1990年4月27日にファミコンで『ファイナルファンタジーIII』(以下、『FFIII』)が発売されてから、今日(2020年4月27日)で30周年。
『FFIII』は、ファミコン最後の『FF』新作で、シリーズでおなじみとなるジョブチェンジシステムや召喚獣を初めて採用するなど、以後の『FF』シリーズの礎となった作品だ。
今回、そんな『FFIII』でゲームデザインを務めた田中弘道氏(現ガンホー・オンライン・エンターテイメント執行役員)と、ジョブなどのデザインを担当した石井浩一氏(現グレッゾ代表取締役)に、『FFIII』に関するお話をお伺いすることができたので、そのミニインタビューをお届けする。
余談だが、このおふたりは『聖剣伝説3』の生みの親として、リメイク版『聖剣伝説3 トライアルズ オブ マナ』のインタビューをさせていただいており、『FFIII』はそのインタビュー内で、併せてお聞きしたものになる。おふたりの『聖剣伝説3 トライアルズ オブ マナ』のインタビューは、週刊ファミ通2020年5月7日号(2020年4月23日発売)に掲載されているので、こちらもお見逃しなく!
田中弘道氏(たなか ひろみち)
ガンホー・オンライン・エンターテイメント執行役員。『FFIII』当時はスクウェアに在籍し、ゲームデザインを担当。
石井浩一氏(いしい こういち)
グレッゾ代表取締役。『FFIII』当時はスクウェアに在籍し、ジョブなどの“ドットキャラクターデザイン”を担当。
改めて聞く『FFIII』開発秘話
――『FFIII』と言えば、ラストダンジョンの長さがしばしば話題に上がりますが、デバッガーの方が「(このままじゃ)歯応えがない」と言ったためにあの仕様になったとお聞きしました。
石井そうです。坂口さん(坂口博信氏。『FF』シリーズの生みの親)がムキになっちゃって、「じゃあ変えてやるよ!」と言って、セーブポイントがなくなりました。
田中そのデバッガーは鈴木敏章といって、いまはプランナーとして『FFXIV』チームにいるんですけどね。昔は高校生のバイトで生意気だったんですよ、「これじゃカンタンだ」って(笑)。
――考えてみると、『聖剣伝説3』も『FFIII』も、ハードの移行期に出た作品という点が共通していますね。
田中たいへんでしたね。スーパーファミコンが来るということがわかっていたので(編注:スーパーファミコンの発売は1990年11月21日)、開発を遅らせられなくて。プログラムを担当していたのはナーシャ・ジベリ(『FFIII』の飛空艇シーンなど、当時では異例の処理を行うプログラムを担当)でしたが、ビザが切れて開発途中でアメリカに帰っちゃったんです。それで、アメリカに機材を持ち込んで開発を続けることにしたんですが、坂口さんが税関で捕まって……。
――ええ!
田中入国の目的を聞かれて、僕は「ビジネス」と答えたんですが、坂口さんは「サイトシーイング(観光)」とか言ったんじゃないですかね(笑)。大量の開発機材を持っているのに。それで別室に連れていかれて、僕は1時間くらい待ちました(笑)。そういうわけで、『FFIII』の開発最後の2ヵ月近くはサクラメントで過ごしていまして、コンドミニアムでカーテンを閉め切って作っていましたね。プールがあったので、昼になったら泳ぎに行ったりもしたなあ。
――その後もスクウェアは海外で開発を行いましたが、その先駆けとなったわけですね。石井さんもサクラメントに行ったのですか?
石井いえ、自分は『FFIII』の開発中は、『魔界塔士サ・ガ』のチームにいたので。
田中『FFIII』ではキャラクター関係だけ、石井くんにやってもらったんです。
石井ある日、坂口さんが自分のところにきて、「ジョブのキャラクターを描いてくれないか」と。でも、「イヤだ」って言ったんですよ(笑)。その後もう一度頼まれて、また断ったんですが、坂口さんがそれでも「やってほしい」というので、そこまで言うなら……と3度目に引き受けました。でも、そのときに条件を出したんです。「デザインと、ドット絵のアニメーション全部を自分に任せてくれるならやる」って。
――相当なパターン数ですよね。
石井そのとき、まだジョブの特性ははっきりとは決まっていなかったんですけどね。どういう魔法が使えて、どういう装備を身に着けるか……という概要はあったんですけど。それで、坂口さんたちがどうしようかと話し合ってるところに、私のほうから「ナイトだったら“かばう”とか、シーフだったら“ぬすむ”とか、そういうコマンドがあればいいんじゃないの」と言ったら、坂口さんが「それだ」って。それで方向性が決まって、自分の頭の中でジョブの設定をどんどん妄想していきました。あとはほとんど、ドットを打ちながらデザインしましたね。
――『FFIII』のドット絵は、ジョブによっては両目が見えるのが、『FFII』と違って印象的でした。
石井当時、キャラクターをメタルフィギュアにしたいなと思っていたんですよ。ちょっと(キャラクターを)傾けたら立体感を出せるよな、と思って、いちばん最初に挑戦したのが、たまねぎ剣士だったと思います。傾けたら見えかたがおかしくなるかな? とも思いましたが、アニメーションさせてみたら意外といけたので、「これだ」と。かわいい系のジョブは、だいたい傾けていますね、白魔道師とか。
――なるほど、フィギュア化を意識していたんですね。
石井アニメーションもそれぞれ、ジョブごとに変えました。たとえば、魔剣士は戦闘不能になると、甲冑だけになります。それはなぜかというと、暗黒の契約で得た魔力によって魔剣士になったので、死ぬと契約の影響で肉体が消失するから……という設定で。あと、白魔導師の服のだんだら模様は、染色だと思っている方が多いようなのですが、あれは刺繍なんです。魔法を唱えながら紡いだ糸で刺繍しているんです。だから、厚みがあるというイメージなんですよ。そういうのを頭の中でイメージしてデザインしました。
――石井さんの世界観作りへのこだわりが、デザインにも活かされてるんですね。
石井そういうこだわりを入れると、細かい部分でも、意外と気づいてもらえるんですよね。伝わるときは伝わるものだ、と思っています。そういえば、たまねぎ剣士という名前は、田中さんが決めたんだよね。
田中兜が、たまねぎの芽が出た状態に見えたから、「たまねぎ剣士でいいじゃん」って(笑)。
石井たまねぎ剣士は、赤ちゃんっぽい感じにしたかったんですよ。ダンボール製の鎧を身にまとった子どもが、木の剣を持って戦っている、みたいなイメージで。だから兜の飾りをふわふわさせて。
田中ダンボールと言えば、僕が退職時にスクウェア・エニックスに残した箱の中に、『FFIII』の資料が入っているはずなんですよ。『FFII』までは、ゲームを作りっぱなしにしていたんですが、「このままだと、何も残らないよ」と坂口さんが言って。『FFIII』から、ちゃんと企画書を作るようにしたんです。マップも、『FFII』ではエディタに直接打ち込んでいましたが、方眼紙に描いて残すようにして。たぶん、堀井雄二さんの影響だと思いますけど。
――その宝箱、ぜひ発掘していただきたいですね……!