【MTG】多くの天才を見て、何度も諦めかけた。『FF5』ギルガメッシュの自爆で国際大会を制した行弘賢が説く「個人競技だけど仲間の助けがないと強くなれない」

by小川翔太

【MTG】多くの天才を見て、何度も諦めかけた。『FF5』ギルガメッシュの自爆で国際大会を制した行弘賢が説く「個人競技だけど仲間の助けがないと強くなれない」
 『マジック:ザ・ギャザリング』(以下、MTG)の世界大会、プロツアー『FINAL FANTASY』で日本人選手が優勝を果たした。2025年6月22日の話である。
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 世の中は空前のトレーディングカードゲーム(以下、TCG)ブームだ。日本国内では『
ポケモンカードゲーム』(以下、ポケカ)や『遊戯王OCG デュエルモンスターズ』を筆頭に人気爆発中。2024年の市場規模は3000億円とも言われている。

 1993年に誕生した『
MTG』はそれらTCGの始祖。プロツアーは『MTG』を競技的にプレイするプレイヤーたちの憧れの舞台かつ権威ある大会である。
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プロツアーの激闘は公式配信で視聴できる。この画像はプロツアー『FINAL FANTASY』DAY3配信をキャプチャーしたもの。
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昨今は他コンテンツとのコラボにも積極的。『ファイナルファンタジー』とのコラボは大きな話題となった。
 今回のプロツアーは日本生まれの名作『ファイナルファンタジー』とのコラボセットの名を冠したメモリアルな大会だったのだが、なんとその優勝者が日本人という“マンガのような展開”が発生した。

 その日本人の名は、行弘賢。

 『MTG』界隈では屈指のリミテッド強者として名を馳せるプレイヤーだ。リミテッドとは、ブースターパックを開封して、その場で出たカードのみでデッキを組む対戦フォーマットの総称。瞬発的な発想力が求められる。
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 今回は1時間半に及ぶインタビューを実施し、「なぜリミテッドが強いのか」と直撃した。すると、コミュニティの大切さを説く中で、このような答えが返ってきた。
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 その真意はどこにあるのか。また、ほかにも多彩な話題に波及。その内容を余すことなくお届けする。

  • プロツアー優勝直後、涙のインタビューの裏側
  • ポケカ世界4位から『MTG』プロとなった流れ
  • なぜか異様に強い和歌山勢
  • チーム練習の重要性とその反作用
  • マジック・プロリーグが崩壊して“半”引退からの復活秘話

 では、行弘賢の高校生時代、とある福岡の雑居ビル内のカードショップまで、時を戻そう。
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ポケカ世界大会4位ではじまったTCG人生――福岡時代

――この度はプロツアー『マジック:ザ・ギャザリング——FINAL FANTASY』優勝。おめでとうございます!

行弘
 ありがとうございます!

――プロツアー優勝の話については後でたっぷりと伺うとしまして、まずは簡単に自己紹介をお願いします。

行弘
 『MTG』のプロゲーマーをしています、行弘賢です。競技歴は18年ほどになります。プロツアーや世界選手権など、出場に権利が必要な国際的な賞金制大会に、継続的に参加しています。

――カードゲームに関する経歴をお伺いしたく。2005年の『ポケモンカードゲーム』世界大会での4位入賞がキャリアのスタートでしょうか。

行弘
 そうですね。高校2年生までは『ポケカ』をやっていました。その頃から(同級生と遊ぶというよりは)大人が集まるコミュニティに所属して、『ポケカ』を競技的に遊ぶのが好きだったんです。大会で勝つという目標が、つねにモチベーションになっていました。

 その後、専門学校に通い始めて、『ポケカ』の休止中に出会ったのが『MTG』でした。誘ってくれたのは『ポケカ』コミュニティにいた人です。昔『MTG』をやっていたとのことで、「久々に遊ばないか」と声をかけられました。

 当時、本格的にハマったのは“ドラフト(※)”なんですよ。“構築(※)”ではなく。ただ、ドラフトって人数がいないと遊べないから、気軽に友だちとやるのは難しくて。それで、またコミュニティに所属していくことになったんです。
※ドラフト:その場でパックを開封して、即興でデッキを作って対戦する遊び方 ※構築:あらかじめ自分のデッキを用意して対戦する遊び方
――どの辺りから本格的に『MTG』にひかれていったんですか?

行弘
 2007年のグランプリ北九州がきっかけだったのかもしれません。

 ローウィンのリミテッド(シールド、ドラフト)の大会でした。僕にとって初めてのグランプリで、2日目に残れまして。最終的な順位は奮わなかったけど、当時はアマチュア賞金(※)っていう制度があったんですよ。

 僕はアマチュアだったので、5万円か6万円くらい賞金をもらえたんです。参加費は2000円くらい。専門学生だった僕には衝撃でしたね。
「カードゲームの大会でこんなに楽しくて、賞金までもらえるイベントがあるの!?」って。調べてみたら『MTG』には年に何回もこういう大きな大会があると。競技的なイベントがたくさんあるという点で、一気にひかれていったんだと思います。
※アマチュア賞金:プロツアーの経験がない参加者の中で順位を決めて賞金をもらえる仕組み。

1日9時間のドラフト生活――福岡時代から和歌山時代へ

――2007年の国内グランプリの初参加をきっかけとして、2013年にはシンガポールでのグランプリ優勝につながっていくわけですが、どの辺りで「プロを目指してやっていこう」と意識し始めたのでしょうか。

行弘
 和歌山のコミュニティで練習するようになった頃だと思います。

 福岡に住んでいた頃に『MTG』に競技として取り組むようになって、最初の目標はプロツアーの権利を取ること。幸運にも、活動を始めて1年でプロツアーの権利を得られて、その後も継続して取り続けることができました。

 ただ、どれもプロツアー本戦の成績はよくなかったんです。

 「もうプロツアーへの継続参加は難しいかもしれない」と思っていたとき、2009年シーズン最後のグランプリでTOP8に入れたんですよ。これがまた偶然にも北九州での開催で(グランプリ北九州09、ゼンディカーリミテッド)、プロツアーの権利だけでなく、世界選手権(※)の権利まで得ることができました。

 連続で招待制のイベントに出て、翌シーズンのプロツアーの権利にもつながって、徐々に安定してプロツアーに参加できる状況に。目標も変わったように思います。「プロツアーに出たい」から「プロツアーで結果を出したい」に。
※世界選手権:1年に1回行なわれる、『MTG』最高峰の大会。プロツアーなどで好成績を残したプレイヤーのみが招待される。
――そこから和歌山のコミュニティにつながっていくと。

行弘
 そうですね。専門学校を卒業して、和歌山に引っ越してからは、カードショップで働きながらプロツアーで上位を目指す生活に完全にコミットしました。

 そのカードショップを作ったのは、山本明聖さん。

 プロツアーホノルルで知り合ったんですよ。僕にとって初の海外プロツアー。いっしょにプロツアーを回るうちに仲よくなって。山本さんも僕と同じく初めてのプロツアーだったのに、いきなりTOP8に入る快挙。

 山本さんが和歌山でカードショップを立ち上げるということで、スタッフとして働きながら、コミュニティで練習させてもらうことになりました。
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――その和歌山のコミュニティはどんな場でしたか?

行弘
 かなり独特だったと思います。構築を熱心に遊ぶプレイヤーはほとんどいなくて、リミテッド(シールド、ドラフト)をめちゃくちゃ遊ぶ文化でした。世界でいちばんリミテッドの練習をしてたんじゃないかな。異様ですよね。

――どうしてそんなことに?(笑)

行弘
 何年か前に『鉄拳』でパキスタンから強い選手(Arslan Ash選手)が出てきたって話題になったじゃないですか。この和歌山のコミュニティも同じ感じだったのかも。(ローカルな場所から)急に強い選手を排出するような。

 「和歌山の有名なわけでもないカードショップで、リミテッドだけをめちゃくちゃプレイしている集団がいた」みたいな。突然そんなやつらが出てきたらびびりますよね。

――(笑)。具体的にはどれくらい練習をされていましたか。

行弘
 多い日は1日9時間ほど。

――すごすぎる。

行弘
 21時にショップの営業が終わって、そこから朝5時、6時まで、ずっとドラフト。それが週に何回もありました。逆に構築に関しては、練習の機会が少なかったので、僕はかなり苦戦したほうだと思います。

リミテ狂いたちの客を巻き込んでのプロツアー対策――和歌山から東京へ

――当時の感覚としては(プロツアーで勝つために)「練習しなきゃ!」なのか「楽しい!」だとどちらが近いですか。

行弘
 「楽しい!」だったと思います。

 もともとリミテッドが好きで『MTG』を始めたので。福岡にいた頃もドラフトばかりやってましたし。学生が麻雀にハマるのと同じ感覚だったのでは。

 当時の和歌山での練習は、2012年のプロツアー“アヴァシンの帰還”(ドラフト、イニストラード・ブロック構築)でTOP4という結果をもたらしてくれました。そのプロツアーの予選の前あたりから、なぜか和歌山勢がやる気を出してきて、結果的に
和歌山から4人もプロツアーに出ることになったんです。和歌山ではプロツアー予選はほぼ開催されていなかったと思うんですけど。何でだよ(笑)。

――おもしろすぎる。

行弘
 いざプロツアー本番が近づくと、ドラフトの練習はもちろんのこと、毎日のようにイニストラード・ブロック構築の練習のためにリーグ戦。身内でやってたんですけど、ショップのお客さんまでデッキを作ってきて協力してくれたのはうれしかったなあ。

 まあ、「俺らに勝ったらご飯をごちそうするからデッキ作ってきてくれ!」ってお願いしてたのもあると思いますけど。

――ふだんリミテ狂の人たちが、プロツアーのフォーマットに適応するために限定構築に励む。ふしぎな状況ですね。

行弘
 ほんとに。何があったんだろう。当時、ブロック構築というフォーマットについては、デッキ関連の情報がまったくなくてたいへんだったんですよね。結果的に、そのプロツアーでは和歌山から複数の実力者が輩出されました。

 その後、4年ほど和歌山で活動していたところで、僕が腰にヘルニアを患ってしまって。「腰に負担がかからないメディアの仕事があるよ」と声をかけていただいて、東京に移住することになりました。

サイコロで決まった日本最強チームへの電撃加入。“MUSASHI”での活動から世界最高峰32名の抜擢

――東京に移住されてからは、日本最強チーム“MUSASHI”に所属されていましたね。

行弘
 そうですね。東京に来てからすぐにプロツアーの権利を失っちゃったんですけど、1回逃しただけで、すぐに権利を取り直して、また競技活動を再開していきました。

 翌年からプロツアー・チームシリーズが始まったんです。6人チームで競うもので、日本の『MTG』プロのオールスターを集めたようなチーム“MUSASHI”が結成されることになります。Team Cygamesが母体になっていて、当時5人だったので、もう1人追加する必要があったんです。
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行弘
 6人目の候補として名前が挙がったのが、瀧村和幸さん(※)と僕。瀧村さんとは友だちで、チーム内でもどっちを入れるべきか意見が分かれたんです。遺恨を残さないために、サイコロを振った結果、僕が加入することになりました。

 日本のオールスターチームだけあって、僕の実力がいちばん下。そういう自覚はありました。足を引っ張らないように必死でしたね。

 結果として、僕たちはチームシリーズの初年度で優勝。僕個人としてもプラチナプロレベル(当時の最高プロレベル)を獲得して、2~3年ほど維持できました。競技者のキャリアで言うと、あの頃がいちばんノッていた時期なのかなと。
※瀧村和幸さん:構築、リミテッドともに手腕の優れる日本屈指のプレイヤー。2015年プロツアー“戦乱のゼンディカー”で優勝。決勝での玉田遼一さんとの日本人対決は語り草となっている。
――この頃からは明確に「『MTG』で食っていこう」という心境でしたか?

行弘
 そうですね。すごく順調でした。当時はプロ制度がしっかり整っていましたし、レールに乗ってパフォーマンスを維持する努力を怠らなければ、大会で優勝しなくても、ある程度は安定した収入が得られる状況だったんですよ。

 でも、プロとしてトップクラスを維持するのは簡単じゃないこともわかっていたので、つねに何かしらの収入源を確保していました。(プロの活動が安定してきた)当時も、メディアでライターや編集者の仕事は続けていましたしね。マジック・プロリーグ(※)の時期は別として、完全に専業だった時期はなかったんじゃないかな。上京を手伝ってくださった方が、つねに僕のセカンドキャリアのことを考えてくれていたのがうれしかったです。
※マジック・プロリーグ(MPL):世界中のMTGプレイヤーの中から、成績や影響度で選ばれた32名が在籍するプロリーグ。
――当時の競技『MTG』は遠征費も支給されて、国内外の賞金額もそれなりの額でした。現状のプロゲーマーのような、チームに所属したり、ストリーマーなどの活動で広告収益を得る必要はなかったように思います。「これぞプロゲーマー」という印象がありました。

行弘
 好きな『MTG』を続けつつ、最低限の安定した生活ができる環境ではありました。裕福な生活ができたかというとそうではなかったので、派手さはありませんでしたが、当時のプレイヤーたちはみんな満足していたように思います。

賛否のあったマジック・プロリーグ制度――年間800万円が支給

――ここからはMPLの話をしていきたく。32名中の下位12名が降格するという厳しい環境でありながらも、年間で800万円が支給されるという魅力的な制度。初期メンバーに選ばれた日本人は32名中4名、そのひとりが行弘さんでした。

行弘
 “プロリーグに参加すること”と“ストリーマーとして活動すること”のふたつの年間契約を結ぶと、それくらいの金額でしたね。なので、プレイヤー視点では「選ばれたら最高!」という感覚はあったと思います。

――選定基準はどうだったのでしょうか。

行弘
 ネームバリューがある人、あるいは前年の成績がよかった人です。『MTG』はコンスタントに成績を出している人に恩恵がある印象だったので、当時は(前年の成績しか考慮されない)この選定基準には賛否両論ありましたね。

 僕は前年度をプラチナレベルで終えたプロとして選ばれました。32名中20名近くは、その理由で選ばれていたと思います。

――選ばれた瞬間の率直な気持ちはどうでしたか? 「やっとここまできたか」だったのか「プレッシャーで不安だ」だったのか。

行弘
 とてもありがたい話でした。当時は平均的に勝ってはいましたけど、大会の優勝賞金などで瞬間的に稼いでいるプレイヤーではなかったので、(MPLのような制度で)『MTG』に携わりつつ生活できて、さらに夢のある金額を提示された。うれしいことであり、光栄なことでした。

――いままである程度は自由に活動してきた中で、突然公式のプロモーションや周知活動の一環として、ストリーマー活動を義務付けられるようになったのは、プレッシャーに感じませんでしたか?

行弘
 MPLの一員として、いろいろと求められているのは感じていました。月の配信回数(配信時間)のノルマは決められていましたし。何よりもリーグでの1戦1戦の重みが大きいので、試合のときは緊張しました。

 MPLの初期メンバーに選ばれたとはいえ単年契約。成績次第でリーグメンバーの入れ替わりも発生しますからね。世界最上位の32名の中で生き残るのはたいへんなことです。あのときの1試合の重み、緊張感……いまではなかなか味わえないなと。

――想像するだけでも手に汗をかきますね。MPLならではの難しさはありましたか?

行弘
 練習の仕方が違うんですよ。試合の1週間前に対戦相手が発表されるので、試合までの間はその対戦相手に向けた準備をするんです。これはおもしろかった。(ふだんの競技活動では)事前に対戦相手がわかっている状態で準備時間を与えられているのは珍しい。

 1週間の間に相手の得意なデッキの傾向を考えて、デッキ選択をして。事前の研究が重要になる仕組みはおもしろかったです。将棋の対局に近いのかな。

マジックプロリーグの過酷さ――極限の緊張、私生活とのバランス

――それをプレッシャーはなく“おもしろい”と受け取れるのがすごいです。

行弘
 おもしろかったんですけど、試合後の疲労感がすごいんですよ。とくに負けたときのダメージはでかい。1週間、その1試合のために準備をしてきているので。

 その分、勝ったときのうれしさはすごいですよ。あの独特の感覚はプロリーグの経験者しか味わえないと思います。

――今回優勝されたプロツアーのベスト8の試合と比べると、どちらが緊張しますか?

行弘
 プロツアーのベスト8は緊張よりも楽しさのほうが勝っていますね。すでに何かしらの賞金や権利が確定しているので、ボーナスステージみたいなもの。

 MPLのたいへんさの話でいうと、アメリカの時間に合わせて試合スケジュールが組まれるので、日本人は毎回、深夜~早朝(4時~5時)にかけて試合をすることになりました。試合日の2日前くらいから生活リズムを調整して、パフォーマンスを発揮できるように仕上げていく必要もありました。

――ほかのゲームやスポーツでも聞く話ですね。

行弘
 日本勢から「試合のスケジュールは何とかならないか」と運営側に何度か要望を出したのですが、最後までアメリカ基準の時間帯で実施されました。まあ選手だけじゃなくて運営スタッフの都合もありますからね。難しいことは理解しています。
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――私生活とのバランス調整もたいへんだったと。となると、MPLにオールインして、国内の『MTG』の活動を抑えないといけないですよね。

行弘
 リミテッドの競技イベントに参加したりはしていました。

――出てたんかい。

行弘
 まあまあまあ。環境を変えると息抜きになりますから。そういうのも大事です。MPLの時期はオールインしていて、副業もしていなかったですよ。収入が安定したこと、ストリーマーとして契約したこと、フルコミットしないと生き残れないリーグだったこと。当時、MPLに所属していたプレイヤーは専業が多かったと思います。

 その間も、通常の競技イベントはありましたが、プロリーガーはリーグでの活動に注力したくて、国内の競技イベントの優先度は低くしていました。

マジックプロリーグの崩壊――オフライン崩壊によるモチベの低下

――2019年に発足したMPLは、2022年で終了することになります。率直にどう捉えていましたか。

行弘
 そもそも、MPLが発足して1年ほどでコロナ禍になってしまったのが痛いですよね。運営側が思い描いていた(世界中から選手を集めて、豪華な会場で戦うという)ショービジネスがまったくできなかったように思えます。仕方ないことなんですけど。

 (MPLは)オンラインでの実施が主軸になっていくのですが、MPLの制度だけは残ったものの、興行としては失敗していたので、打ち切られるのも仕方なかったかなと。

――同時に、公式の「マジックのみで生計を立てることに焦点を当てない」という類の声明が物議を醸しましたよね。プロツアーの仕組みも変わり、プロポイントの制度も復活しませんでした。

行弘
 そうですね。オンラインが主軸になったことで、モチベーションが落ちたのは正直な話です。成績も奮わず、いわゆる2軍(ライバルズリーグ)に降格しました。

 MPLが終わった後も、僕の好きだったオフラインの『MTG』はできない時期が続きました。あれはきつかったなあ。とくにリミテッドをオフラインでプレイする機会が減ったのがきつくて。やっぱり
カードゲームを対面で遊ぶのが好きなんですよ。モチベーションの維持が難しかったです。

 MPL解体後、1年ほどプロツアーの予選にも出ましたが、すべて負けて、プロとしての肩書きもプロツアーへの権利もすべて失いました。完全に引退するのも選択肢のひとつでした。

――それでも『MTG』を続けてきた。

行弘
 完全に『MTG』への興味を失ったのかどうか、自分自身でもわからなかった。気持ちの整理がついていない中で何となく離れるのは違う。最後に本気で1年間、プロツアーの権利獲得を目指すことにしました。

 オフラインの大会に参加していく中で「やっぱり紙の大会はいいな」という自分自身の気持ちに気づきました。

――マンガの主人公みたいな展開。

行弘
 そのときは、僕自身のモチベがない状態でチームにぶら下がるのはしたくなくて、あえて個人で活動していたんです。自分自身のモチベの回復もあり「いまの自分ならチームに貢献できる」という確信があったので、若手プレイヤーたちで構成されたコミュニティに参加することになりました。

 そこでの活動を通して「僕の人生に『MTG』はなくてはならない」と確認でき、コミュニティの人たちと研鑽を重ねていく中で、再びプロツアーの権利を獲得できました。

――行弘さんのような実績のある方であれば、すぐにでもチームに入ることはできたと思うのですが、しばらくはROMる期間を設けたのですね。

行弘
 いえいえ(笑)。僕の友人がすでにそのチームに所属していて、(友人が)僕とチームのふたつの陣営にまたがっているのも変だということで、僕が加入させてもらうことになりました。

 コミュニティリーダーの増田君や平山君、矢田君など、次世代の『MTG』プレイヤーで構成されていて、とても精力的に活動していたので刺激をもらいました。やっぱりああいうモチベはないとだめですよ。つぎの世代も出てきた、『MTG』の未来は明るいなと安心した部分もありますし。

 国内にはプロツアー権を持っているプレイヤーで構成される“中村JAPAN(森山JAPAN)”というコミュニティもあって、プロツアーの調整はそちらでもお世話になっています。

――『MTG』は一般的なeスポーツと違って、ZETA DIVISIONやREJECTのような企業チームではなく、コミュニティから派生したチームが主流ですね。

行弘
 一時期は企業チームが立ち上がる流れもありましたけど、いまはまた変わってきていますね。当時、カードショップの晴れる屋、BIGMAGICのスポンサード制度、Team UNITE(※)やTeam Cygamesなど、企業の参入は盛んでしたが、やはりコロナ禍でその流れが途絶えたのかなと。以降は、チームとしての活動ではなく、プレイヤー個人へのスポンサードが主流になっていますね。
※Team UNITE:アカツキが設立したeスポーツ実業団。2024年3月に解散。

どうして何度も這い上がれるのか。結果ではなく“地力をつける”にフォーカス

――順風満帆ではないと言いますか、プロツアー権利を失ってはすぐに取り戻しているあたりにすごい胆力を感じます。多くのプレイヤーはプロツアーを目指して、毎週末に予選に出る中で“辛い”と感じることも多いです。行弘さんは、予選に出ているときも“楽しんでいる”ということですか。

行弘
 そうですね、正直な話、負けるつもりで予選に出ていた時期もありました。練習はほとんどせずに、自分のオリジナルデッキを持ち込んで、デッキを調整するつもりだったんです。たとえ負けても、いつかデッキが完成して、予選を突破できると信じていた。目の前の勝ち負けは気にしてなかったですね。

 目先の勝ち負けではなく、デッキを調整するという気持ち。だって『MTG』は目先の勝利だけを求めると辛いゲームですから。強い人は自然とどこかで勝つようになっている。地力が高まっていく。
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行弘
 くり返しになりますけど、(その時期は予選通過うんぬんの前に)『MTG』との付き合い方を考えている時期だったというだけ。まずはオリジナルデッキを組んで、自分自身の『MTG』のモチベの源泉に立ち返っていたんです。

――オリジナルデッキの話がありましたが、その行弘さんの方法は再現性のあることだと思いますか? 実際、プロツアーの権利を取りたいあまり、自分の使いたくないデッキ(だけど勝率が高いデッキ)を我慢して選んで、大会では負けて精神を病む人も多いです。

行弘
 勝算のある選択肢を取るのは、プロセスとしては全然間違っていません。ただ、結果だけを見るのは避けたほうがいい。負けた結果、本当にデッキ選択は正しかったのか、サイドボーディングは適切だったのか。結果だけではなく過程と向き合うべきですね。

 何か課題を見つけ出せたらつぎの予選に活かす。勝つことを目指すなら、それが重要になります。オリジナルデッキの調整と同じです。“合っていること”と“間違っていること”を確認していく作業。結果だけを見ていると「自分はこんなにがんばっているのに、何で勝てないんだ」となるので。

 このゲームは地力の高い人が勝ち続けるゲームなので、それを高めることに集中するのがいいと思います。

プロツアー『FINAL FANTASY』優勝。多くの人への感謝の言葉を紡いだ理由

――では、お待ちかねのプロツアー『FINAL FANTASY』優勝の話を聞かせてください。

行弘
 TOP8に進出して、トーナメントの組み合わせを見た段階で、「これは決勝までいけば、相性がいいから勝算はあるな」と。ただ、自分に都合のいいシチュエーションになることはまれだとわかっています。同じような状況は何度も経験してきているので。どこかに落とし穴はないか、注意しながら試合をしていました。

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プロツアー『FINAL FANTASY』DAY3の模様はこちら。歓喜の瞬間は6:10:48頃。
行弘
 目標が“プロツアー出場”から“継続参加”に変わって、そこから“TOP8進出”、“プロツアー優勝”になっていく。TOP8は5、6回経験があったのに、決勝まで進んだことは一度もない。だから、初めての決勝の舞台は心底うれしかったんですが、これまでの経験で培った“試合中はゲームのことだけを考える”というメンタリティを徹底しました。

 決着がついた途端に「これまでの17年間の努力が報われた!」という思いが押し寄せてきて、もう感極まってしまいました。

――優勝直後のインタビューでは感謝の言葉が多かったのが印象的でした。なかなかあそこまでの言葉は出ないと思います。

行弘
 本当にそうだったから、としか言えないですね。復帰してからはとくにコミュニティへの感謝の気持ちが強くて。それは『ポケカ』の頃からわかっていたこと。コミュニティで成長するんです。

 福岡の『MTG』コミュニティに飛び込んだのもそう。拠点を移していく中で出会った個性的なコミュニティもそう。山本明聖さんのカードショップのコミュニティ、東京でのMUSASHI。復帰したときもMSDや中村JAPAN(森山JAPAN)というコミュニティに助けられました。とにかくコミュニティへの感謝の気持ちが強い。

 自分のがんばりだけでは限界がある。僕に関わってくれたすべての人たちに感謝を伝えたかったんです。

――行弘さんはリミテッドの強者であり、構築でも試行錯誤できるプレイヤーだと思います。コミュニティの恩恵を受ける(Take)よりも、恩恵を与えている側(Give)の人にも思えたのですが。

行弘
 僕は間違いなくコミュニティの恩恵を受けているプレイヤーですよ。たとえばの話ですけど、9割のGiveをしても、1割のTakeがないと成長できないんです。その1割の恩恵が、トップクラスの戦いでは“差”として重要になってくるんです。極論を言うと(コミュニティの)助けがないと強くなれない。
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行弘
 どんなプレイヤーでも、ひとりでやっていると伸びしろには限界がある。コミュニティに属しているかどうかで本当に変わってきます。復帰した直後に個人で活動していたのは、モチベが低い状態だと迷惑をかけると思っていたから。

――以前、高橋優太さんの話を伺ったときも感じましたが、カードゲームは1対1のゲームなのに、コミュニティが重要になってくるんですね。

行弘
 将棋にも研究会があるじゃないですか。ライバルだけど協力して勉強する。個人でやるゲームでも、コミュニティの存在は大きいと思いますよ。
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仲間たちからもみくちゃにされる行弘さん。

コミュニティの重要性が周知された現代だから、“個人練習”の重要性再確認

 筆者はここであえての問題提起をしようと思い立った。近年は近年はカードゲーム界隈でも“コミュニティが重要である”という考えは浸透してきたように思う。ただ、その反作用として、個人の練習が軽視されつつあるのではないだろうか。この辺りについて、行弘さんはどう考えているのだろう。

――ある程度は個人で努力できる人たちが集団にならないと、行弘さんの求めるコミュニティの効能は発揮されないのではないかなと思います。いかがでしょうか。

行弘
 チーム練習というのは、個人練習では確認できないことを確認していくフェーズです。それをみんなが認識しておくべきですね。ただ、(MTGに限って言えば)リミテッドをひとりで練習するのはめちゃくちゃ効率が悪いので、おすすめしません。

 リミテッドの強さ=引き出しの多さ。ひとりだと引き出しが増えるのが遅いんですよね。誰かと練習すると気づきがある。シールドやドラフトは、何かの指標に沿ってデッキ構築やピックをすると、それなりに戦えてしまう。すると自分の中でパターンが決まってしまって、考え方を変えるのが難しくなります。

 同じパターンをくり返しているだけだと、知識が広がっていかない。成功体験に引っ張られるだけになるんですよね。

――練習しているように見えて、じつは何も成長していないと……。

行弘
 そうなんです。一方で、構築はひとりでできることがたくさんあります。環境に存在するデッキを調べたり、そのデッキを動かしてみたり。(コミュニティで練習をする前に)基本的な準備を完了させておくことは重要です。

――どういう状態なら“基本的な準備は完了”と考えていいでしょうか。

行弘
 自分なりでいいので環境の理解ができたら、ですね。デッキ自体の理解だったりデッキ同士の相性だったり。各デッキへの理解が深まっていると、チーム内で「このデッキがベストだ」と結論が出たときに、すでにそのデッキへの理解が深いから、大会でいい結果が出やすい。

 それに、準備しておくと“共通認識”が生まれるのもいいですね。コミュニティでの練習が効率的になるので。上手なプレイヤー同士で調整すると、その共通認識がずれていないという信頼があるから、安心して調整していける。

――基準がやや曖昧なような気がするのですが、それで大丈夫なんですか?

行弘
 その共通認識がずれていても、うまいプレイヤー同士で話すと、「何か食い違ってるな」とすぐに気づくんです。そのずれを確認するプロセスが発生するので心配はないと思います。

――お互いが“仮説”を用意してきているからこそ、そのプロセスを踏めるんですね。個人練習が不足していて仮説がない状態で参加されても、話にならないと。

行弘
 そういうことですね。

これからの“けんちゃん”について「熱心に取り組むカードゲームは『MTG』だけでいい」

――最後にこれからの話をお願いします。優勝直後のインタビューでは「つぎの目標は世界選手権」、「生涯、現役である」とお話しされました。これからどういう活動をされていきますか。

行弘
 直近では9月にプロツアー、12月には世界選手権があるので、年内の大会には全力で取り組んでいきます。その結果がどうであれ、プロツアーにはずっと出ていたい。

 『MTG』がないと何だか人生に張りがないんですよね。自分がやり続けたい気持ちがある限りプロとして『MTG』に関わっていきたいですし、そのうえで日本にはもっと独自の盛り上がりを見せてほしいと思っています。

――独自の盛り上がりとは?

行弘
 国内リーグですね。ストリートファイターリーグみたいな。

――“MPL JAPAN”ですか。
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行弘
 個人のリーグもいいんですけど、チーム戦のリーグがあったらもっとおもしろくなるだろうなと常々思っています。その中にリミテッドのフォーマットがあってもいいんじゃないかな。リミテッドこそが、ほかのカードゲームにはない『MTG』の個性だと思っています。その魅力をどんどん推していきたい。

――行弘さんが大会を主催される未来もありえますか?

行弘
 その可能性もあるかもしれませんね(笑)。あとは、競技プレイヤーが真剣に取り組めるような仕組みが増えるとうれしい。国内の競技イベントがもっと増えてほしいです。

 2024年8月からご縁があって、カードゲーム開発にも携わっているので、多忙になってきているんですけど、『MTG』のプロとしては続けていきます。

――ご多忙というお話の直後で恐縮ですが、個人的には、ほかのカードゲームの大会でも行弘さんの活躍を見たいのですが、いかがでしょうか。出自である『ポケカ』や『Flesh and Blood』など、リミテッドフォーマットが存在する大会などが選択肢として挙げられると思ったり。

行弘
 ヤソ(八十岡翔太)なんかは、いろんなカードゲームで活躍されていますよね。僕もいろんなカードゲームを遊んでいて、どれもおもしろいとは感じるんですけど、競技として取り組みたいのは『MTG』だなと。

 ただ、現状もほかのTCGの仕事の依頼を引き受けたりしているので、カードゲーム関連の仕事については、今後も積極的に受けていきたいです。結果的に、僕がほかのTCGの仕事をすることは、『MTG』にとってもプラスになると思っているので。競技者として熱心に取り組むカードゲームは『MTG』だけでいいんです。

――熱いひと言……。ありがとうございました!

おまけ。『FF5』のキャラの扱いがぞんざいだなと(笑)

――そういえば、プロツアー優勝時には『FF5』のTシャツを着ていましたね。『ファイナルファンタジー』シリーズでは『FF5』がいちばん好きとのことですが。

行弘
 好きですねー。ちょうど世代というか、兄がゲーマーだったので、『FF4』、『FF5』、『FF6』、『FF7』『FF10』くらいまでは遊んでいました。とくに若い頃に遊んでいた『FF5』と『FF6』は思い出深いです。

――『MTG』とのコラボについてどう思いましたか?

行弘
 正直に言いますね。僕は『MTG』の世界観にほかの作品が入るのは好きじゃないんです。

――ほんとに正直だった。

行弘
 ファンタジーの世界に、これが入るか……って。『指輪物語』は世界観が合っていたので、すごくよかったんですけどね。今回の『ファイナルファンタジー』コラボも、ちょっとアニメっぽさがあるものの、まあまあいいかなと。単純に僕自身が『ファイナルファンタジー』好きなのもありますけど、どちらかというと好印象です。強いて文句を言うなら、『FF5』のキャラの扱いがぞんざいじゃないの? って(笑)。

――気持ちはわかりますけど! そんな中、今回の優勝を決めた最後のカードが《自爆》(『FF5』出自のカードとして収録)だったのは、あまりにもドラマチックすぎませんか。
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行弘
 そうなんですよね(笑)。でも、『FF5』のカードを入れたかっただけじゃなくて、デッキに合っているんですよ。たまたま、いちばん好きな作品のカードがデッキに入っていたっていう。これ、僕のアイデアじゃないんですけど。

――勉強会とかで出たアイデアとか?

行弘
 まさにコミュニティから得られたアイデアなんです。松浦君という若手のプロプレイヤーがいまして。プロツアーの前日に「行弘さん! いま《自爆》が入っている赤単が勝っているらしいです!」と声をかけてきて、対戦してみたらすごく強かったんです。

 《自爆》があったから強かったのかは正直わからなかったんですけど、その練習をきっかけに、僕はイゼットから赤単に乗り換える判断をしました。

――前日ギリギリまで、イゼットで出るつもりだったのですね。さらには、赤単にデッキを変更して、決勝ではそのイゼットを《自爆》で倒して優勝するという……。

行弘
 できすぎですよね(笑)。あのときの判断は間違ってなかったんだと思います。『MTG』と『ファイナルファンタジー』のコラボという記念すべき大会で、『ファイナルファンタジー』のカードを使って勝った。もうね、夢のような展開でした。信じられない体験だったし、日本人としても誇らしい。これまで僕が遊んできたゲーム、そして関わってくださったすべての人たちに、恩返しができたような気がします。
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取材を終えて

 本記事の担当編集者ミス・ユースケです。こんにちは。『MTG』に本気で挑む男の言葉には含蓄があった。2021年開催の第27回マジック:ザ・ギャザリング世界選手権で優勝した高橋さんに話を伺ったときにも感じたことだ。

 とくに「9割のGiveをしても、1割のTakeがないと成長できない」。高橋さんも似たようなことを言っていた。個人戦競技は、得てしてひとりでは勝てない。

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 行弘さんが頂点をつかんだときに使った“《自爆/Self-Destruct》(1)(赤) インスタント”。カードテキストは「あなたがコントロールしているクリーチャー1体を対象とし、それでない1つを対象とする。その前者はその後者にX点のダメージ、自身にX点のダメージを与える。Xは、その前者のパワーに等しい。」。

 効果が重要なのは間違いないが、フレーバーテキストが妙に印象的だ。『FF5』の人気キャラクター・ギルガメッシュの名言は行弘さんの姿に重なった。

このまま 帰ったんじゃ、かっこわるいまま歴史に残っちまうからな!」 ――ギルガメッシュ

 行弘さんは優勝インタビューでこのような言葉を残している。

これまで、多くの天才たちを見てきて、何度も諦めそうになった
世界選手権の優勝を目指して、生涯現役で行きたい

 きっと、いつまでも諦めずに戦いを挑むのだろう。かっこわるいまま歴史に残りたくはないと、往生際悪くあがき続けるその姿は、とてもかっこいい。
[IMAGE]※一部の画像は配信をキャプチャーしたものです。
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