
少し前に『CultureHouse』開発者のフツララさんと世間話をしたとき、彼はポツリとこぼした。場所は“ENCOUNTERS”の会場。文化庁は芸術家の支援を行っていて、その枠組みにはゲームクリエイターも含まれる。その成果を発表するイベントだ。
『CultureHouse』は謎の生物を培養するアドベンチャー。研究施設のビジュアルもBGMも登場人物の口調もどこか不穏で、奇妙な居心地の悪さがつきまとう。「何なんだこれは」と考えながら遊ぶゲームなので、言われてみればアートっぽいような。
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売りたいのか、作りたいのか。あなたは作りたい衝動を抑えられないからインディーゲーム作家になったんじゃないのか。だったら、内面にも興味を持つアートファンにも見てもらった方がいいんじゃないか。そういうことだと思う。
たしかに、言いたいことはちょっとわかる。人間の内側に抱えたもやもやを“ゲーム”としてアウトプットするのだとしたら、それはアートなのかもしれない。「ですよね~」なんて相槌を打ってその日は別れた。
森美術館の展覧会で糸口を探る
折よく“マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート(以下、マシンラブ展)”を2025年6月8日までやっている。4月には専門家による展覧会の解説ツアーが組まれるということで、これ幸いとばかりに参加させてもらった。
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何となく理解できるが、頭の中に入ってこない。助けを求めるように、ご自身もメディア・アーティストとして活動されている谷口暁彦さんの説明に耳を傾けた。
メディアアート。また聞き覚えはあるものの知らない言葉が出てきた。どうやら映像やPCといった新技術に触発された芸術分野らしい。そういう意味だったのか。
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ビデオゲームや生成AI、メタバースなどの僕らに馴染みの深い言葉のほかに、アフロ・フューチャリズム、テクノスフィアといった何やら難しい言葉も。
これらはChatGPTを活用して書かれたそうだが、出力された文章がすべて正しいとは限らない。やはり人による編集は大切だと聞き、ちょっと安心する。
万能なようで万能とは遠いところにあるAI。それをあくまでツールのひとつとして使うことが、本展覧会を読み解くカギなのだと思う。
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入ってすぐ、部屋の片隅には箱のようなものが置かれていた。4面がスクリーンになっていて映像の中では人間が極彩色の世界を歩いている。そしてゆっくり回っている。最初からよくわからなくておもしろい。
何だかさみしさを感じるこれはビープル作『ヒューマン・ワン』。この展覧会のメインビジュアルにも使われている作品だ。この人は2007年から毎日1枚のデジタルアートを公開し、それを集めてオークションにかけたら75億円の価値がついた。2021年のことである。
これは僕もニュースで見た。作品はブロックチェーン技術でNFT化され、複製できない唯一無二の価値が付与されたもの。この一件で「Web3が何だかすごいらしい」と世間に広まった気がする。爆風のように一気にぶわっと。時代の転換点だ。
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昨日よりいいものを作りたい。いまこの瞬間に新しい表現を思いついた。作っているうちは気分がいいだろうけど、完成したらおしまいだ。“アップデートできる”はいつしか“アップデートしないといけない”に変わる可能性を秘めている。
アーティストはなぜ作品を作るのだろう。稼ぐことが目的なら75億で売れたらゴールでいいはずだ。でもそんなことはなく、ビープルは作品を作り続けている。作品に高値がついたのに、煌びやかなイメージとは真逆。ストイックな修行僧みたいである。
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ビープルの姿は従来のアーティスト像とは異なり、「NFTアートの連続性って何なんだろう」と谷口さんは考えを巡らせる。このままアップデートし続けたら20~30年後はどうなるのか。この辺はオンラインゲームとも共通する話なので僕も興味がある。
『ヒューマン・ワン』で描かれる人間はボロボロだ。なぜかと聞いたら、こういう返答があったとのこと。
「4年間ずっと歩いているから疲れているんだよ」
ビープル本人を投影した姿なのかもしれない。きっと背中の荷物は“作り続ける”という業だ。自分の意思で楽しく作っているのか、焦燥感に追われているのか、僕にはわからない。
どうしてそんなことするの。
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ネットには知らない誰かの日常写真があふれている。そういった写真の人物をゲーム開発などにも使われるアセットデータに置き換えたものらしい。それでは聞いてください。
「どうしてそんなことするの?」
口に出すのは野暮だとわかっている。アーティスト全般に言えることだと思うが、そもそも発想の源泉は何なのか。いや、発想はもとより、それを形にする行動力がすごいのだと思う。
僕はグラビアアイドル気分を味わいたくてソフマップ風の背景パネルを作ったことがある(※)。それと似たようなものだろうか。これを衝動と言う。
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本来、アートにとって一点もの=唯一無二の価値も大切だと思うが、アセットはデジタルデータだ。「“複製可能が前提”である点に特徴がある」と谷口さん。
何かのゲームで見た汎用グラフィック素材が使われることもある。仕事を終えたモブキャラの日常だ。俳優のプライベート写真のようも見えてくる。その他大勢のはずのアセットに人格を見出してしまうような、ふしぎな気分。
翻って、隣のブースでは複製されたアセットたちがたいへんな目に合う映像作品が流れていた。
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アセットたちは今日も体を張っている。
漠然とした不安
こんな見方はアートに対して失礼なのでは。不安を抱きながら歩いていたらでかいスクリーンがあった。
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会話の内容は大規模言語モデルのAIから生成されていて、「さぶいぼが立つくらい正確」と谷口さん。でも、おかしなことは言っていないのに違和感がある。肉体も感情もないからだろうか。
画があるので人格があるかのように感じるが、これもデジタルデータだ。キャラクターを複製すれば完全なる同一人物同士でも会話できてしまう。それを目の当たりにしたときの違和感はいかほどのものか、ちょっと想像できない。
これはきっと“不気味の谷”の一種だ。人は、人間的なロボットのリアリティーが高まるに連れて好感を持つが、ある一定のラインを越えると途端に気持ち悪さが勝ってしまう。AIやロボットに浸食されないための自己防衛本能のような心理現象である。
いつかこのラインを越える日は来るのか。ちょっと怖い。が、見てみたい気もする。
展覧会でインディーゲームを遊ぶということ
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会場内の一角には毛色の異なるコーナーがあった。その名もインディー・ゲームセンター。ほかはゲームっぽい技術で作られた作品だが、ここだけは純粋にゲームが展示されている。
デジタル技術を使った作品を扱う以上、“ゲームを遊ぶ”という行為は避けて通れない。そして、この展覧会の名称はマシンラブ。愛、ひいては“他者との関係”をテーマに谷口さんが選んだゲームが展示されている。
谷口さんの“ゲームのとらえ方”はふしぎだった。
- 人間は本来とても複雑。体の作りも思考も複雑。
- いざゲームで人間を操作しようとすると、ボタン4つしか使えなかったりする。
- インプットには制約がある。ゲームクリエイターはどうやってそこに人間をアサインするのか。
- ゲームクリエイターは“人間”をどうとらえているのか。
「この展覧会全体が“人間とは何か”を問うている。そういうゲームを選びました」と仰っていた。この人、ゲームのことをそんな風に見てるの? 僕は40年くらいゲームやってるけど、そんなの考えたことない。
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これを狙ったのか僕がエロスに敏感なのかはわからない。とはいえ、“他者との関係”をテーマとするなら性愛表現は王道だ。コミカルなようでいて、ときおり出てくるメッセージは意味深。笑いながら遊ぶとネタゲーになる一方、考えながら遊ぶと文学的な香りが漂う。ふたつの顔を持ったゲームなのだと思う。
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インディー・ゲームセンターには人間関係を模索するゲームが展示されている。箱を重ねたようなキャラがモニターに映し出された『ハグゲーム』は、遠く離れた人とハグをするのが目的。
いわゆる物理演算系のゲームで、肩と肘の関節を細かく操作するので意外と難しく、僕はすぐにアームロックを極めてしまう。相手を傷つけたくないのに腕関節を極めてしまう。ふれるものすべてを傷つけてしまうよ。新時代のシザーハンズ。
うまく抱きしめられなくてもどかしい。ラブソングの歌詞みたいである。
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※『ハグゲーム』はこちらでプレイ可能
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ゲームを始めると、古いラジオから流れるようなノイズ交じりの歌が聴こえてきた。目の前には年配の男性。よくわからないボードゲームが置かれているので(“チェッカー”というゲームらしい)、何となく駒をいじる。
爆発音。窓ガラスにひびが入り、駒は衝撃でずれてしまう。それでもふたりはチェッカーをやめない。誰かがドアをノックしている。焦っているようでノックの音はかなり大きい。それでもふたりはチェッカーをやめない。
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3分ほどで終わるので僕からすべてを語ることはしないが、真っ向から気分が沈むゲームだった。爆発音はおそらく空襲だ。個人の力ではどうにもならない状況において、彼らはこれまで通りに日常生活を送ることを選んだのだろう。
ふたりの関係は夫婦か、恋人か、それとも近所の茶飲み友だちか。納得のうえで最期の瞬間を迎えるのだとしたら、つらいけど、それはそれで悪くないのだと思う。
『One Last Game』は2020年に短期間の集中ゲーム開発イベント”Game JAM”で作られた。このときの制限時間は48時間で、テーマは“Out of Control=制御不能”。ここ数年は政治的な緊張をはらんだニュースをよく目にする。彼らは未来の僕かもしれない。
※『One Last Game』はこちらでプレイ可能
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短期間で一気に開発するGame Jam系のイベントは各地で開催されている(日本でもちょいちょいやってる)。アメリカを横断する寝台列車にクリエイターたちが乗り込んで52時間でゲームを作る“Train Jam”という無茶な企画があり、上の写真の『見つけた』はそこで開発された。旅の中でいろいろなクリエイターと出会った喜びをテーマにしたとのこと。
つまり、人と出会うこと=うれしい。雪原の中をふたりで歩き回り、お互いを見つけると、うれしい。そういう根源的な喜びのあるゲームである。
手掛かりは相手が残した足跡。時間が経って雪が積もると足跡は消えてしまう。消えていく面影の向こう側に相手を想うようで、ちょっとロマンティックだ。
で、結局、インディーゲームはアートなのか
だって、カメラのメモリの調子が悪くて、撮ったつもりでいた写真がほとんど撮れていなかったから。この記事の写真が全体的に中途半端で、公開が会期終了ぎりぎりのタイミングになったのにはそういう理由があったのだ。
かろうじて撮れた写真もいくつかある。
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キム・アヨン作『デリバリー・ダンサーズ・スフィア』は女性配達員を主人公とした作品。配達経路は迷路のように見えて、最短距離・時間に挑む。彼女はAIの指示を受け、手元のツールにはさまざまな情報が表示される。
谷口さんは『デス・ストランディング』を例に挙げ、「スピードラン(タイムアタック)だったり、ゲーム文化につなげて見ることもできます」と解説。ゲームの配達ミッションを実写化したものと考えると、スッと頭の中に入ってくる。同様の設定をもとにしたゲームも展示されていた。
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ルー・ヤン作『独生独―自我』は、仏教的な世界をゲーム的な映像で描く。作者本人のアバターがさまざまな世界を旅する様はMMORPGのトレーラーのよう。宗教はその時代の最新のテクノロジーを活用する面もあるから、たしかにゲーム的な表現と相性がいいように思う。
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その点、美術館なら古いゲームを並べても違和感はない。テーマに沿って見比べれば別の魅力が見えてくる可能性もある。ダウンロード販売やオンラインプレイの浸透も手伝って古いゲームを遊ぶ人が増えているから、ここから興味を持ってもらい、ゲームが売れる→クリエイターの収入が増える→新しいゲームが開発されるという世界になったらゲーマーにとって最高だ。
さて。アートのことをよく知らないままに見学させてもらった。結局、インディーゲームはアートなのか。
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よくわからない。これが僕の正直な結論だ。「インディーゲームは芸術的だ」と結ぶこともできるけど、それだけではない気がしている。そもそも僕が考える“アート像”は正しいのか、自信がない。
人間の中にはどろどろとした情念みたいなものがあって、溜め込んでおくことができず、何らかの形で外に出す。それがアートなのだと思っている。画家なら絵、ミュージシャンなら音楽、詩人なら言葉を使うと、いちばんきれいな形でアウトプット可能。ゲームクリエイターの場合はそれがゲームなのだろう。
それともうひとつ。作家は作りたい欲求を抑えきれず、鑑賞する側は自分勝手に受け取る。こういった一方的なコミュニケーションが成立するのはアートの魅力に思える。
商業的なゲームは会社の都合もあって、売れるように作らないといけない。ユーザーの声を取り入れることも大切なので自分勝手にはふるまえない。対して、個人(あるいは少人数)で作るインディーゲームはその枷がゆるく、作家自身の満足を優先させやすい。商品としてのゲーム=ユーザーが喜ぶもの、芸術作品としてのゲーム=作家が作りたいもの、みたいな。
こう考えると、たしかにインディーゲームはアート的な気がする。でもまだよくわかっていないので、もう少し注目していきたい。
開催概要
- 会期:2025年2月13日(木)~ 6月8日(日)
- 開館時間:10:00~22:00(※最終入館は閉館時間の30分前まで)
- 会場:森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)
[平日]
- 一般 2,000円(1,800円)
- 学生(高校・大学生)1,400円(1,300円)
- 子供(中学生以下)無料
- シニア(65歳以上)1,700円(1,500円)
[土・日・休日]
- 一般 2,200円(2,000円)
- 学生(高校・大学生)1,500円(1,400円)
- 子供(中学生以下)無料
- シニア(65歳以上)1,900円(1,700円)