スウェーデン発、世界へ! そしてかつて働いていた思い出の日本でリリース

スウェーデン発の大ヒットゲーム『スチームワールド ディグ』を作ったのは、夢破れて日本にいたYOUだった_01

 世界でヒットを記録し、ついに日本でもインターグローから配信されたニンテンドー3DSダウンロード用ソフト『スチームワールド ディグ』(800円[税込])。本作の開発を手掛けたのは、スウェーデンのImage & Formという、ゲーム開発会社。社長のBrjann Sigurgeirsson氏(記事中はブライアン)は、80年代、ゲーム開発者を目指していたが挫折。90年代前半は日本でさまざまな苦労を経て働き、やがて米国、そして故郷のスウェーデンに戻る。そして故郷で始めたアプリ開発でいまの会社の土台を築き、夢だったゲーム作りに着手。そして今年、『スチームワールド ディグ』をリリースすると、これが大ヒット。夢を諦め、日本で働いていた若者が母国に帰ってもう一度夢にチャレンジし、大ヒットを飛ばし、そのゲームが日本で発売――。何ともステキな話ではないか。というわけで、今回は、『スチームワールド ディグ』を開発したImage & Formのブライアン氏に、故郷を離れて日本にやってきたころの話や『スチームワールド ディグ』がヒットに至るまでの話などをうかがった。


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Brjann Sigurgeirsson氏

――今日はお忙しいところ、ありがとうございます。ひさびさの日本はいかがですか?

ブライアン カラオケが楽しみですね。大好きなんですよ。日本に来たら必ず行くといっても過言ではありません(笑)。

――現在はスウェーデンにお住まいなのですよね?

ブライアン はい。私たちの会社、Image & Formはスウェーデンのゲーム開発会社です。私はインテボリという、東京に比べたらずっと小さな町に住んでいます。

――スウェーデンというと有力な開発会社が多いことでも知られていますね。

ブライアン そうですね。DICE【※1】やMassive【※2】といった開発会社が有名ですね。最近facebookアプリやiOSの『Candy Crush Saga』が大ヒットしたKingもスウェーデンの会社です。

※1:DICE……代表作『Battlefield』シリーズ、『Mirrors Edge』など。現在はEA傘下の開発会社“EA Digital Illusions CE”として活動。
※2:Massive……代表作『World in Conflict』シリーズ、『Far Cry 3』など。こちらは現在Ubisoftの傘下の開発会社“Ubisoft Massive”になっている。

――素朴な疑問なのですが、なぜスウェーデンはゲーム開発が盛んなのでしょうか?

ブライアン さあ、どうしてでしょう?(笑) ただ、ビデオゲームの黎明期からビデオゲームという娯楽は人気の高い国でした。現在のようなゲーム機やPCが普及する以前……本当に最初期の、アタリ製の家庭用ゲーム機時代からですよ。個人用途のパーソナルコンピューターにしても、アメリカと比べて、スウェーデンのほうが早く普及しました。それだけ、コンピューターやゲームは浸透しているんですね。“ゲームを遊ぶ”ことが普及すると、その分“ゲームを作りたい”人も増える。そんな関係があったのではないでしょうか。

――なるほど。世界のゲームファンに対しては、ここ数年で飛躍的にスウェーデンの開発会社の知名度が上がったように思えます。

ブライアン DICEの存在は私たちスウェーデン人にとっては、大きな意義を持つものだと思っています。スウェーデン初の大規模デベロッパー(開発会社)となり、成功を収めたのですからね。

――スウェーデンでDICE以前に大規模な開発会社は存在していたのですか?

ブライアン いいえ。DICEの成功はスウェーデンでゲームを作る、あるいは作ろうとしていた人たちに非常に大きな刺激をもたらしました。「彼らが成功したのだから自分たちにもできるのでは?」と勇気づけられたのです。現在では、スウェーデンの国内産業で“ゲーム開発”は大きなポジションを占めるようになりました。もうVOLVO(北欧最大の自動車メーカー)とABBA(70年代に世界を席巻したポップスグループ)だけの国じゃないんです(笑)。

■スウェーデンでの挫折と日本での運命的出会い

――ところで、ブライアンさんがゲーム業界に入るきっかけは?

ブライアン 最初から話すと本当に長いお話になってしまうのですが……大丈夫ですか(笑)。

――ええ、ぜひよろしくお願いします(笑)。

ブライアン 現在、私は45歳になりますが、1980年、13才でパソコンとの出会いがありました。これは学校が購入したものでした。現在のようなPCやMacintoshが登場する以前の時代ですから、そのパソコンは大したことはできなかったのですが、“BASIC”言語によるプログラミングができました。

――当時のパソコンには、必ずといっていいほど“BASIC”言語が付いていましたね。

ブライアン 「これを使ってゲームが作れるのでは?」と思い、さっそく先生に相談をしたのです。そのとき作ったものが最初のゲームプログラムです。もちろん大したものではありませんでしたが、ひとりで作った初めての自作のゲームだったのです。この体験がゲーム作りに目覚めたきっかけです。

――日本でもこの当時、ゲームを作りたくてBASICを覚えるというパソコン少年が多かったのですが、国が違っても同じなのですね。

ブライアン その数年後に高校へ進学します。開発技術を高めたくて、コンピューターサイエンスを専攻したのですが、ここで壁に当たりました。入学後1日目の授業で先生から「優れたプログラムというものは、もう世の中に存在している。これ以上、新たに作られるものはない」とキッパリと言われてしまったのです。1983年の時点で、夢を持って高校入学したはずの子どもに向かって……ですよ(笑)。

――ずいぶん極端な意見をお持ちの先生だったのですね(笑)。

ブライアン 私は「それなら学ぶ意味がないな」と素直に思ってしまい、コンピューターゲームへの夢はここでいったん途絶えてしまったのです。いまにして思えば、あの先生がバカだったんですけどね。おっと、失礼(笑)。さらに、その流れで大学では人文科学の分野を専攻、つまりコンピューターサイエンスとはまったく反対となる道に進みました。

――ますますゲームとは離れていったのですね。

ブライアン でも、自分にとって人文科学はプログラミングと比べて退屈なものでした。卒業後は進むべき道が見えずに、自分が何をすべきなのか考える必要に迫られました。コンピュータープログラムは「すべてできている」と言われて、人文科学はつまらないのですから。考え抜いた末に、「今から1年間、今後の進路を決めるための時間にすべき」との結論に至ったのです。

――具体的にはどんなことをしようとしたんですか?

ブライアン アジアを巡ろう、と。いわば自分探しの旅ですよ。でも、アルバイトで旅行資金を作るだけの時間もない。そこで閃いたのが「まず日本に行って、この国で働いて経験を得よう。その上でアジア諸国を巡ろう」という案だったのです!

――それは大胆すぎるアイデアですね(笑)。当然、日本語はしゃべれない?

ブライアン はい、綿密に調査した計画ではありませんからね。「日本なら、英語講師くらいの仕事ができそう」程度の思い付き。それでも日本に行きましたよ。

――なんという行動派! それからどうだったのですか?

ブライアン 来日してからがたいへんでした。仕事が見つからないんですよ! 250社近くの募集に応募して、すべてダメだったんです。後で知ったのですが、その理由は明白なことでした。この時点では就労ビザがなくて就労許可がない立場だったので雇用できない、ということでどこからも断られていたんです。

――それは何とも……。

ブライアン もうこれが最後……というタイミングで、翻訳者の求人に電話したんです。一連の事情説明をしたところ、やっぱり「難しいですね」と言われてしまい、「日本は21歳の青年に誰もチャンスを与えてくれない厳しい国なんじゃないか」と失望したのですが、ここで意外な展開が待っていました。じつはその会社の社長は、21歳のころにアメリカに渡航して、自分と同じ体験をして苦労したというのです。自分の事情を知ってくれた社長が招いてくださり、最終的にはこの会社で1年間働くことになりました。

――ようやく本格的に日本生活が始まったのですね。具体的にはどんな仕事をしていたのでしょうか? 

ブライアン 翻訳というよりは、日本人が英訳した結果をチェックして直すという仕事でした。じつは、ここで人生の転機があったのです。1991年にMacintoshの新OS“System7”【※3】が発表されました。このOSは当時のパソコン業界にとって極めて革新的なものでした。なぜなら、動画の扱いが可能になったこと、そして正式にCD-ROMをサポートしたことで、“マルチメディア”文化の土台を築いた最初のOSになったからなんです。

※3“System7”……アップル社のパソコン“Macintosh”対応のOSシリーズ名。一般向け用途でありながら標準で高度な動画や音声処理関連の機能を装備。膨大な量のデータが扱えるようになり、従来はテキストと静止画処理が主だったパソコンのあり方を一新させた。

――マルチメディアという言葉は90年代に大きなキーワードになりましたね。

ブライアン ある日、“System7”が私たちの会社にやってきました。そして翌日、社長が全社員を招集してこういったのです。「この会社は昨日までは翻訳をする会社でしたが、今日からマルチメディアの会社になります」と。

――えええええええ!? 未来を見据えて業務を変えるしても、いきなり過ぎる気が……。ブライアンさんはどうしたんですか?

ブライアン 「高校時代にプログラム経験がある」、「会社にプログラムが書けるスタッフがいない」という理由で、社長から頼まれてリードプログラマーになりました(笑)。当時、マルチメディアコンテンツ制作のツールとして知られていたマクロメディア社“Director”のマニュアルを渡されて。もちろん戸惑いましたよ。でも、マルチメディアコンテンツのプログラムは、のちにゲームのプログラムともつながっていくのではないだろうかと考えていました。かつて諦めかけたゲームへの夢がもう一度高まる契機になったのです。

――この出来事からゲームというか、デジタルコンテンツと本格的に関わることになったと。

ブライアン その会社には1995年まで在籍しました。その後はサンフランシスコに転居して、日本の顧客向けのマルチメディアプレゼンテーションを制作する仕事をしていました。スウェーデンに帰国したのは1997年です。

海外経験を活かして起業。そして現在に至るまで

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――デジタルコンテンツ制作の経験を得て、スウェーデンに帰国したのですね。

ブライアン 母親にはとても喜ばれましたよ(笑)。帰国後、地元で仕事をしなければなりませんから、海外で経験を積んだマルチメディア関連の求人に応募したのですが、送った全社から採用通知が届いたのです。日本では250社に応募してすべてダメだったのに、スウェーデンではたった5社だけ送ってすべて“採用”。ここで「ちょっと待てよ……」と思ったんです。スウェーデンでもコンピューター関係の人材が強く求められてる。それだったらいっそのこと自分で起業できるんじゃないかと考えたんです。

――当時のマルチメディアブームを海外の最前線で体験していたのは、非常に大きな強みになったわけですね。

ブライアン まずは「どんな会社にしたいか」を検討するところから始めたのですが、その時点でも「ゲームを作る仕事」は考えていました。しかし、スウェーデンのゲーム市場は非常に小さかったのです。1997年時点では、かのDICEですらまだ始動したばかり。まわりを見渡してもゲームに関するプロジェクトは存在しなかった。そんな事情から、設立後、最初の5年はウェブサイト構築が主業務でした。

――なるほど。16年ほど前となると、いまとはずいぶん事情が違うんですね。

ブライアン ゲーム開発会社としての活動が始まったのは2002年からですね。子どものためのエデュテイメント(楽しみながら学ぶ)ゲームを制作して、これをきっかけにゲーム開発専業にしたのです。30作以上のキッズゲームを制作しました。

――始まりはキッズゲームというのも、『スチームワールド ディグ』とつながってるようで、なるほどという気がします。

ブライアン でも、キッズゲームはお金が掛かる割に、作る立場からはちょっと退屈といいますか(笑)。やがて、クリエイティビティの面や商業的な理由で大人向けのゲームに参入を決め、iOSのゲームを手掛けました。ちょうどそのころ、iOSが普及しようとしていたころで、まずは『Anthill』【※4】というゲームを手がけ、それがかなり成功しました。

※4:Anthill』……日本のApp Storeでも購入可能(200円)。ウェブサイトはこちら

ブライアン さらにニンテンドーDSiウェアにも参入しました。このゲームが『スチームワールド Tower Defence』で、今回の『スチームワールド ディグ』の前作に相当するものですが、これが我々の家庭用機ゲームの第1弾になります。

――『スチームワールド ディグ』以前にも多くのダウンロードタイトルを作っていたんですね。

ブライアン ええ。iOSのゲームはその後も数多くのタイトルを制作したのですが、App Storeのマーケット傾向が年月を経て変化していまい、いまではビジネスとしてうまく行きにくくなり、新たなプラットフォームを経験するべきだという判断をしました。そこで新たな対象になったのがニンテンドー3DSだったのです。こうして『スチームワールド ディグ』の開発が始まりました。

――開発はいつごろから?

ブライアン 昨年、2012年の10月からです。そして、開発が終わって任天堂に提出したのが今年の6月で、海外での配信開始が8月ですね。

――意外と最近の話で、しかも開発期間が短いですね。

ブライアン 開発終了直後の7月は丸ごと休みました。スウェーデンでは7月はバケーションの季節ですから。

――うらやましい。

ブライアン 昨年10月から6月までずっと開発を続けていたこともあって、開発に携わる全員が心底疲れていました。ですから私もバケーションをじっくり満喫しようと思っていたのですが、本当に疲れている時って、寝ようと思っても寝付けないようなことってありますよね。バケーション中の私がまさにそんな状態でした。

――忙しさの流れが続くまま、妙に頭が冴えてしまうことって、確かにあります。

ブライアン 確かに全力で開発に取り組んで、終えた。しかし、マーケティングやPRは何もやっていない。確かにゲームは多く出しているが、本当に成功に導くアクションをしていない……。休暇のあいだ、「本当にこれでいいのかな?」と不安に駆られ始めたんです。でも、私たちにとって非常に幸運なことが起こるんです。それは8月のはじめの休暇明けに届いた、ニンテンドー・オブ・ヨーロッパからのメールでした。その内容は、私たちのゲームを大絶賛するものでした。任天堂のウェブ配信“ニンテンドーダイレクト”にはニンテンドー・オブ・ヨーロッパが配信する“欧州版”ともいえるものがあるのですが、8月7日の配信回で、ニンテンドー・オブ・ヨーロッパの社長の柴田聡さんのナレーションとともに私たちのゲームを紹介したい、とのお話をいただいたのです。

――パッケージソフトならともかく、ダウンロードタイトルで、しかも小さな小さな会社のタイトルにそういうオファーが届くというのは珍しいのでは?

ブライアン 異例中の異例のことですよ! そんな特殊で素晴らしい機会が訪れて、私は“PR Genius”(広報の天才)じゃないか? と錯覚するほどでした。

――何もしていないのに(笑)。

ブライアン ただ、“ニンテンドーダイレクト”では、知らない会社の知らないタイトルということで「何これ?」というという反応が多かったのです。それで私たちはTwitterを使ってゲームファンの疑問に回答をすることにしました。

――ゲームファンに直接訴えかけるPR活動を始めたんですね。

ブライアン そのアクションの成果もあって、欧州のeショップでセールス1位を獲得することができたのです! さらに続いてオーストラリアでもトップになりました!

――Twitterでの活動が奏功したと。

ブライアン 恵まれたことはそれだけではありません。少し経って、任天堂のニンテンドー・オブ・アメリカからもメールが届きました。その内容も、我々はこんな素晴らしいゲームを見逃していた、という絶賛の言葉でした。そんな経緯でアメリカでもクローズアップしていただき、セールスランキングが上昇しました。最終的に北米地域でも1位になったのです。北欧の小さな開発会社のゲームが、ニンテンドーのタイトルよりも売れているのですから、信じられない体験です。

――そして、かつて生活していた日本でのリリースが始まりますが、どんな気分ですか?

ブライアン 非常に素晴らしい気分です! まるでサクセスストーリーを体験しているみたい。でも、同時にとてもセンチメンタルな気分にもなりますよ。すべての始まりは、日本で初めてマルチメディアに触れて、プログラマーになったことだったのでした。しかし、生活は決して楽なものではありませんでした。当時の娯楽はコーヒーショップで安いコーヒーを飲んで過ごすことと、100円でゲームセンターで遊ぶしかない……というものでした。それから長い年月が経ち、会社の代表になって自分の会社が作ったゲームを携えて日本に戻ってきたのですから、感慨もひとしおですね。私の最終的な夢は日本に戻ってゲーム作りをすること。人生とは巡り巡って一周回るもの。いつかは実現するとうれしいですね。

――実現するといいですね。

ブライアン ありがとうございます。そういえば、日本で暮らしていた当時のゲームセンターには、私が小さなころに遊んでいたようなクラシックゲームがまだ多く残っていました。私は古き良き時代のゲームに大きな影響を受けているんですよ。

――『スチームワールド ディグ』にもその影響は表れているのでしょうか。

ブライアン もちろん。いまの若い世代は、クラシックの名作に触れる機会が少ないと思うのですが、このゲームには往年の名作をほう彿させる要素がたくさん取り入れてられています。若い世代のプレイヤーにはそのあたりも楽しんでいただけるとうれしいですね。

――ちなみにお気に入りのクラシックゲームは?

ブライアン 『メトロイド』、『キャッスルヴァニア』、『ディグダグ』ですね。美しいゲームというものは、非常にシンプルで、くり返し遊べる優れたゲーム性を持っているものです。

スチームパンク+西部劇に込められた深淵な世界

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――ではゲームの世界観についてうかがいます。主人公ラスティをはじめ、レトロなロボットが登場してどこかコミカルな世界観ですね。

ブライアン “スチームパンク”【※5】と“西部劇”【※6】というふたつの要素をミックスさせた独特の世界観のもとにゲーム世界が描かれています。この設定は一見、不思議な組み合わせに思えるでしょうが、じつは意外とそうでもないのですよ。両者は舞台こそ違えど、同じ時代を描いたものですしね。

※5:スチームパンク……19世紀のヴィクトリア朝期のイギリスを舞台に、当時の未来感覚とこの時代の主流テクノロジーである“蒸気機関”を融合させたSF・ファンタジーの1ジャンル。

※6:西部劇……19世紀のアメリカで、ヨーロッパからの移民による西部開拓のドラマを描いた映画や小説。わかりやすいアクションシーンとステレオタイプな設定のもと、海外でも多くの娯楽西部劇映画が作られ、イタリア制作のものは「スパゲティ・ウェスタン」(マカロニ・ウエスタン)とも称される。

――どうしてこの設定なのでしょうか?

ブライアン 詳しくお話しましょう。19世紀という時代は、“産業革命”という形で工業の分野で飛躍的な技術革新があり、その恩恵が世界に行き渡りました。この時代に活躍したひとりに、チャールズ・バベッジ【※7】という数学者がいます。彼の功績は、現在のコンピューターサイエンスにつながる、メカニカルサイエンスを躍進させたことです。歴史上では先進的な計算機を作り、完成に至らなかったものも多く残して逝去したのですが、私はまず、仮にもし彼が完璧な物を作り上げていたのなら、この時代にすでにロボットという機械が生まれていたのではないか?……と考えました。

※7:チャールズ・バベッジ……19世紀に活躍したイギリスの数学者。世界初となるプログラムの概念を取り入れた機械式計算機を発明したことで知られ、コンピューターの父とも言われる。

――そのロボットは現在の高度な電子技術や機構とはまったく別系統の、いわば機械仕掛けという感じですね。

ブライアン 仮にその時代にロボットが生まれていたとするならば、きっと人間は生活の中にロボットを取り入れて、まずは面倒な単純労働や肉体的に大変な仕事を任せるようになるのではないでしょうか。そして、もうひとつ別の視点での影響もあるに違いありません。

――それはどういうことでしょう?

ブライアン ロボットが作れるほどの高度な工業技術があるのだから、それは武器生産にも反映されて武器が飛躍的に発展するのではないだろうか? ということです。その技術は当然ほかの国々にも伝播して、さらにその先には工業技術が生み出した高度な武器を用いた国同士による戦争、世界大戦が勃発するのです。

――確かに史実の歴史を紐解いてみても、最先端の工業技術と、兵器の進化が不可分なものです。産業革命期のあるひとつのポイントで歴史が変わったら、その後の世界がどう変わっていくのか……という壮大な思索を試みているのですね。

ブライアン このゲームの舞台は、その世界大戦によって人類は滅亡した、という“その後”の世界なんですよ。人類がいないので技術革新がその時点で止まって、200年も300年も同じ技術がくり返されている……。ロボットも同じ営みを延々と続けているという世界です。

――そんな大きな背景があったとは驚きです。ゲームが醸し出す“レトロな感覚”の理由も、そういう話を聞くとわかります。

ブライアン 実際の歴史は進化するものなので、ひとつのテクノロジーが何百年もくり返されるということはありませんが。少しだけお話の続きをすると、じつはこのゲームの世界では人間が絶滅する前に、密かに「人間の代わりに面倒な作業をくり返してくれる」以外のロボット技術も考えらていたのです。でも、これ以上言うと、ゲームのネタバレになってしまうので言えません。蒸気機関の後に何が到来するのかな、と考えるといいかもしれませんね(笑)。

――解説ありがとうございます! 設定や物語を考えるのがかなりお好きなようですね。

ブライアン ええ。とても好きです。いつでも時間があったら考えています。ゲームは、プレイの中でいまお話したような物語性の深さを感じていただける仕組みになっています。出来事に沿ってゲームを続けていくと、「この世界で何が起こっているのか?」が少しずつ分かることでしょう。この世界の“発見”感覚を楽しんでほしいですね。掘るというアクション要素と、物語や仕掛けの謎を解いていくアドベンチャー的な要素という意味で、“採掘アクションアドベンチャー”なんですよ。

■進む道は自分が決める“坑道探検”

――ゲーム内容についての説明をお願いできますか?

ブライアン 地上にただひとつだけ存在する鉱山の入り口から、中に入ることからゲームが始まります。ツルハシなどの道具を使って地面をひたすら掘り進めます。地面の各所に鉱物が眠っていているのでこれを採取して地上に持ち帰って売る。その資金で探索に必要なアイテムを購入していく……というのがゲームの一連の流れになります。

――ルールを聞くだけでも、とてもシンプルなゲームであることが分かります。

ブライアン 開始当初は特にこれをしなければいけないという“決まり事”がないゲームなんです。ただ、プレイヤーの目の前に鉱山の入り口が存在していて、この中に入っていく。まだほとんど掘られていない地面がそこに存在していて、プレイヤーはよく分からないまま、地面を掘り進んでいきマップを作っていくのです。

――一度掘った場所はずっと掘られたまま。そのまま残るんですね。つまり、みずからの坑道の形が作られるということですか。

ブライアン そうです。地中に眠るアイテムの位置などは新規のゲームごとにランダムに変化しますが、地中の各所に存在する“洞窟”の位置は固定です。なぜなら洞窟の場面にはパズル要素があるからなんですね。それぞれの洞窟を探訪して解くたびに、プレイヤーの新規アクションが獲得できます。例えば、ジャンプ能力の強化や、ダッシュ能力などですね。

――なるほど。洞窟に寄ってパズル的な仕掛けを解いていくほどに、より探索がしやすくなるということですね。

ブライアン 地中のモンスターに触れるなどしてライフがなくなって死んでしまうと、そのポイントにそれまで自分が集めた鉱物だけが残り、プレイヤーは再び地上から探索をやりなおすことになります。ただし、アイテムなどでショートカットの手段もあるので、同じ道を何度も辿らなければいけないということはありません。

――ゲーム中、画面がだんだん暗くなりますが……。

ブライアン 周囲を照らす灯りというものが存在していて、時間が経つごとに灯りのパワーが少なくなっていきます。暗くなると視野が狭くなって探索が難しくなります。地上に戻るか、地中の敵を倒して得られるアイテムで回復することができます。

――灯りが全部なくなってしまうと……?

ブライアン 周囲がまったく見えなくなります。地面には強固な岩から、歩くだけで崩れる軟弱な層まで、さまざまな種類があります。またモンスターが眠るところもあります。周りが見えないということは探索ではリスクが生じるのです。

――地面の種類によって進めないところも存在するのですしょうか?

ブライアン ある程度深くまで進むと初期装備では壊せない固い地面が表れますが、掘る道具をアップグレードすれば破壊可能です。奥深く進むほど固い地面だらけになりますが、さらなる謎や未知の鉱物が多く眠っています。ぜひ鉱物をたくさん集めて道具のアップグレードを試みてください。行けない場所に出くわしても、あるアイテムやパワーアップを得ることで先に進めるのは、例えば『メトロイド』の感覚を思い出していただけるとわかりやすいかもしれません。先程もお話したように、このゲームには大きな影響を受けていますからね。

――これだけ地中世界が広大だと、ひたすら奥深く行けるところまで行ってしまいたい気分に駆られますね。

ブライアン ゲームのコンセプトとして、プレイヤーがゲームの進行や冒険を何をするか自由に決められるという仕様にしています。ただし、プレイヤーが壁に詰まりそうなところは、特定の箇所が光るなど何らかのヒントを与えるようにはしていますよ。

――地中のマップはいくつ存在するのでしょうか?

ブライアン 大きく分けて3つのマップが存在します。いずれもとにかく深いところまで進んでいくことが目的です。自分の能力をアップグレードをさせなくてもクリアーはできますが、最深部までは厳しい道のりになることでしょう。

――奥深くまで進むという目的はありながらも、逆に言うとプレイヤーが必ずしなければいけないのはそれだけなんですね。

ブライアン どう冒険を進めるかはプレイヤーの選択次第です。モンスターと戦いたくなかったらひたすら相手にしないというのもいいでしょうし、寄り道をどんどんするというのもいいでしょう。このような自由度の高い設計をすることで、一度クリアしても何度も遊べるのでは? と考えました。最初はじっくり探索をすることで地中の謎解きと物語を楽しんで、次のプレイでは最速のクリアタイムを競う……なんて遊びかたもいいでしょうね。

次回作も始動! 『スチームワールド』の世界はさらに広がる

――世界中で大ヒットした要因をご自身はどう分析していますか?

ブライアン まず「何度もくり返し遊びたくなる」という点が挙げられると思います。序盤はよくわからないままゲームで何ができるのかを探りながら遊んでいる、そしてその次の段階で「もう明け方の4時になっている!」という感じで、気付いたらずっと夢中になっているという遊び方をしている人が多いんです。

――ゲームオーバー後に「あと少しで先に行けるのに!」という気持ちになるんですね。

ブライアン もうひとつは“掘る”という行為が、人間の探究心を刺激するのではないでしょうか。掘るほどにこれまで知らなかった意外なものと出会う……きっとここにロマンがあるんですよ。

――現実の洞窟探検や、遺跡発掘と同じ気分といったところでしょうか。

ブライアン そうですね。もうひとつ、ゲームの“ペース配分”がとてもよかったと私は考えています。不思議な物との出会いや、新たな展開がちょうどいいタイミングで起こるように調整をしたのですが、それをうまくゲームのおもしろさとつなげることができたと分析しています。さらに、アクション性を損なわない快適な操作性もプレイヤーのいい評価につながったようですね。

――なるほど。気が早い質問ですが、次回作はお考えですか? 

ブライアン もうすでに『スチームワールド』シリーズ次回作の制作に着手しています。バケーションをしっかり取った後に本作が成功してくれたお陰もあって、意欲的に開発に取り組めていますよ(笑)。

――ちなみに、Image & Formの開発規模を教えてくれませんか?

ブライアン 11人です。いや……そのうちのひとりはコンサルティング業務に就いていて、さらにひとりは私ですから計9人ですね(笑)。プロジェクトマネージャーひとり、プログラマー4人、グラフィッカー4人というチーム編成です。

――ブライアンさんは?

ブライアン 何もやっていません(笑)。プロジェクトの始動時は意見を出したり、手伝いもしていたりするのですが、社長業があるし、PRとマーケティングもこなさければなりません。開発会社だからゲームを作るだけが業務というわけでもなく、いま、このインタビューも私の大きな仕事。インタビューの仕事はたいへんなんですから(笑)。でも、それでいいと思うんですよ。私はこれまで、プログラマー、グラフィック、プロジェクトマネジメントとひと通り経験してきましたが、私よりもずっと優れた人がいるんです。その人にやってもらうことが最良の選択ですから。

――達観してらっしゃる(笑)。でも、スタッフに思わず指示を出したりしたくなるんじゃないですか?

ブライアン 小さな規模の開発チームですから、メンバーの距離が近いんです。ひとりが決められたことだけをこなすのではなく、ひとつの事柄に対して全員で検討して、みんなでよりいいものを作っていくというのが我々のスタイルなのです。自分が“シャチョー”だからといって、社長の意見は絶対とは考えていません。

――チームの小さいながらも強い結束力がゲームにも表れているようですね。

ブライアン 私たちの会社は自由でクリエイティブな仕事ができる場です。ゲーム制作ができる環境を維持、発展させていくことが自分の夢ですし、やりがいを感じています。いま、こうしてお話をさせていただいていることにとても幸せを感じています。かつて住んでいた日本でファミ通の取材を受けている体験も最高に嬉しいこと! さらに夢を実現するためにがんばります。

――がんばってください! ありがとうございました。残る日本の滞在期間にカラオケも楽しんでください。

ブライアン そうしますよ!

◆実際に遊んでみた! ――ミニインプレッション

 ゲームは主人公のカウボーイ風ロボのラスティが、とある事情で叔父の鉱山を訪ねるところから始まる。さっそく最低限のチュートリアルを兼ねたストーリーの導入が始まるが、驚くほどシンプルな解説であっさりと終了。最低限の知識と道具を備えてプレイヤーが導かれるのは、まだ誰にも掘られていない広大な“地底”世界への始まりの地だ。試しに目の前の地面をツルハシでザクザクしてみたくなることだろう。ザクザクッ……地面が掘れて一筋の道ができた。この“ひと突き”が、これから始まる謎に満ちた壮大な旅路の始まり。『ワールドスチーム ディグ』の鉱夫デビューの瞬間だ。

 最初のひと突きの勢いのまま、どんどん地面を掘り進むとやがて“ちょっと変わった場所”や謎の空間が見えてくるはずだ。それが何なのか知りたい好奇心がさらにツルハシのペースを加速させる……と、やがてふと我に帰って振り返ると、掘った位置の履歴を示す全体マップにはプレイヤーがたどった奇妙な形の軌跡が描かれていて「思えば遠くまで来たものだ」という気持ちにさせることだろう。大まかなゲームの流れは、「地面を掘って進む」→「その途中で気付いた地中の“何かがありそうな場所”を目指して自らの目で確かめる」→「発見する(と同時に何らかの成果や効果を得る)」……という営みの繰り返しで進行する(“何がありそうな場所”というのは鉱床であったり、洞窟であったり、謎のスイッチだったりとさまざまなのだが、ネタバレにも及ぶことなのでこれ以上具体的には言わないでおこう)。そう、最初の一歩のアクションから、地底の謎探しはもう始まっていたのだ。

 「何か見付けた!」というこのサプライズ体験は、本作ならではの最大の楽しみであり、ゲームのキモとなる部分だ。地中に眠る大小さまざまな謎を見付ける面白さが「何かがありそう! もうちょっとこの先を掘ってみよう!」というモチベーションにもつながり、さらなる地中探検に導いてくれる。

 インタビュー中のブライアン氏のコメントにもあったように、どこをどう掘るからプレイヤー次第。この自由度の高さが探検気分をいっそうかきたててくれる。ゲームの進行上で必要なイベントが起こる場所はマップ中に赤印で示されるので、最低限その場所を頼りにすれば物語は進むのだが、本作ならではの楽しみは、むしろ積極的に寄り道することにあるのでは? と思っている。もっとも、言うまでもなくすでにほとんどのプレイヤーが当然のように寄り道をして自由気ままな探索をしていることだろう。

 掘れば掘るほど、この地中に眠るヒミツの虜になるシンプルなのに奥深い冒険。鉱山の発見を通じて全貌が明かされる、この世界ならではのドラマをぜひ体験してみてほしい。

※インタビュー:編集者S、文:大瀬子ヤエ(フリーライター)