書評:読めば思わずあなたもゲームライフ語りをしたくなる。ほろ苦い青春を遊んだゲームの記憶とともに綴る自叙伝『ゲームライフ』

マイケル・W・クルーン『ゲームライフ』は、子供のころに遊んでいたゲームの記憶を軸に辿っていくユニークな自叙伝。

 小学生のころ、夏の大雨の前に空がどんよりと黒くなるたびに、「デスピサロが復活したんじゃないか」と思ったものだった。ぼくらがドットの隙間からあっちの世界を見ていたのだから、魔法なんてものを使えるやつらなら、いつかテレビの向こうからこっちの世界にやってきたとしてもおかしくないはずだ……。

 きっかけは1990年2月のこと。ぼくはRPGにはあまり興味がなかったが、転校してきたT君が「お母さんに買ってもらった」という『ドラゴンクエストIV』を開けるというので、彼の住むマンションに遊びに行ったのだ。
 「じゃじゃーん」と出てきた渋いシルバーグレーの箱には、“ドラゴンボールっぽい絵で”不敵な勇者とドラゴンが描いてあって、ぼくは早くもなんだか悔しい。「ふーん、早くやってみてよ」とせかして、T君が宝物を扱うようにそっと箱を開け、ファミコンにセットするのを待つ。

 高らかに鳴るファンファーレが終わり、ぼうけんのしょをつくって名前を入れると、静かに第1章が始まる。「あれ、さっき名前入れたのに、なんでライアンって名前になってるの?」「そういえばそうだね」「ねぇバグじゃない? やり直した方がいいんじゃ?」手持ち無沙汰がゆえに質問しまくるぼくに、T君は「わかんない。進めてみるよ」と少しうるさそうに答える。もうテレビから目をそらしてもくれない。

 そしてぼくたちふたり以外誰もいない部屋に、ライアンが町の人と話したり、スライムやおおみみずを攻撃する音だけが響いていく。気がつくと、ぼくも静かにライアンの冒険を見守っていた。

 外が暗くなって帰る時、ぼくの心は張り裂けそうだった。理由はふたつある。ライアンとあのおかしなホイミスライムの冒険はこのあとどうなるのか? そしてクリスマスと夏の誕生日のあいだにいるぼくは、続きを見るのにあと何ヶ月も待つしかないのか?(小学生にとって、それは気の遠くなるような時間だ)

 その後T君のうちに行くことはなかったが(単に学区から離れていて遠いのだ)、ぼくとゲームの関係は決定的に変わった。その日からゲームは単なる遊び以上の何かになって、それは今でも続いている。

ゲームとともにままならない人生のアレコレを過ごしてきたすべての人に

 25年以上前の個人的な話からはじめてしまって恐縮だけれども、マイケル・W・クルーンの『ゲームライフ』(みすず書房・武藤陽生訳)は、筆者が折々に遊んでいたゲームの記憶を軸に綴っていくユニークな自叙伝だ。この本を読むと、つい自分もこんな感じにゲームライフ語りをしたくなる。

 本書でおもに取り上げられるのは、『ウルティマ3』、『マイト・アンド・マジック2』といった古典的な洋RPG、ナチス潜入アドベンチャー『Beyond Castle Wolfenstein』(後にid SotfwareでFPSとなるウルフェンシュタインシリーズの初期作品)、そしてシド・マイヤーが『シヴィライゼーション』以前に手掛けた海賊シミュレーションゲーム『パイレーツ!』、そして近年『Elite: Dangerous』としてリブートされた宇宙探索シム『エリート』といった80年代のコンピューターゲーム。

 「うーん、知らないゲームばかりでわかりづらそうだな」と思う人もいるかもしれないが、個々のゲームについて知識がなくてもまったく問題ない。そのゲームがどんなもので、当時の筆者がどんなところに惹かれていたのかは(ゲーマー言語ではなく)平易な言葉で語られるし、この話の中心となっているのは、ゲームそのものより、それらを遊んでいたころのマイク少年の人生(ライフ)の記憶だからだ。

 結局は疎遠になってしまった従兄弟と過ごしたひと夏の記憶、お小遣いを貯めて買ったのに「教育上よくない」と母に隠されてしまったゲームの捜索、「490ポイントのダメージ」の衝撃は実際どれぐらいなのかという答えの出ない問い、知ってるはずの近所がゲームマップのように見えてくる瞬間、ついに切れてよしゃあいいことを言って殴られたあいつを眺めるしかなかった日、引っ越しと両親の離婚によって変わってしまった生活、失敗したしょうもない悪巧み、グループの輪から弾き出されたことを悟らせる妙な空気。

 そんなほろ苦く、時に微笑ましかったり残酷だったりもする筆者の体験が、その裏返しかのような当時のコンピューターゲームへの熱中とともに綴られていく。だから本書に登場するゲームを1本も遊んだことがなくとも、また生まれた時代が違っていても、ゲームの向こう側にここではないどこか別の世界を見出してしまった人、ゲームとともにままならない人生のアレコレを経験して育ってきた人なら、多少なりとも感じるところがあると思う。

 ちなみに本書のテクストは、やんちゃな子供の語彙と、現在時点から語られるそれぞれのゲームの本質や人生についての詩的な思索(筆者は英文学教授でもある)、そして当時のゲームのシンプルなダイアログが混在するややこしいもの。
 しかしビデオゲームの日本語化にも携わる訳者が、本邦のゲームライフを踏まえた上で、それぞれのトーンを殺さずに統一感ある形で日本語にしてくれている。読みやすいし、ある非常に恐ろしいシーンで発せられる「ぼく、うんこ」のような、言葉足らずがゆえの残酷な響きすら、中学校の部室や便所にタイムスリップして聞いているかのように生々しく伝えてくれる。

 まぁ、なんとなくスノッブな感じの文体が合わないという人もいるだろうけど、そもそもマイク少年が“悪ガキとそこそこ付き合いはあるものの、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』をやってみたいのに相手が見つからない”という立場の微妙な子だったのだから仕方がない。
 そういうどこにも属せない人種は、往々にしてそういうめんどくさい語り口になるものなのだ。これは、ガリ勉でも不良でも“ゲーマー”でもなく、“『Quake 2』とかいう誰も知らないコンピューターゲームをやるバスケ部員”だった自分が言うのだから本当だ。

 ちなみに冒頭のエピソード、その後無事『ドラゴンクエストIV』を手に入れることに成功するのだが、「カタカナにするにはどうすれば?」と思いながら、主人公に「らいあん」と名付けてしまったのであった。大いなる勘違いに気がつくのはしばらく経ってからのこと。ああ、人生という奴のままならないことよ。おかげで『ドラゴンクエストXI』でも勇者の名前は「らいあん」である。

 『ゲームライフ』は、みすず書房から2808円[税込み]で販売中で、全232ページ。Kindleほかで電子書籍版も配信されている。