2025年7月7日に25周年を迎えた、スクウェア・エニックスの『 ファイナルファンタジーIX 』(以下、 『FFIX』 )。本作は、2000年7月7日にプレイステーション用ソフトとして発売。“命”をテーマにキャラクターたちが懸命に生きるさまが描かれ、25年が経ったいまでも多くのファンから支持される一作となっている。 週刊ファミ通2025年7月24日発売号(2025年8月7日号 No.1908)では、そんな『FFIX』25周年を記念した18ページの特集を掲載。特集内では、『FFIX』の開発に携わったクリエイターからイベントデザイン 青木和彦氏、キャラクターデザイン 板鼻利幸氏、作曲 植松伸夫氏の3名にインタビューを行った。 今回、ファミ通.comでは御三方のインタビューをWebで再掲載。一部のインタビューでは増補改訂版となっているので、週刊ファミ通本誌を読んだ方もチェックしてほしい。
なお、週刊ファミ通の特集内では『FFIX』のイベントやグッズ情報をまとめて掲載。すでにイベントなどは終了してしまっているが、『FFIX』25周年を記念して新たに制作されたキービジュアルが表紙を飾った特集もあるので、こちらもどうぞ。
「『いつか帰るところ』で『FFIX』の世界観が決定できたかなという感じがしました」 『FFIX』25周年クリエイターインタビューで今回登場するのは、 『FF』音楽の父・植松伸夫氏。古楽を軸にして制作された『FFIX』の音楽や、テーマ曲『Melodies Of Life』の制作秘話や、25周年記念レコードの魅力などをうかがった。
植松伸夫氏(うえまつ のぶお)
『FF』シリーズを始め、数々のゲーム音楽を手掛ける作曲家。2004年にスクウェア・エニックスを退社し、現在はSMILE PLEASE代表として、作曲やバンド“con TIKI”の活動に励んでいる。(文中は植松)
海外でも、やればできる! の精神ホノルルで春夏秋冬を経験 ――『FFIX』が25周年を迎えたということで、開発当時の思い出などをうかがいたいと思います。『FFIX』は開発がハワイで行われたというのがひとつの特徴ですが、植松さんも当時はハワイに長期滞在されたのですか?
植松
ちょうど1年くらいはいたんじゃないですかね。春夏秋冬を堪能しました。 ――ハワイのホノルルスタジオは、映画『ファイナルファンタジー』を制作するにあたり、海外のCG技術を取り入れるために作られたということでしたね。
植松
どうなんでしょう、坂口さんが住みたかったのかな(笑)。当時のスクウェアはある種無謀な勢いがあったので、絶対にちゃんとした計画は立ててなかったと思います。「(ハワイでも)やればなんだってできるだろう」みたいな形で決まったんじゃないかな。でもおかげで、アメリカのアニメーターたちが参加してくれましたね。 ――ハワイで開発を行うと決まったときは、どんな心境でしたか?
植松
僕はうれしかったですよ。ハワイ大好きなんで。でも、海外旅行に慣れていない人はしんどかったと思いますし、社員の家族の皆さんもたいへんだったんですよね。「英語は苦手だし、人と付き合うのは得意じゃない……」という人だと、長いハワイ生活になじめなかった人もいたんじゃないかな。 ――当時は、英会話学習の機会も多くはありませんでしたからね。植松さんは、英語を仕事で活用する機会はありましたか?
植松
いや、ほとんどなかったですね。朝から晩まで休みなしに働いていましたし、土日も関係なく出社していましたから(笑)。会社で会うのはいつもの仲間なので、本当に日本でやるのと変わらなかったんですよ。 ――とはいえ、ハワイならではの行事も楽しまれていますよね。ホノルルマラソンに出場されたとか。
植松
開発が忙しくなったら、ハワイらしいことを楽しむ時間はなくなるだろうなと思って、向こうに着いた翌日くらいにスキューバダイビングの免許を取って、12月にはマラソン大会に出たんですよ。ホノルルマラソンって、8時間半を超えたら記録が残らないんですけど、僕らのチームは8時間29分でゴールできたから、記録も残っているんですよね(笑)。 ――それはギリギリですね(笑)。
植松
もうゴールのゲートも片付けられていましたからね(笑)。当時のサウンドチームのメンバーといっしょに、「しんどかったら途中で止めればいいか」なんて言いながら参加して。でもいざ始まると止めるのももったいなくて。6人ぐらいで出場して、ひとりは「膝がもうダメです」ってリタイアしちゃいましたけど、おもしろい経験ができました。 ――ハワイならではの思い出ですね。そういえば、過去に皆葉英夫さんにお話をうかがったとき、ハワイ時代のクルマのナンバープレートは“FF9378”(『FFIX』ミナバ)にしたと言っていました。
植松
当時、市バスだけだとすごく不便だったので、みんな現地で車を買っていたんですよ。僕もナンバープレートは“FF9”を取りました。でもね、その後に、アメリカ人のアニメーターが“ani-m8r”で“アニメーター”と読ませるオシャレなナンバーを取ってるのを見て。なんで俺、“FF9”なんていう安直なナンバーにしちゃったんだろう、って思いました(笑)。
原点回帰がテーマならば古楽をメインにしたいと考えた ――ハワイには1年ほど滞在されたとのことでしたが、日本にいたころから『FFIX』の作曲に取り掛かっていたのですか?
植松
いや、やっていないですね。『 FFVIII 』が終わった後、そんなに時間を置かずにハワイに行きました。ハワイ前に2週間くらい休みを取って、ヨーロッパに行ったんですよ。「『FFIX』は古楽でいこう」と考えていたので、中世ヨーロッパの雰囲気を掴んでおいたほうがいいかなと思ったんです。それで妻と古城巡りのツアーに行ったんですけど、まわりが大学生だらけで年寄りは僕らだけっていう。なかなかしんどかったです(笑)。 ――お休みといいつつも、半分はお仕事のような旅行ですね。古楽を軸にしようと思った理由は、『FFIX』のテーマが原点回帰であることも影響していますか? 植松
そうですね。だから中世っぽいところに絞って、どうせなら徹底的にやったほうがおもしろいかなと思ったんですよ。音楽が全部古楽で作られているゲームは、それまでになかったし。いざ作ってみたら、結果的に古楽だけにはなりませんでしたけど、本当に古楽だけに囚われていたら、 『Melodies Of Life』 みたいな歌もできなかったかもしれないんですよね。そう思うと結果オーライだったかな、と。考えてみたら140曲以上書いているから、全部古楽だとバリエーションも付けにくいだろうし(笑)。 ――『FFVIII』では電子音楽を多く取り入れていたので、その反動もあったのでしょうか。
植松
それはありますね。同じことばっかりやっていると飽きちゃいますし。それと、CD-ROMの容量を使えばまだいろいろなことができるというのもありました。『FFVIII』の 『Liberi Fatali』と『Eyes On Me』 で初めて歌を入れて、「これはいけるかもな」と思ったんです。これをもっと生っぽい音質に仕上げたらおもしろいんじゃないか、どうせ生音で行くならふつうのオーケストラの楽器じゃなくて、古楽器を使ったらおもしろいんじゃないか、みたいに考えていましたね。 ――タイトル画面で流れる楽曲『いつか帰るところ』にはそのコンセプトが色濃く表れていますよね。
植松
あの曲は旋法もルネッサンスのころのものをモチーフにしているので、あれで正解だったかなと思います。 『いつか帰るところ』は最初のころにできた曲なんですけど、あそこで『FFIX』の世界観が決定できたかな、という感じがしましたね。 ――『いつか帰るところ』はファンからの人気も高い楽曲です。
植松
じつは『FFIX』の作曲に取り掛かる前、古楽で使う楽器の特性も弾きかたもわからなかったので、カテリーナ古楽合奏団というところに協力をお願いしたことがあるんです。でも、25年前はまだゲームがいまほど認められていない時代でもあったので、お断りされてしまって。悔しかったんですけど、僕はどうしてもカテリーナ古楽合奏団の松本雅隆さんと一度仕事をしてみたかったので、“BRA★BRA FINAL FANTASY”(『FF』公式吹奏楽コンサート)で『いつか帰るところ』のアレンジをお願いしたんです。今度は引き受けてもらえて、うれしかったですね。 ――作曲を開始された時点で、ストーリーやキャラクターはある程度固まっていたのでしょうか。
植松
いや、そんなことはなかったですね。ハワイに行って1ヵ月経つかどうかくらいのタイミングで、ゲームの内容がガラッと変わったんですよ。ストーリーやキャラクターに関してもそこからいろいろと変更が入っていましたね。
――となると、開発状況に合わせて曲を増やしたり、変えたりする必要がありましたよね。
植松
そうですね。でも楽しかったですよ、すごく。ハワイという場所が、気持ちに影響していたかはわからないですけどね。僕の作業部屋は、防音の関係で孤立していましたし。窓もないんですよ。 ――窓も? では、ハワイなのに空も海も見えないという状況だったんですか。
植松
そうそう。電灯に照らされて、1年間ずっとひとりでやっていました。でもそれは日本にいたころから変わらないので、とくに不満みたいなものもありませんでしたね。 ――てっきり、青い空と海に影響されて、音楽も明るくなる……というような影響があったのかと思いました。
植松
どうなんでしょうね。当時はワーカーホリックになっていたので、休みたいとかサボリたいっていう気持ちが少しもなかったんですよ。毎日仕事をするのが楽しくてしょうがなかったんです。『 FFV 』から『FFIX』まではほとんど働きっぱなしでしたからね。おかげで持ち曲がすごく増えて、コンサートをやるときは楽ちんですけど(笑)。 ――作品ごとに100曲前後が増えていくわけですから、レパートリーは相当な数になりますよね。ちなみに、『FFIX』までは植松さんがひとりで作曲されていましたが、『FFX』は浜渦正志さんと仲野順也さんも加わった3人体制での作曲になりました。こちらはどういった経緯で変わっていったのでしょうか。 植松
『FFIX』を作っている最中に、『 FFX 』と『 FFXI 』が同時に走り出したんですよ(笑)。申し訳ないけどさすがにひとりは無理だから、『FFX』は3人体制でやらせてください、みたいな話をしたと思います。 ――確かに、当時のスクウェアは『FFIX』、『FFX』、『FFXI』を同時に発表したりしていましたね。いま考えるとすごい話です。 ディレクター伊藤裕之はすべてに意味を持たせる男 ――以前、皆葉さんにお話をうかがったとき、「『FFIX』の開発は長かったので、みんなが自分の人生を見つめ直す時期にもなった」というお話がありました。植松さんは本作を通じて人生や生命を考え直すことはありましたか?
植松
そんなシリアスに考えたということはないですけど、伊藤裕之(『FFIX』ディレクター)が書いた『Melodies Of Life』の歌詞に、「わたしが死のうとも 君が生きている限り いのちはつづく」っていう一節があるじゃないですか。それを見て、「(伊藤くんは)こういうことを考えているヤツなのか」と不思議な感覚を持った記憶はあります。意外と哲学的というか、ニューエイジというか。考えかたのひとつとして、「生命って本当はひとつで、それが細かく分かれて肉体に宿っていて、肉体が滅びたらまたひとつの生命に戻っていく」というものがあるんですよ。僕はそうは信じていないんですけど、でもそれはそれでおもしろいなと思って。でもじつは、『Melodies Of Life』収録時に、この歌詞がなくなりそうになっていたんですよ。 ――えっ、どうしてですか?
植松
じつは『Melodies Of Life』は、当初は「わたしが死のうとも」から始まる構成になっていたんです。でも、この曲を歌ってくれた白鳥英美子さんが、このフレーズから始まるのは好ましくないのでは、と。それで、構成を変えたり詩の並びを変えたりして、「わたしが死のうとも」を最後に出すかたちに落ち着いたんです。 ――当初は、Aメロではなく、サビから始まる歌だったんですね。
植松
僕が最初に作ったときはそうでしたね。サビから始めようとしていて、伊藤くんがそこに歌詞を書いてくれたと思います。でもいま思うと、冒頭に「わたしが死のうとも」は違うよね、っていう(笑)。でも、さっきお話しした「生命はじつはひとつで、肉体に宿りながら経験を重ねているんだ」みたいなことを伊藤くんが言いたかったんだとしたら、これは重要な歌詞だなと思ったんです。だから外したくはないな、と思って調整しました。これでもね、いろいろ真面目に考えているんですよ(笑)。 ――植松さんが真面目でないと思ったことはないですよ(笑)。しかし、『Melodies Of Life』にそんな秘話があったとは、初めて知りました。
植松
意外とこれまでに話す機会がなかったんでしょうね。
――伊藤さんに、歌詞の意味を確認するようなことはあったのですか?
植松
いえ、「あの歌詞はどんな意味なの」みたいな話はしていません。でも、彼は絶対に無駄なことをしない男なので、細かいところにまですべて意味を持たせているんですよ。僕は10年以上毎日あいつと昼飯を食べていたからわかるんですけど。 ――なんと、伊藤さんはランチ友だちだったんですか。
植松
当時のスクウェアの中でも、伊藤くんは唯一の天才だと思います。人が思いつかないような発想が頭の中にゴロゴロあるんですよ。パッと聞いただけだとよくわからないんですけど、詳しく聞くと納得できて、「なるほど」となる。発想が天才的なのに、つながりかたはロジカルっていう、不思議なヤツですね。あいつのロングインタビューとかやったら、きっとおもしろいですよ。生い立ちとか聞いたり。ちょっと偏屈な男なのでたいへんそうですけど(笑)。 ――伊藤さんが作詞で植松さんが作曲した歌、と言えば『FFVI』のイメージソング『近づく予感』もありますね。
植松
それもありますし、当時、ゲーム音楽の作曲家を10人集めてオリジナル曲を集めたオムニバスシリーズで、 『Ten Plants』 というCDを2枚くらい出したんですよ。そのときに作った曲も、伊藤くんに歌詞を書いてもらいました。 ――それもやはり、「伊藤さんならいい歌詞を書いてくれるだろう」という予感が?
植松
そうそう。天才ですからね、本当に。 ――そもそもの話になりますが、『FFIX』でボーカル曲を作ることは、いつごろ決まったのでしょうか。
植松
開発が始まった段階からボーカルは入れるつもりでした。 『Eyes On Me』 がすごく好評だったのもありますし、僕は子どものころは、歌ものをひとりで作って遊んだりしていたんですよ。インストゥルメンタルの曲を作るようになったのはゲームの仕事をしてからで、「いつか歌ものに戻りたいな」と思っていたんです。だから『Eyes On Me』を作ったときも楽しかったですし、「これからは1作に1曲、ボーカル曲を作れるんだ」と思ってすごくうれしかったですね。 ――技術が進歩して、ゲームに歌ものを収録できるようになったことと、ゲーム内容と合った歌による演出が求められる時代の流れなどが、植松さんの望みに合致するタイミングが来たわけですね。
植松
よくハリウッド映画とかで、エンディングロールになったらいきなり関係ないバンドの曲が流れたりするじゃないですか。僕はあれがもう嫌で嫌でしょうがなくて(笑)。曲を作る人にその映画を見て、理解してもらって、そのうえで歌詞を書いてもらうならいいんですけど、あざといタイアップはダメです。 ――日本版だけ歌が違う、みたいなのもありますね。
植松
あり得ないよね(笑)。あれには僕は反対だな。そういう意味で、ゲームもプロデューサーやディレクター、あるいはシナリオライターが歌詞を書くのが正しいと思うんです。プロの作詞家、作曲家にお願いするより質は悪いかもしれないけど、少なくともそのゲームの世界観は誰よりもわかっているじゃないですか。だから『Eyes On Me』や『Melodies Of Life』、 『素敵だね』 はすごくいい曲になったんだと思います。 ――『Melodies Of Life』のメロディーは、フィールド曲やムービーシーンなど、非常に多くの場面で使われているのも特徴的ですよね。
植松
『Melodies Of Life』はかなり早い段階で作っていたんですよね。そのうえで、歌詞の意味などを考えると、あのメロディーがゲーム全体を支配したほうがいい、っていうことを僕なり伊藤くんなりが思ったんじゃないかなと思います。 『スター・ウォーズ』 なんかでも、同じメロディーがアレンジを変えてよく流れるじゃないですか。ああいう手法をやってみたかったんですよ。『Eyes On Me』のころはまだそこまで考える余裕がなかったんですけど。
『FFIX』は個人的にお気に入りの曲が多い ――『FFIX』は発売当時よりも、時間が経ってからファンに熱く支持されるようになったという印象があります。
植松
海外に行くと、『FFIX』のファンが多い印象がありますね。日本の方よりも、海外の方のほうが『FFIX』を挙げることが多い気がします。 ――原点回帰のファンタジーというのが、海外の方にとくにフックしたんでしょうか。
植松
どうなんでしょうね。でも、個人的にも『FFIX』は好きな曲が多いかもしれないですね。 ――好きな曲というのは、作っているときに印象に残った曲ですか? それとも、後から聴き返したくなるような曲でしょうか。
植松
後で聴き返して「いい!」っていう曲はないですね。オリジナル音源に関して言えば一曲もないです。誰かにオーケストラアレンジしてもらったものとかであれば聴けるんですけど、ゲームの中で流れている曲に関しては、満足できないですね。もう、作った瞬間から聴きたくないですから。恥ずかしくて聴いていられないんですよね。デバッグ作業で、嫌っていうほど聴くんですけど(笑)。 ――それでも『FFIX』に好きな曲が多いというのは、作っているときに「いいな」と思える曲が多かったということですか?
植松
メロディーとか、和音の動きがいいんですよ。「音色がしょぼいな」、「なんでここをもっと細かく編集しなかったんだろう」みたいな、自分にしかわからない反省点は目に付くんですけど、メロディーは悪くないな、って(笑)。 ――『FFIX』の中でもとくにお気に入りの楽曲を挙げるとしたら、何になりますか?
植松
ピアノ曲の 『ローズ・オブ・メイ』 ですかね。あとは、ラスボス戦で流れる 『最後の闘い』 もいいですね。冒頭に亡者の声が欲しいから、シンセサイザーオペレーターの河盛慶次に「ちょっと地獄に行って録ってきてくれ」って言ったんですよ。そうしたら「わかりました」って言って、翌日すごくいいのが上がってきたんです。
――「地獄に行ってこい」というオーダーもすごいですが、それをこなしてみせるのもすごいですね。
植松
「すごいな、これ」と話を聞いたら、夜中に自分の部屋で録音したらしいです。あれは悪くなかったですね。ほかの曲だと、やっぱり『Melodies Of Life』も好きだし、『いつか帰るところ』もいいし、好きな曲はいくつもありますね。 ――『FFIX』の楽曲に好きなものが多いのは、植松さん自身の趣味嗜好と、本作の世界観がマッチしている、というのもあるのでしょうか。
植松
そうですね。中世ファンタジーとか、憧れるじゃないですか。『FF』1作目が中世をどこまで意識していたかはわからないんですけど、やっぱりRPGっていうジャンル自体、あのあたりの世界観をもとにして作り上げられたものですから。ただ、中世ファンタジーっぽい音楽といえばクラシックですが、それはもう、すぎやまこういち先生がガッツリやられていましたし、坂口さんにも「『 ドラゴンクエスト 』とは違う方向性でやってくれ」みたいなことは言われていたので、「じゃあ『FF』はロック、ポピュラー音楽のほうかな」って思ったんですよね。僕もクラシックが得意なわけではなかったので。 ――ファンタジーの世界でポピュラー音楽というのは、当時だとあまりない組み合わせですよね。 植松
ポピュラー音楽でどう中世っぽい雰囲気を出していくのかというのは、ひとつの課題でした。ファミコンで出せる電子音3つでそれをやるのもなかなかむずかしくて、難儀しました。でも『 FFIV 』あたりからは使える音数が増えて、だんだん楽しくなっていくんですよね。ポピュラー音楽としての中世感をどう出すか、それを考えるのが楽しくなってきた矢先に作ることになったのが『 FFVII 』で。 ――それまでの幻想的な世界から一転、SF要素を取り入れた作品になったと。 植松
シンセサイザー音楽も好きなので、ガッツリそっちにシフトチェンジするのも楽しかったんですけどね。でも『FFIX』でまた中世っぽいものに戻れるとなって、うれしかったです。やっぱり中世オタクなので(笑)。
25周年記念レコードのこだわりは“別物にする”こと ――2025年7月9日には本作の25周年を記念したレコード『FINAL FANTASY IX 25th Anniversary Vinyl - Timeless Tale -』がリリースされました。これまでにも『FF』のレコードは出ていますが、今回こだわったポイントは何でしょうか。
植松
今回は 『Melodies Of Life』 を新録しているんですけど、同じものを作ってもつまらないなと思っていたんです。何か違いを出したいなと。それで、キーを変えています。というのも、25年前の収録時に、キーをEにするかEフラットにするか、白鳥さんとふたりですごく悩んだんですよ。最終的には白鳥さんがEに挑戦したいとおっしゃったので、当時はEのキーで録音したんです。でもEフラットにする……半音下がるだけで歌い手の方にとっては全然感覚が違って、ゆったり歌えるんですよね。だから今回はEフラットでやりましょうか、と。“別物にする”というのは、こだわった部分ですね。
VIDEO
――オリジナル版収録から25年も経っているのに、新録版でも白鳥さんの歌声が美しくて感動しました。レコーディングはいかがでしたか?
植松
白鳥さんの歌いかたはよく知っていますし、白鳥さん自身も自分なりの歌いかたを熟知されているので、安心して任せられましたね。こちらから何かすることはなかったです。 ――そもそも、25年前、どういった経緯で『Melodies Of Life』を白鳥さんに歌っていただくことになったのでしょうか。
植松
『FFIX』の主題歌を考えるにあたって、企画会議でみんながCDを持ち寄って、誰に歌ってもらうかを話し合う機会を設けていたんですが、そこで、スタッフのひとりが白鳥さんの名前を挙げたんです。白鳥さんは元々、トワ・エ・モワというデュオをやられていて、僕らが中学生のころに札幌オリンピックのテーマソングを歌っていたんですよ。僕ら世代からすると、全国的に有名な歌手だったんです。 ――では、白鳥さんの歌が好きだったどなたかが推薦したと。
植松
白鳥さんって、本当に悪い印象がない歌い手さんなんですよ。柔らかいし、やさしいし。これは絶対に『FFIX』の方向性に合うぞ、ということでお願いさせていただきました。 ――オリジナル版の収録はどこで行われたんですか? 日本でしょうか、ハワイでしょうか。
植松
収録は日本でしたね。ハワイにいたとはいえ、月に1回くらいは帰国していたんですよ、酒を飲みに(笑)。いや、実際は会議があったんですけどね。 ――当時はオンライン会議の環境もそんなに整っていないですよね。
植松
でもスクウェアは、ネット環境に関しては早くから力を入れていて、『 FFIII 』か『FFIV』のころには社内サーバーを使っていたんですよ。ローカルLANを使って。初期のMacをひとり1台ずつ持っていたりしましたね。 音楽を大事に味わえるのがレコードならではの魅力 ――レコードの話に戻りますが、レコードの魅力とは、どんなところにあると思いますか?
植松
音楽家が言うことじゃないですけど、ジャケットですよ(笑)。30センチのジャケットは、やっぱりインパクトありますよ。昔、レコードが流行っていたころにジャケットを担当したデザイナーさんはうれしかっただろうなと思います。そんな大きなところに自分のアートが載るわけですからね。CDが主流になって、サイズが小さくなったときはガッカリしましたけど、いまやもう、ジャケット自体がない時代じゃないですか。僕の世代なんかは、何かの曲を聴くとジャケットが頭に浮かぶので、そこはちょっと残念ですね。 ――確かにいま、曲とジャケットはあまり結びついていないかもしれません。
植松
レコードって、振動を与えると針が飛んじゃって、レコードに傷が入ったり、曲が飛んじゃったりするから、一度曲をかけたら、片面の20分が終わるまでじっとしていないといけないんですよ。だからじゃないですけど、そのときにジャケットとか歌詞カードを眺めるんですよね。そうやって聴くうちに、作詞家や作曲家、アレンジャー、プロデューサーとかの情報がびっしり頭に入っていくんです。そういう意味で、音楽にしっかり向き合える20分があったのは、すごくいい時代だったと思います。いまは、曲を聴いていても、「このアレンジャーは誰だろう」とか思わないでしょうし、たぶん調べることもあんまりないと思うんですよ。 ――正直なところ、ながらで音楽を聴く場面も多いですし、ダウンロードした楽曲の場合はブックレットもないですからね。
植松
レコードのような実物があると、大切に扱わないといけないじゃないですか。それって、音楽そのものを大切に扱うことにもつながっていると思うんです。ジョギングしながら曲を聴くのも悪くはないんですけど、やっぱりプレイヤーとアンプ、スピーカーは揃えてあげたほうがいいような気がしますね。何十万円もするようなものでなくとも、いまは3万円くらいでミニコンポが買えるので、それぐらいは揃えて、空気を伝わって聴こえる音楽を楽しんでほしいです。イヤホンやヘッドホンで聴くだけじゃなくてね。音は空気を震わせて伝わってくるんだ、っていう感動を感じてほしいですね。 ――ちなみに、CDとレコードではマスタリングなども変わってくるのでしょうか。
植松
それはマスタリングエンジニアさんが担当されるので、詳細は把握していないんですけど、変わってくるんじゃないですかね。でも、よくレコードは音がいいって言いますけど、絶対CDのほうがいいと思います(笑)。レコードって、ビニール盤をダイヤモンド針でこするわけだから、パチパチと音はするし、少しでも傷をつけたらプチプチ言うんですよね。CDはそんなことないし、音像もはっきりしているじゃないですか。ただ、レコードの丸っこい、柔らかい感じの音質は、長く聴いていても耳が疲れないというのは確かだと思います。ゆったり聴ける音という意味で、ぜんぜん違いますね。 ――そうなると、やっぱりクラシックや古楽といったジャンルがレコードに合っているのかもしれないですね。
植松
音の違いについては、あくまで好みの問題かなとは思います。「レコードのほうが絶対に音がいい」と思ったことはないですけど、僕はジャケットが欲しいです。あとはやっぱり、大切に扱うという部分ですね。そこがレコードとCDとで違ってくるところだと思います。 ――では、今回のレコードも『FFIX』の楽曲と向き合う時間をくれるものになる、と。
植松
そうですね。向き合ってほしいです。さっきも言いましたけど、『FFIX』には自分でもお気に入りの曲がたくさん入っていて、今回のレコードで新たに録音した『Melodies Of Life』もそのひとつです。このレコードで懐かしさに浸るのもいいですし、それでまたもう一度ゲームを遊んで、あの世界を体験してくれたらうれしいです。
商品情報 FINAL FANTASY IX 25th Anniversary Vinyl - Timeless Tale - 2025年7月9日発売/4950円[税込]
『FFIX』の25周年を記念してリリースされたアナログレコード。新録された 『Melodies Of Life』と、オリジナル版の『Melodies Of Life~Final Fantasy』、そして『記憶の歌』などを含む合計6曲を収録。同梱のブックレットには、植松伸夫氏を始めとする、楽曲に携わったクリエイターのライナーノーツが掲載されている。また特典として、レコードに収録されている全楽曲をMP3形式でダウンロードできるパスコードが封入されている。
『ファイナルファンタジーIX』20周年&25周年記念インタビュー一覧