『ドラゴンクエストモンスターズ』と言えば、のおふたりがたっぷりと“『DQM』愛”を語ります!
2006年12月28日、ニンテンドーDSで発売された『ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー』から始まった『ジョーカー』シリーズは、2017年2月9日発売予定の『ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー3 プロフェッショナル』で幕を閉じることになります。
そこで、10年の長きにわたって進化をくり返してきた『ジョーカー』シリーズの足跡を、『ドラゴンクエストモンスターズ』シリーズプロデューサーであるスクウェア・エニックスの犬塚太一氏、そして『ドラゴンクエストモンスターズ』シリーズ生粋のプレイヤーでもあり、CMやPVのナレーターでもあり、全国大会の解説者としておなじみの声優・安元洋貴さんというおふたりに、存分に語っていただきました。このふたりでしか話せない内容のロングインタビュー、必読です。
※本記事では以下の略称を使用しています。
『DQ』……『ドラゴンクエスト』
『DQM』……『ドラゴンクエストモンスターズ』
『ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド』……『テリー』
『ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー』……『DQM-J』
代々伝わる秘伝のタレをどんどん継ぎ足していくイメージ(犬塚氏)
――安元さんの『DQM』シリーズプレイ歴を教えてください。
安元 それこそ、ゲームボーイの『DQM テリーのワンダーランド』(1998年発売)から遊んでいますよ。実家に帰れば、ソフトはまだあるんじゃないかな? 最初は『DQVI 幻の大地』(1995年発売)のモンスター仲間システムがおもしろいなと思っていたら、そこをメインにしたゲームが出ると聞いて。それが『テリー』だったんですね。それからはずっとシリーズを通して遊んでいます。
犬塚 私が安元さんと初めてお会いしたのは、『DQM ジョーカー2』(2010年発売)のCMのナレーション収録です。それからの付き合いで、もう6年ですね。
安元 それ以前も、スクウェア・エニックスさんでお仕事はさせていただいていました。それこそ、今度新作の『NieR:Automata(ニーア オートマタ)』が出る『NieR Replicant(ニーア レプリカント)』(2010年発売)に出させていただいたりしていましたから。それが、新作にも出させていただけて……齊藤陽介さん(『NieR:Automata(ニーア オートマタ)』でプロデューサーを務めている)のためにお伝えしています(笑)。
犬塚 ありがとうございます(笑)。そういえば、以前にスクウェア・エニックス社内の会議室で開催した『DQM-J2』の大会にもお越しいただきましたよね。
安元 行きました! そこで僕が、空気を読まずに堀井雄二さん(ゲームデザイナー。『DQ』生みの親。現在、最新作『DQXI 過ぎ去りし時を求めて』を制作中)のマスタードラゴンを倒しちゃったんですよ(笑)。よく覚えています。
安元 ところで、犬塚さんは、どこから『DQM』シリーズに関わっているんですか?
犬塚 『テリー』からです。入社して『DQVI』くらいから『DQ』シリーズに関わるようになったのですが。いまではすっかり"モンスターズおじさん"ですよ(笑)。『DQM』はライフワークになりましたね。
安元 すごいですよね。シリーズを重ねていきながら、一作ごとに新しいモノを生み出していっているんですから。
犬塚 古い焼鳥屋やうなぎ屋だと、代々伝わる秘伝のタレをどんどん継ぎ足していくじゃないですか。あれと同じイメージで(笑)。配合や枠の概念など、変えちゃいけないと思う部分があって、基本は守りつつパワーアップさせていく感じで作ってきました。
――犬塚さんにとって、ターニングポイントになった作品はあるのですか?
犬塚 私の印象なのですが、『テリー』から『DQM キャラバンハート』(2003年発売)までは"『DQM』シーズン1"というイメージなんです。『キャラバンハート』をいまでも好きと言ってくれる方も多いんですが、いま考えると「『DQM3』ではないし、若干迷走気味だったなあ」と。
犬塚 実際、セールスも少し落ちてきたので、「これからどうしようかな」と考えていて……。そんなときに、ニンテンドーDSが現れた。そもそも『DQM』は携帯ゲーム機で出すタイトルと考えていたので、「これはいい」と。
安元 モンスターの交換や対戦が重要なゲームですから、そこはやっぱり外せませんよね。
犬塚 そうなんです。『DQM』のデータって、自分だけのマイデータという意味合いが強いので、持ち歩けるのは大前提だった。そこに2画面表示で、しかも3Dで表現できるハードが出てきたんですね。「これなら新しい『DQM』が作れるんじゃないか」と。その結果、2006年に生まれたのが『DQM ジョーカー』です。
安元 ニンテンドーDSはいいハードでしたよね。無線LANじゃなくて、"Wi-Fi"という言葉を認識したのはDSが初めてかも。最初は「ウィーフィー」とか読んでました(笑)。ここで確実に対戦のスタイルが変わりましたから。
犬塚 それまではケーブルを介していた対戦が、一気に遊びやすくなった。それもあって、『DQM-J』がヒットして、『DQM』シーズン2が始まったと思っています。
――安元さんがここで『DQM』が変わったなと思ったタイミングはありますか?
安元 配合のラインやモンスターの数が増えたことも、サイズが増えたこともそうですよね……いっぱいあり過ぎて、「ここだ!」とは言いづらいですね。シリーズを重ねるごとに、ちょっとずつ『DQ』好きを刺激する要素が入ってくるのが楽しかったんですよ。それこそ"メドローア"や"獣王げきれつしょう"、"ベタン"が出てきたときは「あ! 『ダイの大冒険』のやつだ!」と興奮しましたし。ワニバーンにクロコダインと名付けたプレイヤーは、けっこういたんじゃないかな(笑)。
――強・最強の概念も衝撃的でした。
犬塚 『DQM-J2』からですよね。『DQM-J』はできるだけシンプルにして、おもしろさを伝えたかった作品なので、『DQM-J2』でいろいろとやりたかったことをバッと出しました。大きさの概念を入れたのも、そのひとつで。やっぱりでかいモンスターを見せたかったんですよ。『モンスターハンター』(2004年発売)や『ワンダと巨像』(2005年発売)を当時見ていて「大きいモンスター、いいよね!」と影響されたという(笑)。最初は大きさをコストで表現する案もあったんですけど、それではわかりにくい。なら、枠に当てはまるアイコンでサイズを表現すれば、直感的に大きさがわかるじゃないかと。
安元 大きさもそうですけど、強・最強が加わったので、当時はプレイヤーとして悩みました(笑)。“神鳥”レティスと“最強”レティスのどっちを選べばいいんだろう、とかって。
犬塚 堀井さんが「スライムを最強にしたいプレイヤーもいるよね」とおっしゃったことがきっかけなんです。
安元 その感覚はすごいわかります。最初は限られたモンスターしか、強・最強になれませんでしたよね。それが『DQM-J2 プロフェショナル』(2011年発売)で一気に開放されて。
犬塚 これも、ちょっとずつ秘伝のタレにエッセンスを足していった結果ですね。
安元 大きさでいうと、超巨大モンスターの登場は衝撃でした。ひたすら“まじんぎり”だけでも強い(笑)。
犬塚 当時の全国大会で、小さい男の子がお父さんの作った超巨大モンスターで出場して、ただボタンを押すだけなのにまあまあ勝ち上がっちゃったこともありました(笑)。
安元 東京で開催された予選大会をプライベートでこっそり見に行ったこともあって。とにかく出場している皆さんに「エントリーシート(※編註:大会出場選手が参加登録する際に記載するモンスターのラインアップ)を見せてくれ!」とお願いしたくてしょうがなかったですよ(笑)。
――『DQM-J2』の大会から安元さんは解説者として登壇されているんですよね。
安元 はい。当時から、皆さんの対戦を見ているだけで「いやあ、よくみんな考えてるな!」と感心させられるばかりで。『DQM-J2 プロフェショナル』のあたりから“霧”合戦が始まったのをすごく覚えています。“黒い霧”や“冥界の霧”で相手をいかにコントロールするかという方向に対戦が動いていったのがおもしろかった。対戦者も“ゼロのしょうげき”で身構えるんですが、そこを予想されてスカされたり……。じゃんけんをスタンバイしている状態で読み合っている感じが楽しかったですね。
犬塚 『DQM-J3 プロフェショナル』では“ゼロのしょうげき”の対象に“アストロン”が加わったので、タイミングよく使うと効果的ですよ。