【ファミキャリ!会社探訪(31)】戦国時代を舞台にした『戦国修羅SOUL』をリリース! クリーク・アンド・リバー社を訪問!_09

“ファミキャリ!会社探訪”第31回は、クリーク・アンド・リバー社!

 ファミ通ドットコム内にある、ゲーム業界専門の求人サイト“ファミキャリ!”。その“ファミキャリ!”が、ゲーム業界の最前線で活躍している、各ゲームメーカーの経営陣やクリエイターの方々からお話をうかがうこのコーナー。第31回となる今回はクリーク・アンド・リバー社。
 “ファミキャリ!”を運営し、このコーナーには、2013年12月以来の登場となる同社。クリエイター・エージェンシー業を中心に展開しているが、間もなく、初の大型自社タイトル『戦国修羅SOUL』の配信を控えている。そこで今回は、執行役員の青木克仁氏とセクションマネージャーの前山辰治氏に話を聞いた。

※関連記事:【ファミキャリ!会社探訪(8)】クリエイター・エージェンシーの雄、クリーク・アンド・リバー社を訪問!


業界屈指の規模にまで成長したデジタルコンテンツ・グループ

【ファミキャリ!会社探訪(31)】戦国時代を舞台にした『戦国修羅SOUL』をリリース! クリーク・アンド・リバー社を訪問!_02
クリーク・アンド・リバー社
コンテンツ・デジタルグループ
ソリューション部 SAPセクション
セクションマネージャー
前山 辰治 氏

――青木さんと前山さん、それぞれの経歴を教えてください。ゲーム業界を志した理由や現職に至った経緯など、差し支えない範囲で教えてください。
前山辰治氏(以下、前山) 学生のころからゲームは大好きでした。それでゲーム業界に入りたかったのですが、とくに技術もなかったし、高校卒業時はちょうどバブルが弾けた直後で求人自体も少なく、どこからも内定はもらえませんでした。当時から話すことが好きだったので、まずはできることからということで営業の仕事をするようになりました。就職した会社はとてもきびしい会社だったのですが、だからと言ってすぐに辞めても仕方ないので、営業成績が全国のトップ10になったら辞めようという目標を立てました。そのつぎに、弊社が行っているようなエージェント業の会社に入ったのですが、そこで新規事業の立ち上げに携わることができました。それがとても楽しかったですね。そうして次第に人脈が広がっていき、ゲーム業界とも接点ができ、クリーク・アンド・リバー社でゲームの仕事をすることになりました。
青木克仁氏(以下、青木) 前山と似た部分があるのですが(笑)、僕はコンテンツのプロデュースをやりたかったので、最初は大手広告代理店を受けました。でも受からなかったので、まず自分に実力をつけるために、営業できびしいと言われている会社に就職しました。3年間で営業成績のトップを達成したら辞めると宣言し、トップを取れたので前の会社を辞めて弊社に入ることになりました。入社後も変わらずずっとプロデュースをやりたかったので、社内にそのための部署を立ち上げ、ゲームの開発部署やスタジオを新たに作ったわけです。

――その部署はどういった経緯で設立することになったのですか?
青木 最初は人材派遣の営業を3年ほど担当していたのですが、人材を紹介することも、制作を受けることも根本的には同じだと思うようになりました。クライアントが望んでいる内容に合わせて提案することで、次第に受託制作も増えていきました。また、B to C事業がやりたいという話が出てきて、6年ほど前にスタジオとSAP事業の部署を立ち上げました。立ち上げ時は数名の部署でしたが、いまでは250名ほどになっています。部署では、家庭用ゲーム機向けのゲームやスマートフォン向けのソーシャルマーケット、アミューズメント、プライズ、海外事業などを担当しています。

――部署立ち上げ当時、数年後のビジョンというか、ビジネスモデルはあったのですか?
青木 一応はあったのですが、当時は本当にいっぱいいっぱいの状態で……(笑)。パソコンもないような、本当にイチからの立ち上げだったので、何も考えられない状態でしたね。

――前山さんは、そこに巻き込まれたような感じですか?
前山 本当に何もない状態で、青木といっしょに営業に出て、仕事を取ってきていました。ただ、あまり苦労したという感覚ではなく、すごく楽しかったです。それまでも新規プロジェクトを担当していたので、そういった仕事が合っていたのでしょうね。ただ、売上を管理している青木はたいへんだったと思います(笑)。最初は、ゲームを作る体制作りに集中していました。人数も少ないし、ゲームを作ったことがないような人も多かったので……。
青木 なかなか来てくれなかったよね。
前山 ブランド力がなかったので、ゲームをいっしょに作らないかと誘っても、「クリークさんって人材派遣でしょ?」と言われて、人材が圧倒的に不足していました。ですから、経験者を雇うというより、未経験者をどうやって戦力にしていくかに集約されていました。結果的には営業も制作もやることになったので、自分の経験を活かすことができました。