『FF14』吉田直樹が自身のルーツとなる作品を語る。父がガンプラの“グフ”を間違えた悲劇から得た教訓とクリエイターとしての原点をロサンゼルスで熱弁

byいーさん

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『FF14』吉田直樹が自身のルーツとなる作品を語る。父がガンプラの“グフ”を間違えた悲劇から得た教訓とクリエイターとしての原点をロサンゼルスで熱弁
 現地時間2025年7月3~6日、ロサンゼルスで開催された北米最大のアニメイベント“Anime Expo 2025”。7月4日、そのステージに『ファイナルファンタジーXIV』(『FF14』)のプロデューサー兼ディレクターとして世界的に知られる、スクウェア・エニックス吉田直樹氏が登壇した。

 大きな歓声に迎えられてステージに上がった吉田氏は、
「今日は“アニメエキスポ”なので、あまりゲームの話はしません!」と高らかに宣言し会場の笑いを誘った。

 吉田氏は、自身が幼い頃から数多くの漫画、アニメ、ゲームに影響を受けて育ってきたクリエイターであると前置きした上で、「僕がどんな作品から影響を受け、今の物作りに繋がっているのか。皆さんがまだ知らないかもしれない素晴らしい作品を紹介したい」と、今回の趣旨を説明し、IP(知的財産)ホルダーや制作に協力してくれたスタッフへの丁寧な感謝を述べた後、吉田氏のキャリアと影響を受けた作品を年代順に追っていく形でプレゼンテーションは進行した。
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MMORPGの原体験とクリエイターとしてのキャリア

 1993年にハドソンへ入社し、ゲームクリエイターとしてのキャリアをスタートさせた吉田氏。初めて本格的に制作に携わった『天外魔境III』は開発中止という不運に見舞われ、ディレクターデビュー作『爆ボンバーマン2』(1999年/ニンテンドウ 64)では、全イベント、全ステージ、全シナリオを手掛けるなど過酷な開発を経験し、「体重が18kg増えた」という壮絶なエピソードを披露した。

 そんな彼の人生を大きく変えたのが、オンラインゲームとの出会いだ。『
ディアブロ』に熱中し「仕事かディアブロかという日々」を送り、その翌年には『ウルティマ オンライン』に心酔。「仕事かウルティマか」という生活を送るほど、その世界にのめり込んだという。
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 この2作品での体験が、後に『ファイナルファンタジーXIV』という世界的なMMORPGを新生させる上で重要な礎となったことは間違いない。

 しかし、クリエイターとして歩み始める前の吉田氏はいったいどのようなサブカル道を歩んでいたのか。 自身が率いる開発チーム“第三開発事業本部”の最新作『
ファイナルファンタジー タクティクス - イヴァリース クロニクルズ』に興味を持ってもらうためにも、オタクトークはここから加速していく。
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クリエイター吉田直樹氏の少年時代と創作の原点

 幼少期の吉田少年が夢見ていたのは「ロボットのパイロットになること」だったという。その原点となったのが、合体ロボットアニメの金字塔『超電磁ロボ コン・バトラーV』だ。単にパンチするだけでなく、“超電磁ヨーヨー”や“超電磁タツマキ”といった、必殺技をくり出すカッコよさに心を奪われたと明かした。
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 その後、『宇宙戦艦ヤマト』のスターシャや『銀河鉄道999』のメーテルといった「美しすぎる」キャラクターに感銘を受け、「冒険ってすばらしい!」と感じるようになった。一方で、実写特撮作品にも影響され、「やっぱりヒーローになるべきではないか」と、夢がつぎつぎと変わっていった少年時代をおもしろおかしく語った。
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ガンプラの悲劇から得た人生の教訓

 吉田氏のクリエイターとしての哲学を形成した重要なエピソードとして、小学生時代の“ガンプラ”の思い出が明かされた。

 当時、日本中で大ブームとなっていたアニメ
『機動戦士ガンダム』のプラモデル。中でもジオン軍のモビルスーツ”グフ”が欲しくてたまらなかった吉田少年は、父親に「グフが欲しい」と熱心に頼んだという。
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右の画像が”グフ”。”ランバ・ラル”というキャラクターとともに新たな敵として衝撃的な登場を飾った。
 しかし、父親が買ってきたのは、同じジオン軍の水陸両用モビルスーツ”ゾック”だった。「色も合ってないし、なんでだよ!」と当時の心境を叫び、会場の笑いを誘った吉田氏。
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画像左、緑色のモビルスーツが”ゾック”。作中で自軍のシャア・アズナブルからも疑問視され案の定やられた。
 この出来事を通して、「自分が本当に欲しいもの、好きなものは、自分の言葉でしっかりとプレゼンテーションをしないと他人には伝わらない」という大きな教訓を得たと語った。この学びは、現在の『ファイナルファンタジーXIV』の開発現場においても、チームメンバーとの意思疎通の根幹をなしているという。
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「なぜガンダムではなくグフ?」と室内氏に尋ねられたところ、「グフ イズ ナンバーワン」と力強く返答する吉田氏。
 なお、この”ゾック事件”はそれから約40年後の今年、『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)』によって報われる瞬間が訪れた。アニメエキスポ2025で行われた『ジークアクス』特別イベントで鶴巻監督にお会いした吉田氏は深い感謝の旨をお伝えしたそう。 そのイベントの様子はファミ通.com関連記事をご覧いただきたい。

作品へのリスペクトが生んだ『FF14』のオマージュ

 吉田氏が手掛ける『ファイナルファンタジーXIV』には、彼が影響を受けた作品への深いリスペクトとオマージュが数多く込められている。

暁月のフィナーレ』のトレーラーで描かれる月面に立つ”光の戦士”の象徴的な立ち姿は、『機動戦士ガンダム』における印象的な立ち姿、通称“ガワラ立ち”(大河原邦男氏のデザインに由来する)へのオマージュであり、吉田氏はガンダムの立ち姿について「このポーズにはすべてが詰まっている」と述べ、自身の創作活動がいかに過去の名作から影響を受けているかを示した。
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 とくに、故・三浦建太郎氏によるダークファンタジーの金字塔マンガ『ベルセルク』については、「僕にとって最高の作品」と最大限の賛辞を送り、『FF14』の””暗黒騎士”が、主人公ガッツから多大なインスピレーションを受けていることを明かした。

 拡張パッケージ『
漆黒のヴィランズ』を制作する際には、故・三浦建太郎先生が描く構図を参考にし、スタッフに『ベルセルク』の全巻を読み返すよう指示したほど、そのビジュアル表現に深く傾倒している。
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 三浦先生が亡くなられた後、親友であるマンガ家の森恒二先生が『
ベルセルク』を引き継いでいることにも触れ、作品が完結に向かって進んでいることを一ファンとして見届けたいという、作品と作者への深い敬意と愛情を示した。

 天野喜孝氏のイラスト、とくに小説
『バンパイアハンター“D”』の挿絵には脳を焼かれるほどの衝撃を受け、布と甲冑の比率など、いまでもアート発注の際に意識していると述べた。
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全セリフ暗記は当たり前? 『天空の城ラピュタ』という究極

 影響を受けてきた、数ある名作の中でも吉田氏が「作品づくりの究極が全て詰まっている」と最大限の賛辞を送ったのが、スタジオジブリのアニメ映画『天空の城ラピュタ』だ。少年少女の冒険活劇として、その完成度の高さを絶賛し、「いつかラピュタのようなゲームが作れたら、それは本当にすごいゲームになるだろうなとずっと夢見ている」と、クリエイターとしての大きな目標であることを明かした。

 その愛の深さは尋常ではなく、「全キャラクターの全セリフを暗記している」と告白。自宅で鑑賞する際には「ひとりで全役を演じながら観ている」という驚きのエピソードを披露し、会場のファンを感嘆させた。吉田氏にとって
『天空の城ラピュタ』は、単なる名作映画の枠を超え、創作における理想の形を示す特別な作品であることが伺える。
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『聖闘士星矢』で当時の日本の学校が直面した“星座”問題

 少年時代の体験は、楽しくも苦い思い出もあったという。当時、週刊少年ジャンプで連載されていたマンガ『聖闘士星矢』では、自身の星座を守護する”黄金聖闘士(ゴールドセイント)”の強さが学校内でのヒエラルキーに直結していた。
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ヒエラルキー構造を身振り手振りで説明する吉田氏。
 吉田氏(牡牛座)にとっての代表だった”牡牛座のアルデバラン”は、主人公の”天馬星座の星矢(ペガサスのセイヤ)”の実力を測るために立ち塞がったところ、頭部の角を折られてあっさり星矢に道を譲ったゆえに、当時は評価が低い、いわゆる“かませキャラクター”だった。吉田氏は「自分の星座が当たりかハズレかで一喜一憂する日々だった」と語り、とくに蟹座の方々が受けた心の傷について触れ、会場を沸かせた。

午前3時、吹雪の札幌、自宅前。車中に鳴り響く『残酷な天使のテーゼ』

 吉田氏は自他ともに認める『新世紀エヴァンゲリオン』のガチヲタクでもある。パワーポイントの英文の”Otaku”の日本語ルビもちゃんと“ガチヲタク”だった。そんな吉田氏と『エヴァンゲリオン』との最初の出会い―ーファーストインパクトは、強烈な思い出として残っている。
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 エヴァの放送が始まった当時、ゲーム業界の若手だった吉田氏は仕事が深夜3時に終わり、雪が降る中、先輩が車で家まで送ってくれることになった。しかし、車に乗った途端、主題歌『残酷な天使のテーゼ』を爆音でリピート再生され、吉田氏がまだ作品を観ていないにもかかわらず、先輩の熱弁が始まったという。 運転席の先輩から「いやあ、やっぱ『エヴァ』は最高ですわ」、「吉田君は誰が好きですか?」と質問攻めに合い(吉田氏の謎のモノマネ付き)、自宅の目の前で車を停めてもなお、語りは止まらなかった。吉田氏は「俺はまだ観てないんだよ!」と心の中で叫びながら、このトラウマ的体験から「人に何かを勧める時は、相手への配慮が大切」という教訓を得たと語り、会場は大きな笑いに包まれた。
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 強烈なエピソードで隠れているが、「当時は深夜3時に仕事が終わったが、いまも大して変わっていない」という自身の働きっぷりも吉田氏はそっと差し込んでいた。本当にご自愛いただきたい。

80年代ハリウッド映画とノーラン監督へのリスペクト

 アニメや漫画だけでなく、映画からも大きな影響を受けてきたと語る吉田氏。特に、自身の少年時代を彩った80年代のハリウッド映画には格別の思い入れがあるようだ。
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 『E.T.』や『グーニーズ』といったスティーブン・スピルバーグ製作の作品群を挙げ、「やっぱり冒険だな」と、ゲームクリエイターとしての原点ともいえるワクワク感を再確認。さらに、『ロッキー』や『ランボー』シリーズに熱中し、友人たちと吹き替えごっこに明け暮れた思い出を懐かしそうに語った。また、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』については「完璧な三部作」と絶賛し、「頼むからリブートはしないでほしい」とファンとしての切実な願いを口にした。

 現代の監督では、クリストファー・ノーラン氏の作品に心酔していると熱弁。
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 『ダークナイト』三部作や『インセプション』、『TENET テネット』といった代表作を挙げ、「その複雑で知的なプロット、観客の度肝を抜く映像表現、そして時間という概念を巧みに操る手腕は、観るたびに新たな発見とインスピレーションを与えてくれる」と、その魅力を語り尽くし、『ファイナルファンタジーXIV』のような長大な物語を構築する上で、彼のクリエイティビティから大きな刺激を受けていると明かし、一人のクリエイターとして深い敬意を表した。

未来へ続く物語への愛と期待

 現在も続く物語として、吉田氏はマンガ『ONE PIECE』への深い愛を語った。考察勢でもあり新刊の発売も楽しみに、「この作品を見届けるために生きている」と断言し、作者である尾田栄一郎先生へ向けて「どうかお体を大切に、ゆっくり完結へ進んでください」と、一ファンとして心からのメッセージを送った。
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 なおこのパネル前日にロサンゼルスのプロ野球チーム、ロサンゼルス・ドジャースが『ONE PIECE』とのコラボで、限定トレカとコラボ麦わら帽子を配布しており、参加できなかった吉田氏は非常に悔しがっていたところ、パネル後に心優しい方々から麦わら帽子を贈呈されるという温かいエピソードもあった。
 パネルの最後に、吉田氏は「僕の体はアニメ、マンガ、ゲーム、映画ででき上がっている」と締めくくり、世代を超えて受け継がれる創作物への愛情と、自身もその歴史の一部を担うクリエイターとしての誇りを滲ませた。
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 30代までの歩みに続いて、40代以降は「ゲームクリエイターとして何も変わらず、20年後もゲームを作っているんじゃないかな」と未来を語り、『ファイナルファンタジー タクティクス - イヴァリース クロニクルズ』をスクリーンに映し出し、パネルの幕を閉じた。
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