セガとNVIDIAの協業30周年
そもそも両社の関係が始まったのは1990年代に遡る。NVIDIAが創業間もない1993年、ジェンスン・フアン氏が当時アーケードゲームとしてリリースされた『バーチャファイター』の3Dポリゴン技術に魅了され、翌年セガを訪問。PC向け移植などで実績を積み、1998年発売の家庭用ゲーム機ドリームキャストに搭載するGPU担当の開発パートナーとなる。
しかし、NVIDIAは新型チップの開発が難航、契約を解除してくれとセガを訪れる。それはまだ規模の大きくない時代のNVIDIAにとって、自社の倒産宣告をみずから告げるに等しい、自分の足で断頭台に上るような悲痛な謝罪だった。ところが、当時の入交氏は契約解除を受け入れたうえで、当初の契約にあった支払いとさらに追加出資を行う。NVIDIAは倒産を免れた。
その後NVIDIAは新商品がヒット、窮地を抜け出して1999年に上場。高性能GPUなどを作る半導体メーカーとして驚異的な成長を見せ、現在では時価総額約5兆ドル(約800兆円)、時価総額世界一を誇る半導体メーカーとなっている。
つまりセガは、現在世界一となっている会社のいわば“命の恩人”とも言える存在で、創業社長のジェンスン・フアン氏はセガへの恩義を折りに触れて語っており、イベントでも改めてそのエピソードを当人たちの前で語り、感謝を伝えていた。今回の来日では、高市早苗総理大臣やソフトバンクグループの孫正義会長と面会が予定されているという。そんな多忙な日程の中に、当イベントが組み込まれているというのは特筆すべき点だろう。
本稿では、“セガとNVIDIAの絆”をテーマに2社の関係性を振り返り、現在“対応ハード未定”とされている『バーチャファイター』シリーズの最新作『バーチャファイター クロスロード』のPC版実機披露まで行われた本イベントの内容をリポートする。
ジェンスン・フアン 氏
台湾出身の起業家。1993年にNVIDIAを共同設立し、社長兼CEOを務める。スタンフォード大学院で電気工学の修士号を取得。同社をGPUのリーダーから、世界最高峰のAI半導体企業へと成長させた。(文中はフアン)
里見治紀 氏(さとみ はるき)
証券会社を経てサミーに入社、UCバークレー校でMBAを取得。現在はセガサミーホールディングス代表取締役社長グループCEOとセガ会長を兼務。
内海州史 氏(うつみ しゅうじ)
福岡県出身。一橋大学卒、ウォートン校MBA取得。ソニーでプレイステーション、セガでドリームキャストの立ち上げに参画。ディズニーやワーナー等の社長を経て、セガ代表取締役社長COOを務める。
入交昭一郎 氏(いりまじり しょういちろう)
ホンダ副社長を経て1998年にセガ社長就任(当時の社名はセガ・エンタープライゼス)。セガ在籍時、新しいNVIDIAのジェンスン・フアン氏から直談判を受け、誠実さに動かされて出資を決断。この決断が同社の倒産危機を救った形となった。
鈴木裕 氏(すずき ゆう)
ゲームクリエイター。YS NET代表。1983年にセガに入社し、『ハングオン』や『スペースハリアー』といった体感ゲームを始め、世界初の3D格闘ゲーム『バーチャファイター』、『シェンムー』など歴史的名作をつぎつぎと世に送り出す。
セガとNVIDIAの“絆”:1994年の出会い

しかし当時、PCの世界でも欧米の世界でも、3Dのビデオゲームを作っている人は誰もいませんでした。1994年当時、唯一の3Dビデオゲームはアーケードゲームでした。そして唯一の本物の3Dゲームは、鈴木裕さんのAM2研が開発した『デイトナUSA』や『バーチャファイター』でした。そうですよね?
『バーチャレーシング』は、信じられないほどすばらしいものでした。私は覚えています。1994年に『デイトナUSA』がアメリカに上陸しました。
私たちはNVIDIAを立ち上げたばかりで、本当はチップを作っている予定でしたが、毎日ゲームセンターで遊んでいました(笑)。
グラフィックスがどれほど美しく、滑らかであるか、信じられないほどでした。あまりにも滑らかだったので、この技術は本当の3Dではないのではないかとさえ思いました。しかし実際には完全に3Dであり、テクスチャマッピングが施されていました。そこで私たちは、何としても絶対に日本に行って、セガに「NVIDIAを支援してほしい」と頼むことを決意しました。
また、私たちは3D向けの新しい技術を開発していました。フレームレートは非常に高く、コストは非常に低いものでした。そして、入交さんと鈴木さんに、私たちと協力して家庭用ゲーム機を作るための支援をしてくれるよう説得しました。
その家庭用ゲーム機はセガサターンの後継機で、のちにドリームキャストとなりました。入交さんが私たちの提案を受け入れ、いっしょにゲーム機を開発することになったのは、非常に幸運なことでした。こうして私たちは共同開発を始めました。
しかし、不運なことに、9ヵ月後に私たちはその技術が機能しないことに気づきました。
私たちは“フォワード・テクスチャマッピング”と“曲面(カーブドサーフェス)”という技術を使っていました。しかし、正しい技術は“インバース・テクスチャマッピング”と“三角形(ポリゴン)”だったのです。私たちは間違ったアプローチを選択してしまいました。
私は、このプログラムが成功しないことに気づきました。そこで私は、入交さんに説明するために日本にやってきました。謙虚な気持ちで「この技術は機能しない」と説明しました。そして、入交さんに助けを求めました。NVIDIAはこのプロジェクトを完了させることができなかったのです。NVIDIAはプロジェクトを最後まで完了できなかったのですが、それでもお金が必要でした。
セガの資金援助がなければ、NVIDIAは今日存在していなかったでしょう。私は入交さんに支援をお願いし、彼は非常に寛大にもそれを受け入れてくれました。
実際、そのときに私は日本企業の“本質(本質的な美徳)”を学びました。企業どうしがビジネスをしていても、すべてがビジネスのためだけではないということです。
友情、パートナーシップ、そしてお互いをサポートし合うこと。これらも非常に重要なのです。セガと入交さんがNVIDIAのためにしてくれたことのおかげで、NVIDIAは生き残りました。もしあれがなければ、NVIDIAは潰れていました。
1995年、NVIDIAが倒産寸前で、完全に間違った技術を選択していたにもかかわらず、今日私たちが世界最大の企業としてここにいることは、想像すらできないことです。
当時、NVIDIAは間違った技術を持っていましたが、入交さんはNVIDIAには正しい人材がいることを見抜いていたのです。
セガ、入交さん、鈴木さん。皆さんの友情、サポート、そして私たちを信じてくれたことは、私にとって非常に大きな意味を持っています。日本は私にとってつねに大切な場所であり、セガもつねに大切な存在です。
NVIDIAとセガの共同歩調が、いまなおこうして続いているという歴史を、ぜひセガの皆様も(私たちと同様に)誇りに思ってください。本当にすばらしいことです。
バーチャファイターPC実機デモを披露

NVIDIAと日本政府・日本企業とのパートナシップ
明日は日本にとって、本当に、本当に重要な一日になります。明日こそが、まさに“日本AI(の時代)”の始まりとなるのです。私は、数多くの企業、日本を代表する並み居る巨大企業とのパートナーシップを発表する予定です。私たちはAIやロボティクス(ロボット工学)の分野で、ともに手を取り合って取り組んでいきます
フアン氏が鈴木裕氏を激賞
そして、最後に改めてフアン氏が鈴木裕氏を激賞する熱いコメントを捧げ、セガファンとNVIDIAファンの熱気に満ちたイベントは閉幕となった。














