20年間“サバイブ”してきた先輩からの言葉とは?

 2016年7月9日~10日、京都市勧業館みやこめっせにてインディーゲームの祭典BitSummit 4thが開催。10日のメインステージでは、『シルバー事件』、『NO MORE HEROS』などで知られるグラスホッパー・マニファクチュアの須田剛一氏と、『太陽のしっぽ』、『巨人のドシン』などを手掛けた立命館大学映像学部教授の飯田和敏氏のトークセッションが行われた。

『シルバー事件』須田剛一氏と『巨人のドシン』飯田和敏氏が、若きインディーゲーム開発者たちへ贈ったメッセージ【BitSummit 4th】_01
▲須田剛一氏(写真左)と飯田和敏氏。

 飯田氏や須田氏が会社員としてゲームを作り出したのは、1990年代の中頃。現在の、全世界的インディーブームとも言える状況や、BitSummit会場の熱気を、そのころの自分たちと照らし合わせてトークを進めていった。アートディンクの新人としていくつかのゲーム制作を手伝いながら、「いつか自分のゲームを作ってやる、その日まで負けないぞ」と思っていたという飯田氏は、「一発目の作品というのは、それだけ鬱屈もあるし、思いもあるから、できるんですよ」と回想。BitSummitにブースを出している若いクリエイターたちは、その一発目を実現した段階ではないかと分析した。当初はヒューマンに勤めていたという須田氏も「一発目の作品って、自分自身を投影できる。感情だったり、ファッションだったり、好き嫌いだったり……。でも、二発目になるとそういう“パーソナル”って部分がなくなってくる。もうひとりの自分を作らなければいけなくなったりもして」と、二発目以降の難しさについて触れ、“サバイブ”していくことの重要性を語った。

『シルバー事件』須田剛一氏と『巨人のドシン』飯田和敏氏が、若きインディーゲーム開発者たちへ贈ったメッセージ【BitSummit 4th】_02
▲飯田和敏氏。

 その後、「やりたいようにやるために」ふたりはそれぞれ独立したが、それからはいばらの道だったのだとか。たとえば、ゲーム作りとは違う脳ミソを使って、資金繰りをすることも必要だった。いまはKickStarterなど資金調達の仕組みもあり、あちこち走りまわって自分たちの足でお金を引っ張ってきた当時と比べてラクだとは思うものの、「Kickstarterだって、いつなくなるかわからない。いま、若い開発者たちも、いずれ自分たちと同じような経験をすることになるから、覚悟してがんばって」と、インディーゲーム開発者たちにメッセージを贈った。

 そうやって20年間“サバイブ”してきた飯田氏と須田氏。今回、BitSummitの会場で、お互いを始め、いまも第一線で活躍するかつての知り合いと再会し、幸せに思ったそうだ。飯田氏は、2011年に日本科学未来館の常設展示を手掛けたあと“燃え尽き”を感じていたそうだが、今回、『moon』などで知られる西健一氏が新作を発表したのを見て刺激を受け、「また、ゲームを作りたい」と話した。こうしてふたりは、長く続けていくことと、仲間の大切さをトークで強調していた。

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▲須田剛一氏。

 BitSummitには第1回から皆勤賞という飯田氏は、「いばらの道に足を踏み入れたとき、へこたれそうになったら、いつでも声をかけて。僕らは毎年この会場に来ますから。いろいろな経験をしてきたから、ちょっとしたアドバイスはできるし、若い人たちの力になりたいと思っている」と若手開発者を励ました。それに対して須田氏は「僕が来年も参加するには、新作を用意して持ってこないと」と語った。須田氏は今回、年内にSteamでリリースを予定している『シルバー事件』のHDリマスター版をプレイアブル出展したことで、BitSummitに初参加。本作を成功させ、続編である『シルバー事件25区』への流れを作り、来年は新作として“25区”を出展したいと意気込みを語った。

 最後に須田氏は、「いまや5年後10年後にE3があるのかどうかもわからない状況だけど、BitSummitはあり続けてほしい。今後、長くやっていくうちにゲームを作りたいという情熱の炎がもし消えかけたとしても、また点けることもできるということを、僕たちは経験してきた」、飯田氏は「僕らが諦めたらBitSummitも終わってしまう。サバイブして100年後もあり続けよう。僕らの子孫たちがゲームで盛り上がるように」と、それぞれポジティブなメッセージを発信した。