今回お届けするのは、オムニバス作品とでも言うべき『198X(イチキュウハチエックス)』。発売元はハチノヨン(8-4)で、開発を担当するのはHi-Bit Studiosによる1作だ。本作を推すのは、「“ゲームと人の歴史”というテーマに敏感なゲーム戦士。インディーゲーム自体、その結晶であるケースが多いので楽しいです」という、戸塚伎一(80年代≒10代なライター)。なお、本作は、Nintendo Switch版が配信中で、プレイステーション4版の配信日は未定となる。

【ココが推し】

  • 絵画のような趣きがあるピクセルアート
  • 1980年代に10代を過ごしたゲーマー向けの物語世界
  • テレビゲームの形式を用いた、新たなポエム表現

 「私はテレビゲームが好きです」と言うときに一抹のやましさを感じるのは、「ゲーム業界にいるのなら当然やっているでしょう」という旬のタイトルをちゃんとやっていないとか、現在進行形のタイトルも全トロフィー獲得やら実績コンプリートするほどやり込んでいないとか、そもそもたいしてうまくないとか、いろいろと理由があります。ゲームはただ好きじゃダメというか、どこかに“リアルタイム感”がともなっていてこその側面があります。プレイしているその瞬間瞬間が“いままさに自分自身に起きている出来事”として圧倒的なリアリティーを持つことがテレビゲームの特性であり、それゆえ、一歩引いた冷静な評価をされにくい原因にもなっているのではないでしょうか。

 そんなことを『198X』をプレイしておもしろいと感じ、世間の評価が決してそうでもないことを知って思いました。スウェーデンの元ゲームメディアライターが中心になって制作したという本作は、ゲームのリアルタイム感重視で紹介するのであれば“5つの1980年代風ゲームをストーリーに沿ってゲーム内ゲームとして実際に遊べるオムニバス作品”となります。

第1のゲーム内ゲーム『Beating Heart(ビーティングハート)』。ゲームプレイ部分はシンプルでかなり短めですが、ラストの演出はプロローグとしてはまずまず。
第2のゲーム内ゲーム『Out of the Void(アウト・オブ・ザ・ヴォイド)』は、そこそこ攻略意識が必要なバランスに「おっ」とくるものの、やはりこれからというところでゲーム終了。メインストーリーに絡む演出もずっとこの路線なのかな……と多くのユーザーはここで不安になったはず。

 本作が多くのユーザーに与えた誤解のひとつは、収録されている“ゲーム内ゲーム”それぞれが、レトロテイストなりにしっかり楽しめそうな作品に見えたことです。実際ひとつひとつを遊んでみると、よくできています。グラフィックは1980年代というよりむしろ1990年代以降のテイストかなと思う表現もありますが、ピクセルアートとしての完成度は高めです。サウンドもFM音源+サンプリング全盛期を思わせる、ほどよい当時風味。各タイトルのゲームシステムは、シンプルなりに“ネタ元”の雰囲気を味わえる、しっかりとポイントを押さえたものにまとまっています。

 その一方で「いずれもさあこれからというところ(体感的に1〜2ステージぶん)で強制終了」、「プレイの感触がまるで1980年代&アーケードっぽくないゲームがある」、「メインストーリーが序章程度の内容しかなく、その上To be continued」……など、よくわからないけど安くていっぱいゲームが遊べそうだと購入した人にとって格好のツッコミどころが多数存在するのもまた事実。本作のコンセプトを肯定的に受け止めていた私ですら、ゲーム内ゲームの演出として表現された主人公の心理描写に関して、最初のふたつのゲーム(格闘アクションとシューティングゲーム)の時点では「この程度か?」と、テレビゲームのリアルタイム感に流された評価を下しそうになりました。

それまでの流れを完全に払しょくしたのが、第3のゲーム内ゲーム『The Runaway(ランナウェイ)』。さんざん遊びつくしたドライブゲームを漫然とプレイしている時の思考の流れ具合、“どうやっても近づけない景色”として表現される都市への憧憬……など“ゲームとモラトリアム”の関係をよくぞプレイ体験とともに表現してくれた! と興奮しました。
第4のゲーム内ゲーム『Shadowplay(シャドウプレイ)』のゲームデザインは、『198X』の基本コンセプトから大きく外れてしまっている印象。とくに、苛立ちや焦燥感の演出として登場するクリーチャーの外観が、2000年代公開の某劇場アニメの登場キャラのわりとストレートなオマージュな点はどうにも肯定的に解釈しがたく、「おい、どうしたよ……」となりました。古代祐三氏のサウンド提供で浮き足立ってしまった?

 しかし、そのつぎのドライブゲームをプレイして印象がガラリと変わり、最後のRPGによって「やはり『198X』はテレビゲームの凄いところを突いたゲームだったんだ!(大いに誤解を招きやすいトータルバランスだけど)」と確信しました。

 本作のゲーム内ゲームは、ゲームとして単体で楽しむためのものではなく、“モラトリアムを過ごす場所をテレビゲームのリアルタイム感およびそれを取り巻く現実空間(ゲームセンター)に求めた青年の物語”にリアリティーを宿らせる、ひとつひとつの表現形式です。別の言いかたをすれば、あとはゲーム単体としてのおもしろさを盛りつけるだけ……となったテレビゲームの“古風な器”。どこまでが器の要素で、どこからがゲームとしてのおもしろさの要素なのかは、プレイ中のリアルタイム感が絡んでくることもあって厳密に分けがたいところではありますが、ともかく本作は、1980年代からあれこれ考えながらゲームを遊んできたおっさんゲーマーにとって、テレビゲームとともに歩んできた自身の価値観や美意識を根拠に成立しうる、それ以前の時代には存在しなかった形式のポエムとして非常に味わい深いものでした。

本作を締めくくる第五のゲーム内ゲーム『Kill Screen(キルスクリーン)』は、『The Runaway』と並ぶ出色の出来。理不尽な戦闘バランスに挫けることなく黙々と迷路をさ迷い、経験値を上げることで現状を打開していく……というRPGの大まかな流れ“だけ”をコンパクトに体験できます。これこそまさにテレビゲームの“器”としての使いかたでしょう。アーケードゲームの話じゃなかったのかよ、というごく真っ当なツッコミにたいしては、「何らかの理由でゲーセンに行けない→家でプレイするしかない」という二重の抑圧表現だから……とゲーム制作者に代わってお答えしておきます(本当にそうかはわかりませんが)。
テレビゲームそのものを愛するゲームが成立してしまうのもある意味インディ―ゲームの醍醐味。
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