【動画多数】“世界で初めて○○なビデオゲーム”で実際に遊べる! 企画展“あそぶ!ゲーム展”への誘い

2015年10月3日から、埼玉県川口市で“あそぶ!ゲーム展 STAGE.1 デジタルゲームの夜明け”という企画展が催されている。これは世界で初めてのビデオゲームをはじめ、1958年から1982年までのビデオゲーム史上でエポックメイクだったゲームの数々を設置し、実際に触れて楽しもうという展示だ。それぞれのゲームの意義を解説するとともに、訪問して触れた内容や感じたことをまとめよう。

●最初からクライマックス!

 2015年10月3日から、埼玉県川口市・SKIPシティ 彩の国ビジュアルプラザ 映像ミュージアムにて“あそぶ!ゲーム展 STAGE.1 デジタルゲームの夜明け”という企画展が催されている。

 全3回の企画のうち、第1弾となる今回は、世界初のビデオゲームをはじめ、1958年から1982年まででビデオゲーム史上でエポックメイクだったゲームの数々を設置し、実際に触れて楽しめるという内容になっている。それぞれのゲームの意義を解説するとともに、訪問して触れた内容や感じたことをまとめよう。文中に登場する団体名は基本、当時のものであることを断っておく。

 彩の国ビジュアルプラザ 映像ミュージアムは、映像の原理や歴史、制作過程を楽しみながら学習できる参加体験型のミュージアム。これらが楽しめる常設展のほかに、企画展としてこれまでもいろいろな映像展示を行ってきたが、ビデオゲームについては今回が初めてという。ビデオゲームは鑑賞するだけの映像作品と異なり、人がプレイすることで初めて作品として成立する映像コンテンツ。このことにこだわり、来場者に展示物に実際に触れてもらうことで、ゲームが実際に作られた時代性や、コンテンツとしての先進性を体感してもらうのが、この企画展の狙いなのだ。

 そのため、展示されているゲーム機はおおむね時代順に並び、そしてラインアップはそのときどきにエポックメイキングとなった技術や思想を初めて取り込んだものが中心となっている。入り口から順を追って解説していこう。ただし、解説を読んで動画を観たからといって満足してはいけない。ゲームは触れてみて初めてゲームとして成り立つものだからだ。

◆不特定多数の人間に遊ばれた、世界初のビデオゲーム

 入り口を入ってすぐ、目に飛び込んでくるのは、1台のオシロスコープと、そのエミュレーター。不特定多数の人間に遊ばれた世界初のビデオゲーム、『Tennis for Two』だ。1958年、ニューヨークの原子力研究機関ブルックヘブン国立研究所が施設を一般開放。施設に親しんでもらおうと、物理学者のウイリアム・ヒギンボーサムがオシロスコープをモニターとして使い、同僚とともに作成したビデオゲームだ。

 世界初のビデオゲームには定義がいろいろある。ディスプレイに表示された内容に初めて外から干渉できたもの、不特定多数の人間に初めて遊ばれたもの、初めてブラウン管や操作盤を持ったもの、商用として初めてインカムを稼いだもの、テレビに繋げる家庭用ゲーム機として初めて売り出されたものなど。この『Tennis for Two』は、研究所に訪れた人々によって楽しまれ、不特定多数の人間に初めて遊ばれた最古のビデオゲームとなったのだ。

 画角はテニスコートを真横から眺めた状態で、ふたりのプレイヤーは、ダイヤル状のツマミでボールを打ち返す角度を決め、ボタンを押してボールを打つことになる。この企画展のオシロスコープ上のものは、レプリカの再生映像だったが、隣に実際に遊べるように拵えたエミュレーターがあり、そこで体験が可能だ。

『Tennis for Two』プレイの様子

 実際にプレイしてみると、“ボールの接地”と“打ち返すボタンを押す”ことのタイミングの関係によって、打ち返される球の勢いが変わり、ネットぎりぎりの低い弾道で勢いよくスマッシュを決めようとすると、とたんに難しくなることがわかる。勝敗もそのための得点も何もなく、ミスをしたら本体にあるリセットスイッチを押して(この企画展ではオートで)再開させるだけの単純なゲームだ。だが、アメリカでのテレビの商用放送が1946年であることを考えると、この当時、ディスプレイ上に表示される何かに、自分が干渉できるのはたいへんな驚きだったことだろう。プレイするために数時間並んで待ったという話が伝わるが、それも時空を超えて納得できる。

◆ブラウン管を使い、汎用性を持った世界初のビデオゲーム

Tennis for Two』がブルックヘブン研究所でのみ楽しめたゲームである一方、スティーブ・ラッセルというMIT(マサチューセッツ工科大学)の学生が1962年に作った『Spacewar!』は、アメリカの研究機関や大学などに当時置かれていたPDP-1という大がかりなコンピューター(それでも当時はミニコンピューターと呼ばれていた)上でプレイできるビデオゲームだった。データは、鑽孔紙と呼ばれる穴あきのテープに保存され、それを読み込むことでプレイが可能になる。そのおもしろさが話題となり、研究機関の横のつながりによって複写され、最終的には50台あまりのPDP-1上で楽しまれたという。

▲PDP-1(国立科学博物館所蔵のレプリカ)。右の中段にあるのが鑽孔紙を読み取る装置で、当初はその下のスイッチがたくさん付いたボックスで操作していたとのこと(後に専用の操作ボックスが作られる)。今回の企画展では、写真奥の中央左寄りにあるブラウン管ディスプレイでエミュレーターが楽しめる。

 ゲームの舞台は宇宙。画面中央部に太陽があり、これを挟んで2台の宇宙戦が移動しつつミサイルを撃ち合い、相手を撃ち落とすのが目的だ。宇宙船はそれぞれ形状から“くさび”と“ミシン針”と呼ばれ、上下と左右が無限ループになった宇宙空間を、慣性に左右されながらスラスターと左右の旋回によって移動する。だが画面中央の太陽に近づくと引力が発生し、吸い込まれてしまうことに注意しなければならない。時期や場所によってスラスターが前後に噴出したり、ワープと加速だったりしているが、この企画展では後者が採用されていた。

▲中央で太陽に吸い込まれかけているのが“くさび”、画面右上に映るのが“ミシン針”。

『Spacewar!』 プレイの様子

Tennis for Two』は、その時代のその場所で公開されたという一時性を持ち、以後の歴史とは切り離された存在だったが、この『Spacewar!』は、追って紹介する『Computer Space』の原型であり、ブラウン管を用い、専用の操作ボックスを伴った最初のビデオゲームとして、以後の歴史に大きく関わってくる。

 実際に触れると、この制御しにくい宇宙船をうまく制御すること自体が最初の楽しみであり、操作に習熟してからは、今度は予測できない動きをする相手を撃ち落とすという楽しみがあることに気づく。単純であるがゆえ、これらそれぞれの段階でムキになることは必至で、一度始めるとなかなか止め際が見つからなくなる。その結果、ビデオゲームは生まれたときから熱中することが運命づけられた存在だったということに気づかされるのだ。

 開発者のスティーブ・ラッセルは、自身が好きだったSFにヒントを得て『Spacewar!』の題材を宇宙にしているが、演算や表示能力を考慮すると、ディスプレイに広がる空間を漆黒の宇宙、明るく光るドットを瞬く星に見立てるのは至極まっとうなこと。コンピューター=宇宙的というオールドスクールなイメージも最初から運命づけられていたのだろう。

◆世界初の家庭用ゲーム機

 1966年、バス停でバスを待っていた技術者ラルフ・ベアに突然の閃きが起きた。「テレビにテレビ番組以外のものは映せないか?」。彼は勤め先のサンダーズ・アソシエイツ社に試作品を披露してプロジェクトを認めさせ、試行錯誤のすえ、1969年に家庭用ゲーム機の試作品“Brown Box”を生み出す。紆余曲折があった後、マグナボックス社がこの権利を取得。Brown Boxをもとに製品版である“ODYSSEY”を1972年に発売するのだ。

 このODYSSEYは内蔵されたゲームを付属のゲームカードで(回路を)切り替えて楽しむ。さらにモノクロであったため、オーバーレイと呼ばれるカラーのフィルムを画面に貼り、これを一部の描画の代わりとしたのだ。

 この企画展には、Brown Boxのレプリカ(とはいえラルフ・ベア自身が製作したもの)と、ODYSSEYが並べて展示されている。常時触れられる状態ではないが、会期中に何度か動かす機会を設けるとのことで、詳細は公式ホームページにて追って明かされる予定だ。

※彩の国ビジュアルプラザ 映像ミュージアム公式ページ

▲名前の由来がよくわかるBrown Box。つまみの数がODYSSEYと異なる。本体のスイッチ類でゲームの切り替えを行う。

▲世界最古の家庭用ゲーム機ODYSSEY(可動品)。画面中央左がゲームの切り替えカード。その後ろにゲームを楽しむ補助となるカード類が続き、いちばん奥にオーバーレイが並べられている。オーバーレイはブラウン管の静電気を利用して貼り付けるのだ。