セガの名を海外にまで知らしめたメガドライブ

“SEGA CONSUMER 30th ANNIVERSARY BOOK”メガドライブ編/開発を手掛けた石川氏が当時を振り返る!_01
石川雅美(いしかわ・まさみ)氏
株式会社セガ Nプロ研究開発部
アメージング企画セクション
セクションマネージャー
1956年生まれ。1979年セガに入社。ゲーム事業に参入したころから開発に携わり、“オセロマルチビジョン”や“ゲームパック”の開発からメガドライブまで、家庭用ゲーム機の基板から設計・開発を手掛けてきた。

セガが家庭用ゲーム事業に参入して30年。これを記念して、週刊ファミ通2013年8月8日発売号には、セガハードの魅力を紹介する別冊付録“SEGA CONSUMER 30th ANNIVERSARY BOOK”が付いている。この付録に掲載している、数多くのセガハードの設計・開発を手掛けてきたセガの石川雅美氏が語ってくれた、メガドライブ開発秘話を紹介!

 家庭用ゲーム機では初の16ビットCPUを搭載し、当時としてはハイスペックを誇ったメガドライブ。多くの人気アーケードゲームを移植し、家庭用ゲーム機とアーケードゲームとの親和性をこれまで以上に高めたハードでもある。北米では“GENESIS(ジェネシス)”という名称で発売され、大ヒットしたことで、海外にセガの名を知らしめた。そんなメガドライブの設計・開発を手掛けたのが、石川雅美氏である。SG-1000のカスタマイズからセガハードの心臓部を築き上げ、セガの歴史を語るうえで欠かせないキーマンである石川氏に、アーケードゲームを家庭用に移植するというセガの理念を実現したメガドライブの開発秘話を聞いた。

メモリのサイクルで悩む日々が続いた

――メガドライブの開発に石川さんが携わることになったきっかけを教えてください。
石川雅美氏(以下、石川) SG-1000IIから、マスターシステム、セガ・マークIII、マスターシステムの開発に携わっていたんです。その流れで、私がメガドライブの開発を担当することになりました。マスターシステムの開発が終わって、しばらくしてからメガドライブの設計は始まりましたね。

――つぎは16ビットのゲーム機を作ろうという流れだったのですか?
石川 そうですね。グラフィック部分の設計は始まっていましたが、コストの問題もあって、68000がメインCPUに決まったのはけっこう遅い段階でした。ふたつのCPUを乗せた理由は、ひとつのCPUがサウンドも映像も担当するとなると、負荷が重くなると思ったからです。そこに、サウンドを担当するサブCPUとしてZ-80を加えることで、メインCPUへの負荷を軽減できるうえに、互換性を保てたんですね。ベースになったのは、すでに稼働していたアーケード用の基板で、68000とZ-80を乗せたSYSTEM16です。家庭用のハードで大きくステップアップするなら16ビットだという時代の流れもありました。

――最終的に68000に決まった理由とは?
石川 やはり、16ビットにすればアーケードの資産がそのまま使えるというのが大きかった。アーケードからの移植もにらんでいましたし。どうすれば性能の高いアーケードのゲームを家庭用ゲーム機で実現できるのか、その一心でした。メモリのサイクルに悩んで、丸一日、ずっと考える日々が続きましたね(笑)。

――“アーケードゲームが家庭で遊べる”というセガの理想を追求したマシンですよね。ソフト開発者の意見を反映したりということは?
石川 なかったですね。SYSTEM16のゲームを家庭用ゲーム機に移植できるように、ハードを作りました、と。仕様が決まった時点で、家庭用ゲームの制作部隊を集めて、機能を説明しましたね。そもそも、家庭用ゲームのチームは誰も68000を使った経験がなかったので、壁は高かったと思いますよ。それでも、皆が「すごい」と言ってくれたことは覚えています。

――メガCDの登場も衝撃でしたが、当初から構想はあったのでしょうか?
石川 もともとCD-ROMを使うという構想はありませんでした。それでも、やはり容量を増やすことが重要だったんです。メガCDには、グラフィックを拡大・縮小や回転させるだけの演算処理が可能なるDSP(デジタルシグナルプロセッサー)を乗せました。機能検証のために、1.5畳ほどもある大きなラッピングボードを動かしたときは大変でしたね。

――それらをコンパクトにまとめて、メガドライブで動くようにしたんですね。
石川 ランダムアクセスには苦労しましたね。読み込みのスピードが遅いとゲームが途切れてしまううえに、RAMカートリッジの容量では1回に読み込めるデータの量が少ない。とにかくランダムアクセスを早くしないといけないという点がキーでした。パフォーマンスを上げるには相当な労力がかかりましたが、データ量が増えたことで本格的なRPGが誕生しましたし、ゲームの幅が広がったと思います。

――石川さんが「このソフトはすごいな」と思ったタイトルはありますか?
石川 メガドライブの『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』ですね。グラフィックを描写する際に、データ量を増やさないで描写回数を増やす“インターレース”という技術を使って、上下画面で分割して遊ばせているのを見たときには、こんな使い方があるんだと感動しましたね。

――限られた解像度のなかで、単純に解像度を倍にして分割しても、グラフィックとして表現できていたんですね。
石川 この機能を実装したタイトルは、『ソニック』が最初で最後じゃないでしょうか。

ゲーム機としての機能を果たしたハード

――ハードの設計に関して、この大きさでハードを作るから、この大きさで基板を作ってほしいといった話はありませんでしたか?
石川 それはなかったですね。ただ、メガCDを本体の上に乗せたのを見たときは、「エッ!?」と思いました(笑)。スーパー32Xも、本体の上に置いて最後にカセットを刺した状態を見た人が、「墓石みたい」と言いましたよ(笑)。もともと、スーパー32Xの制作は予定しておらず、サターンの設計はスタートしていたのですが、ジェネシスの市場も重要で、ブースターで補正することになった。当時のセガ・オブ・アメリカの方が、「ブースターを出します」と言っちゃったというウワサですけどね(笑)。

――スーパー32Xの開発は、なかなか苦労されたとお聞きしています。
石川 スーパー32XのCPUは、SH2がふたつ入っているんですが、最初はCPUひとつで設計がスタートしていました。パフォーマンスが思った以上によくならないけれど、業務用の移植は必須だった。このころに初めて、ポリゴンという考えが生まれたんですね。ふたつのCPUで演算処理を行わせた結果、一応はポリゴン処理が可能になって、業務用の『スペースハリアー』などを移植できたことは大きかったです。

――不思議なもので、色の感じとか音色の質感がハードのメーカーごとに違っていましたよね。
石川 セガのゲーム機は色がにじむと、セガ・マークIIIのときにも言われていたんですけど、初期のメガドライブもそうだったんです。それを発売間際に何とかしようとして、初期ロットのメガドライブには小さな基板、いわゆる小亀ボードが乗せていましたね。けっこう騒がれましたが、初期ロットではそれで対策したことで、色のにじみをなくせたんです。メガドライブには、業務用の基板でも誰も設計したことのない技術をたくさん盛り込みました。グラフィックも可能な限り業務用に近づけましたし、何よりもサードパーティーが多く参入したことで、ゲーム機としての機能を果たすハードになったと思います。

――多くのハードを設計した石川さんですが、いまはどのような業務に?
石川 アーケードゲーム以外にも新しいプロダクトを立ち上げる“Nプロ研究開発部”で、新しいものを立ち上げようとがんばっています。“N”は“NEW”や“NEXT”を意味しているのですが、メガドライブ級のニュースをお届けしたいですね。

※インタビューのほかにも、貴重な画像などが満載の“SEGA CONSUMER 30th ANNIVERSARY BOOK”は、週刊ファミ通2013年8月29日増刊号(8月8日発売)に付録されています。気になった人はいますぐチェック!