
本インベントは飯野氏が生前、後述するヨシナガ氏と共同開催していたトークライブ“飯野賢治とヨシナガの『気になること。』”の番外編。ファンから熱い支持を集めていたトークライブが14年ぶりに復活するとあって、今回のイベントも終始盛り上がりを見せるものとなっていた。そんな座談会の模様をリポート形式でお届けしていく。
なおこちらのトークイベントは、プレミア配信チケットを購入することで5月19日まで視聴可能だ。
・視聴はこちら(ツイキャス)
ゲスト陣がそれぞれの目線で飯野氏との想い出を振り返る2時間45分
そんな同氏が、2008年より計7回にも渡ってあるイベントを行ってきたことをご存知だろうか? それがトークイベント“飯野賢治とヨシナガの『気になること。』”だ。
これはLINEスタンプ『ゆかいなエヅプトくんスタンプ』や著書『ハイブリッドワーカー』などを代表作に持つ、サラリーマンクリエイターのヨシナガ氏と飯野氏が共同で立ち上げたイベント。イベントが発表されてすぐにチケットが完売するほど、ファンのあいだで人気のある催しだった。
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7回目を最後に同イベントは停止していたのだが、飯野氏の生誕55周年を迎える2025年に“番外編”と銘打っての復活が告知された。しかも開催日は飯野氏の誕生日でもある5月5日。
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久々に開催されたトークイベントのテーマは、“私(出演者)だけが知っている飯野賢治の気になること。”。飯野氏の妻であり、飯野氏に代わってフロムイエロートゥオレンジ(fyto)で現代表取締役に就く飯野由香さんとヨシナガ氏が司会を務め、ゲスト陣と在りし日の飯野氏について語られた。
【登壇ゲスト】
- 土屋敏男氏:日本テレビ『電波少年』シリーズ プロデューサー
- 太田克史氏:星海社(講談社子会社)代表取締役 飯野賢治著書『ゲーム』の企画・編集担当
- たっくす氏:NORWAYメンバー
赤ん坊の頃からすでに鋭い眼光!? 写真で振り返る飯野氏の人生
飯野氏といえば、体格のよい身体や長髪といったイメージを持つ人も多いと思うが、やはり飯野氏も人の子。当然子ども時代もある。会場では本邦初公開となる赤ん坊から大人になるまでの軌跡がつぎつぎと公開されていった。
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その後、無事病室で目を覚ましたときに作られた曲が『redcross』。この楽曲は救急車をイメージして制作され、タイトルの由来は入院した場所が日赤病院であったことに起因するという。なおジャケットの写真は病室の窓から撮った景色とのこと。『redcross』はアルバム『KENJI ENO 55』にも収録されている。
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土屋氏曰く、飯野氏は「恐ろしくピュア」
そんな中、土屋氏と飯野氏は共通の友人を介して2010年ごろ出会うことに。当時土屋氏は匿名でTwitterをやっていたものの、それが飯野氏に見つかり拡散されてしまったことをきっかけにフォロワーが数十人から一気に1万人を超えたと、笑顔で当時の出会いを語ってくれた。
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しかし収録当日、飯野氏はスケジュールをなんとか調整してスタジオに駆けつけたという。「松本さんとたけしさんが共演する瞬間を絶対に見逃したくない」という強い思いが飯野氏にはあったそうだ。そんな飯野氏について土屋氏は「おもしろいことが大好き」、「恐ろしくピュア」とコメントしていた。
飯野氏はインタビューの在りかたを変えた?
当時はゲームクリエイターがメディアに出ることが自体が珍しく、メディアに出ても話すことは開発中のゲームについてがほとんど。しかし飯野氏はメディアに積極的に出演し、まだ構想段階のゲームについて惜しげもなく披露したり、自身が影響を受けた音楽や本について話すなど、型にはまらずパーソナルな部分も語るエンターテイナーだったと振り返っていた。
いまでこそ個人に焦点を当てたゲームクリエイターのインタビューも少なくはないが、最初にそれをやったのは間違いなく飯野氏だと、太田氏は力強く語る。
太田氏は最初、飯野氏に少し怖い印象を持っていたが、ウクレレを弾きながらインタビューを受けるなど、その型破りなスタイルに驚き、徐々に怖いイメージは薄れていったそうだ。
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ちなみに著書『ゲーム』に関しては飯野氏が語ったことを太田氏が書き起こして制作しているとのことで、矢沢永吉さんの『成りあがり』をイメージしている部分もあるのだそうだ。『ゲーム』では「これ書いても大丈夫?」と思うようなギリギリな内容も記しており、由香さんはそれを心配していたという。そのことについて太田氏は「あまり考えていなかった」とコメント。飯野氏からのNGもほぼなく、書き起こした内容をそのまま本にしているため、いま読んでもおもしろい内容になっていると語っていた。
また太田氏によれば、飯野氏には長編小説の執筆も依頼していたという。飯野氏が他界してしまったため完成には至らなかったが、冒頭部分を読むと非常におもしろいものになっていたそうだ。そう語りながらも「形になっていれば……」と太田氏は悔しさをにじませていた。加えて、自分がもっと飯野氏のスポークスマンとして同氏の存在を広めたかったとも話していた。
出会いのきっかけはYMOのカヴァー。たっくすさんが語る飯野氏
たっくすさんは自身が手掛けたYMOのカヴァー曲をネットにアップするという活動を個人で行っていた。ただネットでの辛辣な意見を避けるため、たっくすさんは自身をノルウェー人だと称して活動を継続。そんな折、飯野氏がたっくすさんのYMOカヴァーを発見してノルウェー語でコンタクトを取ってきたのが、最初の接点になっているという。
しかしたっくすさんはノルウェー人ではないし、当然ノルウェー語も分からない。最初は飯野氏のメッセージを無視していたそうなのだが、その後、飯野氏から何回かのメッセージが届き、ついに無視できなくなり、自分が日本人であることを白状。
すると飯野氏は冗談まじりに「坂本(龍一)さんにノルウェー人がYMOカヴァーやってるって言った俺の信用をどうしてくれるんだ!」と言われたという。
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由香さんによると、NORWAY結成当時、飯野氏は仕事がうまくいってなかったらしく、かなり落ち込んでいたという。そんな飯野氏にとってNORWAYでの活動は非常に楽しいものだったそうだ。それを横で見ていた由香さんだからこそ、飯野氏の最後の彩りとも言えるNORWAYの楽曲を、アルバム『KENJI ENO 55』には絶対入れたいと思ったのだと語ってくれた。
ただNORWAYは飯野氏がプライベートでやっていたバンドのため、配信したりアルバムに収録したりすることに躊躇いもあったという。そこでNORWAYのメンバーに相談したところ、「もちろんいいよ! ありがとう!」と快諾。晴れてアルバムに収録されることとなった。
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飯野氏とヨシナガ氏の出会いは特徴的なワードセンスがきっかけ?
そんな中、飯野氏のブログに同じ表記で“KO・U・HU・N☆”というワードが出てきたという。これを見たヨシナガ氏はピンと来て、自身のブログを見た飯野氏による、メディアを使った間接的なメッセージだと感じたそうだ。
そういった縁もあり飯野氏とヨシナガ氏はメールでやり取りをするように。その後、ヨシナガ氏は自身が出演しているトークライブに飯野氏を誘ったところ、飯野氏はこれを快諾。初めて対面することになり、そこから交流は密なものになっていった。そうして誕生したのが、2008年に第1回目を迎えるトークイベント“飯野賢治とヨシナガの『気になること。』”だ。
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読んで字のごとく実際には存在しない料理で「Twitterのトレンドに入れられないか」という目論見のもと作られたワードになる。この目論見を達成すべく、当時トークイベントの会場に来ていた150名が“バリルンご飯”を流行らせるようTwitterに投稿をしていたところ、噂が噂を呼び、ついには「バリルンご飯が美味しいと聞いたのですが」と質問してくる人まで現れる自体になったそうだ。ヨシナガ氏はこうしたアクションを見て「凄いことを考えるな」と感心したと振り返っていた。
こうして好評のまま続いてきた“飯野賢治とヨシナガの『気になること。』”だが、あるとき突如として終幕を迎える。というのも、このトークイベントは「満員じゃなくなったら終了する」という飯野氏の要望を前提に進められていたためである。あるときわずかに参加人数が足りなくなり、宣言通りこれをきっかけに閉幕したという形だ。同イベントをビジネスではなく、「楽しいこと」として考えている飯野氏だからこその考えがあったのかもしれない。
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