こだわりのプロダクトで世界中に熱心なファンを持つ、iam8bit

 こだわりの……という表現は、私たちが使うけっこう便利な言葉だ。「このゲームはストーリーにこだわっている」などと書くと、そのタイトルがほかとは違うことを言及できた気になってくる。あまり使い過ぎると、「こだわっているというのは、具体的にどこなのだ?」と、指摘されたりもするわけだが……。

 などと書き始めたのは、まさに“こだわりの……”という表現がぴったりくるのが、今回紹介するiam8bit(アイ・アム・エイトビットと読む)だからだ。iam8bitというと、iam8bit Japanという通販サイトが国内でも展開されていることからご存じの方も多いかと思うが、北米にオフィスを構えるクリエイティヴ・プロダクション兼ゲームグッズのブランドで、豪華仕様のレコードやTシャツを中心にしつつ、取り扱うアイテムは多岐に渡っている。で、サイトに飛んでチェックしてもらえばすぐに納得してもらえると思うのだが、とにかくその商品がこだわっているのだ。ときにそれは、「よくここまでやるなあ……」と思わせるほど。業界の立場が近いので、「ここまでお金をかけるのか」と、半ばあきれたりもするのだが、IP(知的財産)を提供しているクリエイターの立場からすると、きっとうれしいだろうに違いないと思われる。ちなみに、ファミ通編集部にもiam8bitのファンはけっこう多かった。

 そんなiam8bitの共同創業者であるジョン・M・ギブソン氏とアマンダ・ホワイト氏がこの度来日を果たした。目的はBitSummit Volume 6への出展。「日本は重要なマーケット」と捉える彼らは、日本市場のリサーチなどを目的に、京都で行われたインディーゲームの一大イベントで、ブースを展開することを決意したようだ。せっかくの機会だからということで、ファミ通ドットコムではiam8bitのジョンとアマンダにインタビューを実施。iam8bitの成り立ちなどを聞いてみた。実際に会ったふたりはなかなかにファンキーな方たちで……。というわけで、お菓子でもつまんでリラックスしながら読んでください。

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iam8bit 共同創業者

ジョン・M・ギブソン氏(右)

アマンダ・ホワイト氏(左)

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こだわりのモノづくりで知られるiam8bit。

チャプター1 15歳でライターの仕事を始めたジョン

――今日はよろしくお願いします。おふたりが日本に訪れたのは?

アマンダ 私は初めてです。

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ジョン・M・ギブソン氏。持参のポラロイドカメラでいろいろなものを撮影していた。記者もパシャパシャ撮られた。

ジョン 僕は4回目ですね。18歳のとき以来かな。同級生たちがメキシコのカンクンでバカンスをしているあいだに、自分は日本に遊びに来ていましたね。ずっとゲームが好きでした。お兄さんがゲーム好きで、コモドール64やNES(ファミコン)など、お下がりが僕に回ってきました。初めて自分のお小遣いで買ったゲーム機はスーパーNES(スーパーファミコン)で、とくに『マリオカート』がお気に入りでした。

――とくに子どものときに印象的だったソフトは?

ジョン うーん……、とても難しい質問だなあ。『バーガータイム』かなあ。ゲームセンターでよく遊びました。最初に遊んだコンソールゲームは『ゼルダの伝説』だったんだけど、その印象も強いね。世界の広さを感じました。

アマンダ 私はジョンより少し年上なので、趣味も少し古いかな。父がIBMのソフトウェアの開発者だったので、私の周りにはつねにコンピューターがありました。お気に入りは『パラッパラッパー』ですね。

――iam8bitを立ち上げた経緯を教えてもらえますか?

ジョン そのためには、僕の経歴を少し話したほうがいいかもしれないな。14年前、僕はビデオゲームのジャーナリストだったんだ。ミシガン州デトロイトの“メトロタイム”というローカル紙で書き始めたんです。当時、“メトロタイム”にはゲームのレビューがなかったので、「音楽や映画と同じく、ゲームのコラムも作ったほうがいいのでは?」と売り込んだんです。僕が15歳のときですね。

――15歳! よく売り込みが通りましたね。

ジョン 編集部とは電話とメールでやり取りをしていたので、相手は15歳の少年だということがわからなかったみたい(笑)。ちょうどプレイステーションが発売されていて、『サイフォンフィルター』のレビューを書きました。

――15歳という若さですごいですね。

ジョン デトロイトの市街で新聞社主催のパーティーが催されたんだけど、僕は年齢制限に引っかかって入れませんでした(笑)。その後、ロサンゼルスに引っ越して、“ゲーマーズリパブリック”という雑誌社に勤め始めました。“ゲームファン”という雑誌を作っていた人たちが立ち上げたんですね。ところが2ヵ月で潰れてしまって……。そこで、“ゲーマーズリパブリック”の上司だった人に誘われて、 “PLAY”という雑誌を始めました。彼の奥さんが経理で、ふたりの営業とふたりのデザイナーがいました。僕は、そのボスが好きではなかったよ。とにかくモンスターで……。そこは7ヵ月で辞めました。彼がモンスターだったということは書いてくれていいですよ(笑)。隠すことではないので。

――(笑)。モンスターって……。

ジョン とにかくずる賢い人だった。当時デザイナーの給料が200ドルで、ロスの平均水準からしたらとても低くて、毎日の食事にも事欠く有様でした。そこで、私がみんなを代表して、「もうちょっと給料をあげてほしい」と言ったのに、「難しい」との返事。ところがそのつぎの日に、彼は高級車を購入していたんです。まあ、モンスターですね。何はともあれ、そこで僕はフリーになって、“EGM”や“WIRED”、“MAX Magazine”などに寄稿しました。それもしばらくしたらつまらなくなって、“カートゥーン・ネットワーク”や“ニコロデオン”といった、子ども向けケーブルテレビの脚本家として、仕事をすることになったんです。

――ゲームライターの仕事からは離れたのですか?

ジョン ゲームに関して書くことはなくなりましたね。もちろん、家ではふつうにゲームを遊んでいました。それが、20歳のときですね。

――えらいスピードで駆け抜けていますね……。

ジョン そのときに、たくさんのアニメーションのアーティストと知り合って、毎週ゲームパーティーナイトを開いたんですよ。昔のゲームをいっしょに遊んだりして楽しんだんですね。知り合いの中に有名なアニメーターがいて、宮本茂をこよなく敬愛している人でした。彼が『マリオ』のおもちゃなどをコレクションしている家は、ミヤモトシュライン(宮本神殿)と呼ばれていたのですが、そこでよく遊びましたね。思えば、アニメーションに携わる人は、1980年代のゲームが好きでしたね。
 そのうちふとしたことから、そんなにゲームが好きなのだったら、自分がアニメーターにゲームをテーマに課題を与えて、絵を描いてもらったらどうだろう……って思いついたんですね。展示する場はということで見つけたのが、つぶれかけたアートギャラリー。オーナーに聞いてみたら、「ここはつぶれかけているから好き勝手にしたらいいよ」ということで、自分がキュレーションをして、その人たちの作品を飾り始めたんです。1980年代のゲームキャラクターを“アート”として表現し出したんです。いわばアートの世界に、ゲームというポップカルチャーの風を吹き込んだんですね。自分がものすごく好きなものを、アーティストたちが表現する“芸術作品”として提供できたのです。

――ゲームの新たなアプローチといったところでしょうか。

ジョン そんなときに、「芸術的な観点からゲームのマーケティングを手伝ってくれないか?」という話が舞い込んできたんですね。たとえば、アーティストにゲームTシャツをデザインしてもらったり、イベントのプロデュースだったり……。そのあとは、“アマンダ前”と“アマンダ後”で変わります。iam8bitは、アマンダと出会ったからできたもので、ふたりともクリエイティブの好みで共通項が多いんです。責任を抱える会社組織にできたのも、アマンダがいたからこその機能でした。まあ、バックグラウンドに関しては、アマンダはまた僕とは違いますが……。どう、アマンダ?

チャプター2 映画業界からジョンに合流したアマンダ

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アマンダ・ホワイト氏(左)。日本は初めてとのことで、落ち着いた雰囲気がジョンとは対照的。

アマンダ 私は映画業界でキャリアを重ねました。ドキュメンタリーや映画のプロデュースをしていて、ホアキン・フェニックスの『容疑者、ホアキン・フェニックス』(2010年)のプロデューサーを務めていたりします。映画の制作に携わる、予算管理やクオリティーコントロールなどをその時代に学びました。スケジュール通りに進行しているかというのは、いまiam8bitでやっていることと同じです。責任を持って取り組んで、ちゃんと納品をしてもらうという。あとはジョンが刑務所に入れられないように、しっかりとビジネスの管理をするのが私の仕事です。

――刑務所に入れられる?

ジョン フリーでやっていたときは、一度も納税していなかったんです。IRS(アメリカ合衆国内国歳入庁)に見つかって、「やばい!」と焦りました。そのあと、ちゃんと和解しましたけど。税金に関しては、徴収されなかったので、なんとなく申告しなかったんだよね……。

アマンダ ジョンは、物事がダメになるギリギリまでテストしたがるんです。「限界まで行けるかな」という。ストレステストと言いますか……。それで、ときどき一線を越えて壊れてしまうことがあるんですね。

――なるほど……。で、どういう感じでiam8bitは立ち上がったのですか?

ジョン イベントプロデュースなどの仕事をこなしているうちに、オフィスがあったほうが便利だということになったんですね。それまでは、自宅で仕事をしていたのですが……。で、2010年にカプコンの『デッドライジング2』のイベントを行ったときに、「ここを片付けたら、オフィスに適しているんじゃない」ということで、アマンダに交渉してもらって、そこからいっしょに仕事をしています。

――そのころにアマンダンさんと出会ったのですね?

ジョン アマンダと初めて出会ったのは、いまから10年くらい前ですね。2008年の2月か3月くらい。映画『ミーン・ガール』のダミアン役を演じたダニエル・フランゼーゼが共通の友人で、いっしょにハイキングに行くことになったんです。行ったのは、その後『ラ・ラ・ランド』の撮影場所にもなった、グリフィス・パークですね。当日、僕はお決まりの 遅刻をして、ほかのふたりが半分くらい行ったところで追いつくという……。これもストレステストなのかな(笑)。「まだ行かなくても大丈夫かな」とギリギリまで動きませんでした。自分で自分に挑戦するというか。

――それはなんとも……(苦笑)。アマンダさんとはそこで意気投合したのですか?

ジョン そうですね。彼女は映画の仕事をしていたのですが、映画と映画の合間に、僕の仕事を手伝ってくれるようになったんです。で、いっしょに作ったのが、『ロックマン9 野望の復活!!』のプレスキットでした。CDやマグネットを同梱してボックスセットにしたんです。そのプレスキットはいまebayで250ドル以上で取り引きされていますね。

――それが、アマンダさんとの初めての仕事?

ジョン 厳密には、“ストリートファイタークラブ”というコミュニティーイベントの企画ですね。それまでも、セレブを呼んでパーティーを開くというのは、ゲーム業界でもよく開いていたのですが、ファンを招待するイベントはあまりなかったんですね。ちょうど『ストリートファイターIV』がリリースされる前で、シリーズに10年間のブランクがあったので、認知度を高めることが目的でした。すでに日本ではアーケード版が出ていたので、その筐体を日本から輸入して、イベントに置きました。ロスとニューヨークでやったなあ。

――アマンダさんは、なぜ映画の仕事を辞めてまで、iam8bitに関わることになったのですか? やはりジョンが放っておけなかったから?

アマンダ 違います(笑)。映画業界にくらべると、ビデオゲーム業界のほうがクリエイティブなアイデアに対してすごくオープンに見えたからです。リスクを負ってもいいから新しいことに挑戦するとか、おもしろいことにトライする人たちが多くて。新しいアイデアを提案すると、みんなそれを採用してくれるんです。短期間で、達成感を感じられるところに惹かれました。もちろん、ジョンのことをなんとかしてあげないといけないという気持ちはありましたし、私の助けが必要なのではないか……とも感じましたけども(笑)。

――ゲーム業界のほうがクリエイティブに対してオープンだというのは、うれしい言葉ですね。

ジョン エゴがないよね。

アマンダ 柔軟性があるというか、いろいろなものにフレキシブルだというか……。

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チャプター3  iam8bitでこだわっていること

――そこから、どのような感じで展開されていったのですか?

ジョン iam8bitを評価していただけて、コレクターズアイテム的な販促物や、イベントでしか手に入らないグッズなどの制作を受けるようになりました。メジャーどころとはおおむね仕事をさせていただきました。任天堂さん、ソニー・インタラクティブエンタテインメントさん、マイクロソフトさん、カプコンさん、スクウェア・エニックスさん……。各社さんとも、ファンの方に対して、“何か還元したい”と思われていたんですね。販促物は基本無料で配布するもので、いまとなってはebayなどで高値で取引されているのですが、基本は来場された方向けとなりますので、遠隔地の方は入手できない。それはちょっと不公平だな……と感じるようになって、「だったら、ユーザーの方に喜んでいただけるようなこだわりのグッズをご提供するブランドを立ち上げたらどうだろう」と思ったんです。iam8bitはそんな発想からスタートしています。

――それが、いまのビジネスにつながってくるんですね?

ジョン はい。なかでも手応えを感じたのはレコードでした。『Tron Evolution』のレコードや『Wolfenstein』の1960年代風EPをリリースしたところ好評で、2014年にオンラインで初めて『ホットライン・マイアミ 2』のレコードを販売したんですよ。

――なぜレコードにしたのですか?

アマンダ 私は小さいころからレコードを聴く習慣があったのですが、レコードによる温かい美しい音色が心地よくて。あと、レコードを両手に持って、ターンテーブルの上に置いて針を落として……という一連のプロセスが瞑想に近いというか……。ひとつの“エクスペリエンス(体験)”が加わることで、音楽を聴くという行為が自分の中でもっと特別なものにアップグレードされるのでは、との思いがあったんですね。そんな感覚を持っていたので、アナログがいいのではないかと。

ジョン 日本は違うと思うのですが、アメリカではゲームミュージックはあまり価値を見出されていないんですね。音楽のジャンルとして、認められていないんです。それをアナログにすることによって、もうちょっと注目していただけるのではないかという思惑もありました。

アマンダ レコードは大切に扱わないといけないですし、“コレクターズアイテム”としての立ち位置とも相性が合うかなと思いました。

ジョン いま思うと、僕たちの取り組みは、アートショウから始めて販促物の制作まで、すべてにおいて“モノを作る”というアナログの作業だったかと思います。デジタルワールドが全盛の昨今の流れのなかで、結果として“モノ”というアナログにこだわり続けてきた。これは、私たちにコレクターの気質があったこととも関係しているのかもしれないです。まあ、言っても家の中がフィギュアで埋め尽くされているといったような、激しいコレクターというわけではないのですが、“特別なモノは自分で持っていたい”というのは、共通した思いだったことは間違いありません。

――なるほど。モノに対するこだわりですか。

ジョン たとえば、僕たちは『Rez Infinite』のパッケージ版をリリースしましたが、それも、自分たちが好きなソフトを形として残したいという発想からでした。それがために、今回、シリーズ30周年を記念してのスーパーファミコン版『ストリートファイターII アニバーサリーエディション』で、新しくカートリッジを生産するラインも作ったくらいですから。

――それにしても、いまの世にスーパーファミコンのカートリッジを作るというのは、とんでもない発想ですね。そもそもスーパーファミコンがないと、遊べないわけでしょう?

ジョン 自分の子ども時代を振り返ってみると、おもちゃ屋さんに行ってゲームを手にしたときのワクワク感は何者にも替え難かった。いまって、なかなかそういう気持ちになることがないですよね? あの世代のワクワク感を再現したかったんです。これは5500部限定で制作したのですが、24時間で売り切れてしまいました。カートリッジ用ソフトをメーカーさんからも承認されて公式でリリースするのは初めてです。一部散逸していた、イラストを探し求めてオハイオ州まで足を運んだりと、相当こだわっています。

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シリーズ30周年を記念して制作されたスーパーファミコン版『ストリートファイターII アニバーサリーエディション』。限定で制作され、即座に完売。スーパーファミコンのパッケージをいまの世に蘇らせるとは……何ともすごい。

――ちなみに、iam8bit設立当初から、デザイン面もこだわっていたのですか?

ジョン そうですね。先ほどお話したアートショウもそうなのですが、“アーティストとのコラボ”という点にはこだわっています。もちろん、ゲーム音楽をレコードというフォーマットでリリースしているレーベルはたくさんあるのですが、僕たちのこだわりは新しいアートワークを提案することです。タイトルのキーデザインをそのまま採用するのではなくて、僕たちが作り込んだうえで、“iam8bitならではのアートワーク”として、提案したいんです。たとえば、キャラクターイラストがあったとして、それをそのまま使うのではなくて、デザインし直して……という形で見せるようにしています。

――なるほど……本当におしゃれですよね。

ジョン 取り上げるタイトルが決まってからアイデア出しをして、ゲームクリエイターと共同で作り上げていく感じですね。

――とくに快心のできは?

アマンダ 『Rez Infinite』がそのうちのひとつになりますね。

ジョン 僕たちが手掛けた中で、いちばん高価なアイテムとなります。同作のベースとなった『Rez』は最初期の音楽ゲームということで、ゲームのメイキングが重要だと判断しました。それで、そのへんの経緯をライナーノートでは詳細に書いています。ちなみに、『Rez』の開発には現17-BITのジェイク・カズダルさんが参加しているのですが、ジェイクのお父さんのガレージでストーリーのスケッチボードが見つかったので、それを提供してもらったりしています。

――そういった意味でも価値がありそうですね。

ジョン いずれにせよ、僕たちのプロジェクトで重要なのは、ゲームのデザインをプロダクトにも取り入れることです。ゲームの世界観を広げるために、個々のゲームに合っているデザインをカスタムメイドすること。ときどきメーカーさんから「なぜそこまでしてやりたいんだ?」と聞かれるのですが、答えは単純で、「そのゲームをリスペクトしているから」です。ゲームに対する愛を表現したいという気持ちがあるので、やらせていただいています。

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快心のできのひとつだという『Rez Infinite』。価格は75ドル(約8300円)。

――そこまでの想いを持ってもらうということは、クリエイターさんはうれしいでしょうね。

ジョン まあ、いろいろです。そうですね。『Cuphead』は4年間くらい追いかけていたタイトルで、開発元のStudioMDHRには、ずっと「やらせてほしい」とリクエストしていました。彼らもいちばん最初のゲームを出すということで、相当プレッシャーを感じていたと思うのですが、こちらから最初に提案したときは、ゲームとはかけ離れていたので、「ここでおしまいにしよう」と言われたこともあります。でも、そこであきらめずに「がんばるから」ということで話し合いを重ねた結果、クリエイターさんたちにも満足していただけるものができたんです。絶対に妥協はしたくないので、みんなが幸せになれるものになるまでは粘ります。

アマンダ みんなが考えていることがすぐに理解できるわけもないので、何度もやり取りをして……という感じですね。

ジョン ふつうにゲームのロゴを全面に出して商品にすることほど簡単なことはないのですが、そういうことはしたくない。僕たちもクリエイターさんといっしょになって、ひとつのものを仕上げていくことにすごくやりがいを感じています。まあ、ときどき辛いときもありますが……(笑)。

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4年間オファーし続けたという『Cuphead』。試行錯誤しただけに思い入れもひときわのよう。

――タイトルセレクトはどのような感じで?

ジョン ときに彼らが僕らを見つけ、ときに僕らから彼らにオファーします。さきほどお話したとおり、『Cuphead』は4年間追いかけましたし、『UNDERTALE』も熱心に提案しました。言ってみれば、“自分たちの気持ちが動くもの”でしょうか。

――自分たちの気持ちが動かないものはやりたくない?

ジョン そうですね。自分たちが共感するものじゃないと感情移入できないですし、いい加減なものができませんから。やっていても楽しくない。タイトルの名前は出しませんが、お断りしたタイトルもたくさんあります。いろいろなゲームメーカーがあるのといっしょで、選択肢はあるので……。

――ところで、冒頭でおふたりは感性が近いとお話していました。それがクリエイティブにも現れていると思うのですが、言葉にはしづらいかもしれませんが、おふたりの共通の感性とはどのようなものなのですか?

ジョン たしかに言葉にするのは難しいけれど……。モノに対する愛情かな。愛情をもっているものに対するアプローチは共通していますね。正直なところ、ふたりともすごく『Cuphead』をプレイするわけではありませんし、『ペルソナ5』に2000時間も費やしているわけでもないですが……。

アマンダ 何が人を動かすか、何に対して人が反応するか、どういうものが好きなのか、というのを私たちは理解していると思っています。あとは、デジタルが全盛のこの世界でも、フィジカルなものがあるということを、私たちは重要なことだと思っています。

ジョン でも、ふたりとも違うところもあるんだよね。だからこそ、特別なこともできるのかな。

アマンダ 性格的にぶつかるところももちろんあります。ジョンは外交的で私は内向的ですし。その交わりかたも、おもしろいものを作り出すきっかけになっているのではないかと。

ジョン あとは、お互い正直に打ち明ける。

――クリエイティブな面でお互いが衝突したらどうするのですか?

アマンダ ときに戦います。それも、いいものを作りたいからこそのケンカなのであって、お互いがいい方向に導いていきます。

ジョン 共同パートナーとして会社の責任者ということもあって、一応契約書を交わしているんです。もし意見の食い違いがあった場合、“コインの表が出るか裏が出るかで、どちらに権利を与えるかを決める”という。でも、いまだにコインを投げる必要性に迫られたことはありませんけどね。

――なんと! 契約社会のアメリカらしいと言えば、アメリカらしい……。

ジョン 永遠にそうはならないことを祈ります。

――最後に、今後の目標を教えてください。

ジョン 私たちにとって日本の市場はとても重要です。だからこそ、いまここにいるわけですが、アメリカで作ったものを日本のファンの皆さんにお届けするのも、もちろんありなのですが、逆に日本のユーザーさんが欲しているものを僕たちにおしえてほしいです。ご希望があれば、ぜひcontact@iam8bit.jpまで。
 日本では、ポップアップ・ストア(※)を展開してみたいなあ。あとは、東京ゲームショウ! 2年以内に出展することが、僕らの目標です。

※ポップアップ・ストア……空き店舗などに期間限定で出店する店舗

アマンダ 私は、これからも引き続きビジネス的にも成長していって、もっとたくさんの美しいものを作っていきたいです。そして、もっと多くのファンに私たちの商品を届けたい。デベロッパーさんやスタジオといっしょに、自分が大好きなことに関わっていたいです。

ジョン ああ、そうだ! ファミ通の読者にとっておきの情報を! いままでiam8bitではプレイステーション4用のパッケージソフトを手掛けてきたのですが、今後はNintendo Switchでもやります。今年は2タイトルくらい予定していますよ。

――タイトルは?

ジョン 話してしまっていいかな……。『Gorogoa』や『Kentucky Route Zero』、『Gone Home』などを考えています。

――パッケージソフトのパブリッシングにも注力していくのですね。

アマンダ デジタルでもいいのですが、あえてフィジカルで、手で触れられるものを残していきたいんです。そのへんは、iam8bitの根幹に流れているものかもしれません。

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日本市場へのリサーチの意味もあって、BitSummit Volume 6に出展したiam8bit。今後、日本市場には積極的に取り組んでいくようだ。

■撮影/小森大輔
※BitSummit Volume 6の写真は除く