2022年11月24日、『アーケードアーカイブス ギャラクシアン』が配信を開始した。それを記念して、1979年代当時の制作陣である澤野和則氏、石村繁一氏、田城幸一氏にお話をうかがった。
ビデオゲーム黎明期に大ヒットしたシューティングゲーム『ギャラクシアン』
本作は、1979年にナムコから発表された固定画面タイプのシューティングゲーム。左右2方向のレバーで自機“ギャラクシップ”を操作し、エイリアンたちと戦う。トリッキーな動きで襲い掛かるエイリアンの動きや、特定の順番で敵編隊を撃墜することで高得点を狙えるシステムで好評を博した。
本作のゲームシステムはのちの作品にも受け継がれ、『ギャラガ』(1981年)や『ギャプラス』(1984年)などのシリーズ作品に派生。いずれも人気のタイトルとなった。
澤野和則氏(さわのかずのり)
『ギャラクシアン』企画担当。
石村繁一氏(いしむらしげいち)
『ギャラクシアン』基板設計・プログラム担当。
「音響効果や敵キャラクターの陽動に関するプログラムも担当しました」とのこと。
田城幸一氏(たしろこういち)
『ギャラクシアン』プログラム担当。
『ギャラクシアン』を世に送り出した3人のレジェンドに本作への想いを訊く
澤野氏、石村氏、田城氏は、シューティングゲームの礎を築いたといっても過言ではない。短めではあるが、当時の思い出や今夜の生放送出演に向けてのコメントをいただいた。
――『ギャラクシアン』製作時の思い出をお聞かせください。
田城開発に配属されて初めて携わった製品なので、想いは強くあります。
澤野 (それまで)エレメカはたくさん開発してきましたが、『ギャラクシアン』は初めてのビデオゲーム開発だったので、ビデオゲームのこと、市場のことなどイチから勉強して開発しました。ですので、手塩にかけて育てたと言う想いがあります。
石村当時“ポストインベーダー”という大目標がありました。その目標達成のためには多少の無理やコストアップには目をつむる、という雰囲気があったと記憶しています。おかげでやりたい放題やらせてもらったという印象です。
――これまでも多くの家庭用ハードやPCなどに移植されてきた『ギャラクシアン』ですが、本日アーケード版が久しぶりに『アーケードアーカイブス』シリーズとして復刻されました。若い世代のゲーマーに『ギャラクシアン』という存在が伝わっていくことになりますね。
田城ビデオゲームの歴史のひとつになれたのかなと思います。
澤野業務用のゲームが家庭用で遊べると言うのは、当時のナムコの財産でしたが、いまの時代にそれが通用するのかと言うと疑問があります。ただ、モノづくりのエキスがぎゅっと詰まっているので、いまの遊びの作り手のみなさんにそれらを感じ取っていただけたら幸いです。
――このあと19時からの生放送“アーケードアーカイバー”と“俺たちのアケアカ”に皆様がリモートでご出演されます。視聴を楽しみにしているクラシックゲームファンに向けてメッセージをお願いします。
澤野クラシックゲームファンは、遊びに対して目が肥えてる方々だと思いますし、そのようなファンの方がいらっしゃるのがうれしいです。覚えていることは可能な限り、石村さん、田城さんとお話ししますので、ぜひ生放送を観てください。
田城クラシックゲームファンはゲームを通して過去の同じ時間を過ごした仲間ですので、今回お話しできることがうれしいです。
石村ビデオゲーム黎明期は“ゲーム性”開発の時代でした。遊びやスポーツなどをビデオゲーム化してさまざまなジャンルが生まれました。その発展過程を振り返ってみるのもおもしろいと思います。
本日(11月22日)19時より澤野氏、石村氏、田城氏が生放送に登場
より詳しい開発当時のエピソードや、『ギャラクシアン』制作時に苦労された話などは、本日19時からのコラボ生放送“アーケードアーカイバー”&“俺たちのアケアカ”で聞けそうだ。ぜひリアルタイム視聴でチェックしてほしい。