突然の発表に編集部もパニック

 2002年(平成14年)11月26日は、スクウェアとエニックスの両社が合併することを発表した日。ゲームに関わるすべての人を驚かせた衝撃のニュースが飛び込んできたあの日から、本日で20年が経過したことになる。なお、会社としての“スクウェア・エニックス”が誕生したのは2003年4月1日から。

 “スクウェアとエニックスの合併”と言えば、当時のゲームファンやゲーム業界関係者であれば誰しも強く記憶に残っているであろうビッグニュース。

 合併までは当然『ファイナルファンタジー』シリーズと『ドラゴンクエスト』シリーズという、日本を代表する2大RPGは別々の会社から発売されていた。スクウェアとエニックスは互いに競合するライバル関係にあり、そんな両社が手を組むというのだから驚かないほうが無理であっただろう。

スクウェアとエニックスが合併を発表したあの日から20周年。『FF』と『ドラクエ』がタッグを組んだニュースに驚きワクワクが止まらなかった【今日は何の日?】

 当時はネット上に漏れるリーク情報などもなかったし、ほとんどの業界人が2002年11月26日当日に発表会見があることを知ったのではないだろうか。ファミ通編集部も例外ではなく、当日に会見が開かれることを知らされたため、ニュース記事担当であるエクスプレス班はとくにパニックだったと思われる。

 週刊ファミ通本誌に掲載された記録記事によれば、編集スタッフは昼休みの食事中に「スクウェアとエニックスが合併するそうです。3時半から会見があります」と聞かされてすぐに帰社。前日に入稿を終えている2002年11月29日発売号(2002年12月13日号)の誌面に掲載するため、印刷所と交渉した模様だ。しかし「絶対に無理」と言われてしまったらしい。

 すでに印刷作業に入っているのだろうから当然の返答なのだが、懸命の交渉の結果、会見の開始前に「あと15分で原稿を書いてくれれば間に合わせます」と言われたようだ(笑)。開始前に原稿を書けという無茶ぶりに筆者などは思わず吹き出してしまったのだが、当時の印刷所の方々の苦労を考えると笑いごとではないだろう。

 まあ、印刷所と編集の双方の尽力の甲斐あってリミットは30分ほど延長されて何とか作業は終了。たった3日前のニュースが紙の本誌に掲載されていたことには当時の読者はビックリしたに違いない。筆者もビックリした。なぜならゲームの紹介記事を担当していた筆者は、エクスプレス班の苦労などつゆほども知らなかったので……。

スクウェアとエニックスが合併を発表したあの日から20周年。『FF』と『ドラクエ』がタッグを組んだニュースに驚きワクワクが止まらなかった【今日は何の日?】
週刊ファミ通2002年11月29日発売号(2002年12月13日号)の記事より。関係者各位の協力もあり3日前の会見が記事に。
スクウェアとエニックスが合併を発表したあの日から20周年。『FF』と『ドラクエ』がタッグを組んだニュースに驚きワクワクが止まらなかった【今日は何の日?】
週刊ファミ通2002年12月6日発売号(2002年12月20日号)の記事より。翌週の記事では詳報を掲載。さらに翌週の号ではスクウェア・エニックス代表取締役社長に就任する和田洋一氏と、代表取締役副社長に就任する本多圭司氏のインタビュー記事も掲載されている。
スクウェアとエニックスが合併を発表したあの日から20周年。『FF』と『ドラクエ』がタッグを組んだニュースに驚きワクワクが止まらなかった【今日は何の日?】
同じく週刊ファミ通2002年12月6日発売号(2002年12月20日号)の記事より。ファミキングのコーナーにて、ニュース班の担当だった大塚角満より、当日の苦労ぶりが伝えられている。本当にたいへんだったんだろうなあ。

 両社合併の一報は、テレビのニュースや新聞などでも大きく取り上げられていたため、そっちのほうで記憶している人も多いかもしれない。ゲームファンを驚かせたこの世紀の合併以降、業界再編の流れは加速。2005年にはバンダイとナムコ、2009年にはコーエーとテクモ、2012年にはスパイクとチュンソフトなどを始め、いくつものメーカーが合併している。“ファミ通”を例に挙げても、まさか“電撃”と同じ会社(KADOKAWA Game Linkage)になるとは当時のスタッフは誰も想像していなかったのではないだろうか。

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