“ファミキャリ!会社探訪”第67回はハ・ン・ド
ファミ通ドットコム内にある、ゲーム業界専門の求人サイト“ファミキャリ!”。その“ファミキャリ!”が、ゲーム業界の最前線で活躍している、各ゲームメーカーの経営陣やクリエイターの方々からお話をうかがうこのコーナー。今回はハ・ン・ドを訪問した。
1993年に北海道札幌市に設立されたハ・ン・ドは、家庭用ゲーム機向けはもちろん、ソーシャルゲームや“データカードダス”など、さまざまなプラットフォームに向け、多くのラインアップを手掛けてきたデベロッパー。最新作は、スクウェア・エニックスから2018年9月27日に発売されたNintendo Switch用ソフト『すばらしきこのせかい -Final Remix-』。一方で、2006年8月には東京スタジオ、そして2018年7月には名古屋スタジオを開設し、3スタジオ体制への準備を進めている。今回は、名古屋スタジオ開設の目的や将来像について、東京と名古屋のスタジオ長を兼務する鈴木貴宏氏、 名古屋スタジオ アシスタントマネージャーの稲垣武俊氏に話を聞いた。
鈴木 貴宏(すずき たかひろ)
ハ・ン・ド
東京支社 執行役員
東京スタジオ/名古屋スタジオ スタジオ長 ゼネラルマネージャー
稲垣 武俊(いながき たけとし)
ハ・ン・ド
名古屋スタジオ
アシスタントマネージャー
開発ラインの充実・強化のため、名古屋スタジオを新設
――最初におふたりの経歴から教えてください。
鈴木最初の仕事はゲーム業界ではなく、通販業界、外資系の玩具メーカーで、マーケティングと商品企画を担当していました。そこでプロデュースやディレクションした商品がひと段落したタイミングで、たまたまセガの関係者の方を知っていたことから、セガのAM2研に加わることになりました。そして、最初に携わったタイトルがまだ完結していない某アクションアドベンチャーだったという(笑)。それが1997年か1998年くらいですから、もう20年以上前になりますね。
――懐かしいですね。
鈴木ゲーム業界でのキャリアはそこから始まり、AM2研にいたのが2年弱。その後、カプコンなどで活躍された藤原得郎さんとたまたま縁があって、藤原さんのかばん持ちというか、アシスタントプロデューサーとして、宣伝パブリシティ、営業とさまざまな仕事をやらせていただきました。そのころはちょうどプレイステーション2の立ち上げ時期で、藤原さんのウーピーキャンプとソニー・コンピュータエンタテインメント(現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)が共同でディープスペースというサテライトスタジオを作ったのですが、ゲーム開発以外のプロデュース業務を多く担当しました。その後、3年ほど、父の経営する会社で取締役として勤務しておりましたが、セガからパブリシティチームの育成やアドバイスを請われまして、そこをきっかけに、やはりゲーム開発がしたいという思いが湧き上がり、再びセガに戻ることになりました。以後、セガでは8年ほど、セクションマネージャー、ディレクター、プロデューサーなどを担当してきました。2010年くらいに、しっかりとゲーム開発に携わりたいと思うようになり、大阪の開発会社に開発担当副部長として転職したり、当時の仲間たちと起業したりもしました。同時にハ・ン・ドを始め、何社かから声を掛けられていていましたが、ハ・ン・ドが2年間ずっとラブコールを送ってくれていたのと、その間にハ・ン・ドという会社を知ることができたのもあり、「ここにしよう!」と思って入社しました。
稲垣僕はゲーム業界に入る前はマンガ家になりたくて、その勉強のために名古屋にある専門学校に通っていました。卒業して1年くらいはアルバイトをしながらマンガを描いていたのですが、「これで生活していくのは、かなりたいへんだな」と感じまして…(笑)。そんなころに、アルバイトをしていた本屋さんでゲーム雑誌を見ていた時、たまたま大手のゲームパブリッシャーさんが全国に拠点を展開するという広告が目に付き、その中に名古屋の事業所も含まれていたので、早速応募をしたんです。鈴木と同じ1997年ごろですが、デザイナーとして入社しました。当時はパソコンすら触ったこともない状態でした。そんな状態でも1ヵ月くらいでパソコンやツール周りはある程度使えるようになり、開発チームに入ってお仕事が始まりました。担当プロジェクトは、子供のころにファミコンやスーパーファミコンでも遊んでいた、その会社の看板シリーズのアクションゲームタイトルでした。幸いにも新人の自分がいきなりキャラクターデザインを携わらせてもらったのは、とてもありがたかったです。その後もまったく知識のなかったゴルフや釣りのゲーム開発にも携わらせていただき、ゲーム開発の仕事をとても楽しんでいました。その後、東京の支社に異動して、漫画やアニメのIPものタイトルのゲームに携わり、そこには合計で約7年在籍していました。
――初代プレイステーションやプレイステーション2のころですね。
稲垣はい。その後、幼稚園からずっと仲のよい幼なじみが、僕が大好きなナムコにいたこともあり、いろいろと話を聞くうちに、「せっかく東京に出てきたのだから、憧れの会社に挑戦してみよう!」ということで挑戦してみた結果、入社することができました。入社してからは有名RPGシリーズタイトルを中心に携わっていました。最初はデザイナーとして入社していたのですが、あるプロジェクトが完了した機会に、自分でも何か企画をしてみようと書いた企画書が運よく通り、そのRPGシリーズタイトルのディレクションをやらせていただくことができました。そのころから、デザイナーと企画の両方の仕事をやるようになりました。当時は企画という職種がない会社もあり、最初の会社がそのタイプでした。デザイナーやプログラマーが企画も兼任していっしょに作り上げていくようなスタイルは珍しくはなかったです。そのほかには、共闘アクションのシリーズものも少しお手伝いをさせていただいたり、プロモーションビデオを作るのも好きだったので、その辺りも携わらせていただいていました。ナムコから当時のバンダイナムコスタジオまで、9年ほど在籍しました。
そのつぎの転職では、年齢も40歳近くになっていたことや、地元名古屋で働きたいという思いが強くありました。当時ソーシャルゲームがグンと盛り上がり始めたころで、個人的にも新しいプラットフォームにとても興味があったので、地元名古屋にあるアプリ開発も行っている会社に入社をしました。そこでは約5年間、運営業務やオリジナルタイトルの企画・開発・運営なども携わらせていただき、プロデューサー業務も担当させていただけたのはとても大きな経験でした。
そんな中でしたが、できることなら家庭用ゲーム開発にもう一度チャレンジしたいという思いもあり、40歳も過ぎていたのですが「もう一度挑戦してみよう」ということで、またいくつかの会社を受けました。幸いにも何社か内定もいただき、ここに決めようかな、というタイミングで以前からお付き合いのあったハ・ン・ドから連絡をいただき、「じつは名古屋に事務所を作る」という話を聞きました。
家庭用ゲームもソーシャルゲームも手掛けている会社で、しかも職場が名古屋……。
――一択じゃないですか(笑)。
稲垣もうここしかないと(笑)。ハ・ン・ドに入社したのは、今年の1月です。前職で立ち上げたプロジェクトの相談に来たことがきっかけの繋がりですが、何かと縁がありました。
――おふたりの話を聞くと、“人とのつながり”がとても大事だと思います。
鈴木本当にそう思います。僕がハ・ン・ドという会社を知ったのも、セガを辞める直前にいっしょに仕事をしたことからです。当時、モバイルゲームを担当することになり、ディー・エヌ・エーさんがちょうど“Yahoo!モバゲー”を立ち上げるタイミングで、とある大型IP(知的財産)のフランチャイズタイトルを作ることになりました。ただ、自分はもう辞めると決めていたし、退社日も決めていたのですが、外部の開発会社と組んだところ、いろいろと問題がありまして……。そのままその会社にまかせるわけにもいかず、「どこか、開発力のある会社はないか」と探していたときに出会ったのがハ・ン・ドでした。僕はつぎの会社が決まっていたので、ビジネスの座組みだけ作ってあとはおまかせすることになったのですが、弊社の取締役からは「あの時、逃げたよね?(笑)」と時々からかわれます。決して逃げたわけではないのですが(笑)。そこから、ゆるゆるとしたお付き合いが続き、僕の人となりもわかっていただいたうえで、結果的に2年ほどお待たせしましたが、この会社に加わることになりました。
――現在はどういった業務を担当しているのですか?
鈴木僕は、東京スタジオと名古屋スタジオの2拠点のスタジオ長になっています。スタジオマネジメントをしつつ、パブリッシャーさんからご相談いただいたお仕事について、コンセプトの立ち上げや企画、スケジュール精査含め、企画の練り込みやプロジェクト化するまでをおもに担当しています。いわゆる開発プロデュース業務がメインの仕事ですね。あと、どうしてもゲームは開発中に仕様変更などもあるので、その辺で起こる開発での不具合の“火消し”業務などもやっていたりします(笑)。
――東京と名古屋を行ったり来たり、と。
鈴木名古屋スタジオを立ち上げるときは、週1回のペースで名古屋に来ていました。今後もしばらくは東京が3日で名古屋が2日のような感じになると思います。現在、名古屋スタジオは東京スタジオの管轄下にあり、支社化していません。将来的には支社化する予定ですので、そうなったときには僕がいまのまま兼務するのか、別の者に名古屋を任せるかは未定です。
稲垣名古屋スタジオは7月に開設したばかりで、まだ人数も少ない状態です。現在は東京でスタートした大きなプロジェクトを共同で進めています。自分はプランナーとして入っていますが、デザイナーの仕事もできますので、そうした作業も行っています。東京スタジオとはテレビ会議やたまに出張もしながら、いっしょに仕事をしています。