ゲームクリエイター・飯野賢治氏の生誕55周年を記念したアルバム“KENJI ENO 55”が、2025年5月5日にデジタル配信される。これを記念して2025年4月19日、飯野氏が生前組んでいたバンド“NORWAY”のメンバーによる座談会が開催された。
本稿ではそんな座談会の模様をリポート形式でお届けしていく。
飯野氏が見せた音楽へのこだわりを振り返る。飯野氏のバンド“NORWAY”とは?
『Dの食卓』、『エネミー・ゼロ』、『リアルサウンド~風のリグレット~』、そして『Dの食卓2』といった既成概念に囚われない作品群を世に送り出し、つねにゲームの常識を打ち破ってきたゲームクリエイターの飯野賢治氏。
そんな彼の作品を語るうえで外すことができない要素が、“音楽”だ。飯野氏は大の音楽好きとして知られており、とくに彼が子供のころに出会った音楽グループ・YMO(Yellow Magic Orchestra)は後の人生に多大な影響を与えたほどであるという。飯野氏の当時のインタビューを見ても、YMOの名前が幾度となく登場していることからも、それは容易に察することができる。まさに氏のルーツとも言える存在だ。
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さらに飯野氏は、自身でバンドを組んでいた過去もあり、プレイヤーとしても活躍していた。それを考えると、『Dの食卓』や『Dの食卓2』などで飯野氏自身が作曲を手掛け、音楽を世界観の一部として大切に扱ってきたことなども納得できる。
また『エネミー・ゼロ』では映画『ピアノ・レッスン』などで知られる作曲家のマイケル・ナイマンさんを、『風のリグレット』ではムーンライダーズの鈴木慶一さんを起用していることからも、飯野氏が音楽に対して妥協しない姿勢を貫いていたことが感じられる。
そんな飯野氏だが、生前、“NORWAY”というバンドを組んでいたことをご存知だろうか。メンバーは以下の通り。
《NORWAYメンバー(敬称略)》
- 浅岡雄也:ボーカル(“FIELD OF VIEW”のボーカル)
- HISASHI:ギター(“GLAY”のギターリスト)
- セキタヒロシ:ベース(作曲家・ベーシスト)
- たっくす(Taccs):シンセサイザー(音楽プロデューサー/元サラリーマン)
- みのやん:ミックス(音楽家・MIXエンジニア)
- 上野美香:PR・マーケティング(フリーランスコンサルタント)
- 飯野賢治:プロデューサー、リズムトラック、シンセサイザー(ゲームクリエイター)
- 坂本美雨:ボーカル(※Never Ending Storyのみ出演)
浅岡さんやHISASHIさんなど、音楽が好きな人間であればスルー不可能とも言えるメンバーが在籍していることもあり、結成が発表された当時は大きな話題となった。しかも楽曲はオリジナルではなく、カヴァーオンリー。『君に、胸キュン。』(YMO)、『Get Wild』(TM NETWORK)、『グロリアス』(GLAY)といった数々の名曲をNORWAY流にアレンジして再構築し、原曲のよさを残しつつNORWAYでしか成し得ない形へと昇華してみせた。
しかも数名のメンバーとは直接会ったことがない状態で楽曲制作を進めたり、CDではなくYouTubeのみで配信をするなど、活動スタイルも当時としては規格外。
しかし、中心人物とも言える飯野氏が2013年に他界したこともあり、現在は目立った活動がない状態にあった。……のだが、ここに来てNORWAYが突如動きを見せる。
それが“飯野賢治生誕55周年記念企画”と銘打たれたもののひとつ、アルバム『Kenji Eno 55』のリリースだ。本アルバムには飯野氏が手掛けてきた数多くの楽曲が収録されており、その中にはNORWAYの楽曲も存在。すでに先行シングルとして配信された『ルパン三世のテーマ』を試聴済みという方も多いハズだ。
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今回開催された座談会は冒頭でも記した通り、このアルバムのリリースを記念したもの。参加メンバーは浅岡雄也さん、セキタヒロシさん、たっくすさん、上野美香さんの4名。今回、筆者は座談会にお邪魔し、飯野氏との出会いや、NORWAYでのエピソードなどをたっぷりと聞いてきた。ファンの方はぜひ最後まで目を通してほしい。
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左から、浅岡雄也さん、上野美香さん、セキタヒロシさん、たっくすさん。中央には飯野氏の等身大パネルも。
NORWAY結成のきっかけはYMO?
ーーまず、皆さんと飯野さんが知り合ったきっかけを教えてください。
たっくす
飯野さんと同じく、僕もYMOがめちゃくちゃ好きで、過去にYouTubeやニコニコ動画にYMOのカヴァー曲を10曲くらい投稿していたんです。それを飯野さんが見つけて「こいつすげえ!」みたいなことをTwitter(現X)で発信してくれたのがきっかけですね。僕は飯野さんのアカウントをフォローしていたので、「飯野さんが僕のことを言ってくれてる!」と驚きましたね。
ーーお互いYMOが好きだからこそつながったのですね。
たっくす
ただ、当時は投稿したものに辛辣なコメントを寄せられるのが嫌だったので、日本人ではなくノルウェー人と偽って活動していまして……。そしたら飯野さんがTwitterで、ノルウェー語で話しかけてくれたんです。でも僕はただ偽っているだけでノルウェー語はいっさいわからないので、本当は話したいのにずっと無視するしかない状況が生まれてしまいました。
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ーー日本語で返したらバレてしまいますよね。
たっくす
でも、ついに飯野さんに「じつは日本人で、埼玉に住んでます」と白状する日が来ました。そしたら飯野さんが「坂本(龍一)さんにノルウェー人がYMOのカヴァーしてるって言ったのに、俺の信用どうしてくれるんだ!」と言われてしまいました(笑)。でも僕の勢いある感じがいいと思ってもらえたようで、そこから少しずつ仲よくなり、ついにはいっしょにバンドをやることになったんです。
浅岡
僕も飯野さんの投稿からたっくすのYMOカヴァーを知って、かっこいいなと思いました。ノルウェー人だろうが日本人だろうが、そんなことは関係なく、おもしろいことをやっているし曲もかっこいいから、「それでいいじゃん!」という話ですよね。
ーー音楽の本質に違いはないですからね。浅岡さんと飯野さんはどのような出会いかたをしたのでしょうか?
浅岡
さきほど、たっくすがYMOのカヴァーを投稿していたと言っていましたが、飯野さんもYouTubeにYMOの曲を投稿していたんですよね。僕はそれに勝手に歌を入れて、勝手に送りつけたんですよ(笑)。飯野さんとのきっかけはそこからですね。
ーー飯野さんと知り合い、接する中で、とくに強く感じたことはありますか?
浅岡
YMOを本気で愛しているということですね。でも同じファンとして、YMOのメンバーとつながっているのはズルい!
(一同) (笑)。
浅岡
僕にとってYMOは神のような存在だったのですが、飯野さんは坂本さん本人に「教授」と言える立ち位置でした。以前、“WORLD HAPPINESS”というロックフェスティバルに連れて行ってもらったことがあるのですが、そのときにYMOのメンバーを紹介されて……。そんなのもう泣くしかないですよね?
ーーファンからしたら夢のような瞬間ですね。たっくすさんは飯野さんとのやり取りで、どのようなことが想い出に残っていますか?
たっくす
NORWAY結成当初の話ですが、メンバーが本物のプロで固まっているなか僕だけが素人だったので、何をするにしても緊張していました。でも飯野さんはとても温かくて。「職業音楽家ではないからこそ、職業音楽家ではない人(たっくすさん)ができることをやろう」と言ってくださって、その言葉があったからこそ僕はここまでやれたのだと思っています。
セキタ
本当に温かい人ですよね。僕がこだわっている音をしっかり聞いて、演奏そのままのよさを純粋に楽しんでもらったことがうれしかったですね。他者が抱える音楽へのこだわりを理解できるからこそ、自分が作るゲームでも音楽には強いこだわり持っていらしたのだなと思います。いろいろな音楽を聴いてるからこそ、細かいこだわりにも気付いてくれるのだと、強く実感させられた瞬間でもありました。
――上野さんは広報としてNORWAYに参加されていますが、飯野さんと音楽の話もしていたのでしょうか?
上野
ぜんぜんしていないです(笑)。
ーーそうなんですか!?
上野
私は音楽に詳しくないので、ほかのメンバーが掲示板ですごい勢いで話してるのを見て、ただただ圧倒されていました。NORWAYに入る前から飯野さんとは知り合いだったのですが、NORWAYが始まってプロのミュージシャンとも高度な音楽の話をしているので「さすがだな」と思いましたね。
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ーーNORWAYはメンバーが直接会わないで曲を作るというスタイルが特徴的だと思うのですが、やり取りの際にはクローズドな掲示板を使っていたのでしょうか?
たっくす
メンバーだけが入れるクローズドな掲示板があって、そこでやり取りをしていました。でもじつは最近になって、少しずつその掲示板でのやり取りを公開し始めました。おもしろいやり取りがあった部分をスクリーンショットして、Xで公開しています。
NORWAYの活動は1年くらいだったのですが、この短い期間でも掲示板では3600件くらいやり取りしていました。皆さん当然ですが本業があり、NORWAY以外のことでも忙しくされていたのでたいへんだったとは思うのですが、掲示板に来たときにはすごく楽しそうに話をしていたのが印象的です。いつかまとめて全部出したいですね。
ーー話は変わりますが、もしNORWAYがライブをやるとしたらどこの会場でやりたかったですか?
たっくす
飯野さんは「フェスに出たい」と言っていましたね。
浅岡
そうですね。ただ「NORWAYにはHISASHIくんがいるから、GLAYの活動を止めちゃいけない」とも言っていて、そこは気を遣っていましたね。
あとにも先にも、あんなストリーミングライブはない
ーーNORWAYの活動でひとつ象徴的なものとして、2011年に行われた12時間にも及ぶストリーミングライブがあると思います。あれは前例がないと言ってもいいくらい斬新なイベントだと思うのですが、そのときのことで印象に残ってることはありますか?
浅岡
僕は酔っ払って転がってただけだからなぁ。
ーーなんと(笑)。
浅岡
それまではFIELD OF VIEWのイメージもあって“スーツを着たお兄さん”という感じでやっていたので、お酒を飲んでいる姿は出さないようにしていたのですが、あのストリーミングライブで寝落ちした姿を全世界に晒されてしまいました。あれは酷い!(笑)
でも、実際のところは「べつにいいか」とも思っていたので、開き直っていたというのが正直なところですね。あとはHISASHIくんと久しぶりに会えたことも印象に残っています。
たっくす
僕にとってあのストリーミングライブは夢の中にいるような経験でした。普段は会えないような人たちと音を重ねることができ、人生が変わったと思います。これからは飯野さんが遺していったものを僕なりに解釈して、続けていこうと思っています。
セキタ
NORWAY以外の仕事の現場では、作曲や演奏、編曲など、それぞれの作業をべつのスタッフやチームと分業して進めていくことが多かったんです。でもNORWAYの12時間配信では、ひとつの楽曲ができあがるまでのすべてのプロセスを同じメンバーでやるという、貴重な体験をさせてもらいました。
ーーバンドだからこそ得られる感覚ですよね。
セキタ
そうですね。先ほど2011年のストリーミングライブについて「前例がない」とおっしゃいましたが、その後にもあんなストリーミングライブはないと思います。曲の制作過程を12時間ずっと見せるというのは、まずないのかなと。あのライブを通じて、仲間といっしょにワイワイ曲を作ることがいかに楽しいかを知ってもらえたと思います。
浅岡
本当は定期開催をしたかったのですが、みんな忙しくて集まるのも難しいと思っていたので、僕から声をかけるのはやめていたんです。でも飯野さんだったら、いきなり「明後日、ハイアット予約しておいたから!」とか言いそうですよね(笑)。
ーーたしかにありそうですね(笑)。
上野
セキタさんも言っていましたけど、メンバー全員で作り上げる過程をリアルタイムで配信して、ファンの方と共有しながらいっしょに楽しむというのは、それまであまりなかったのではないかと思います。メンバーどうしが実際に会って作曲をするというのはアナログな作業だと思いますが、あれを見て、アナログであるからこそ生まれる雰囲気も曲にとっては大事なのだと思いました。
ーーストリーミングライブで『ネバーエンディング・ストーリー』をレコーディングするというのは事前に知らされていたのでしょうか?
浅岡
いえ、知らされたのは当日ですね。それも当日になっても「何を歌っていいのかわからない」と言っていた気がします(笑)。アレンジも何も決まっていなかったので。
たっくす
坂本美雨さんが来るから「もしかしたら『ネバーエンディング・ストーリー』をやるのかも?」とは薄々思ってはいましたけどね。美雨さんはカヴァーをされていたので。
将来的にNORWAYのメンバーと子供たちがオリジナル曲を作って、それが売れたらおもしろいよね
ーーもし飯野さんがいまもご顕在で、NORWAYが再始動するとなったらどんな曲をやってみたいですか?
セキタ
じつは飯野さんが亡くなられたあとも、NORWAYとして、NHKの連続テレビ小説・『あまちゃん』の曲をやったりと、何曲か活動をしているんです。なので僕は、飯野さんを入れて『あまちゃん』の曲をやりたいですね。飯野さんがいたらどうなっていたのか、興味があります。
たっくす
飯野さんは“ILCA(イルカ)の学校”という、若手クリエイターの育成を目指すプロジェクトを実施しようとしていたのですが、それが志半ばで終わってしまいました。僕はそれに対する飯野さんの考えかたや姿勢がすごく好きなんです。飯野さんはNORWAYのメンバーを“ILCAの学校”の講師として迎え入れたいと言っていました。
ーーそんな構想があったのですね。
たっくす
「こんなにビッグな人たちがこんなに楽しく音楽をやっているんだよ」というのを子どもたちに教えたかったのだと思います。「将来的にはNORWAYのメンバーと子どもたちでオリジナル曲を作り、それが売れたらおもしろいよね」という話をされていたので、もし飯野さんがいたら、NORWAYのメンバーがいるからこそ実現できる、もっと大きく広まることをやってみたいですね。
浅岡
僕は、僕の原点でもあるYMOに活動を戻したいです。YMOのメンバーがおふたり鬼籍に入ってしまっているので、それを飯野さんが受け止めたらどうなるのかなというのは気になります。僕は高橋幸宏さんのことは1年くらい、教授の事は3ヶ月くらい引きずったので。
たっくす
この前、『ルパン三世』の曲を配信しましたが、それでNORWAYや飯野さんの曲をいまだに多くの人が聞いてくれていることがわかりました。なので、僕は僕にできることがあればどんどんやっていきたいです。NORWAYは解散したわけではないので。
それと、NORWAYのメンバーは飯野さん以外にゲームに関わりを持つ人がいないので、今後はゲーム関係の方といっしょに何かしてみるのもおもしろいと思います。また、じつは飯野さんが遺した音が存在していて、それをNORWAYでやろうという話も動いているので、こちらも楽しみにしてほしいですね。
ーーそれでは最後に一言お願いします。
浅岡
まず、2025年5月5日にリリースされるアルバム『KENJI ENO 55』の中にNORWAYの曲もたくさん入れてもらえたのがうれしいですね。ありがとうございます。ぜひみなさんにも聞いていただきたいと思っておりますので、よろしくお願いします。それと“FIELD OF VIEW”も今年で30周年を迎えるので、こちらもよろしくお願いいたします(笑)。