ソニー・インタラクティブエンタテインメントジャパンアジアから2016年12月6日に発売予定のプレイステーション4用ソフト『人喰いの大鷲トリコ』。発売まで1ヵ月を切った11月某日、最新ビルドをプレイする機会を得られたので、動画とインプレッションをお届けする。

●圧倒的な没入感を生み出す“自然さ”

 記事を読む前に、まずは初公開となるこちらの動画をご覧いただきたい。

 部屋の電気を消し、携帯の電源を落とし、ヘッドフォンをかぶり、コントローラーを握る。僕が特定のゲームを遊ぶときだけに行うこの行為は、その世界により入り込むための儀式のようなものだ。12月6日、僕は『人喰いの大鷲トリコ』を遊ぶときに、この儀式を行うことになるだろう。今回の試遊でそう確信したからだ。

 『人喰いの大鷲トリコ』はクレイジーだ。16:9の画面に映し出されるシーンは、どこを切り出しても妥協がない。荘厳で歴史を感じる建物は、ある場所は崩れ、ある場所はひび割れ、ある場所は重みでゆがんでいる。画一的な景色はいっさいなく、木々に囲まれた場所で足を止めれば、葉の揺らぎで風の流れを感じ、羽虫やトカゲの存在に気づく。少年は障害物に近づくと驚くほど自然に手をつき、トリコに乗っている状態で天井に近付けば当たり前のように体をかがませる。移動する際、少年の足はどんなシチュエーションであっても地面の形状に合わせて接地している。たとえば階段を移動するときは歩幅が変わり、必ず段差に足を着くのだ。かつてゲームでここまで“自然さ”を感じたことは記憶にない。以前のインプレッションで述べたトリコの自然さもそうだが、『人喰いの大鷲トリコ』は架空のものだと感じる要素、「これはゲームだ」と我に返る要素が徹底的に排除されている。

 正直に言うと、『人喰いの大鷲トリコ』で懸念していたことがひとつだけあった。それは発表から7年の歳月が経っているということ。時代の流れとともに“古臭さ”を感じてしまうのではないかという引っかかりがあった。だがそれは杞憂に過ぎなかった。「比較対象となるゲームは何もない」。AI制御、世界の表現、コリジョン判定など、ゲームを構成するどれもが、ほかのゲームにはない独自性に満ちている。

 小さな少年と巨大なトリコ。異なる大きさのふたりがともに冒険するというデザインでありながら、不自然さをいっさい感じさせない『人喰いの大鷲トリコ』。もう一度動画を観ていただければ、ここで述べたことが真実だとわかっていただけるだろう。