レトローゲーマー垂涎のジャレコゲーム資料の数々
かつて存在した国内ゲームメーカー、ジャレコのゲームのパッケージイラスト原画や資料類が一挙展示されるイベントが、2016年12月10日~12月11日の2日間、秋葉原神社コミュニティスペース(東京都千代田区)にて開催された。
レトロゲームのサウンドトラックレーベル“クラリスディスク”の運営などを行う企業・シティコネクションが主催したこのイベント(入場無料)は、同社編著のムック『ジャレコ・アーカイブス』(実業之日本社)の発売を記念して企画されたもの。会場内では、ジャレコ名義でリリースされたゲームのIP(知的財産権)を管理・保有するシティコネクション秘蔵の資料が、惜しげもなく展示されていた。物販スペースでは“ジャレコ・アーカイブス”ほか、クラリスディスクのCD、『アーガス』のパーカーや『ロッドランド』のトートバックといった各種オリジナルグッズが、販売されていた。
レトローゲーマー卒倒(?)のジャレコ未発売タイトルも展示
今回の目玉のひとつだったのが、完成状態まで制作されていながら結局リリースされなかった、ジャレコの未発売タイトル。12月10日は『キメラビースト』ほか3タイトル、11日は、急きょ追加された『狼たちの野望』を含む4タイトルがフリープレイで実機稼働展示され、つねに来場者が何かしらのタイトルを遊んでいた。
ジャレコゲームの現在・過去・未来が交錯したゲストトーク
イベント期間中には、ジャレコにゆかりのあるゲストを招いてのトークコーナーが、会場中央の祭壇風ステージにて行われた。10日は”ジャレコ・アーカイブズ”制作スタッフの制作裏話と、ジャレコ発売のアーケードタイトルを数多く手がけたゲーム開発会社NMKに在籍していたクリエイター・吉田晄浩氏のゲーム開発秘話、11日は、ジャレコの名物広報だった菊池博人氏による当時の思い出話が、じっくり語られた。
本記事では、ジャレコ人気タイトルの意外な誕生秘話や、思わぬ発表が飛び出した吉田氏のトークコーナーの模様をお届けする。
グラフィッカー志望のアルバイト社員が企画した『アーガス』
吉川延宏氏(以下、吉川) 吉田さんのキャリアは、ジャレコの外部開発会社・NMKから始まったんですよね。今回はそのあたりのお話をくわしく、うかがいたいと思います。まずゲーム会社に入ったきっかけというのは?
吉田晄浩氏(以下、吉田) 当時は音楽学校に通っていて、楽器を買おうとアルバイトを探していたときにグラフィッカーの募集をしていた会社が、NMKでした。採用試験でシューティングゲームの自機を描かされたときに、ほかの人は1機をきちんと描いてるんですが、僕は20機くらい描いてしまったんです。そうしたら、「そうやってたくさん描く人はグラフィッカーじゃなくて企画になりなさい」と言われまして(笑)。企画という職業が何かわからなかったんですけど、採用されました。それで、「1作目にシューティングゲームを作るので、その企画をお願いします」と言われて担当したのが、『アーガス』(1986年)でした。
吉川 『アーガス』の企画は、NMKのアルバイト時代に作られたんですか! 僕は吉田さんというと”テクノスジャパンの吉田さん”と認識していたのですが、ファミコン版『熱血高校ドッジボール部(以下、ドッジボール部)』(1988年)の必殺シュートの動きと『アーガス』の敵機の挙動がよく似ているのは、偶然ではなかったんですね。
吉田 そうそう、そうです(笑)。『アーガス』を作るときは、ふつうのシューティングゲームじゃない、何か新しい要素を加えたかったんです。観て楽しめるように、敵機のいろいろな飛びかたが、ひとつのプログラムのデータを変えることによって実現しています。
吉川 あの挙動は当時珍しいというか、「だいぶ殺しにきてるな」と思いました(笑)。
吉田 難易度についてですが、当時のジャレコの金沢(義秋)社長は「ゲームは難しくないといかん。すぐに飽きられてしまう」と仰っていました。「ゲームは、難しいほどプレイヤーは熱くなれる!」と。
吉川 それは、吉田さんが考えていた方向性とは違った?
吉田 『アーガス』を「これで完璧だろう」というバランスで仕上げてジャレコに持って行ったら、「そのまま全部2倍にしてくれ」と(社長に)言われました。
吉川 全部、とはどういうことでしょうか?
吉田 敵の数も2倍、弾の数も2倍、強さも2倍ってことなんです。この事態に「NMKとしてはどうしたものか?」となったのですが、受け取ってもらえないので、指示通りそのまま全部2倍にしました。それが『アーガス』のあの難易度になった理由です。だからふつうにプレイすると、1面もクリアーできないくらいキツイですよ。当時のジャレコのゲームが難しいのは、おそらくすべて金沢社長の指示だったと思います(笑)。
2週間カンヅメで2000本のゲームをプレイしたジャレコ時代
吉川 吉田さんはNMKのアルバイト社員でありながら、ジャレコとは深い関わりがあったんですね。
吉田 当時、ファミコンゲームのタイトルを増やしたかったジャレコから、「コモドール64(※米コモドール社が1982年に発売したホビーユースPC)のゲーム2000タイトルを取り寄せるから、選んで企画書も書いてほしい」と言われてジャレコに出向しました。
吉川 2000タイトルの中からローカライズ移植するものを選べ、ということですか!
吉田 2週間カンヅメになりました。最初のうちはしっかり内容がわかるくらいまでプレイしていたのですが、後半はペースがきびしくなってきました。当時はゲームソフトのメディアがカセットテープだったので、ロードするだけで5分とか10分とかかかるものが多くありました。『MURDER on the MISSISSIPPI(ミシシッピー殺人事件)』のころはもう、プレイ時間が1本1分でしたね(笑)。
吉川 1本1分(笑)。
吉田 当時は『ポートピア連続殺人事件』(エニックス/ファミコン版は1985年発売)もすでに出ていたので、「船の中だけで殺人事件を解決するって、シャーロック・ホームズみたいで“いい感じ”じゃないか?」と思って推薦しました。それでダメだったらまたちゃんと選び直そうと思っていたんですけど、そのまま素通りで開発が始まっていたようで、気付いたら発売されていました(笑)。
吉田 『燃えろ!!プロ野球』(1987年)も企画書を書きました。ゲームを遊ぶ人のほとんどは、プロ野球のバッターボックスに立ったことがない人たち、TV中継でプロ野球を知っている人たちじゃないですか。だとすると、よりTV中継の環境に近いほうが楽しめるんじゃないかと。私が提案したのは、「“観て”楽しめるゲーム」ということと、「実況を聴かせるために音声を導入する」ということでした。
吉川 音声合成を使うというアイデアは、吉田さんの提案だったんですね。
吉田 野球中継って、わりと決まった言葉しか使わないから、プログラムで単語をうまくつなげれば、データ容量をそんなに使わなくても、野球中継の実況のようなものを作れるのでは、と提案しました。「それなら音声チップを載せよう」と、金沢社長が仰ったので、そのまま企画を託したのですが……最終的には、企画作成時に参考にした『Hard Ball!』(※米Accolade社が1985年に発売した野球ゲーム)の移植のような形になっていましたね。
吉川 では本来は、あのような形ではなかったんですね?
吉田 プロ野球はかっこよくないとダメですけど、それをゲームプレイで再現するのはきびしい。そこで、難しい操作はコンピュータにアシストさせて、それを観て楽しみつつ、駆け
引きなどのオイシイところをセンスで楽しめるシステムを提案していました。
吉川 そうだったんですか。でも実際は、けっこうふつうの野球ゲームになっちゃいましたよね(笑)。
吉田 きっと、なんだかよくわからなかったんでしょうね(笑)。ちょっと早すぎたのかもしれないですね。
吉川 ジャレコの出向からNMKに戻って、つぎは何を?
吉田 「正社員になったら好きなものを作っていい」と言われたので、正式に入社して作ったのが『ぶたさん』(1987年)です。
吉川 あれはジャレコというか、NMK開発作品の中でも異質のタイトルですよね。爆弾を投げ合うキャラクターをブタにした理由は“爆発に巻き込まれたときも痛くなさそうだから”と伺ったのですが。
吉田 そうです。見た感じ、ほんわかしているからですね。ゲームセンターにも、ちびっ子とか女子がだんだん入るようになってきて、もう少しかわいいものとか、コインを入れてすぐやられてしまうようなものじゃなくて、観ていても楽しめるものを考えていました。ただ『ぶたさん』の開発途中に私が退社しまして、当初想定していたものとはちょっと違う形で世に出ることになりました。もとの発想は爆弾渡しゲーム(※カウント終了時に丸めたハンカチ爆弾を持っていた人が負け、というレクリエーションゲーム)で、いろんな性格のキャラクターの行動を読みながら、協力や共闘できる戦略性の高い内容だったのですが、完成版は完成版で、シューティングゲーム的な方向性でうまくまとまっていると思います
ジャレコゲームの“遺伝子”は『くにおくん』シリーズに受け継がれた!?
吉川 その後、テクノスジャパンに入社されたんですよね。
吉田 1987年当時のテクノスジャパンは、アーケードの『熱血硬派くにおくん』(1986年)がヒットし、つぎのタイトルをどうしようかという時期で、(大ヒットした)『燃えろ!!プロ野球』の実績からアーケード用ではなく、ファミコン用ゲームの企画を任されました。
吉川 吉田さんの基本的な考えかたは、どちらかというとコンシューマー向きだったかもしれないですね。
吉田 ジャレコのファミコン用タイトルに関わったとき、その難易度にすごく疑問がありました。アーケードゲームはプレイの回転率を上げるために難易度を上げるのはまだわかるのですが、ファミコンのゲームは、ちびっ子がお年玉で買うものじゃないですか。大切なお年玉で買ったゲームでも、なぜ“即死のオンパレード”なのかと。
吉川 私も当時、難しいゲームやったときには心が折れましたね~。
吉田 そういう気持ちがあって、テクノスジャパンで「好きにやっていいよ」と言われて最初に担当したのが、アーケード版『ドッジボール部』(1987年)をモチーフにしたオリジナル作品です。ファミコンゲームは“難易度2倍”じゃない、むしろ半分でもいいくらいだ。それでなおかつ長時間遊べる……お年玉で買った子が、つぎの年のお正月まで遊び込めるバランスと内容にしたかったんです。
吉川 キャラクターを3頭身で表現したのは、吉田さんのアイデアですか?
吉田 アーケード版では無個性だった、各チームの代表キャラクター以外のザコ選手たち全員に、名前をつけて、顔を変えて、必殺技を持たせました。顔を変えようとしたときに「このサイズじゃ無理だ」と言われたのですが、「じゃあ眉毛だけ太くして」とか「目をちょっと長めに」とかやっているるうちに顔がどんどん大きくなって、結果、3頭身になってしまいました(笑)。ファミコン版『ドッジボール部』に、“みつひろ”ってキャラクターがいるじゃないですか。私と同じ名前なんですけど(笑)。
吉川 ああ、いますね。
吉田 みつひろは、(チーム代表キャラの)くにおよりも数値的には低いのですが、ゲームを遊び込んで高度なテクニックが使えるようになってくると、その強さがわかってくるんです。これは、遊び込んでくれる人のために仕込んだ“メッセージ”なんです。このメッセージが、当時の全国、全世界のちびっ子に伝わったということは、遊び込めたことの証明になり、そして、そのちびっ子が大きくなって、いまいっしょに新たなメッセージを発信できることが嬉しいです。
吉川 『ドッジボール部』以降、“くにおくんのゲーム”といえば、『ダウンタウン熱血物語』(1989年)を始めとする一連の『ダウンタウン』シリーズが主流になっていきますが、それらも基本的に吉田さんが?
吉田 『ドッジボール部』を作った後に、つぎは格闘ものをやろうとなったんですが、「ドッジボールはいいとしても、格闘ゲームのキャラクターを3頭身にするのはいかがなものか?」という意見が社内にあって、当時はけっこう風当たりが強かったですね。トイレで社長(瀧邦夫氏)に会ったときには「コミカルにすればいいってもんじゃねぇんだぞ」ってサラッと言われたり(笑)。でも、それが売れたおかげで「吉田の言うとおりに作ってやれ」となって、いったんお蔵入りになりかけた『ダウンタウンスペシャル くにおくんの時代劇だよ全員集合!』(1991年)が実現できました。
吉川 テクノスジャパンを離れてからも、『くにおくん』シリーズは何度か手掛けられていますね。
吉田 2000年に瀧社長と再会し、また『くにおくん』をやることになりました。ただそれが、「タイトルに“くにおくん”という名前がついていればいいので、余計なことはしないでください」という状況になっていたので……。
吉川 そのお気持ち、わかります。うち(シティコネクション)でもジャレコのIPを使うわけですけど、“何をもってその作品なのか?”という判断は、難しいところですね。
吉田 世間にはどう受け止められているかはわかりませんが、システムとかバランスとかの気持ちよいゲーム性を含めたものが『くにおくん』になっていると思うんですよ。
吉川 “くにお”という名前やキャラクターではなく、吉田さんが作るゲームこそが、ファミコン世代の記憶に残っている『くにおくん』シリーズ……ということでしょうか?
吉田 たとえどんなキャラクターでも、私が作るとどうしても“アレ”になってしまうと思います(笑)。ミラクルキッズ! では、今後も“気持ちよいゲーム”を作っていきます!
シティコネクション、満を持してゲームソフト開発事業に本格参入!!
吉田氏のゲストトークの最後には、吉川氏が突然、ゲーム開発会社・甲南電機製作所代表の井上一彦氏を壇上に招き入れ、シティコネクションと甲南電機製作所が経営統合し、今後いっしょにゲームを作っていくことをサプライズ発表。また、それとは別に、シティコネクションとミラクルキッズ! による新作ゲームの開発もアナウンスされた。具体的なタイトルこそ明かされなかったが、吉田氏は、「“本来もっとおもしろいゲームになっていたかもしれないジャレコゲーム”をやり直せたらと思います」とコメント。吉川氏は、「3社はお互い得意分野が違うので、そのあたりを補いあいながら、ジャレコIPのリメイクに限らないゲーム制作を続けていきたいと思います」と、幅広い展開を想定していることを語った。3社によるゲーム開発の詳細については、後日お届けする予定だ。