開発秘話からアップデート情報、懐かしのネオジオ話まで!

 2016年8月25日にSNKプレイモアより発売予定のプレイステーション4用『ザ・キング・オブ・ファイターズ XIV』(以下、『KOF XIV』)。本作はSNKプレイモアを代表する人気対戦格闘ゲームの最新作だ。発表当初、ファミ通.comでは、プロデューサーである小田泰之氏に本作のコンセプトや開発に向けての意気込みをうかがった。今回は、いよいよ発売を迎える本作の開発スタッフに開発秘話をお聞きした。※取材:8月上旬

『ザ・キング・オブ・ファイターズ XIV』発売直前インタビュー――開発秘話からアップデート情報、懐かしのネオジオ話まで!_12
写真左から
プロデューサー
小田泰之氏(文中は小田)

プログラマー
安藤星士氏(文中は安藤)

モーション
副田陽一郎氏(文中は副田)

アートディレクター
黒木信幸氏(文中は黒木)

約2年間におよぶ開発を終えて

――前回のインタビューで小田さんはおなじみですので、まずは黒木さん、副田さん、安藤さんそれぞれの自己紹介をお願いします。

黒木 もともと旧SNKにデザイナーで入社しまして。小田とは同期で、学校も同じでした(笑)。『餓狼伝説』や『龍虎の拳』シリーズを作っていて、最後は『餓狼MOW』のモーションを担当していました。その後はディンプスに移り、さまざまなタイトルに関わって、『KOF XIV』のアートディレクターとしてSNKプレイモアに戻ってきました。

副田 『KOF XIV』ではキャラクターアニメーションを担当させていただいてます。もともとネオジオが発売した年に旧SNKに入社しました。初代『餓狼伝説』開発当時でしたので、デビュー作は『餓狼伝説』です。その2年後に小田らが入ってきて、以後はほぼ同じチームで『餓狼MOW』までいっしょに。その後は同じくディンプスに入り、そこでは格闘ゲームの3Dキャラクターモーションを担当していました。

安藤 私は皆さんとは違って、『KOF 94’』が出た当時は小学生でした(笑)。SNKプレイモアに入る前は、ガラケー時代から現在のスマホまでモバイルゲームを作っていました。たまたまその会社は元SNKの方々が作った会社だったこともあり、モバイルゲームで格闘ゲームを作る機会が多々ありました。本作ではおもにバトル部分のプログラムを担当しました。

――では開発を終えての心境をお聞かせください。

小田 開発自体は終えたのですが、メディア対応やイベントであったりと発売に向けた準備がありますので、まだ終わった感じはしていません。

黒木 僕は、正直よく終わったなという感じです。最初の状況が状況だっただけに、グラフィックを担当したデザイン側からはそういった気持ちですね。

安藤 プログラマーとしてもほっとしています。でも振り返ってみると、早かったなと思うのと同時に、発売が近づいているのでドキドキしています。体験版が配信されていろいろな反響をいただいているのですけど、まだ7キャラクターだけなので製品版が発売されたらどうなるのだろうと。

――開発期間は約2年とのことですが、長かったですか? 短かったですか?

安藤 私が開発に参加したのは2014年9月ころだったので、短かく感じました。私がおもに担当したバトル部分がそのころからスタートでしたのですが、発売まで1年半くらいしかなく、50キャラクターで単純計算すると1キャラクターあたり11日くらいしかないので、間に合うんか? と(笑)。

――そう考えると50キャラクターはものすごい数ですね(笑)。

安藤 ちょっとした仕様変更や調整を加えるにしても、1か所につき×50の確認が必要になるんですよ。何をやるにしても×50がつきまとうので……数の暴力ですよね(笑)。もちろんツール上で処理できるようにはしているのですが、『KOF』は個性的なキャラクターが多いので、個別対応せざるをえないキャラクターが開発を進めるといくつも出てきまして、開発の最初のころは50キャラまで後何キャラやれば……という状況でしたね。

――グラフィックを担当した黒木さんとしてはいかがでしたか?

黒木 2年間、長いようで短かったですね。小田と私は最初から開発チームにいたんですけど、デザイナーが3、4人しかいないのに「50体作るぞ!」と小田がとんでもないことを言いだして、「おかしいだろ!」と(笑)。

――(笑)。個人的なイメージですけど90年代は毎年出していてたいへんだったと思うのですが、あの当時に比べるといかがでしたか?

小田 当時は開発期間が短かったですけど、対戦部分を作ればいいだけですし、イチから作っているわけではないですからね。一方、『KOF XIV』は家庭用のゲームモードやネットワークまわりがあったり、開発期間は長いけどその分ボリュームがすごいですから。とはいえ、当時はシリーズを重ねるごとに発売日がドンドンズレ込んでいたからたいへんだったのかな(笑)。

――確かに、チュートリアルやコンボのチャレンジが入ってたり、通信対戦があったりと、家庭用ならではのモードが多いですもんね。

小田 それがモードだけではなく、ローカライズもたいへんなんですよ。これは書いておいてほしいんですけど、皆さんが想像しているよりはるかにローカライズはたいへんなんです(笑)。

――そう考えるとよく終わりましたね。

黒木 本当ですよ。当初は開発環境がまだ整っていなかったんです。弊社はゲーム開発からしばらく離れていたので、グラフィックまわりを作るシステムがまったくなく、それをゼロから構築しながらの作業だったので、本当によく終わったなと。

副田 『KOF XIII』の素材を使ったんじゃないのか? という声を耳にすることがあるんですけど、まったく使っていないんですよ。

小田 使えるなら使わせて欲しいですね(笑)。

副田 まったく流用ができなかったので、すべてをゼロから。

小田 キャラクターは顔のモーションを作るのが手間だと思ったので、じつは作業を減らすために仮面など表情のないキャラクターを3人入れたんです。僕のささやかなやさしさです(笑)。

黒木 実際、開発が軌道に乗り出したのが、2015年末にアメリカのサンフランシスコで行われたPlayStation Experience(PSX)で発表させていただいたころなんです。あのときは、まだ何もできていない状態だったので、世界中からいろいろな反響をいただきました(笑)。

小田 大きい会社だと“バーティカルスライス”なんて呼ばれる手法で開発を進めることもあるんです。たとえば、1ステージと2キャラクターだけを初めに完成させて、それを使ってプロモーション展開する手法なんですけど、それを格闘ゲームでやると開発に無駄な時間が生じてしまうんですよ。それにうちは大規模な会社ではないので、従来通りすべてを並行して開発を進めてクオリティーを上げていき、最後に完成版ができあがるという作りかたをしていました。だから最初に発表させていただいたものは、本当に開発初期段階のものだったんです(笑)。

副田 PVがが公開されていく過程でグラフィックが変化していたのは、開発側も試行錯誤している途中だったからなんですよ。

――2015年9月に最初のムービーを公開したときは、グラフィック面でいろいろ言われることがあったと思うんですけど、それについては?

黒木 正直、言われるだろうとは思っていました。さきほども言いましたが、グラフィックのシステムがまったくなかった状態ですので、当然そうなるだろうと。まだまだクオリティーアップは図れると思うんですけど、いまの我々ができる中での精一杯のものは作れたと思っています。

小田 2015年の東京ゲームショウは映像出展だったので、ファンの皆様から不安の声もありましたが、PSXで試遊台を出展したら評判がよくて、方向性は間違っていなかったという手応えはありました。