まず話題に上がったのは、『学校であった怖い話』について。飯島氏は「32年前に発売されたときはCERO Bだったのに、Switch版はシナリオが変わっていないのにCERO D。下手をすればZです。いま手掛けたらお蔵入りになるようなシナリオも」と、冒頭からいきなり怖い(?)エピソードを披露した。
30年以上前はSNSがなく、何かを知りたければ自分で調べる必要があったため、飯島氏も自ら足を使って情報を集めていたという。そうした経験を振り返りながら、「あの当時のものを、何でも拾えるいまの状況でもう一度作れと言われてもできないと思う」と語った。
ゲームを制作するにあたり、飯島氏はどんなジャンルであっても、“エンターテインメント”であることを強く意識していたという。「ホラーだから怖い話だけ、ラブロマンスものだから恋愛だけ」という作りにはせず、さまざまな要素を取り入れることを意識し、風間望もそういう流れで作られたキャラクターだという。

「学生時代、合宿などで怖い話をするときは、輪になってひとりずつ怖い話をするのが当たり前だったんです。だいたい怖い話か恋バナ。僕は男子校だったので恋バナがない(笑)。だから怖い話になるのですが、怖い話をたくさん知っているとヒーローになれる。それなら、怖い話が得意な人を集めたら作品になるんじゃないか」という発想から始まった。
飯島氏の学生時代は、怪談を盛り上げるための“仕込み”もしていたそうだ。あらかじめ友人と打ち合わせをしておき、「霊が来たら教えて」と話を振って、タイミングを示し合わせて反応してもらっていたという。ところがあるとき、打ち合わせをしていなかった別の友人まで突然「来た!」と言い出し、顔面蒼白になってしまったのだとか。それ以来、その友人には怖くて近寄らなかったという個人的な思い出も語られ、こうした学生時代の経験が飯島氏の『学校であった怖い話』の原点になっていると明かした。
続いて、飯島氏がとくに描きたかったシナリオについての話題に。印象に残っているものとして『殺人クラブ』のほか、人形にまつわるエピソード、そして『トイレの花子さん』に関するエピソードを挙げた。
人形のエピソードには、飯島氏自身が小学生のころから経験していたという、人形にまつわる体験も反映されているとのこと。また、『トイレの花子さん』のシナリオを通して「人間はいつ、どこで人を傷つけているかわからない」ということを描きたかったとも語った。
Nintendo Switch版の限定版に付属する書き下ろし小説『さよなら殺人クラブ』についても言及。本来はゲーム本編に収録する構想があったエピソードだったという。
当時は“他人が自分を殺す”という展開については問題なかったものの、“自分が他人を傷つける”内容についてバンプレスト側から難色を示されたことから、収録には至らなかったそうだ。もともとはゲーム内の物語と対になる内容として考えていたため、飯島氏は「いつか世に出したい」と思い続けていたという。今回書き下ろし小説を書くことができ、「これで『学校であった怖い話』は一段落すると思っていたので、書けてうれしかった」と語った。
開発当時については、その膨大なボリュームゆえ、ひとつの作品としてまとめてデバッグする作業も非常にたいへんだったという。また、実写を使った一枚絵は当時のハードの容量に合わせて制作されているため、現在見ると粗さもある。一方、Switch版では“どこでもセーブ”などの機能が追加され、遊びやすくなったと紹介された。
そしてホラー作品につきもの(?)の「開発中に怖い出来事はなかったのか」という話題へ。当時の開発中にはとくに何も起こらなかったというが、今回Switch版を制作しようとした際には、飯島氏の耳に異変が起きたほか、開発プロデューサーが心筋梗塞に見舞われたという。さらに藤田氏からは、資料をプリントアウトしたところ真っ黒になってしまい、お祓いをしたというエピソードも飛び出した。
続いて話題は『ONI』シリーズへ。当時、飯島氏は忍者や妖怪など、日本のファンタジーの書籍に関する仕事にも携わっていた。そのため、そうした要素を取り入れ、日本を舞台にしたRPGを作れないかという話になったという。

第1作について飯島氏は「まあまあだった」と当時を振り返る。一方で、当時は購入者アンケートのハガキが多く返ってきており、寄せられる感想も好評だったという。ゲーム誌の読者投票などでも『ONI』シリーズが高い支持を得ていたが、飯島氏自身には「メジャーな作品」という感覚はなかったそうだ。今回パッケージ版の発売が発表されると大きな反響があり、「なんでこんなに騒がれているんだろう」と驚いたという飯島氏。それでも、「みんなの記憶に残る作品を作れたのはうれしい」と喜びを語った。
限定版に付属する書き下ろし小説の内容は、まさに『ONI』の原点となった『残地張(ザンジバル)』になっているとのおとで、『ONI』シリーズファンは必見だ。
『ONI』シリーズの制作でも、飯島氏の“自分の足で調べる”姿勢が大きく活かされている。
当時は日本全国の妖怪などについて記された本を地方の書店などで買い集めていたという。いまならSNSやインターネットで検索すれば多くの情報が見つかるが、「全国を回って、自分の足で調べると本人から話を聞くこともできる」。そうして集めた情報や経験が、『ONI』シリーズの世界に反映されていると語った。

そして、そんな苦労をすると「ゲームのマップも絶対につらいマップにしよう」と思ってしまうのだとか。『ONI』シリーズのマップがハードなのは、そうした飯島氏自身の経験も影響していると明かした。もっとも、当時も『ONI2』の最後のダンジョンなどは、「これは難しすぎるのでは」と飯島氏自身も感じていたそう。飯島氏は「今の簡単なゲームに慣れている人にとっては難しいかも」と懸念したが、藤田氏からは今回の復刻版では倍速機能なども用意されているため、当時より遊びやすくなっていることも補足された。
昔のゲーム開発について飯島氏は、「できることはこれだけしかない」という制限の中で、どうおもしろくするかを考える“制限との戦い”だったと振り返る。たとえば一見するとただの初期装備が、あることをすると最強クラスの武器になるといった仕掛けを盛り込むなど、限られた環境の中でさまざまな工夫を凝らしていたそうだ。一方、現在は技術的に“何でもできる”時代になったからこそ、「逆に何をすればいいのか難しいのかもしれない」と飯島氏。
では、そんな現在だからこそ、クリエイターとして何にこだわりたいのか。
この問いに飯島氏は、YouTuberやインフルエンサーたちが頭を抱えて、「どうしてこれを出しちゃったの? 私たちへの挑戦?」と思うネタを考えており、作りたいと回答。今後もひと筋縄ではいかない作品を作ろうとしていることをうかがわせた。
最後に「30年後にも自分の作品が遊ばれていることに関して、30年前の自分はどう思うか」と聞かれた飯島氏が口にしたのは、「ライバルは『ドラえもん』」という言葉。「(長く愛されている『ドラえもん』と比べて)50年後、100年後の自分の作品はどうなのか、と思う」と語り、より高みを目指す飯島氏の姿勢が垣間見えた。
30年以上を経て再び現行ハードに蘇った『学校であった怖い話と晦-つきこもり』と『ONI』シリーズ。飯島氏は「皆さんの言葉があれば30年経ったいまでもまだ続きを作ることはできるので、皆さんの声を聞かせてほしい」と語り、トークを締めくくった。



















