●3DのCG時代到来を告げた32ビットゲーム機

竹崎 忠(たけざき・ただし)氏
株式会社セガ 社長室
プロジェクト推進部 部長
1964年生まれ。1993年にセガ初のパブリシティチームを立ち上げ、ドリームキャストに至るまで各種プロモーションに関わる。国内で発売されたメガドライブの全タイトルを所有する“メガドライバー”でもある。

 セガが家庭用ゲーム事業に参入して30年となる、2013年。これを記念して、セガハードの魅力を紹介する別冊付録“SEGA CONSUMER 30th ANNIVERSARY BOOK”が、週刊ファミ通2013年8月8日発売号に付いている。この付録に掲載している、セガの竹崎 忠氏が振り返るセガサターンの歴史を紹介しよう。

 CD-ROMドライブを搭載したハードがつぎつぎと発売された時代に、セガが送りだした高性能家庭用ゲーム機が、セガサターンだ。メガドライブの時代からセガサターン、ドリームキャスト、そしてハード事業からの撤退に至るまで、長きにわたってプロモーションに関わってきた、竹崎氏。つねにユーザーと寄り添ってきた“名物広報”が、プロモーションの視点から、日本を席巻したセガハード、セガサターンの歴史を語る。

●家庭用ゲーム機を本格的に売る体制が整った

――セガサターンを開発中の社内は、どのような雰囲気だったのでしょう?
竹崎 忠氏(以下、竹崎) セガサターン開発の経緯は、社内でもかなりの機密扱いになっていました。開発に関わったプロジェクトメンバー以外は、存在すら知らなかった。メガドライブの事業部とはまったく違うところに、セガサターン準備室のような組織があって、そこで準備が進められていたんです。セガサターンに関しては、開発体制から販売体制まで、あらゆる面でセガの家庭用ゲーム機の歴史の大きな転換点となりました。

――そのことは、セガにどのような変化をもたらしたのでしょうか?
竹崎 そもそも僕がセガに来たのは、メガドライブ末期なんですが、そのころの家庭用ゲーム機の事業部は、すごく和気あいあいとした雰囲気だったんですよ。いい悪いは別として、大企業っぽくなかった(笑)。それが、セガサターンで組織やスタッフがガラッと変わったんです。

――異業種の方々が集結されたんですよね。
竹崎 ゲーム業界以外のさまざまな業界からスペシャリストが集まり、家庭用ゲーム機を本格的に日本の市場で売るための体制が整えられていきました。もちろん、それまでもマーケティング活動をしていなかったわけではありませんが、わりと勢いで売っている部分もあった(笑)。でも、セガサターンから、より精密なマーケティングに基づいた販売戦略を組み立てるようになったのです。メガドライブのころの事業部とセガサターンのころの事業部とでは、まったく別の会社だと言っても過言ではありません。

――現場にとってはすごく劇的な変化だったと思いますが、戸惑いはなかったんですか?
竹崎 もともとセガの家庭用ゲーム機をもっと売れるようにしたくて入社した人間なので、これはいいことだなぁと思っていました。セガが家庭用ゲーム機を売る体制を、本腰を入れて作ったわけですから。メガドライブでできなかったサードパーティーとの取り組みをきちんとやろうと、初めて本格的なライセンシー窓口の組織ができたのも大きかった。そこに、ソニー・コンピュータエンタテインメント(以下、SCE)さんがゲーム市場に参入してきたことで、ゲーム業界全体がステップアップしたと思います。当時の“次世代機戦争”の中で、セガは日本でちゃんとゲーム機を売るための体制を整えて、それなりの大きな予算を用意して、さまざまな新しいトライをしながら市場に臨んだんです。

●ゲーム業界に劇的な変化をもたらした“2D”と“3D”の戦い

――セガサターンで家庭用ゲーム市場を獲得するという狙いは、うまくいったと思いますか?
竹崎 僕はうまくいったと思っています。メガドライブとセガサターンの日本市場における販売台数の差を見れば明らかです。ハードのスペックやサードパーティーの獲得結果などから、満点だとは言えませんが、ベストを尽くせたハードだと思います。残念だったのは、最先端のアーケードゲームを家庭で遊べるようにするという理念を実現しようとしたために、セガサターンが“究極の2Dマシン”になったこと。アーケードではすでに3Dポリゴンに風向きが変わり始めていたし、SCEは最初から3D表現に特化したマシンを出してきました。セガは、当時のゲーム機の究極進化形を目指して、セガサターンを作ったわけですが、その後の潮流となった“3D特化型マシン”にはしなかった。そこが、よくも悪くも評価の分かれ目のひとつになってしまいましたね。とはいえ、セガサターンでもそれなりに3D表現はできるので、『バーチャファイター』の家庭用移植も実現できたのですが。

――3Dに特化したハードではなかったセガサターンですが、そこは技術で乗り越えましたね。
竹崎 本体発売時には『バーチャファイター』の再現だけでもたいへんだったのに、その後も技術を磨いて、『バーチャファイター2』も移植できるレベルに到達しましたからね。

――プロモーションの目から見て、“次世代機戦争”で市場は大きく変わったのでしょうか。
竹崎 プレイステーションはハードスペックも販売戦略も、根本的なコンセプトから異なっていて、もともとの立ち位置や方向性がセガとは違っていたのですが、ゲーム業界の最先端であるセガと、異業界の最先端であるSCEさんの戦いと、周囲は見たんですね。ふたつのメーカーがふんだんにお金をかけて戦っていた状況は、お客様に、いままでとはまったく異なるゲームの見せかたをできたと思うんですよ。それぞれが派手でユニークなコマーシャルを作ってもいましたし。結果的に、子どもの玩具だったゲーム機が、大人の層までターゲットとなるエンターテインメント機になったんです。古くからのコアユーザーが技術論を交わすという状況と、20歳くらいのカップルがプレイステーションかセガサターンのどちらを買うかを、店頭で迷っているような状況が同時に生まれた。このハード戦争で、ユーザーの幅はグッと広がり、ゲーム業界に劇的な変化をもたらしましたね。

――国内だけで580万台以上を販売しましたね。
竹崎 アーケードからの移植にとどまらず、『サカつく』や『サクラ大戦』、『NiGHTS』といった家庭用ゲーム機オリジナルのヒット作を、さまざまなジャンルで出せたのも大きかったですね。「セガはRPG系が弱い」と言われていて、ならばお金を惜しまずにキラータイトルを作りにいこう! という気概がありましたから。セガサターンは後々まで続く新しいIP(知的財産)を数多く輩出したこともあって、セガの家庭用ゲームの歴史の中で一歩抜け出せたのだと思います。

※インタビューのほかにも、貴重な画像などが満載の“SEGA CONSUMER 30th ANNIVERSARY BOOK”は、週刊ファミ通2013年8月29日増刊号(8月8日発売)に付録されています。気になった人はいますぐチェック!