国内最大の会場で190人以上の“ゲーム開発者”が参加
2014年1月24日(金)~26日(日)。ゲーム開発者の国際団体、IGDA(国際ゲーム開発者協会)が支援する世界最大規模のゲーム開発イベント“Global Game Jam2014”が開催された。国内会場のひとつである東京都八王子市の東京工科大学八王子キャンパスで行なわれた同イベントの様子をリポートしよう。
“Global Game Jam2014”(以下、GGJ)は参加者どうしでチームを組んで、与えられたテーマに従ったゲームを48時間以内で作る(※)というゲームジャム(音楽のジャムセッションのように、その場で出会った人と限られた条件でひとつのゲームを作る取り組み)イベント。ゲームクリエイターを目指す学生から、ふだんゲーム業界で従事するプロの開発者まで、“限られた時間内”で“世界同時”に“即席のチーム”によってひとつのゲームを作るとあって、プロとアマの垣根を超えてゲームクリエイティブに関するすべてが丸ごと体験できるのだ。
国内では、全国19会場で一斉に開催されたが、その中でも最大規模の会場となるのが東京工科大学八王子キャンパス(東京工科大学会場)。ここでは参加者リスト準拠で192人ものゲーム開発者がエントリーし、全24チームが結成されたのだ。ちなみに、世界では487の会場があり、同会場は世界でも9番目の規模だという。
(※正確には、オリエンテーションや諸準備の時間を含んだ時間)
「よくぞ集まった。我が精鋭たちよ!」
2014年1月24日の午後5時、東京工科大学メディア学部准教授で、会場のコーディネーターでもある三上浩司准教授の開幕宣言が高らかに響いた。まずは世界の全会場で上映されるビデオレターの上映から始まった。Rihard Lemarchand氏(『アンチャーテッド』シリーズ)、阿部香穂氏(ゲームデザイナー/メディアアーティスト)、Jenova Chen氏(『風ノ旅ビト』)という世界の世界の著名なゲームクリエイターからのメッセージは、48時間でゲームを作るこの貴重な体験をいかに有意義に過ごすか、そのヒントとゲームを作る喜びに満ちていた。
簡単なレギュレーション説明の後、全員が気になる今年のテーマの発表へ。例年、主催者から各国のオーガナイザーに伝えられるGGJのテーマ。今年は謎のZIPファイルという形で届いた。解凍して現れたPDFドキュメントにはひとつの文章が……。“We don't see things as they are. We see them as we are.”。これが2014年のテーマだ。
その解釈の段階からGGJが始まっている以上、記者の主観による訳は避けておきたいころ……だが、つまりは「己の目に見えるものがすべて」や「観察者によってモノの見方、捉え方は変わる」といったところか(注:あくまでこれは記者の解釈です)。
その後、チーム発表があり、参加者どうしの初顔合わせのあと、開発会場へ。いよいよ3日間にわたる開発セッションが始まる。
「何を作るか?」ゲーム作りはここからスタート
全チームがゼロからのスタート。まずはテーマの解釈と、そこから導かれる個々人のアイデアを整理して、全員で目指す目標(=“どんなゲームを作るか”)へと導いていく“ブレインストーミング”の作業から始まるのだが、これがいろんなチームの“色”がうかがえて大変興味深かった。
ブレインストーミング、略してブレスト。クリエイティブ系作業の現場では、キックオフ(始動)時には必ず行なうものではあるが、チームリーダーが“本職”の人だったりすると、本格かつ効率的な手法を導入するケースも。
同時に決めなければならないのが、チームの開発体制と進行スケジュール。チームはプログラム、プランニング、サウンド、グラフィックなど、それぞれ得意分野が異なる人たちが集まって結成されている。“誰が何をするのか”を具体的にすることはどんな規模であれ共同作業では必須となるものだ。
実際の進めかたはこちらもチームごとのカラーによってさまざま。開発上の役割と各自の目標や作業工数を最初に可能な限り明確にすることで、効率的に進捗の管理ができるのだが、もう、ここまで来るとプロの現場と同様。
さすがに記者は3日間、張り付いて取材ということが難しかったので、開発の始動を見届けたあとに(参加者に恐縮しながら)いったん帰宅。参加者の皆さん、失礼します……。
ところで“ゲームジャム”って何?
さて、この間は、開発セッション中に見聞きしたゲームジャムにまつわる話を披露していこう。
GGJも含めたこのゲームジャムという形式の催しは最近、ゲーム系ニュースサイトでも目にする機会が多い。会場でお会いしたIGDA日本名誉理事であり、ゲームジャーナリストの新 清士氏によると「ゲームジャムは北欧圏のPCカルチャーから始まったもの」という。古くからのPCマニアならば、同地域では、90年代前半に現地のギーク(技術オタク的な意味)による“メガデモ”シーンが存在していたことをご存知の方もいるのではないだろうか。“メガデモ”とは当時主流の“コモドール64”や“IBM-PC”などのパソコンを使用して作られた、ハードスペック限界まで引き出して作られたサウンドや映像プログラム作品のことだが、当時はヨーロッパ中からギークが集まり自作のメガデモを披露する“メガデモパーティー”が盛んに開かれ、コード技術の水準を高め合ったと聞く。ゲームジャムというイベントが興ったのもおそらくそういった文化の流れからなのだろう。
新氏によると、このゲームジャムの動きに各国のゲーム関係者が注目。そして、アメリカのIGDA本部が2009年に世界的なトライアルとして始めたのがこのGGJの始まりという。
また、東京工科大学メディア学部で教鞭をとり、昨年はGGJに“参加”もした岸本好弘准教授にも話をうかがった。
ふだんは同大学でゲームクリエイターを目指す学生を指導をする立場として、このGG
Jは「世代や経歴を超えて一緒にひとつのモノを作る貴重な機会。参加する学生にとって非常に有意義なもの」と語る。プロが現場で用いている手法やチーム運営のノウハウが、実践を通じて次世代に伝授される場でもあるのだ。実際、過去にGGJに参加した学生の中でも、同じチームのゲーム開発者から学んだ“プロの手法”を、のちに自身の実習制作に取り入れて活用している例もあるという。
なお、岸本准教授はかつてナムコ(当時)に在籍。あの『ファミスタ』シリーズの生みの親でもある。
開発中は、会場の様子を定点カメラで捉えたUstream配信や、同会場共通のハッシュタグ(#ggjtut14)によるtwitterのつぶやきなど、インターネットを介して、進行まっただ中の状況を伝えるユニークな試みも。定時に開発途中バージョンであるα版、β版の発表会もあり、こちらもUstreamで配信された。
そして3日目 ゲームが形になってきた!
3日目の2014年1月26日(日)午後。記者は再び八王子の会場へと出向いた。作業はいよいよ佳境。各チームさすがに疲労は隠せない様子。尋ねてみると、多くの参加者が会場で寝泊まりしていたというから驚きだ(会場内には仮眠室も用意。また帰宅や外出も自由)。
各チームの、メンバー向けの共通事項を記すホワイトボードに目を通すと、進捗やその時点の課題を記したメモがびっしり。リアルタイムで“開発のドラマ”が進行していることが、ボードからひしひしと伝わる。
会場では、付箋を用いたタスク管理の手法が主流。作業完了、進行中、未着手といったフローの枠に、各自の作業を記した付箋を貼って、状況が一目で分かる工夫をしていたところが目立った。眺めてみると、まだ未着手の項目が多いチームもあったりして、見ているこちらが思わずハラハラ……。
もちろん、という言いかたは失礼かもしれないが、開発現場にはつきものの“不測の事態”も。挙動が思い通りにいかず、その対策をメンバーで話し合う場面も。
午後3時過ぎ、開発会場に三上准教授と岸本教授が現れ、太鼓と鈴の合図で開発時間は終了。張り詰めた空気が一気に解かれる瞬間だ。ここから午後5時までは原則、作品のアップロードの時間へ。皆さん、お疲れ様でした!
24本のユニークなゲームが披露された
そしてイベントの最後は、全24チームがこの3日間の成果を披露する発表会へ。
チームごとにテーマをもとに制作したゲーム実際に動かしながら解説。よくぞあのテーマで、ここまで!……というほど、個性的なゲームがつぎつぎと発表。ときには突拍子もない仕様で大爆笑が起こることも。ゲームであるからには、創りあげたものがテーマに何らかの関連があるだけはなく、プレイして楽しいことも重要。その点も各チーム、きちんと工夫を凝らしていたのが印象的だった。
目標通りのものが作れたという一方で、時間が足りず残念……と、チームによって悲喜こもごもの様相もあったものの、同じ空間でひとつの目的を目指した“同志”の、すべての作品を皆が讃え合った。
なお、これらの作品はイベントページにアップロードされており、以下から実際に触れることができる。
・東京工科大学会場の作品
※サイトはこちら
・GGJ2014参加全チーム(世界)の作品
※サイトはこちら
開会式で三上准教授が語ったイベントの理念「ゲームジャムは人と人が競い合うコンペじゃない。経験の共有だ」という言葉は、この週末を通じてすべての参加者が共感できたことではないだろうか。ゲームというエンタテインメントメディアを形にする、クリエイティブな“楽しさ”を参加者おのおのが吸収、発見できたに違いない。
(取材・文 ライター/大瀬子ヤエ)