ポツンと立った葉のない木の前で、ウラディミールとエストラゴンが空虚な会話を続けながら“ゴドー”なる人物を待ち続ける。かの有名なサミュエル・ベケットによる戯曲『ゴドーを待ちながら』の冒頭の場面だ。
しかしロサンゼルスで行なわれたインディーゲームイベント“IndieCade”で観た“Escape from Godot”では、ここからがおかしなことになっていく。ウラディミールはポケットから紙くずをばら撒き、エストラゴンもようやく脱げた靴の中で彼を悩ませていたらしい何かを放り投げ……役者たちは壊れたテープのように同じシーンを頭からやり始める。
「あー、こりゃループしてるくさいね」観客のひとりが言い、みんなが“ゲーム”が始まったことに気がつく。「何を投げたか調べないと」記者を含めた8人の観客は立ち上がり、役者ふたりが演技を続けるステージに上がって、紙切れを拾い集めはじめる。
Mister and Mischiefによる“Escape from Godot”は、『ゴドーを待ちながら』を演じようとしているシアターを舞台にした脱出ゲームだ。仮に「ゴドーからの脱出」と呼ぼうかと思うが、「『ゴドーを待ちながら』からの脱出」とか、「ゴドーから逃げながら」と意訳してもいいんじゃないだろうか。
「劇団は訴えられかけており、舞台監督が失踪した」という設定になっており、監督からのキューが出ないため、ステージは遅々として進まない。そこで観客がセリフや壇上に持ち込まれる小道具に隠された謎を解き、「月夜のシーン、キュー!」とか言って正解になると次のシーンが始まる。ビデオゲーム的に言えば、観客がフラグを立ててやらなきゃいけないんですな。
ただでさえ“不条理演劇の代表的作品”とかなんとか言われる『ゴドーを待ちながら』をメタに扱う内容のため、元ネタの有名なセリフが謎解きのカギになっていたり、ついに台本を手に入れた観客がセリフや指示を伝えなくてはならなくなったり、ステージ上の観客を巻き込みながらドタバタでメタメタな展開が続いていくのが面白い。それにしても、こちらが謎にピンと来ていない時でも演技を続けている役者には頭が下がる。
「ビデオゲームじゃないじゃん」と思った人もいるかと思うが、“ゲームや遊びの可能性を追求する”という性質があるIndieCadeでは、ビデオゲームに留まらずアナログゲームやフィジカルなゲームも元々アリなレギュレーション(弊誌的にどうなのかは、まぁ、いいじゃないですか)。
とは言え知ってる限りでは脱出ゲームが出展されたのは初のことで、リアル型脱出ゲームが海外でも広まりまくっているのを実感した次第だ。