『デイトナUSA』で華々しくデビューを飾り、近年では『龍が如く』シリーズの総合監督としておなじみとなった名越稔洋氏。クリエイター活動30年周年を振り返るインタビュー後編では、セガの取締役となるまでの知られざる秘話、そして名越氏の感じるいまと未来が語られる!

セガ名越氏クリエイター活動30年記念インタビュー 後編

 ゲーム業界に興味のある人間であれば、その名を知らない人はいないであろう著名クリエイター・名越稔洋氏。同氏の半生を振り返るインタビューの後編では、セガの取締役になるまでの逸話、そしてクリエイターと取締役というふたつの立場を併せ持つ名越氏から見たゲーム作りというものについて語ってもらった。ゲームファンはもちろん、ビジネスパーソンから見ても胸を打つような熱い想いを秘めたその言葉の数々は……まさに一見の価値あり!

【インタビュー前編はこちら】

任天堂と仕事をしたことが、セガの役員になる一因だった

――『スパイクアウト』のリリースからしばらくして、ドリームキャストを最後にセガが家庭用のゲームハード事業からの撤退を表明することになりました。当時名越さんは、そのことをどう捉えていたのでしょう?

名越それまで業務用(アーケードゲーム)の仕事ばかりしていた俺は、当時のドリームキャストを取り巻く環境のことをよく知らなかったので、「家庭用ハードからの撤退は残念だな」くらいに思っていたんです。ただ、「これでセガはソフトハウスになるんだな」と思ったとき、急に家庭用ゲームに興味が沸き始めて。というのも、「これで大手を振って他社のハードのゲームも作れるんだ」ということに気付いたんです。それで、すぐさま任天堂さんに行って。

――行動が早いですね(笑)。

名越向こうは「レースゲームですか? 格闘ゲームですか?」みたいな感じだったんですけれど、俺は『スーパーモンキーボール』というソフトを作ることにしました。

――なぜ得意なジャンルのゲームを作らなかったのですか?

名越手持ちのカードをどこから切るか考えたときに、得意なジャンルよりも初のファミリー向けタイトルを作りたいと思って。だって任天堂のハードですからね。……そういう意味では、セガの看板を背負ってゲームを作るという意識はかなり薄かったかもしれないです(笑)。

――それはそれでいいんじゃないですか?(笑)。

名越俺としては『スーパーモンキーボール』で経験値を溜めたいという気持ちがすごくあって作ってみたんですが、日本でぜんぜん売れなくて。「これは、やっちゃったなあ」と思っていたら、海外でヒットしてくれたんです。でも、正直な話、俺は何で売れたかなんてぜんぜんわからない。そんななか、当時のセガの社長に呼ばれて「お前はちゃんと海外を見ていたんだな」って褒められたんですよ。もちろん「そうです!」って答えましたけどね(笑)。

――あはははは!(笑)。

名越それ以降、任天堂さんともっと深く仕事がしてみたくなって、『バーチャストライカー』を移植したりしながら、『F-ZERO AX(GX)』につなげていきました。このとき、『F-ZERO』シリーズを受託する形で仕事をさせてもらって、任天堂さんのゲーム作りの哲学を学べたことは非常に幸運でした。マリオクラブの存在であるとか、セガと任天堂さんのゲーム作りの流れの違いであるとかを知れたので。

――2社でそんなに違うものですか?

名越まったく違いますね。そのおかげでセガに欠けていたものに気付くようになったし、逆にセガのいいところもわかるようになりました。どちらが正解なのかと言われれば、「正解がないものでもあるな」とも思いましたけれど。やっぱりそれぞれの会社に“イズム”というものはありますからね。セガのスピード感はやっぱり武器のひとつですけど、会社の指標が利益ならスピード感だけではダメだし。

――具体的に、任天堂さんのスゴさはどこだと思いましたか?

名越普遍性や汎用性に対するモノの考えかたが驚くほどしっかりしているんです。「何か特別なことに都合がいいかどうか」ということに対しては、あまり興味がなくて。「誰にとっても」というのがすべての前提で、その主語や前置詞を絶対に変えないんです。しかも、その思想はトップから新入社員にいたるまで浸透しているんですよ。「上はああ言っているけど、現場では」みたいなことが本当にない。この一体感はすごいと思いましたね。「こういう考えかたをしているなら、そりゃあ家庭用ハードにおいてセガには勝ち目がないよな」と思い知らされました。

――さすがは任天堂、といった感じですね。

名越任天堂さんに比べれば、セガはある意味チャラい会社でしたからね。でも、チャラいからこそ「いっちょやってみるか」みたいな気持ちになるもので。そういうノリがなければ、俺は勤め続けていられなかった気がします。もしも任天堂さんに行っていたら、きっと早々にこの業界を去っていたでしょうね(笑)。

――社風が合う、合わないもありますからね。

名越そうなんですよ。まあ、そうやって任天堂さんと仕事をしてみて、セガがダメだなと思うようなことを上司に提案するようになって。それが後に経営という仕事を任されるようになったきっかけのひとつだと思います。

――なんと、任天堂さんとの仕事がそんな方向に転がっていったのですか!

名越間違いなくひとつの節目だったと思いますよ。もちろん、2000年にセガが分社化したことも影響していますけれど。

――そうでした。名越さんはアミューズメントヴィジョンの代表取締役でしたね。

名越ある日突然、「部長は分社の代表取締役になれ」って言われるんですから、その怖さはなかなかのものでしたよ。まあ、分社の社長……要はかつて部長だった者どうしのつながりはもちろんあったので、いろいろと話をしていて。ある人は攻めに転じましたし、ある人は足場を固めていました。「俺はどうするんだ?」と考えたとき、まずは利益を出さなければならないだろう、と思って。それもあって、より深く任天堂さんと仕事をしたかったという側面もありましたね。『バーチャストライカー』シリーズは安定的な人気はありましたし、『スーパーモンキーボール』もたまたまではありますが、広がりがある売れかたをしてくれました。また、『F-ZERO AX(GX)』も開発していて、当時は「この3本柱を足場につぎのステップに進んでいけばよさそうだな」と思っていて。分社化して1年目は少し、2年目はそれなりに利益が出て、「さあここから!」というときに今度は「分社制がなくなるぞ」という話になってしまうんですが。

――なるほど。

名越そのタイミングで小口(久雄)さん、中(裕司)さん、俺の3人が社長に呼ばれて「役員として本社に戻って来い」と告げられたんです。3人が選ばれた理由は、分社時代に稼げていたかどうかと、本社と取っていたコミュニケーションの中身が指標になっていたようでした。ただ、家庭用向けソフトでトップを走っていた中さんと、メダルゲームやカードで遊ぶアーケードゲームの仕組みを手掛けた小口さんに比べると、俺はどっちつかずなんだけどな、とも思っていましたね。

――いやいや、そんな(笑)。

名越分社制終了時に組織再編が行われたのですが、俺の管轄になったのがアミューズメントヴィジョンとスマイルビットでした。アミューズメントヴィジョンは業務用タイトルの経験値が高いメンバーが中心の会社で、売り上げ的にはほぼ黒字しか経験がないというチーム。一方のスマイルビットは家庭用で『つくろう』シリーズや『ジェットセットラジオ』シリーズなど、それなりのIPは作っていたけど、売り上げはそれほどでもない。でも、基礎技術力はメチャクチャ高いメンバーが中心の会社でした。俺はまず「このふたつの会社のメンバーを組み合わせたとき、どんなゲームを作ればいいんだろう」と考えて。

――そもそも、業務用にするのか家庭用にするのかも悩みますね。

名越そうなんです。「人気のある家庭用の『つくろう』シリーズにお金をかけるべきなのかな? それとも自分のやってきた業務用に傾倒していったほうがいいのかな?」とかいろいろ考えたんです。で、それなりに長いあいだ考えて出した結論が「AかBかの選択をすれば、いずれにしても選ばれなかったほうに不満が残る。それならばCを選択しよう」というものでした。当時は意識していませんでしたが、このあたりは“鈴木裕イズム”ですよね。まったく作ったことがないIPを作ることで、お互いの持ち味を活かして努力し合えるような環境を作りたいと思ったんです。

――勇気の要る決断ですね。

名越オリジナルのIPを作るのは冒険です。でも、底支えするコンテンツはお互いに持っているので、そこを大事にしていけば問題ないじゃないか、と。「じゃあ新規IPって何なんだ?」というところから……すったもんだした末に生まれたのが、『龍が如く』だったというわけです。

――なるほど! 『龍が如く』が生まれるまでには、そういう背景もあったのですね。

名越まあ、ふたつの組織がいっしょにするというのは決して簡単ではなくて。まして新しいチャレンジをするとなると、根っこの部分は活かせるんですが、表面的なスキルに関してはすべて忘れなければならないような状況になります。でも、そのチャレンジをすることで、ふたつの組織がアグレッシブにひとつになっていけた。当時、そこまで計算尽くでやっていたわけではないんですが、振り返れば価値の高い選択だったと思います。

――それもひとつのターニングポイントだったわけですね。

名越そうですね。もちろん摩擦や軋轢が強い状態ではあったので、そのタイミングで辞めてしまった人もいました。それを恐れずにCという選択ができたのは、当時の俺は若かったからということも理由のひとつだと思いますね。

――お互いにいいモノを作ろうとしているからこそ、衝突があるというのは避けられないところはありますよね……。

名越実際、どっちもクリエイターとしてのプライドは持っていましたし、主張も強かったですからね(笑)。「売り上げは俺たちのほうが上だ」とか「技術は俺たちのほうが上だ」みたいなマウントの取り合いになって。正直「どっちもどっちなんだよ」とは思っていましたが、クリエイターとしての気持ちもわかるので、表立って言うこともできず。最終的に「どっちを取るの? みたいな話なら俺はどっちも取らないよ!」って。いやあ、若いってすごいですよね(笑)。

――あはははは(笑)。

名越そういった環境があったことに加え、当時の俺はクリエイターとして脂が乗ってきて、さらに経営という感覚も少しずつわかってきて……という状態でした。そのすべてがあったからこそ、『龍が如く』が生まれたというところもありますね。もちろん、題材としてやりたかったというところもありますが、あの組織、あのタイミング、あの状況に置かれた俺があったからできたことだとも思っています。経営を見るとかそういうところは、自分が望んだものではなかったんですけれどね。

――そうだったんですか。

名越役職で言えば、部長まではみずから求めてなったところはあります。自分のやりたいことを貫くには昇進するしかなかったから。部長になると自分がひとつの傘になってある程度采配をできますしね。そこで落ち着いていたんですが……分社化という外的要因を受けて、唐突に経営者になっちゃった感じです。本社に戻って役員をやるというのも、自分が望んだことではないですし。

――でも、それはそれで勉強になったのではないですか?

名越役員としての仕事ももちろんですが、どちらかと言えば『龍が如く』を通じて、ひとつのIPを育てていくという経験が、このころにできた価値のある学びでしたね。やってきたことを見ればわかると思いますが、作るジャンルもコロコロ変えていたし、そもそもひとつのIPを何年も続けるっていうことは得意じゃないんですよ。そんな人間が15年くらい続くこの『龍が如く』を作り続けてきたっていうのもおもしろいですよね。そして、ひとつのIPを作り続けたからこそ、効率化であるとか、利益を生み続けるための手法や手段、マーケティングを考えるようになって。それぞれのメリットやデメリットをその都度学んでいけたのは、すごく意味があったと思います。

業界歴30年の名越総合監督が感じる、いまと未来

――経営者としての名越さんにうかがいたいのですが、その道は決して平坦ではなかったのですよね?

名越苦しい時期もありましたね。ただ、そのころは『ファンタシースターオンライン2(PSO2)』の売り上げが支えてくれました。まあ、『PSO2』も開発中は遅延と追加申請の雨あられで、それはそれでたいへんだったんですけれど(苦笑)。でも、『PSO2』の開発にお金がかかった時期は業務用のゲームと『龍が如く』が支えましたし、『PSO2』が安定期に入ってきたころには、また新しい仕込みができて。そういう流れを考えると、本当に会社って生き物みたいなものなんだな、と思います。

――そうやって苦しい時期抜けられたのも、キチンと種を植えているからこそ、だと思います。

名越そうですね。まあ、その種の植えかたというのもセガなりというか。もっととんでもない花が咲くようなものを世の中は求めているような気がするんです。俺も50歳を越えて業界歴も30年になりますが、いまだに「咲かせたことのある花をより多く、美しく」というよりも、「見たことのない花を咲かせたい」という気持ちのほうが強いですし。また、そういう仕事に携わる機会を部下たちにも作ってげたいと思っています。ただ、そのためにはまず、適正なビジネスを積み上げていける会社にしたいなと。

――大ヒットを狙うのはやはり難しいですか?

名越もちろん大ヒットは夢なんですが、それを作れるかどうかには、組織的な都合とか、世の中の状況とか、不確定なものに大きく左右されます。『龍が如く』だって、ここまでの大ヒットは狙ってやれてはいない。純粋におもしろいものが作られていて、その瞬間にゴッドブレスが吹けば、大ヒットになることはあるんですけれど。そうそう、俺がヒットメーカーの仲間入りを果たしたとき、人から言われていちばん困った質問が「ヒット作の作りかたを教えてください」というものだったんです。それに答えはないし、不毛な質問ですよ。だって「絶対に幸せになる結婚のしかたを教えてくれ」って言っているようなものですからね(笑)。そんなの、年をとってみなければわからないじゃん、て。

――そうかもしれません(笑)。

名越だから、ヒットというものに過剰な期待をしたくない。とくにゴッドブレスに期待したり、ヘンに操ろうとするとモノ作りがおかしな方向に行きそうなので。

――ああ、確かに。

名越組織もモノも世の中も、いまは多様化の時代って言われていますけど、欲しいものにお金と時間を使ってよろこびを得ようする行為は、いつの時代もいっしょなんです。物事って複雑に見えているだけで、じつは複雑じゃない。大人たちは「そう単純じゃないんだよ」と言うけど、そのウソに騙されちゃダメだって心から思います。感動するもの基準とか、おもしろいとするもの基準とか、本質的なものは何も変わりようがなくて。それが変わったと思い込むほうが危険。ましてモノ作りをする側がそういう情報に踊らされて、売るための手法を操ろうとしちゃダメなんです。だってそれは、おもしろいものを作ることとイコールじゃないですからね。

――確かにそうですね。

名越それに……いまはスマホのゲームがヒットしたりもしていますが、立て続けに大ヒットを連発するような会社はいまのところ存在していないわけで。当たるか当たらないかの難しさは時代が証明しているわけです。だから、そこにへんなコンプレックスを持つ必要はないんですよ。むしろ、いまは本質的なモノが大事な時代ですからね。とくにスマホゲームというのは、昔みたいに売り逃げなんてできないですから、消費者にとってはいい時代だと思いますよ。前情報もあるし、リリースされた後の評価もダイレクトに出ますからね。もちろん情報の中にはフェイクもあって、情報そのものを見極める目を養わなきゃいけないという部分もありますけれど。

――それでも、本質的なモノに触れるハードルは昔よりは格段に下がりましたね。

名越そんな時代だからこそ、いまいちど初老とされている年代の人たちは、本質的な価値というものを若い人たちに伝えるいいチャンスだと思うんです。ただ、時代に好まれる基準点……トレンドは変わるものなので、それを否定しちゃダメですね。年を取るとトレンドはわからなくなってきて当然なので、そこは若い人の声を聞いて。

――けっきょくのところ、作り手は誠実に作っていくしかないということなのでしょうか?

名越そうです。ある意味正しい世界になってきていると思うんですよ。そんな環境のなか、ゲームに興味を持ってもらう、コンテンツに時間を割いてもらうのというのは、どういうことなのかを、純粋に考えていくしかないと思うんです。そしてクリエイターは真剣かつ純粋に、自分がしたためたアイデアを一生懸命に形にするしかない。そう考えると、けっきょく俺は鈴木裕さんから純粋なクリエイターであることの大切さを学び、いま改めて尊敬し直しているってことなのかもしれないですね。人間って結論が出るまでに相当時間がかかる生き物なんだな、って思いますよ(笑)。あとは、そういうクリエイターが活躍する舞台として、セガという会社があり続けられればいいな、と。俺はその環境をキープするための、底支えをする立場に回っていかなければならないと思っています。

――いまゲームにまつわるさまざまな部署をみている名越さんがそういう考えを持っていらっしゃるのは、現場の方たちにとってきっと心強いと思います。

名越とは言っても、クリエイター……モノ作りって、とどのつまり孤独な部分があるわけで。「いまの若い子たちが、その孤独に耐えきれるのかな?」と心配な気持ちは少しあったりもします。そんないま、俺がやっていかなければならないのは、かつての上司がやってくれたように我慢することであったり、場合によっては助けてあげることだったり。それが30年間メシを食わせてもらったゲーム業界へのお返しなんじゃないかと思うんです。立場上、それができるのは自分なんだ、という気持ちもありますしね。あと、最近は社員たちに「自分に余裕があれば、なるべく仲間を助けろ」ということはよく言うんです。いわゆる働き方改革みたいな話には逆行する言葉なのかもしれないけれど。

――でも、ゲーム作りはチームプレイですしね。

名越そう。お互いに声をかけるようになるということは、自分が困っているときに誰かしらが声を掛けてくれるようになる、ということでもあって。そういう助け合いができる会社でありたいんですよ。昨今は自分の仕事だけをやりきることに特化しがちですが、それはちょっと冷たい感じもするし。組織というよりは仲間でありたいな、と思っています。

――そう思われるのは、名越さんもそうやって人に助けられてきたからですか?

名越そうです。それこそ、鈴木裕さんの下から離れるときには会社を辞めようとしていたこともありました。当時は、鈴木裕さんはもちろん、その上司の鈴木久司さんにも「辞めるくらいなら自分の思うようにやってみろ」と言ってもらって踏みとどまれたところがあったんです。あとは、経営に携わるようになった時期にセガの業績が悪くて自分の責任を感じていたころもヤバかったですね。そのときはセガの会長をされていた大川(功)さんに「どうせ辞めるなら、ひと暴れして辞めたらいい。暴れずに辞めるのは勿体ない」って引き止められました。ほかにも「もう無理だ」って思う瞬間は何度もありましたけど、そのたびに助けてくれる人がいたんです。こうして俺が仕事を続けてこられたのは、決して自分だけの力ではない。振り返ると改めてそう思います。

――そこには上司だけではなく、スタッフの方々の力もあって。

名越もちろんです。俺は“『龍が如く』を作った人”って言われるけど、それは正しくなくて。例えば『龍が如く』を100人で作っていると仮定したら、俺以外の99人が俺に対して死ぬほどアドバイスをくれて、心血を注いで製品化できるようにしてくれた、というだけの話なんです。俺がブレーンで彼らがワークしているのではなく、全員がブレーン。俺の行きすぎた部分を彼らは抑えてくれるし、彼らが遠慮していることを俺が引っ張り上げたりする、双方向の関係なんです。そういう意味では、龍が如くスタジオというものが、俺がやってきた30年間の仕事のひとつの答えなのかもしれないですね。

――そうですね。龍が如くスタジオは名越さんのレガシーという感じがします。では最後に……けっこう語っていただいた感もありますが、今後名越さんがやっていきたいことを教えてください。

名越これからは新しい人たちがカルチャーを作っていくのだろうし、将来のセガを作っていくことになると思います。なので、いまは一生懸命その手伝いをしよう、と。今後、俺はもう何本もゲームを作れないと思うので……後進の育成にどうはどう当たるべきか、みたいなことを考える今日このごろです。