ハタチの女子ゲーマーが、約20年前に発売された『シェンムー』を2作ぶっ続けて全クリ。そして得た感想とは!?

『シェンムー 一章 横須賀』が発売された1999年当時1歳、そして現在20歳となった筆者が、いよいよ発売を迎えた『シェンムーI&II』を全クリアーしたので、終えてみての感想をお届けする。

 2018年11月22日、いよいよ発売となった『シェンムーI&II』。かつてドリームキャストで発売された“伝説”のソフト、約20年ぶりのリリースとあって、懐かしく楽しんでいる方も多いのではないだろうか。

 今回、発売当時を知らない20歳のライターである私に、本作のプレイレビューを書けというミッションが舞い降りてきた。私とほぼ同い年のゲームである。「大丈夫かしら」とやや不安な顔で編集者を見つめる私。

 ちょっと想像してほしいのだけど、自分が生まれたのと同じ時代のゲームって、もちろんおもしろいものもあるけど、どうしても古びてしまって、そうじゃないゲームだって、たくさんある。

 編集者は「いまの若いゲーマーが、予備知識なしで『シェンムー』をプレイしたときの感想を聞いてみたいんだよね」とだけ言い残し、パッケージを押し付けて去っていった。強引な男だ。

 そんなわけで、本稿では、若干20歳の駆け出しライターが、『シェンムー I&II』を全クリしてみて、感じたことを思いのまま書き連ねようと思う。

 まず、私こと亀井ライダーは、『シェンムー』の存在は知っていたが、プレイしたことはなく、でも興味があるという状態だった。「最近になってよく聞くなあ(もうすぐ発売なので当然)、実家にあったらプレイしていたけど、なかったからな……」などと思っていた。

 ところがどっこい、改めて親に聞いてみたら、家にありました。私が物心ついたときには、我が家の主流なゲーム機器はプレイステーション2だったので、ドリームキャストは押入れの奥にしまわれていたのだ。だから、そもそもドリームキャストが実家にあったことすら知らなかった。なんたる不覚……! 

 まず、簡単にあらすじを説明すると、『シェンムー 一章 横須賀』では、主人公・芭月涼(はづきりょう)が、父親・巌(いわお)を殺した謎の男を追い求め、またそのきっかけとなった“鏡”の謎を解き明かすために旅立つというもの。『シェンムーII』では、父を殺した男がいるという香港に降り立った涼が、亡き父の隠し持っていたもうひとつの“鏡”を手に、謎の男のゆくえと“鏡”の謎に迫っていくといった物語だ。

ゲーム開始後すぐに、天涯孤独の身となる涼。「なんてことだ……」と、開始早々衝撃を受けながらのオープニングだった。

“いま”でも感じた再現度の高さ

 というわけでさっそくプレイしてみたわけだが まず抱いた印象は、「1980年代の横須賀は、実際にこんな感じの街だったんだろうな」というもの。私は、当然まだ生まれていないので、実際の横須賀がどうだったのかはわからない。でも、強烈なリアリティーをもって、世界の現実感が私にそう感じさせた。それは、作中の登場人物がそれぞれ生活を営んでいること、その人なりのタイムスケジュールが組まれていて、たとえばパン屋さんなら朝はパンを焼いて、お昼は店番をして、夜になると片付ける……そういうことを全員がやっている。だからここは“街”なのだし、人々も本当にいるみたいに感じてしまうのだろうな。

 情報を集めるとき、まずは町の人に聞き込みをする。そして「そのことだったらあの人が詳しいかも」なんていう情報を得る。私は「あの人はさっきあそこにいたな」と、記憶を頼りにそこに行くのだけど……あれ、いない(その人も生活して移動するのだから、当たり前なのだが!)。涼(私)は「え~、どこ行ったの~」とドブ板を走り回っていた。

 時間と日付が自動で進み、時間に沿って天候が変わるという仕掛けも、自然とリアリティーを感じさせているのかもしれない。話の流れからいくと、つぎはこの店に行くべきだけど、気づけば時間が閉店時間を過ぎている。当然、お店は閉まっている、店内に入るには明日を待つしかない……ということも多々あった。ゲームセンターに行ったりひたすらガチャガチャをして、時間の有効活用もできるのだが、それも何度か続くと飽きてしまうので、わりと不便なところだなと感じた。

 ちなみに、「ダイヤル式の電話って使いかたわかる?(笑)」と編集者から聞かれたが、バカにしないでほしい。実家の電話はプッシュホンだったが、小学校に置いてある公衆電話はダイヤル式だった。だから知っているし使いかたもわかる。

ガチャガチャに勤しんでいたら、すっかり暗くなってしまった。ちなみに、現実で街灯がついたとき「もう19時か」と思いました。17時でした。しっかり『シェンムー』の世界に影響を受けています。

20年前の“最新”を、私はこう感じた

 そういえば、最初はまわりを見回す動作や、格闘シーンのボタン操作など、操作に慣れることに必死だった。しかし、操作に慣れると、「なんておもしろいゲームなんだ!」と『シェンムー』の世界に引き込まれた。

本編であるストーリーはもちろんのこと、本来の目的そっちのけで一日中ゲームセンターにこもる、なんてこともできてしまう。

 私がいまプレイすると、少しもっさりとして動きにくかったり、真後ろに方向転換するのを最初は不便に感じたりもしたが、発売当時はとても画期的な動きだったのだろうと思う。実際、人の動きはリアルに再現されていたし……やっぱり当時プレイしたかった!

 メモ帳が少しずつ埋まっていくのも、コンプリート要素が好きな私としてはうれしいものだった。しかし、このメモ帳、できるだけ空白がないようにと慎重に物語を進めていても、どこかで何かが足りないという現象に陥ってしまう(私だけでしょうか)。今回は先に進むことを最優先にしていたというのもあるが、「ものすごくスムーズに話が進むな」と思ってメモ帳を開くと、見開き2ページがまるまる飛んでいた、ということもあった。どこで何を見逃したのかわからない。うーん、悔しい。

資金調達の手段であるフォークリフトのバイトも、コツがつかめてくるとどんどんスピードが上がって楽しかったが、これから! というときにクビになる。もっと稼ぎたかった。

 『一章 横須賀』は、涼が船に乗っていざ香港へ! と言うところで終わった。あの何度か夢に出てきた少女は誰だろうとか、中国語の手紙を翻訳してもらっていたけど香港に行って果たして喋れるのかとか、いろいろと疑問は残ったものの、『II』に期待しておけということなのだろう。舞台が香港ということは、あの謎の男の本拠地みたいなものだろうから、やっと謎の解明に一歩近づいた気がする。『II』が楽しみ。

格好いいのは涼さんだけじゃない!

 さて、横須賀から香港へと場所が移ったわけだが、『II』を初めて最初に思ったことは「涼めっちゃふつうに会話してますやん」だった。まあ、船内での時間もあったことだろうし、そこは地道に努力したのだろう。

 初めての海外、見るもの出会う人、すべてが目新しい。ふつうに町を歩いているだけで、ちょっとした旅行気分を味わえた。まあ、到着早々スリに遭うという洗礼を受けるのだが。それでも、何かと気にかけてくれるジョイや、後半にかけて慕ってくれるウォンなど、さまざまな人に出会うのだが、中でも私はレン(刃 武鷹・れん うーいん)を推している。登場してすぐは「なんだこいつ、イヤな奴だな」と思っていたのだが、行動をともにしていくうちに、いっしょに敵を倒してハイタッチしたり、仲間思いという一面がわかって「あ、格好いいな」と。我ながら、私けっこうチョロイ。

裏切ったくせに助けに来てくれたりするんです。本当はいいやつ。

格闘バトルと苦労したQTE(クイック・タイマー・イベント)

 『シェンムー』の魅力のひとつでもあるが、やはり格闘バトルはすばらしかった。格闘ゲームをあまりしたことはないのだけど、とても楽しかった。なかなか出したい技が出なかったり、敵にうまく攻撃を避けられたりと、いろいろあったが、なんといっても大技が決まったときのあの爽快感は忘れられない。

 強敵であるボスとの戦いでは、相手の特徴や動きを見極め、それでも何度か負けたりして、ようやく勝てたときは思わずガッツポーズをしてしまった……と思った瞬間、QTE(クイック・タイマー・イベント)をミスり、時間が巻き戻ってバトル冒頭からの再戦となったときは、数瞬前の自分に「何やってんだ」と思い頭を抱えた(ちなみに、3回ほどくり返しました)。

攻撃パターンや避けるタイミングが分かってきて、こちらの攻撃が当たるようになるのは成長の証。QTEのために何度か戦った斗牛には、いまなら圧勝できる。たぶん。

 そう、このQTEにもずいぶん苦労した。瞬発力のピークが小学生で過ぎ去り、間違えないように間違えないように……と慎重派な私にとって、瞬時にボタンを判断して押すというのはなかなか難しかった。何度も、本当に何度もやり直したので、もしいちばん苦労した点を挙げるとしたら、ラスボスより人探しに走り回ったことよりも、いちばんにQTEを挙げるだろう。急に発生するのも、少し説明不足かなと思った。最初の発生のときは、説明がほしかった。

 しかしながら、いままで見るだけであったムービーシーンにこのQTEが加わったことによって、退屈させず、プレイをしている感覚が続くというのは、当時としては新しいシステムだったのだろうと思う。また、何度か苦戦する箇所はあったものの、即座にやり直しがきくという配慮がされていたり、シーンの展開に影響を及ぼすものもあったりと、飽きさせないつくりになっていたため、めげることなく何度でも挑戦できたというのもよかった。
 
 このQTEシステム、いまとなってはたくさん存在し、モノによっては賛否両論もあるシステムだと思うが、ムービー中でもちゃんと自分で操作しているということを感じられ、ムービーから本編に戻ったときに集中力が切れてしまうことがなくなる、いいシステムだと私は思っている。ただ、ムービーは見ることに集中して楽しみたいという方には、好まれないのかもしれない。

ムービーシーンだからと油断して目を離したすきに、一瞬でやられてしまったということもしばしば。だが、そこも楽しめるポイントのひとつ。

 それにしても、『II』は、後半のQTEの発生率が異様に高かった。連続的に発生するので、常に緊張状態が続いているというのは疲れたが、いままさに涼さんが同じように戦っていると思うと、楽しくなってくるので私には合ったシステムだったのかも。

 今回は時間がなく、エンディングまでかなり駆け足だったのだが、今度はじっくりとすみずみまでプレイしてみたい。

 ちなみに、『一章 横須賀』をクリアーした際、編集者から「『一章 横須賀』はまだまとまっている。でも、『II』のエンディングは……なんとも気になるところで終わるから、『シェンムー』プレイヤーは『III』の発売を十何年も待ち続けているんだ」という話を聞いた。

 そのときは「へえ、そうなんですね」と生返事で返した記憶がある。いま、『II』までクリアーした状態で、なるほど、意味がよくわかった。これは待ちますわ。続きが気になってしかたがない。

 そう思うと、あのとき実家で見つけなくてよかった。早く続きをプレイしたいという、このもどかしい気持ちを長年抱えることもないのだから。『シェンムーI&II』をクリアーした余韻に浸っているあいだに、『III』が発売されるに違いない。

 何はともあれ、こうして私も無事に『シェンムー』の虜となったわけである。少しずつ明かされていく謎、登場人物、重厚な物語に魅せられてしまったわけだ。

 さて、そろそろ発売されたばかりの本作をもう一度プレイしてこようと思う。また横須賀に戻る人も、はたまた新たに香港へ行く人も、ぜひ壮大なストーリーを、味わっていただきたい。



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