひとつの方法論だと思うけど、私のやりかたは違うという感じです。チーム全体で作っていきたいくて、その中に自分も入っていきたいというのがあります(笑)。

――あはは。クリエイティブに対する意欲は、経営者になっても変わらない感じですね。

蛭子作りながらみんなで考えていると、「こういう考えかたもできるのか」という驚きがあって、そこが作っていて楽しいところだと思います。

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“機が熟した”ことで、家庭用ゲーム機向け初のパブリッシングタイトルをリリース

――15年間、一気に駆け抜けたとのことですが、転機になった作品は?

蛭子そうですねえ……強いて言うなら自社ブランドで初めてリリースした家庭用ゲーム機向けソフトの『MONKEY BARRELS(モンキーバレルズ)』ですね。私は、グッド・フィールを設立した2005年からずっと、自社パブリッシングタイトルを出したいと思い続けていたのですが、昨年(2019年)ようやくNintendo Switch向けに『MONKEY BARRELS』を出すことができたんですね。これまでソーシャルゲームなどでは何作か挑戦してきたのですが、ようやく実現できたんですね。

――創立14年目なんですね。

蛭子そこまでの決断に至らなかったんですね。折に触れ、「何を作ろうか」とは考えるのですが、毎回受託タイトルに全力を注いでいるうちに、自社パブリッシングタイトルにまでは頭が回らなくなってしまったというのが現状でした。お付き合いのあるパブリッシャーさんのタイトルは、とにかく全力ですね。そもそも、そことお仕事をしたいがために独立したという一面もあるので、いっしょにお仕事をできているのは、とても光栄なことです。

――それが14年目にしてなぜ決断したのですか?

蛭子やっと決断できたといったところでしょうか(笑)。任せられそうな人材が育ってきたこともあり、「やってみようか!」ということです。

 あとはゲーム業界のスタイルが変わってきたということもあります。ここ数年インディーゲームが盛んになってきて、自社パブリッシングでダウンロード販売をする開発スタジオも増えてきましたよね。パブリッシングに対する敷居が下がってきて、「ここが出せるなら、うちも……(笑)」と、後押しをしてもらったというのはあります。

――まあ、丸めて言うと、“機が熟した”といったところでしょうか。

蛭子そうですね。でも、企画のスタートはあっさりとしたものでした。私が「こういうの遊びたいから作ってよ」みたいな感じで、担当ディレクターに要望を出しました。「対象年齢は考えずに、無茶苦茶難しいアクションシューティングにして、気持ちよくしてほしい」くらいの感じです(笑)。あとは、「『マッドマックス』みたいな感じにして」とは言いましたね。

――それが、『MONKEY BARRELS』ですね。

蛭子個人的にはもうちょっと尖ったタイトルでもいいのかなとも思ったのですが、“グッド・フィール”のタイトルだからということで、幅広い年齢層が楽しめるタイトルにまとめてくれました。

――ああ、蛭子さん的には、“グッド・フィール”ブランドだから……というのは、あまり気にされないのですね?

蛭子基本的に重視しているのはおもしろさで、おもしろくて必要性があれば、ブランドイメージ云々は気にしないです。たとえば残虐表現があったとしても、おもしろくあれば、自分的には規制することはないです。

――結果として手応えはいかがですか?

蛭子よくできたかなと大きな手応えを感じています。

――初パブリッシングタイトルをリリースしてみての気づきなどありますか?

蛭子スタッフが生き生きとして作ってくれたので、うれしかったです。初パブリッシングということで、スタッフもいろいろと思うところはあるのかな……と心配だったのですが、みんなでまとまって作れたのでよかったです。まあ、担当ディレクターは、グッド・フィールの初パブリッシングタイトルということで、相当プレッシャーは感じていたようですが……。

――まあ、それはそうですよね(笑)。責任重大ですものね。

蛭子ユーザーからのご意見もたくさんいただけて、直接ご意見をいただけるのもいいものだなあと。パブリッシャーとしてやるときに、“ユーザーと直接つながりたい”というのがひとつの目的としてあったので、いろいろな意見がもらえてよかったです。「次回作に期待しています」みたいなコメントもあって、じーんときましたね。

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14年目の決意ということで、2019年にリリースした『MONKEY BARRELS』。サルと家電ロボットによる戦いを描く、見下ろし型のアクションシューティング。
『MONKEY BARRELS(モンキーバレルズ)』公式サイト

大阪事務所を設立して、さらなる先を目指す。大阪での人材も募集中

――今後の自社パブリッシングタイトルの予定などはありますか?

蛭子受託開発をメインとしながらも、定期的に自社タイトルも出していきたいです。それこそ今年設立したばかりの大阪事務所ではオリジナルタイトルを開発中なんですよ。

――なぜ大阪に事務所を設立したのですか?

蛭子私はもともと大阪出身なんです。ゲーム業界に就職し大阪、東京での仕事を経験したのですが、「大阪という地域だからこそ生み出せるタイトルもあるのではないか?」と思っていたんですね。それで、大阪事務所を立ち上げたいとずっと思っていて、2年前から準備を始めて、やっと始動した感じです。

――地域ごとに違うものができるという考えは興味深いですね。

蛭子まあ、いまどき違わないかもしれないような気もするのですが、ノリ的な部分も含めて気質的には違いがあるのではないかと考えています。大阪人はお笑いが好きで、わりとコミカルなものにもセンスがあるのではないかと。大阪事務所では、コミカルなお笑いアクションゲームを作りたいと思っています。しかも、日本を舞台にしたアクションゲームですね。

――日本を舞台にした、ですか? なぜ日本を舞台に?

蛭子はい。最近のタイトルはワールドワイドで作ることが前提ですが、コミカルな表現というのをワールドワイドで考えるのは難しいと判断したので、だったら国内向けに日本人にわかるコミカルなお笑いアクションを作ろうと振り切った感じです。まあ、完成したら世界でも売ることにはなるとは思っています。大阪で作ったコミカルなタイトルがどこまで世界に通用するか未知数なのですが……。

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現在大阪事務所で開発中のグッド・フィールオリジナルタイトル第2弾のイメージボード。まさに純和風のテイストになるようだ。東京事務所との共同体制で制作する予定。

――開発スタッフはどのような感じで?

蛭子当社の東京の事務所で働いていて、大阪に事務所ができるのであれば……ということで、大阪へ帰りたかったスタッフがいまして、彼らがコアになって取り組んでいます。

――発売はいつくらいを想定しているのですか?

蛭子2021年中の発売を目指しています。対応プラットフォームは、『MONKEY BARRELS』で実績のあるNintendo Switchを考えています。

――ちなみに、パッケージに対するこだわりは?

蛭子あります。パッケージには挑戦したいと思っています。どうなるかわかりませんが……。ちなみに、『MONKEY BARRELS』は、『Dusk Diver 酉閃町』などでおなじみのJUSTDAN INTERNATIONALからお声かけいただきまして、12月10日にパッケージ版をリリースしていただくことになっているんですよ。

――それはすばらしい。

蛭子それもあって、第2弾オリジナルタイトルは自社でパッケージもやりたいと思ったのですが、できたらいいですね。

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大阪事務所でのミーティング風景。ホワイトボードには次回作の気になる注意書きが……。

――しかし、2005年に創業して、2018年まで受託開発を中心に展開してきたのが、2019年に初の家庭用ゲーム機向けをリリースして、2020年には大阪事務所を設立して、オリジナルタイトルのパッケージ版がリリースと、ここ2年で一気に怒涛の決断をされている感じですね。

蛭子そう言われると怖いですね(笑)。ダウンロードで自社パブリッシングがしやすくなったのがきっかけで、そこから堰を切ったように展開しているというのはありますね。今回のタイトルも大きな挑戦にはなるのですが、自社パブリッシングタイトルは今後も継続していきたいと思っています。

 で、大阪事務所設立にあわせて、アクションゲームを開発する人材を応募しているんですよ。

――どのような人材を募集しているのですか?

蛭子とくに高いハードルを設けているわけではないのですが、大阪事務所ではこれから新しいゲームを生み出そうとしていますので、それに賛同してくれる人。経験がある人はもちろん、経験がない人でも熱い思いを持っている方であれば大歓迎です。

――これまでの経験則から、「こんな人だったらうまくやっていけそう」といったことはありますか?

蛭子“やる気がある人”とは、人材を募集するときによく挙げられるポイントですが、モノ作りってツラいときは本当にツラくて、気持ちが萎えるときもあります。よく“ダークサイド”などとも言われますが。そういう意味でいうと、求められるのは、本当にやる気があって、くじけない精神力の持ち主でしょうか。ゲーム開発に必要なのは、最後は前向きになれる気持ちだとは、私は古い人間なので思っています。

――もしかして、さきほどお話に出た、クリエイティブな体制作りにおいても、“いかに前向きにやっていけるか”というのは重要なのかもしれないですね。

蛭子そうですね。いかに前向きにタイトルと向き合っていくかですね。集団でやっていると意見が通らないこととか、自分で納得できないこととかもあるのですが、あきらめずに“いかに前向きに考えていくか”は大切ですね。

――とくに求めている職種などはありますか?

蛭子プログラムやデザイン、プランナーなど全般で募集しています。当社のことが気になったら、とりあえず応募していただければと思っています。

 グッド・フィールは風通しのいい会社だと思っています。スタッフ全員が参加してのゲーム作りを目指していますので、自分の職種で力を発揮したいという人はもちろんのこと、関わろうと思えばゲーム開発全般に関わることができます。やる気のある人はぜひ応募ください。

グッド・フィール採用応募ページ

――大阪事務所ができることによって、蛭子さんが理想とするゲーム体制作りにさらに近づくということもありそうですね。最後に、20周年、25周年を見据えての、グッド・フィールの今後の展望をお教えください。

蛭子15周年に際して当社のホームページに“「いいかんじ」のさきへ”と書いたのですが、会社としてステップアップを目指し、新しいコンテンツ作りに精進していきます。これからのグッド・フィールにぜひ、ご期待ください。

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