2026年7月31日に公開されるホラー映画『インビジブルハーフ』公開を記念し、西山将貴監督と、ゲームクリエイター・脚本家の佐藤直子氏、ホラー作家・背筋氏が対談。西山監督が約6年にわたって心血を注いだインディーホラームービーの制作。そこに込められたゲームの身体感覚を映像と音へ移し替えた表現や、SNS時代の“透明人間”の恐怖、そして説明しない結末の狙いを語った。
映画『インビジブルハーフ』で長編監督デビューを飾ったのは、アジア最大級の国際短編映画祭“ショートショート フィルムフェスティバル&アジア2021“で、縦型ホラー短編『スマホラー!』がバーティカルシアター部門最優秀作品賞に輝いた若き実力派・西山将貴監督。

西山氏は、ゲームクリエイター、脚本家の佐藤直子氏、ホラー作家の背筋氏とともに、ホラークリエイターユニット“バミューダ3”のメンバーとしても活動しており、体験型ホラーイベント“1999展 ―存在しないあの日の記憶―”を生み出した(2026年9月27日まで大阪で公演中)。
そんな西山氏が自ら脚本・監督・編集を手がけ、約6年かけて完成させたのが、『インビジブルハーフ』。本作は、ゲームから受けた影響を映像と音へ移し替えながら、インディーホラー映画だからこそ可能だった表現を追求した作品でもあり、ゲームファンの琴線に触れる繊細さと狂暴さを秘めたかのような佇まいを見せる。
本稿では、そんな『インビジブルハーフ』とゲームについて、2026年6月22日にヒューマントラストシネマ渋谷で行われた先行特別上映イベント会場での、バミューダ3へのインタビューをお届けする。映画館の控室に集ったバミューダ3の『インビジブルハーフ』話は、やがてインディーとしてのクリエイティブから、ゲームについて、そして日本と海外の怪異表現など、ホラーゲーム、ホラー映画ファンとして興味深いやりとりに。ぜひ、透明になって3人の会話を聴いているかのような感覚でお愉しみください。
※本記事では、映画『インビジブルハーフ』およびゲーム『The Last of Us』の終盤の演出やエンディングに触れています。未鑑賞・未プレイの方はご注意ください。
映画『インビジブルハーフ』とは

西山将貴監督の長編デビュー作。ミックスルーツを持つ高校生・高橋エレナは、地方都市の女子高へ転校するが、クラスになじめず孤独を深めていく。やがて彼女の周囲で奇妙な現象が起こり、スマートフォンに触れているときだけ見える謎めく“透明な怪物”に追われることに……。怪物から逃れようとするなかで、エレナは他者の視線と自己否定に向き合っていく。
西山将貴(にしやま まさき)
映画監督。『インビジブルハーフ』は長編デビュー作。撮影当時23歳。ホラークリエイターユニット“バミューダ3”のメンバーとしても活動する。
佐藤直子(さとう なおこ)
ゲームクリエイター、脚本家。『SILENT HILL』『SIREN』シリーズなどに携わる。ホラークリエイターユニット“バミューダ3”主宰。
背筋(せすじ)
ホラー作家。『近畿地方のある場所について』などを手がける。ホラークリエイターユニット“バミューダ3”のメンバー。
10代で出会った友人と、4年をかけて作った約90カットのVFX

西山監督。ハーフカメラにて撮影
――6年を費やして制作してきた初の長編がついに完成、そしていよいよ公開ですね。
西山
はい。まさにずっと作ってきた作品が、「ついに」なので……まだ少し実感が来ていないんですが(笑)。
――脚本から監督、編集まで、西山監督がインディーで作り上げてきた初の長編ですものね。
西山
やっぱり感慨深いです。VFXも最終的に90カット近くになったほどだったんですが、このVFXの中心になったのは、じつは高校時代から一緒に映画を作ってきた友人だったりもするんです。
――高校からの友達が。
西山
そうなんです。『インビジブルハーフ』でVFXディレクターを務めた彼とは、もう10年以上の付き合いになる間柄で。高校生の頃にインターネットで知り合ったんですが、彼は仙台、僕は愛媛にいて、ふたりでデータを送り合いながら映画を作っていたんですよ。
佐藤
高校生のふたりが、インターネットでデータを送り合って映画を作っていたなんて、どこか『バクマン。』みたいで熱いですよね。
――『まんが道』的な。
背筋
いまなら『ルックバック』ですね。
佐藤
あはは、そうだ(笑)。
――その頃の関係が、長編デビュー作まで続いているなんて。
西山
CG約90カットは、彼がほぼひとりで作っています。それだけで4年かかったんです。
――4年!
西山
さらに、その前に約2年間のプリプロダクション期間があったから、ここ6年はずっと毎週末、僕が彼の家へ行き、僕自身が主役のエレナを演じて、彼が撮影する、ということを繰り返していた日々でした。VFXに必要な演技のショット、背景用のプレート、リファレンス映像などを、実験として1度すべて撮っていたんです。
――6年間で、そこまで綿密なテストを重ねていたんですね。
西山
ずっと実験の繰り返しでした。50カットほどは、事前にテスト映像を作った状態で本番へ臨んでいます。ただ、本番では移動のための予算がなくて……彼は撮影現場に来られませんでした。だから僕がLINE通話で、「こういうショットを撮っているけれど、リファレンスはこれで足りるか」と確認しながら撮影していたんです。彼はCGで有名な白組のスタッフなので、平日は白組で『ゴジラ-1.0』に携わり、土日に僕と『インビジブルハーフ』を作る。そういう生活を何年も続けてくれたんです。
――平日は大作、週末はこちらの作品という生活とは、まさにインディースピリットを感じます。
西山
本当に、彼がいなければ完成していないんです。
佐藤
やっぱり、そんな風にクリエイティブをしていたという時点で熱い話ですよね。フィクションみたい。
西山
お互い、趣味の延長のような感覚もあったから続けられたんだと思うんですよね。ちなみに、佐藤さんは現場へたくさん差し入れを持ってきてくれましたよね。
佐藤
そうだったね。映画制作について話としては聞いていたけれど、実際に制作中の現場については、西山監督から報告だけは聞いていて。自分から見ても、西山監督の年齢でここまで純粋に映画制作にすべてを捧げて生きている人は稀有で。もはやあまりにも貴重なスーパーレアポケモンのような存在だと捉えていたので、生存を見守らないとという使命感とともに差し入れを届けていました(笑)。

佐藤氏。ハーフカメラにて撮影
インディーは“作家の映画”を可能にする
西山
ひたすらにありがたいです(笑)。
――まさに仲間や差し入れの支えもあって長期間磨き上げられたからこそ、インディー映画として驚くほどクオリティーの高い映画が完成したのですね。
西山
ありがとうございます。ただ、うれしい話ですが『インビジブルハーフ』の場合は、インディーズと言っても、インディーズらしく見えないと言われることもあるんです。

佐藤
なんというか……若さゆえの粗さや、手作りらしい愛嬌が、あまりないじゃないですか。
西山
ものすごくお金を使っていると思われてしまうんですよね。
佐藤
大きい資本がバックにあると思われそう(笑)。
西山
そうなんです。長編映画は、一般的な商業作品なら1億円でも「低予算」と言われる世界なのですが、本作はそれの比じゃないくらい限られた予算で作っているので。
背筋
そもそもこれまでは映画は、商業の潮流に乗らないと制作はおろか発表なんて夢のまた夢といった状況でしたけれど、いまは長い時間をかけてでも、自分たちの手で完成まで運んでいける時代になったということもありますよね。
西山
本当にそうで。インディーズだからこそ、エンジンを止めず、ブレーキをかけずに進められた。その結果として生まれた体験なんだと思うんです。

商業映画では薄められてしまうものを、すべて残す
――ここまで伺うと、最初からインディーズだから実現できた作品にも思えます。ただ、企画の始まりは違ったそうですね。
佐藤
私は企画の初期から話を聞いていましたが、最初は商業作品として動いていたんですよね?
西山
そうです。当初は商業作品として企画していました。でも、たとえば主人公がミックスルーツであることについて、「ミックスルーツではない一般の観客が共感しにくくなるのではないか」という話が出てくる。怪異がどのような存在なのか、どんなルールがあるのか、どう倒すのか、という話にもなっていきます。そうなると、自分がやりたいことをどこまで実現できるか分からないんですよね。そこで「もう自主制作でやります」と切り替えました。
――商業企画の枠へ合わせるより、自分が作りたいものを守る道を選んだわけですね。
西山
僕とプロデューサーの2人で資金を集めるところから始め、それだけで2年かかったんです。商業ならすぐ撮れたかもしれない作品が、そこから2年撮れなくなったんですよね。
――時間はかかっても、その選択が作品の輪郭をはっきりさせたと。
西山
ただ、よくも悪くも、「西山という人間が、自分のやりたいことを全部やるとこうなる」という名刺代わりの作品にはなったと思います。今後「ここはよかったから残したい」、「ここは変えたい」と話すための土台になるじゃないですか。僕が何を得意としていて、何が苦手なのかも分かる作品にしたかったんですよね。
佐藤
2年間止まっていたとはいえ、こうして完成させているのが本当にすごい。これが大規模ゲーム開発だったら、予算集めも含めて、もっと長い間出せないんじゃないかなって思うから。
西山
ゲーム業界のことはわからないものの、生々しい感じがしますね(笑)。でも、たとえば脚本のプロである佐藤さんや、ベストセラー小説家の背筋さんの意見をもっと聞いていたとしたら、いわゆる“うまい映画”になったかもしれません。ただ、何をもってうまいとするかは別として、そういう意味における、うまい映画ではないとは思うんです。
佐藤
いや、西山監督だからこそ描ける作品であってほしいので、やっぱり脚本も読まず、制作中に覗き見しなくてよかったと思ってる。
背筋
僕らの意見でいまのバランス感が揺らいでしまったらもったいないですよ。
ゲームネイティブ監督は、なぜ映画を選んだのか『The Last of Us』のラストを、1年間考え続けた
――迷いや不器用さまで残したかったからこそ、インディーズへ切り替えて作品を6年止めずに作り続ける。西山監督が、そこまで映画を作ってみたいと思うようになったきっかけはどこにあったのでしょうか。
西山
そうですね。ファミ通さんだからではないですが、ゲームの影響はとても大きかったと思います。「ホラーゲームからどんな影響を受けましたか」と聞かれても、どこから振り返ればいいのか分からないくらいです。それこそ、佐藤さんが脚本を手掛けた『SIREN』も大好きですし。

『SIREN』
佐藤
西山監督はゲームネイティブ世代ですよね。
西山
僕はプレイステーション3世代なんです。なので『SIREN』も大好きですが、最初に触れたのは『SIREN: New Translation』だったんです。
佐藤
プレイステーション3世代ならそうだよね。
――その長いゲーム遍歴の中でも、とくに強く映画制作に影響を与えている作品はありますか。
西山
たくさんあるなかで、ひとつ衝撃を受けたのは、学生時代に遊んだ『The Last of Us』なんですよね。とくに、ラストシーンの意味をずっと考え続けたほどでした。「これはどういうことなんだろう」、「なぜここで終わったんだろう」と。当時は自分も幼かったのであまりにもあっさり終わってしまったようにも感じたのですが、なんだかその終わり方がすごくよかった。タイトルの“The Last of Us”が何を表現していたのかなど、当時はゲームの感想を長文で綴るブログも書いていたほどで。

『The Last of Us』
背筋
え!? それ、まだ残っているの?
西山
じつは……残っているんですよ。
佐藤
読みたい笑)。
西山
いま読むのは、ちょっと怖いですけど(笑)。そんなブログを書いてしまうぐらい、ゲームによって文学的なものが表現されていることに感銘を受けたんですよね。しかもゲームにはプレイヤー自身が操作するからこそ生まれる、異次元の没入感がある。そういう体験に強く影響を受けたんですよ。
『ゼロ・グラビティ』に見いだした“映画で体験するゲーム”
――それほどゲームから衝撃を受けたのに、選んだ表現はゲームではなく映画だった。そこには、どんな理由があったのでしょうか。
西山
もうひとつ衝撃だったのが、『ゼロ・グラビティ』を観たときなんです。冒頭の長回しを観て、「これはすごくゲーム的だ」と思ったんですよね。当時はPlayStation 3や4の時代で、ゲームのリアルタイムレンダリングでは、まだ『ゼロ・グラビティ』のような品質を出すのは難しかったんです。でも映画なら、ゲームでまだ表現できなかったような超現実的な映像の中で、ゲーム的な体験を実現できる。映画を通して、ゲームのような体験をする。そのことに衝撃を受けて、映画を作りたいと思ったのかもしれないですね。

背筋
ゲームを遊んで、映画の可能性に気づいたということ。
西山
そうなんですよね。自分でも、不思議な順番だと思うんです。単純に、ゲームの作り方が分からなかったということもあったんです(笑)。映画なら、当時持っていたスマホの小さなカメラを向けて、編集さえすれば、とりあえず映画にはなる。ゲームは、そこに至るまでが難しいじゃないですか。
佐藤
いまの大規模ゲーム開発では、企画からリリースまでを1人で担当することは、相当なハードルだと思います。みんな、大きな制作工程の一部分を担うことになるので。映画では比較的小さな規模なら、自分で企画して撮影まで行うことができるのかもしれないけれど、西山監督は、それを実際にやっていること自体が、すごいと思うんですよね。

バミューダ3をつなぐ共通言語は、ビデオゲームだった
――本当にそうですよね。ちなみに映画の中でゲームのような体験を作る。その感覚は、いま一緒に活動しているバミューダ3の皆さんにも通じていますか。
西山
ただ、順番としては逆なんですよね。このアイデアを書いていたとき、僕はまだ愛媛にいました。佐藤さんや背筋さんと出会う前だったんです。でも、この3人の共通項は、結局みんなビデオゲームなんですよね。
背筋
そうですね。全員、ゲーム的なストーリーテリングから影響を受けています。ゲーム的な“体験”を、それぞれの作品作りに使っていると思うんです。
佐藤
プレイしているゲームの本数も、とんでもないじゃないですか。とくに背筋さんは。
背筋
締め切りとのせめぎあいでプレイしてます(笑)。
西山
やっぱりそうなんですね(笑)。みんなそれだけゲームに親しんでいるプレイヤーとして数多くの体験を味わってきた人たちでもある。この体験感覚は、もちろん僕の映画にも自然に現れていると思うんですよね。「ニュージャンルだ」という感想をいただくことがありますが、これまで映画にあまり入ってこなかった視点が持ち込まれているのかもしれないですね。
佐藤
こうして話していても、逐一ゲームの話へ戻ってきてしまうものね(笑)。
西山
戻ってきますね(笑)。
Vita、PSP、Windows 98――3人を育てたゲームの記憶
――やはり3人で集まると、自然にゲームの話になるのでしょうか。
西山
かなりしますよね。僕はプレイステーションVitaも持っていて、佐藤さんが設定、シナリオを担当された『GRAVITY DAZE』や、ほかには『真・三國無双7』などを遊んでいました。実家の愛媛の田舎では、Vitaを持っているだけで個性的だと思われるようなところもあり(笑)。プレステーション・ポータブルでは、『METAL GEAR SOLID PEACE WALKER』や『モンスターハンターポータブル 2nd G』を遊んでいました。

『GRAVITY DAZE/重力的眩暈:上層への帰還において、彼女の内宇宙に生じた摂動』
佐藤
『METAL GEAR SOLID PEACE WALKER』に『モンスターハンター2nd G』、いい作品ばかりだね。わたしはもっとレトロゲームになっちゃうから、ふたりの話を聞きたいかも。背筋さんはソーシャルゲームの鬼でもあるのは知っているけど。いいアイテム手に入れたスクショとかLINEにドヤって送って来るから(笑)。
背筋
隙間時間に延々と遊んでしまうんで、ついリアルタイムで見せたくなるという(笑)。原体験で言うと、わたしはスーパーファミコンやNINTENDO64からです。その後はWindows 98の時代なんです。『クレイマン・クレイマン』とか、それから『LULU』というサウンドノベルのような作品もあったんですよね。絵本の世界を読み進めながら、画面の外に散らばっているガラス片のようなものを挿絵に重ねると、裏側の物語が見えてくる。かなりおもしろい作品だった。あとはローグライクも好きなんですよね。1度ローグライクへ行ってしまうと、なかなか戻ってこられません(笑)。

『LULU』:1990年代に登場したインタラクティブなデジタル絵本。絵本を読み進めながら、画面上の仕掛けに触れて楽しむ作品。
佐藤
ローグライクは、Windows 98時代ではなく最近ドはまりしている『スレスパ2(Slay the Spire 2)』話ですよね(笑)。
背筋
はい(笑)。

『Slay the Spire 2』
商業映画では許されない「曇った音」のゲーム的身体性
――ところでゲームといえばサウンドも重要ですが、『インビジブルハーフ』も音にはものすごく驚きました。とくにエレナがイヤホンをしているときの、曇った音響の状態が長く続くという、かなり勇気のいる設計ですよね。

佐藤
あれは商業作品の監督として撮っていたら、絶対に許されなかった演出だと思うんですよね。
背筋
映画に限らず、基本的には音がクリアに聞こえれば聞こえるほどよい、という考え方があるので、ああいった聴こえづらい状態を長時間というのはNGにされることのほうが多いと思います。
西山
でも僕は逆に、本来ならクリアに聞こえるはずのものが聞こえない状態を、気持ち悪く、不穏だと感じていました。同時に主人公エレナの感情の、より内側へ観客を引き込めるのではないかとも。だからこそ、あえてそれをやってみたかったんですよね。じつは本編の尺でいうと3分の1近くは、かなり曇った状態が続くんです。
――3分の1もあるなんて、それは観客と不安定な感覚を共有するための音なのですね。
佐藤
プロの音響スタッフが参加している現場で、監督からそのアイデアを出されたら、普通は全員が「ノー」と言うと思うんですよね。
背筋
たしかに観客の映画体験を損なう。音作りとして適切ではない。俳優の演技まで損なってしまう。普通は、そう考えるじゃないですか。それを実現するためには、監督がスタッフに信用してもらうために、相当頑張られたのだろうと想像してしまいます。
西山
そこは、本当にスタッフに信じてもらうしかなかったんですよね。

客観視点から主観視点へ――ゲームのカットシーンを映画へ持ち込む
――イヤホンの音響も印象深いのですが、学校の廊下の場面などで、いつの間にか観客自身の視点へ切り替わるような、どこかゲーム的なカメラの動きもありますよね。
西山
はい。ゲームの文脈を意識して入れたものがあるんです。とくに気にしていたのが、主観ショットの入り方なんですよね。映画で主観映像を入れるときは、先に俳優の顔や視線を見せてから、「この人がここを見ている」と分かるように主観へ切り替えることが多い。でも『インビジブルハーフ』では、エレナが視線を上へ向けた瞬間にカメラがそのままパンニングし、いつの間にか主観へ入っているような切り替えを使ったりしているんです。

佐藤
ゲームのカットシーンで客観視点から主観視点へ、シームレスに切り替わる演出のような。
西山
そうです。切り替わった瞬間に、少し中途半端な位置から主観が始まることもある。こうした映画では不自然に見えるかもしれない切り替えを、あえてゲームの影響として入れているんですよね。

『SILENT HILL』のラジオノイズから学んだ、音で怪異を知らせる方法
――怪物の姿は見えません。なので、その存在はイヤホンからの音で知覚させるという方法には、まさに佐藤さんも開発に参加されていた初代『SILENT HILL』の遺伝子を感じてしまいました。

『SILENT HILL』
西山
イヤホンの音響も、『SILENT HILL』で敵が近づくとラジオからノイズが聞こえる演出の影響はあります。怪異の存在を客観的な音で知らせて、怖がらせる。あれはすごい発明ですよね。
佐藤
たしかに。
西山
そして、映像と音楽を“合わせる”ことも本当に徹底してやったんですよね。音楽制作にも4年ほどかかっているんです。
佐藤
これはもう情熱というよりも、狂気と呼ぶべきレベルですごいことだと思う。
西山
バトルシーン以降は、秒単位で映像の動きと音がぴったり一致するように設計しました。分かりやすいのは、長い廊下で照明が消えていく場面です。主人公の心拍のリズム、照明が1つずつ消えるタイミング、音楽のリズムがすべて一致するようにしています。完成した映像を見ながら、「この低音を1音だけ10フレーム後ろへずらしてほしい」、「このシンバルを4フレーム前に出してほしい」という調整を、半年ほど続けたんですよ。映像と音を完全に同期させるために。
――だからこそ、バトルシーンではゲームに近い臨場感や没入感を感じさせられたのかもしれません。
西山
本当にそういう感覚を目指していたんですよね。
背筋
そういえば、本作の音楽には、後半になると荘厳で西洋的なストリングスが入り、途中から神楽のような音へ切り替わる部分もあり、ミックスルーツのテーマが音でも表現されていると感じました。
西山
そうなんです。和風ホラーらしくない音楽を使いたかったので、ゴシックで西洋のドラキュラ映画のようなストリングスを響かせています。洋風なストリングスの中には、縦笛のような音や和楽器の要素も入っているのですが、どうすれば安易な和風ホラーやコメディーに見えず格好よくできるか。これも半年ほど検証しました。40パターン近い音色を重ねたり減らしたりして、「これなら安っぽく聞こえない」、「ここまでなら格好よくできる」というところまで調整して。最終的には、音楽を担当した方のアイデアで、ストリングスへ歪みを加え、弓で弦を弾くのではなく鉛筆で演奏した音も使っています。そうやって“少し歪んだ音やずれ”をあえて取り入れたんです。
佐藤
監督自身もかなり突き詰める人ですが、そこへいい意味で同じような狂気を宿した人たちが集まったんですね。
西山
本当にありがたいです。ゲームの影響というだけではありませんが、そうしたゲーム的な没入感や、映像と音を一致させることへの執念は、作品の中にかなり表れていると思うんです。
H・G・ウェルズの『透明人間』を、令和のSNS社会に

――スマホ世代のホラーでありつつも、どこかクラシックな怪奇映画の気配も感じられる。このふたつは、最初から意識されていたのですか。
西山
古い映画も好きなんですよ。H・G・ウェルズの『透明人間』という非常に古い題材と、SNSや現代社会を生きる若い人たちを掛け合わせたらおもしろいのではないか。僕は映画を作るとき、古いものと新しいものを掛け合わせることをよく考えるんです。古典的な要素を比喩として奥に隠すのではなく、今回はかなり表面に出してみています。最初の仮タイトルも、そのまま『透名人間』で、主人公のもうひとつの人格や、自分自身を受け入れることの葛藤に関係しています。
佐藤
H・G・ウェルズの原作を、令和の日本社会の中で描いたらどうなるかという発想はおもしろい。
背筋
古典の骨格がありながら、そこに重なる孤独や悩みは、いまの若い人たちのものという。

SNS上の“見えない攻撃”を、怪物へ置き換える
背筋
あらためて自分の中でわかったのは、『インビジブルハーフ』の中には、SNSで匿名のまま人を攻撃する人々など、さまざまな“見えないもの”が内包されているということでした。これはやはり意図的に入れたテーマだったんですか?
西山
もともとは、SNSをテーマにした映画を作ろうとしたことが企画の出発点で。スマートフォン中毒という言葉が広まり始めた時代のさまざまな出来事を、なるべく別のものへ置き換えて表現しているんです。見方によっては、エレナはSNS上の匿名の存在に襲われているとも解釈できますよね。本作の怪物はスマートフォンを持っているときだけ見えて、手放せば見えなくなる。我々もスマホを手放せば炎上や、自分に向けられる悪意から離れることはできる……。
背筋
でも、何が起きているか分からないから、つい触れてしまうということですよね。
西山
そうです。SNS時代ならではの関係を、怪物や道具に置き換えて表現したんです。
――スマートフォンを手放せば、彼女たちを追い詰める存在から逃れられると。
背筋
あ、でもそこについては、少し違う角度から見ていたんです。
スマートフォンは、彼女たちのオアシスであり地獄でもある

背筋氏。ハーフカメラにて撮影
西山
そうなんですね! そういう感想が聞きたかったので、すごくうれしいです。
背筋
監督の解説を聞いたうえでも、わたしの中の『インビジブルハーフ』だと、あえてやや逆の解釈をしているので、監督を目の前にして語らせてもらいます(笑)。
佐藤
ガチの感想会になっている(笑)。
背筋
怪物は、スマートフォンを持つと現れますよね。主人公たちにとって、スマートフォンは自分を保つために必要な唯一のオアシスでもあるように見えたんです。ただ、彼女たちも馬鹿ではないので、自分がそこへ逃げていることは分かっている。逃避していることが怪物を呼び寄せているのではないか、とわたしは感じたんですよ。
佐藤
そうか、なるほど。
背筋
ゲームも同じです。プレイしている間は物語の世界に没入できて楽しい。でも、ふと時計を見ると、時間が過ぎている。その間に、やらなければならないことや、先送りしてきたものが、どんどん迫ってくる。本作は、それを乗り越える話でもあると思ったんです。
西山
ああ……乗り越える物語という意味で、背筋さんの解釈は正しいと思うんですよね。SNSを見ている間は、「自分だけが周りと違う」という隙間を埋めることができるじゃないですか。友達と同じストーリーを見たり、自分もストーリーを投稿したりすることで、「自分もみんなと同じだ」と感じられる。でも、それを続けるうちに、自分の中のオリジナリティーが少しずつ失われていく。そして、その暗いオリジナリティーが、怪物として襲いかかってくる。
背筋
作中で怪異となる透明な怪物の動きがそれほど機敏ではないのも、そのあたりに関係していると解釈したんですよね。人間の暗い部分は、素早く襲いかかってくるとは限らない。ふだんはずっと近くにいて、ふとした瞬間に存在を思い出す。寝る前に突然不安になることもある……。スマートフォンは、彼女にとってオアシスであり、同時に地獄でもある。わたしはそう解釈したんです。

佐藤
俺の『インビジブルハーフ』だ(笑)。
背筋
そうそう、誰が何と言おうとわたしの中では(笑)。
西山
もう、めちゃくちゃうれしいです(笑)。原作者であっても、解釈をひとつに限定するつもりはなくて、エンディングも含めて、意図的に幅を持たせているんですよね。「絶対にこう受け取ってください」と断定したくなかったので、そんな風に掘り下げて観てもらえただけで感無量ですよ。
怪異によって人を描くのではなく、人によって怪異を描く
背筋
あともうひとついいですか?
佐藤
この際だから、ひとつと言わず全部聞きたい。
背筋
さきほどから、本作におけるミックスルーツについてのテーマ性の話題が出ていますが、日本のホラー映画って、怪異や化け物を通して人間を描くことが多いと思います。たとえば『リング』では、“ビデオを観たら7日後に死ぬ”という怪異があり、その正体や原因を探っていく過程で、母子家庭で子どもを育てる主人公の姿が描かれる。主役は怪異ですが、怪異を通して人を語っている。
佐藤
たしかに。
背筋
一方、近年のA24作品や欧米のホラーなどでは、人間の内面によって怪異が生まれる。つまり人を通して怪異を描く作品が多い。『インビジブルハーフ』も、怪異の正体を解明することより、主人公の内面が怪異を生み出していることに重点があります。そこは非常に海外的だと思うんですよね。
佐藤
日本のホラー作品だけれど、人間の内面から立ち上がってくる海外的な怪異が描かれている。和と洋のミックスだね。
背筋
ただ、それは日本の商業映画では、プロデューサーに嫌がられやすい語り方でもあります。3幕構成の転換点や、明確な怪異のルールへ落とし込みにくい。文学的な語り口になるからなんです。「日本の観客には、まだそのリテラシーがない」と考えるような風潮ももしかしたらあるのかもしれません。でも、実際にはそんなことはない。海外の作品も受け入れられています。
――観客にはすでに受け入れる土壌があるのに、作り手側が慎重になっているかもしれないと。
背筋
ええ。だからインディーズ作品とはいえ、この映画がきちんと上映され、観客に届くこと自体に大きな意味があると思うんです。個人的には、こういう語り方の映画がもっと増えてほしいと思うんですよね。商業映画ではアイコニックな幽霊を出し、“これは一体何なのか”を解明する形になりがちです。でも、そうではないホラーがあってもいい。それを受け入れる土壌があるということの証明にもなりますから。
[編集部注]A24:米国の映画・テレビ製作/配給会社。作家性の強いホラー作品を数多く手がけている。西山
背筋さんにそう言っていただけて本当にありがたいし、勇気が出ます。今回は自主制作で、自分がすべてをコントロールして映画を作れる最後のチャンスかもしれないと思っていました。締め切りもなく、誰の意見をどこまで聞くかも自由だった。プロデューサーも、「西山さんがやりたいならやりましょう」と言ってくれた。この時代に、そんな制作方法が可能なのかと思うほど自由だったんです。
佐藤
だからこそ、西山監督も、自分でも完成するまでどんな気持ちになるか分からないものを作りたかったってことですよね。こんなクリエイティブが許されるというのは、やはり本当にレアだと思います。
西山
そうなんです。たとえば劇中で、イヤホンのコードで首を絞められ、宙に浮かされるという場面があるのですが……これを文字だけで読むと、かなり異様なビジュアルじゃないですか。怖がらせるだけなら、もっと分かりやすいやり方はいくらでもあります。でも、見たことのない表現を本気でやりきれば、怖いかどうかとは別に、見たことのない映像、体験したことのない感情を生み出せるかもしれないって。

西山
あえてホラーシーンを日中にしたり、ラストのバトルシーンを“あの形”にするなど、頭から最後まで、あえてチャレンジを続けた。それはインディーズだからこそできたことなんですよね。

背筋
普通なら途中で「これは怖く見えるのか」と整理したくなるところを、完成まで分からないまま走り切ったんですね。人間の内面から怪異を描く文学的な作品なら、通常はイメージショットやオフの描写が増えて、静かな質感になることが予想されます。しかし西山監督の中には、それと相反するワクワク感や、見たことのないものを作りたいという欲望、ゲーム的であることへの追求がある。
佐藤
それらがぶつかり合っていても制御しないで、そのまま出力しているような、ね。
背筋
うん。テーマ性はかなり明確なのに、フィジカルなアクションシーンが突然出てくる。そこに唯一無二の味が生まれているのだと思うんです。
西山
そこは、最後まで止めたくなかったんです。
佐藤
わたしは知り合った時点で、すでに西山監督は映画制作に取り組んでいたので、企画内容は聞いてはいました。その後クリエイティブを妥協せずにずっと作り続けている姿をバミューダ3の活動を通じて垣間見るたびに、まったくブレーキを踏まないで追求し続けられる執念を持っているのが、すごいなって。やっぱり、こんな純粋培養されたプリミティブな狂気を秘めたクリエイターはなかなかいないと思います。
背筋
そうなんですよね。冒頭で、西山監督が我々にアドバイスを求めなかった理由に、あえて歪みやズレを生みたかったというお話がありました。この見たことのないものを目指されたからこそ、監督の作家性があるのだと思います。本作を観た方なら、怪物の正体を考えなくても、それがおそらくは最初から主人公と切り離せない存在であることはわかると思うんです。そして最終的に、主人公が怪物と向き合う場面へ進むだろうという予感もある。ただ、それだけを素直に描けば、海外的な文学作品に寄りすぎてしまう。しかし本作がそうならないところが、いい意味で歪んでいて魅力なんですよね。

佐藤
今日は背筋さんはものすごい語ってくれていますけど、最初にバミューダ3で『インビジブルハーフ』の試写を見せていただいた直後には、背筋さんは感想を語らないで「大切な作品なので、一度持ち帰ってからお返事させてほしいです」って言っていたくらいだから。
背筋
そうでした。これは新しいホラーであるとの衝撃があり、自分の中で言語化に時間がかかったんですよね。
佐藤
文字のプロであんなにうまいこと言える人なのに、「持ち帰るんだ」って思った(笑)。
背筋
ある種の、制御できない変態性とでも呼ぶべきエッセンスが、この作品の新しさにつながっていると思ったんですが、それをよく反芻したかったというか。
西山
確かに、すべてが計算どおりというわけではないんです。そもそもキャスティングひとつとっても、インディーズで作るからこそ、有名俳優の名前で観客を呼ぶ勝負はしない。そしてインディーズ映画では、脇役に有名俳優を起用して注目を集める方法もありますが、それも徹底してやらずに、作品そのものの力で勝負しようと考えていました。主演のシエラさんもミックスルーツというテーマに欠かせない俳優さんですが、じつは映画を撮っている方でもあって、わたしが映画祭で表彰されてステージにいるのを観ていて、そこで偶然知り合ったことでオファーにつながりました。計算していたわけではぜんぜんないんですよね。ミックスルーツという設定を、表面的な記号やわかりやすいイメージだけにとどめないシエラさんの佇まいが、映画全体の格を引き上げてくれた部分は間違いなくあると思います。

――そうだったんですか。
西山
ええ。きっと当時の彼女は、なんで壇上にこんな若造がいるんだろう、とかって思っていたんじゃないかなあ(笑)。
佐藤
そんなことないでしょ(笑)。でも計算し尽くしていたら、あの作品にはならないよね。やっぱり引き寄せの法則的な何かがあるのかも。
背筋
そうですよね。引き寄せはわからないけど(笑)。撮り方は非常にリッチで、映像業界の人が見れば、ある意味で「かわいげがない」と感じるほど完成されている。一方、内面の部分には、まだ角が取れていない、生の作家性や凶暴性がむき出しになっている。品質が低いという意味ではありません。作家として削られていないものが、そのまま表に出ている映画なのだと思うんです。

『The Last of Us』とエンドクレジットの余韻

――西山監督だからこその6年間が詰まった、初の長編が7月31日より封切りですよね。ぜひゲームファンにも映画館で『インビジブルハーフ』を体感してほしいです。
西山
そうですね。じつは、これは初めて言うんですけど。『インビジブルハーフ』のエンディングの入り方は、『The Last of Us』に多大なる影響を受けたものだったりします。物語が結末を迎えて、もう少し続くのかと思った瞬間にパッと終わり、そのまま下からロールが始まる……あの演出へのリスペクトとオマージュで、『インビジブルハーフ』のエンドクレジットまでの展開は、暗転の長さまで含めて、かなりイメージしていたりします。何も解説せずに終わる。曖昧な感情を残したまま終わる。そこにも、『The Last of Us』のエンディング体験から大きな影響を受けているんです。
背筋
そうだったんだ。それに作中で説明しないでほしい、という気持ちも分かります。ただし説明をしないとしても、作り手の中には意図が必要です。意図がなければ、ただの投げっぱなしになってしまうじゃないですか。本作にはきちんと意図があるから、観客も安心して解釈できるんですよね。
佐藤
その距離感が大事なんだよね。
西山
まさに佐藤さんの『SIREN』のシナリオも、自分で情報を組み立てる解釈の余地があるものですし。それに『SILENT HILL』もそうですが、ホラーゲームって最後までプレイしたとき、単に嫌な気持ちだけが残るわけではないじゃないですか。どれだけ暗い物語であっても、「クリアーできた」という達成感がありますよね。恐ろしい体験を乗り越えたことで、最後はどこかポジティブな感覚で終わることができる。僕は、そういう体験が好きなんですよね。本作でも、観終わったあとに、ただ嫌な気持ちになるのではなく、何かを乗り越えたような、達成感を得られる感覚を残したかったんです。そこにもゲームからの影響があります。
――少し前を向けるような。
西山
そうですね。主人公の葛藤が描くものについても、自分のことを直接「嫌いだ」とは言わなくても、自分を好きになれない感覚を、多くの人が持っていると思うんですよね。SNSを見れば、自分よりすごい人、格好いい人、かわいい人が簡単に見つかる。他人と簡単に比較できる時代だからこそ、「自分なんて」という気持ちが強くなっていくじゃないですか。だから最終的には、映画を通して自分を認める物語、自分のアイデンティティーを受け入れていく物語にしたいと思ったんです。もちろん怖いホラー映画ではありますが、ホラーゲームで怪物に立ち向かうように、この透明な怪物の映画を通じて、少し前向きな気持ちになれるものを持ち帰ってもらえたらうれしいです。

バミューダ3の皆さん。ハーフカメラにて撮影
映画『インビジブルハーフ』

2025年/日本/カラー/シネマスコープ/5.1ch/106分
監督・脚本・編集:西山将貴
出演:シエラ璃砂、奥野みゆ、平澤瑠菜、小沢まゆ、あゆみ、石井亜未、大澤由理、酒井貴浩
製作:Test 8 Pictures 配給・宣伝:ギークピクチュアズ
2026年7月31日(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開。
上映館、上映時間、予告編などの最新情報は、下記の映画公式サイトをご確認ください。
西山将貴監督の長編デビュー作。スマートフォンに触れているときだけ見える“透明の怪物”と、主人公が抱えるアイデンティティーの葛藤を描いたスクリーンタイム・ホラー。公式サイトでは、作品情報、予告編、上映劇場などを掲載。
1999展 ―存在しないあの日の記憶― 大阪公演

「1999年7の月、本当に世界が終わっていたら」をテーマに、存在しなかった“世界の終わり”をたどるホラー体験型展覧会。バミューダ3とラストワンダーが企画し、2026年7月11日から9月27日まで大阪・本町で開催。
KOTOVA 渋谷センター街展

コンビニをモチーフに、作家たちが紡いだ短歌や自由律俳句、「言えなかったことば」などから、自分だけの大切なひとことを持ち帰る展覧会。バミューダ3の背筋氏、佐藤直子氏、西山将貴監督も、ホラー自由律俳句の作家として参加している。2026年7月31日から8月31日まで、マイラボ渋谷にて開催。
バミューダ3が“日本ホラーゲーム大賞”審査員に参加

バミューダ3の佐藤直子氏、背筋氏、西山将貴氏の3人は、東京ホラー特区で実施される「日本ホラーゲーム大賞 produced by 百室 2026」に審査員として参加する。“日本ホラーゲーム大賞”は、ホラーゲーム情報専門メディアブランド“全領域百鬼夜行観測室”――通称“百室”がプロデュースする、優れたホラーゲームと、その作り手を顕彰するアワード。ユーザーによる一般投票に加え、ゲームクリエイター、メディア、ホラーやエンターテインメント分野の審査員が、それぞれの視点から作品を評価する。
ゲームに深い造詣のあるホラークリエイターユニット“バミューダ3”も参加する、日本最大のホラーゲームアワードにも注目だ。現在、一般ユーザー投票を受付中。あなたがもっとも恐怖し、驚き、忘れられない体験をしたホラーゲームへ、ぜひ一票を投じてほしい。