『三国志を抱く』マニア必見の秘話満載――“三国志”の真実についてプロ中のプロに訊く!(その2)

董卓や関羽に隠された驚きのエピソードが明かされる! 『三国志を抱く』公式Twitterで武将解説などを担当してきた三国志研究の第一人者、渡邉義浩教授へのインタビューの中編をお届け。

●人気武将たちの人物像に迫る!

 “三国志演義”を原作とした、骨太のストーリーが魅力なシミュレーションMMORPG『三国志を抱く』。今回も前回に引き続き、“三国志研究”の第一人者である渡邉義浩氏(早稲田大学文学学術院教授)へのインタビューをお届けする。

※『三国志を抱く』マニア必見の秘話満載――“三国志”の真実についてプロ中のプロに訊く!(その1)はこちら

渡邉義浩(わたなべ よしひろ)
早稲田大学文学学術院教授、三国志学会事務局長。
専門分野は中国古代思想史で、“三国志”を始め、中国古代の漢~六朝時代の政治、思想などを研究している。
『三国志を抱く』公式Twitterで三国志講義を2013年3月より担当。

渡邉氏のWebサイト
http://ywata.gakkaisv.org/

三国志学会のWebサイト
http://sangokushi.gakkaisv.org/

●じつはタダ者ではなかった董卓! そして呂布の評価は?

――ここからは“三国志”の人物についてお聞きしたいと思います。まずは、『三国志を抱く』1幕でも大活躍する董卓についてです。董卓は、物語では“ザ・悪役”といった役柄を背負って登場するのですが、実際はどのような人物だったのでしょうか?

渡邉 董卓については、“三国志演義”ではまさに悪役としてしか描かれていませんが、正史では「なぜ董卓はあれだけの権勢を振るうことができたのか」ということについて書かれています。そこには、彼の強さは率いている兵力によるところが大きいとされています。董卓の軍団は、彼の子飼いである当時中原で最強の“涼州(※15)兵”が中心となっており、親しくしていた“羌族(※16)”の軍隊の力も借りて圧倒的な強さを誇っていました。

※15 現在の甘粛省
※16 涼州よりもさらに西方の地域に住んでいた民族で、独自の勢力を保っていた。のちの五胡十六国時代には中原に進出して、後秦という国家を建国している

――やはり武力が大きいということですね。

渡邉 じつはそれだけではありません。“三国志演義”では全部カットされているのですが、董卓は知識人の積極的な登用を行なっていたのです。まぁ、最終的にはほとんどに裏切られてしまうのですが……。彼らを各地の長官に据えて、きちんと政治をやっていこうという側面も持っていたんですね。

董卓

――最初はちゃんと政治で勝負しようとしていたんですね?

渡邉 そうですね。ただけっきょく、その姿勢が知識人たちに無視されてしまったので暴虐に走ることになりますが、その中でもひとりだけ蔡ヨウ(※17)という人物はずっと董卓を支え続けています。董卓が陝西へ流れようとしたときも止めているんです。ですから、『三国志演義』に書かれているよりは、まともに政治をやっていると考えていいと思います。

※17 さい・よう。鄭玄(じょうげん)や盧植(ろしょく)と並ぶ後漢末の三大知識人

――その董卓を裏切ることになる、『三国志』ナンバーワンの猛将である呂布についてはいかがでしょうか? 彼も、じつは猪武者などではなく、たとえば意外な知性があったとか……。

渡邉 呂布については、まさにそんな感じだったんじゃないでしょうか(笑)。当時の戦争はすでに、お互い名乗りを上げて一騎討ちをする……というものではなく集団戦がメインになっていて、個人の武力というのはあまり影響を及ぼさなくなっていました。しかし、彼が率いていた“騎兵”部隊に関しては事情が異なります。騎兵部隊は、指揮官が先頭に立って戦うことになるので、個人の実力が部隊の強さを左右することになるのです。そんな中、圧倒的な武名を轟かせた呂布の実力は、掛け値なしに“三国志”随一のものだったのではないでしょうか。ただ、それだけなのですが(笑)。

呂布

――吉川版“三国志”では、前半は曹操、後半は諸葛亮がメインとなって活躍しますが、物語性を抜きにして、彼らが歴史上で果たした役割はどのようなものなのでしょうか?

渡邉 “新たなる創造者と、伝統の保守者”という言葉でまとめられると思います。前者が曹操で、後者が諸葛亮です。秦・漢と続いてきた支配のシステムが行き詰まりを見せていた時代で、のちの均田制(※18)と租庸調制(※19)の税収のもとになる制度を始めるなど新たな国家システムを創り出した曹操に対し、諸葛亮は漢の支配体制を復興させるために従来の法律を厳守させるきびしい政治を行いました。ふたりとも国の支配体制の強化に務めたのですが、そのベクトルはまったく違っているというわけです。ただし、人気は圧倒的に諸葛亮のほうが上ですね。

※18 国家が一括して土地を管理し、それを農地として農民に貸し出す代わりに一定の税を納めさせるシステム
※19 国家に治める税の形で、租=穀物、庸=労役、調=繊維を指す

――それはやはり“判官びいき”的な心情が働いているのでしょうか?

渡邉 もちろん、それもあります。また、曹操は後の世のシステムを作った功労者なわけですが、そのシステムが当たり前になっている時代からすれば、当時の彼の先進性は評価しにくくなっているんですね。一方で、伝統を必死に守ろうとしたことで、諸葛亮は男としての株を上げており、それも曹操との差を生み出した要因になっています。

諸葛亮

曹操

――なんだかちょっとかわいそうな気もしますね……。さて、中国では諸葛亮に負けず劣らずの人気を誇ると言われているのが関羽です。彼については身長9尺(※20)、義弟の張飛も身長8尺と、2メートル前後の大巨人として描かれていますが、本当にそんな身長があったのでしょうか?

渡邉 身長については、正確な記録が残っていないので何とも言えないところですね。ただ、北の人は大きく、南の人は小さい、といった傾向はあったようです。そのため、傾向にしたがって、“三国志演義”でも北方の出身である劉備や諸葛亮は背が高く、逆に南方の出身である曹操は低く設定されています。

※20 1尺は約24センチ

関羽

――つまり、身体の特徴がわからない人物は、そういった出身地などの要素で身長が決められているということなんですか?

渡邉 そういう例もあるということですね。一方、中国の古典で描かれる人物の身長を決める基準には、もうひとつ重要な要素があります。中国では、文廟が武廟よりも上に扱われる儒教の文化があるのですが、文廟のトップといえば孔子(※21)であり、彼の身長は10尺とされています。そのため、後世に現れたいかなる英雄も、孔子に及ばないということで、身長が10尺に並ぶことはありません。現在では神として崇められている関羽も武廟の人物ということで、9尺になっています。このように、身長を決めるときは最初に絶対的な最高基準を決め、あとは武将の強さだとか偉さ、出身地などを加味して調整しているようですね。

※21 紀元前、春秋時代の魯国の学者で、中国の国境である儒教の始祖

 “『三国志を抱く』マニア必見の秘話満載――“三国志”の真実についてプロ中のプロに訊く!(その3)”へ続く。

【『三国志を抱く』とは】
PCだけでなく、スマートフォンやタブレットなど、多様なプラットフォームで同一のゲームをプレイ可能なクロスプラットフォーム型シミュレーションMMORPG。ゲームはすべて連動し、いつでも、どこでも、好きなときに遊べるのが最大の特徴だ。三国志演義のストーリーを背景としており、約200名の武将たちを指揮して戦略的なバトルを楽しめる。

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