セガと任天堂のOBが激しく語る、メガドライブとファミコン“コンソールウォーズ”の真実【Comic-Con International 2014】

コミコンの“プログラム”をチェックしていて、個人的にそこはかとなく楽しみにしていたパネルディスカッションがあった。開催最終日の7月27日(日)に行われる“Console Wars: Sega, Nintendo, and The Battle That Defined a Generation”だ。

●「あのころが一番楽しかった」

 2014年7月24日(木)~27日(日)、アメリカ・サンディエゴのコンベンションセンターにて、エンターテインメントの祭典“Comic-Con International 2014”(略称:コミコン)が開催された。


 コミコンの“プログラム”をチェックしていて、個人的にそこはかとなく楽しみにしていたパネルディスカッションがあった。開催最終日の7月27日(日)に行われる“Console Wars: Sega, Nintendo, and The Battle That Defined a Generation”だ。今年の5月に北米で発売され、大きな話題を集めた書籍のタイトル名をそのままつけたこのパネルディスカッションは(⇒書籍の詳細はこちら・英文)、著者のブレイク・J・ハリスさんを司会役に、かつてセガや任天堂に在籍していたメンバーに集まってもらい、当時の内情を語るというもの。まさにリアル“Console Wars”といったパネルディスカッションだが、もちろんそんなに殺伐とするわけもなく、どちらかというと同窓会みたいな感じで、和気あいあいと和やかな雰囲気の中でパネルディスカッションは進んだ。

 登壇したのは、セガからアル・ニルセンさんとトム・カリンスキーさん。任天堂からはペリン・キャプリンさんとビル・ホワイトさん。ここ十数年の業界歴しかない記者は存じあげなかったのだが、セガ・オブ・アメリカのCEOを務めたトム・カリンスキー氏らを筆頭に、かつてのセガや任天堂の屋台骨をささえた重鎮が揃っているようで、ファミ通.comで、いつも通訳をお願いしている業界の事情に詳しいMさんは、顔見知りの方も多かったようです。


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▲アル・ニルセンさん。

▲トム・カリンスキーさん。

▲ペリン・キャプリンさん。

▲ビル・ホワイトさん。

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▲『Console Wars』の著者であるブレイク・J・ハリスさん。

 さて、それではパネルディスカッションの模様をお伝えしていこう。まず口火を切ったのが著者のハリス氏。ハリス氏は、3年前に兄弟から、誕生日プレゼントとしてジェネシス(メガドライブ)をプレゼントされたことが、『Console Wars』を書いたきっかけとなったと語る。「幼いころにジェネシスで遊んでいたので、当時のいろいろな思い出が蘇るとともに、“セガはどこから来たのか?”、“セガとは何だったのか?”、“なぜあれほど成功した会社なのに、ハードを販売しなくなってから、影が薄くなってしまったのか?”などの背景に興味を持ちました」(ハリスさん)。書籍を執筆するためにハリスさんは、たくさんの関係者に話を聞いたようだが、個性的な人々たちばかりで、取材中は人生で最高といってよいほどに楽しかったらしい。


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 1989年のジェネシスのローンチを手掛けたというニルセンさんは、「今年8月14日にジェネシスが発売から25年を迎えるので、みんなで何らかの形で祝ってほしい」と前置きしたうえで、当時のハードのシェアは任天堂が95%でセガが5%という状況で、「ビデオゲームをプレイすることイコール任天堂のハードを持つこと」だったと語る。ジェネシスを北米で展開するにあたっては、日本から2作品がマスコット・キャラクター候補として提示されたという。ひとつが卵型の幼児向けと思われるキャラクターで、もうひとつがハリネズミ。マドンナという人間のガールフレンドがいて、ロックバンドがついていた。こちらのほうがマシだと思い、“ソニック”と名付けられたキャラクターを選んだのだが、「正直、ここからは何も生まれないな」とニルセンさん思ったという。ところが、日本に行ってゲームを見せられたときに印象は一変する。当時画面は白黒だったが、そのスピードと背景の美しさに驚愕したというのだ。『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』は、こうしてニルセンさんの心をわし掴みにしたというわけだ。


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 そのころセガに入社したトム・カリンスキーさんは、「ジェネシスにベストゲームを揃える」という意気込みのもと、本体の同梱ソフトを、それまでの『Altered Beast(獣王記)』を外して、『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』にすることを決意する。さらにハードの価格を下げて、スポーツタイトルやストラテジーをラインアップに加えることで、高めの年齢層を取りにいく戦略を取った。同時に、アメリカのキャラクターのライセンス・ビジネスも始めたという。「日本の本社の上層部は、ハードの値下げなどによる収益減少や、スポーツタイトルへのライセンスにかかるスタッフ増加などから、これらの施策に反対しましたが、社内のサポートもあり、実現できました」(カリンスキーさん)。


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 一方で、ビル・ホワイトさんが任天堂に入社したのが、1987年。当時は、荒川實氏やハワード・リンカーン氏などごく少数の部隊だったらしい。「少人数でやっていたので、すべてシンプルでしたね。当時は、まだアタリショック(1982年)を引きずっていて、小売店はゲームに不信感を持っていましたが、任天堂はアメリカ向けにタイトルを充実させ、大きく宣伝したので信頼を回復することができました。その中のひとつが『スーパーマリオブラザーズ3』です。その後、ユニバーサル・スタジオに行き、『マリオ』映画化のライセンス契約を結んだことをよく覚えています」(ホワイトさん)


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 そのころ任天堂に入社したというペリン・キャプリンさんは、ゲーム業界の外からやってきたので、最初は何の事情もわからず、「自分の面接をする人の名前が、“マリオ”だと思っていた」と、会場を笑わせる。「いまは任天堂を離れていますが、任天堂は心の中に深い印象を与えるものをもった会社です。あのころは職業を聞かれると“喜びを与える仕事をしています”と答えたものです。当時、任天堂は約4000万世帯に浸透していて、それはとんでもない偉業でした。私が任天堂の考えかたに慣れてきたころに、セガがいろいろとやり始めてイライラさせられましたけれど(笑)」。当時、マリオの後ろからソニックが追いついてくるという広告もあったという。「あれは、ジェネシスに比べてNES(ファミコン)が周回遅れだと言いたかったんだ」とはカリンスキーさん。

 「セガや任天堂の人に話を聞くと、あのころが一番楽しかった、という声が多かったですね」とハリスさんが水を向けると、それに呼応するようにニルセンさんが語る。「毎日何か違ったことが起こり、全員が情熱を持っていました。任天堂の後を追う、アンダードック(敗北者)だったこともありました。でも、すごいソフトが出るので、何とかゲームファンに知ってもらおうと、情熱を持ってベストアイデアを出し合っていましたね」。さらにカリンスキーさんも「セガで働いた仲間とは、いまでも連絡を取り合っています」という。


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▲ニルセンさんとカリンスキーさんはセガのシャツを着て参加。いまも変わらぬセガ愛がうかがえる。

 「当時、NESは子ども向けという印象があったので、ジェネシスではMTVやロックコンサートなどのクールなものと関連付け、大学などに出かけてプレイヤーの裾野を広げるなどのグラスルーツ(草の根運動)的な取り組みもしました。いまはふつうになっているレーティングシステムを取り入れたのもセガです。当時の市場の大きさは30億円でしたが、いまは630億円になっています」とカリンスキーさん。それだけの飛躍の転機になったのが、当時だったということのようだ。

 一方の任天堂も、マクドナルドのハッピーセットにマリオを使用したり、大学でのツアーなどをしたりと社会普及に務める。「ソフトのクオリティーが高かったので、在庫さえあれば、きちんと売れましたね」とホワイトさんは誇らしげに語る。

 ペリン・キャプリンさんも当時の任天堂のことは誇らしく思っているようで、「そのうちに任天堂がお届けしていた楽しさをセガも提供するようになりましたが、任天堂は独自の戦略で進んでいきました。任天堂で教えられたのは“周囲に知られている自分の得意ワザに集中しろ”ということです。自分をユニークにしてくれるものに集中し、誰にも負けないようにやっていれば、成功はつねにやってくる。これはどんなところでも通用することだと思います。任天堂にも何度も試練はありましたが、つねに自分たちが得意とすることに集中してきました。会社は時間とともに変化しますが、任天堂の商品やキャラクターがもたらす喜びは、減少することはないと思っています」と熱く語る。


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 と、当時の興味深いお話が聞けた後で、Q&Aのコーナーへ。以下、興味深いやりとりを紹介していこう。

Q.いまのセガや任天堂の方向性について、どう思いますか? さらにソニーとマイクロソフトの戦いに関しての意見を聞かせてください。
キャプリン ネガティブなことを言うのはラクですが、マイクロソフトとソニーは似ていると思います。任天堂はユニークで、この2社とは違う。そういう意味でいうと、任天堂は今後もゲームが生み出す楽しさを提供し続けて、独自のワールドを作っていくのではないでしょうか。
ハリス 任天堂はDNAが違う感じがしますね。ソフトはつねに特別なものになっています。
ニルセン Sega Playstationができていれば、素晴らしかったと思います。夢のようです。失われた機会ですが……。

Q.セガのコンシューマーカムバックを望んでいる人は少なくないと思いますが、そうなったら何がやりたいですか?
カリンスキー セガの存在感が小さくなっているのは残念です。ゲームは、費やすお金と楽しめる時間を考えると、とても安価で、エンターテインメントに大きな貢献を果たしたと思っています。いまは、セガサミーが運営しているので、将来のことはわかりません。

Q.昨今は、いろいろなデバイスが使われるようになりましたが、そんな中で任天堂の携帯ゲーム機は健闘していると思います。その理由は?
キャプリン これはあくまでも個人的な意見ですが、スマートフォンのゲームも楽しいと思います。だけど、専用の機械で遊ぶゲームはリッチな経験を提供してくれます。スマートフォンが雑誌なら、携帯ゲーム機は書籍といったところでしょうか。

Q.セガと任天堂が“アイコン(象徴的)”的な存在になった理由をひとつ挙げるとすれば何ですか?
ホワイト ソフトのクオリティーだと思います。
カリンスキー たしかに! ソフトを出す際は、60~100時間くらい遊べるように努力を重ねました。すばらしい商品を出せば、業界は育っていきます。

Q.ドリームキャストは、史上もっとも正当に評価されなかったハードだと思います。その理由は?
ハリス ドリームキャストは、私のもっとも好きなハードです。成功しなかったのはハードウェアのせいではなく、会社内の問題ではないかと認識していますが……。
カリンスキー ドリームキャストのローンチ時に、私はすでにセガを離れていたので、はっきりしたことは言えません。ただ、自分がセガにいたときに、日本のセガとセガ・オブ・アメリカとのあいだが少しギクシャクしていて、私はそのためにセガを去ることになりました。それが、ドリームキャストにも少し影響があったのかもしれません。任天堂は日本もアメリカも同じ目的を持って進んでいましたが、あのころのセガはそれが少しできなかった。そこが大きな違いだったのだと思います。

 多くのセガファン、任天堂ファンが訪れ、会場は満員だった『Console Wars』のパネルディスカッション。興味深い話は尽きなかったわけだが、セガと任天堂のことを語るには、1時間ではあまりに短い。もっともっと話が聞きたかったというのが正直なところだが、そんな日本のゲームファンの皆さんは、今後発売される予定だという邦訳書をお待ちください。さらに、『Console Wars』はドキュメント映画の制作が決定しているとのことなので、お楽しみに。

(取材・文 編集部/F)