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堀井雄二氏『ドラクエ』の40年を語るスペシャルインタビュー。セリフやマップのこだわり、『ドラゴンクエスト』らしさ、ゲームデザイナーとしての転機……歴代ナンバリング開発秘話とともに振り返る

堀井雄二氏『ドラクエ』の40年を語るスペシャルインタビュー。セリフやマップのこだわり、『ドラゴンクエスト』らしさ、ゲームデザイナーとしての転機……歴代ナンバリング開発秘話とともに振り返る
 1986年5月27日にファミリーコンピュータで発売された『ドラゴンクエスト』。その後、40年以上にわたってナンバリングタイトルはもちろん、数多の作品をさまざまなプラットフォームで世に送り出してきました。国内において『ドラゴンクエスト』の歴史はゲームの歴史といっても過言ではありません。
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堀井雄二氏『ドラクエ』の40年を語るスペシャルインタビュー。セリフやマップのこだわり、『ドラゴンクエスト』らしさ、ゲームデザイナーとしての転機……歴代ナンバリング開発秘話とともに振り返る
 今年40周年を迎えた『ドラゴンクエスト』ですが、“ドラゴンクエスト40周年記念展 『ドラゴンクエスト the DIVE -まだ見ぬ冒険の舞台へ-』”の開催、『ドラゴンクエストモンスターズ4 枯れ木の国のビアンカ・フローラ』の発売(2026年12月3日発売予定)、ナンバリングタイトル最新作となる『ドラゴンクエストXII 夢の彼方へ』の開発発表など、さまざまな話題で盛り上がっています。
 つねに注目を集める『ドラゴンクエスト』ですが、その誕生から40年のあいだ、『ドラゴンクエスト』およびゲーム業界を牽引し続けてきたのが、ゲームデザイナーの堀井雄二氏です。『ドラゴンクエスト』の生みの親であり、多方面で活躍している堀井氏ですが、週刊ファミ通も2026年に創刊40周年を迎えたということで、各ナンバリングタイトルの思い出や印象に残っているエピソードを、たっぷりと語っていただきました。
堀井雄二氏『ドラクエ』の40年を語るスペシャルインタビュー。セリフやマップのこだわり、『ドラゴンクエスト』らしさ、ゲームデザイナーとしての転機……歴代ナンバリング開発秘話とともに振り返る

堀井雄二氏と『ドラゴンクエスト』の40年を振り返る

堀井雄二氏『ドラクエ』の40年を語るスペシャルインタビュー。セリフやマップのこだわり、『ドラゴンクエスト』らしさ、ゲームデザイナーとしての転機……歴代ナンバリング開発秘話とともに振り返る

堀井雄二ほりい・ゆうじ

『ドラゴンクエスト』の生みの親で、以降はすべての『ドラゴンクエスト』タイトルの制作に携わるゲームデザイナー。長年の活躍と功績が認められ、2025年にゲームクリエイターでは初となる旭日小綬章を受章した。

堀井雄二氏とRPGの出会い

――2026年5月27日に40周年を迎えた『ドラゴンクエスト』(以下、『DQ』)ですが、この40年を振り返って……早かったですか? ゆっくりでしたか?

堀井
 いま思うと早かったですけれど、作っているときは長く感じましたね。いろいろ苦労したので(笑)。

――とくに苦労したと思える作品は?

堀井
 やっぱり『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』(2000年8月26日発売)ですね。なかなか仕上がらなくて、2回発売を延期しましたし、CMも撮り直したりして(苦笑)。初めてのCD-ROMということで、容量が一気に増えたんですけれど、それに合わせていろいろな要素を詰め込みすぎたんですよね。
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――確かに『DQVII』のボリュームはかなりのものでした。ほかにもいろいろと思い出があると思いますが、この40周年を端的に表現するなら、どのような言葉が思い浮かびますか。
堀井
 続けるってすごいな、継続はチカラなりだな、ということです。1986年に最初の『ドラゴンクエスト』(1986年5月27日発売)を作って、2年後に『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(1988年2月10日発売)を作りました。これが社会現象になりましたが、ヒットというものはそうそう続くものではないという意識があって。

――一般的に言えばそうですね。

堀井
 それでも、結果的に40年も続いたのはスゴいなと思います。当時はそんなことになるなんて思ってもいなかったですから。

――もちろん『DQIII』はスゴかったのですが、『DQI』もヒットしました。これで日本のRPGは本格的に始まったと言っても過言ではないと思うのですが、堀井さんの中でも『DQI』の時点で手応えはあったのではないですか?

堀井
 そうですね。遊びかたさえわかってもらえれば、絶対にウケると思っていたので。だから『DQI』の時点でけっこう勝算はありました。

 ちょうど週刊少年ジャンプの記事も書かせてもらっていたので、「RPGはこういう遊びかたのゲームなんだよ、おもしろいんだよ」という感じで展開もできましたし。
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――『DQI』直撃世代はそんな堀井さんの思惑にまんまと乗せられたと思います(笑)。ちなみに当時、堀井さんはどのようにRPGと出会ったのでしょうか?
堀井
 テーブルトークのゲームはすでにありましたけど、そちらはあまりやっていなくて。エニックスのゲームコンテストに応募したら幸運なことに入選した(※1)のですが、そのご褒美でアメリカを旅行したときに『Wizardry(ウィザードリィ)』と出会ったんです。
※1……堀井氏は1982年にエニックスで開催された第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストに『ラブマッチテニス』で応募、入選した。
――運命の出会いですね!

堀井
 すごくおもしろそうだったので、帰国してすぐにApple IIの互換機を買って『ウィザードリィ』を始めたらハマっちゃって。『Ultima(ウルティマ)』も遊びましたね。

――行動が早い(笑)。日本でもまだ「知る人ぞ知る」という段階ですよね?

堀井
 そうそう。当時はマニュアルも英語しかなくて、和訳も雑で。“聖なる空白を用意せよ”と書かれていて「これは何だろう?」と頭をヒネっていたんですけれど、要は“セーブ用の空のディスクを用意しておけ”ということで。「こんなのわかんねえよ!」って思いましたね(笑)。

――そういう経験が、堀井さんの「ゲームは初心者にもわかりやすくする」という設計思想に影響を与えているのかもしれませんね。

堀井
 そうかもしれません(笑)。

『DQI』制作時に見ていた“青写真”

――『ドラゴンクエスト』から『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(1987年1月26日発売)、そして『ドラゴンクエストIII』までは“ロト三部作”と銘打たれていますが、『DQI』の制作時点ではどの程度まで先が見えていたのでしょう? 三部作にすることは最初から決まっていた……?

堀井
 じつはあまり先のことまで決めていなくて。「『DQI』を出して、売れたら『DQII』を出そうかな」くらいの感じでした。『DQI』のときは、とにかく容量が少なくて苦労したので、「『DQII』を作れれば、もっといろいろできるかな」とは思っていました。

――『DQI』の容量は64KBで、いまのスマホで撮った写真が1枚で3MBとすると、約1/50程度ですからね……。
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堀井
 『DQI』の開発の時点で、続編では容量が倍の128KBにはできそうだとわかったので、『DQII』はもっと可能性が広がると思っていました。

 じつは、『DQI』の発売より早く『DQII』の開発はスタートしていたんですよ。当時はROMカセットなので、マスターアップから発売まではある程度時間がかかったので。

――ということは、受注の時点で続編が作れるだけの数字が出ていたわけですね?

堀井
 そういうことです。だから、『DQII』は間を開けずにすぐ出せたんですね。ストーリーも「『DQI』の何百年後の世界にしよう」と、わりとすんなり設定を決めちゃって。

――パーティでのバトルにすることも、その時点で決められていた?

堀井
 ええ。『DQI』と同じようにひとり旅でスタートしたほうがゲームに入りやすいと思ったので、『DQII』では物語を進めるうちに仲間と出会っていくという構成にして。

――なるほど。ほかに『DQI』で印象深いエピソードはありますか?

堀井
 けっこうあちこちで言っているのですが、エニックスに送られてきたアンケートはがきがきっかけで、すぎやまこういち先生に音楽をお願いできた(※2)ことがありましたね。
※2……すぎやま氏は自身が購入したソフト『森田和郎の将棋』に同梱されていたアンケート用はがきに意見を書いてエニックスに投稿。これに気づいたエニックスがすぎやま氏に連絡を取ったことが、堀井氏とすぎやま氏をつなげるきっかけになった。
――有名な“奇跡”のひとつですね。

堀井
 あと、ボクが週刊少年ジャンプの記事を担当していたときに、「鳥山明先生がゲームを作りたがっている」と鳥嶋さん(鳥嶋和彦氏)に言われて、モンスターのイラストをお願いしたり……。

 じつは、鳥嶋さんは鳥山さんに刺激を与えたかっただけで、ご本人はゲームを作りたいなんて言っていなかったんですけれど(笑)。

『DQII』を経て『DQIII』が社会現象に

――『DQI』は最初の生みの苦しみだったり、容量との戦いがあったと思うのですが、『DQII』でも戦闘中の背景をなくしたりと、そのあたりの戦いは依然としてあったと想像できます。

堀井
 そうですね。『DQII』は敵もパーティの形で出したかったのですが、背景を入れるとゴチャゴチャするし、メモリも食ってしまうので、そこはあきらめました。
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――取捨選択は必要だった。
堀井
 はい。『DQIII』にいたっては、オープニングは文字だけですから。それが印象に残ったという方もいますけれど。

――『DQII』でもっとも苦労した部分というと、どのあたりになるのでしょう?

堀井
  “ふっかつのじゅもん”ですね。セーブデータのスケールが大きくなるので、どうしても50文字を越えちゃって。

 プレイデータとして覚えなければいけない項目が『DQI』は少なかったので20文字で済んだのですが、『DQII』はどうやって圧縮しても50文字を越えてしまったんです。“ふっかつのじゅもん”はこのあたりが限界だなと思いましたね。
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――限界というのは?
堀井
 『DQIII』でセーブ機能が付いたのですが、この機能がなければ仲間を取っかえ引っかえしたり、転職したりというのはできなかった。だから、本来やりたかったことは『DQIII』でようやく実現できたという感じです。『DQII』までは、ファミコンではセーブができるROMがなかったので。

――なるほど。『DQIII』の開発がスタートする段階で、ようやくそれが可能になったのですね。

堀井
 そうです。「『DQIII』の発売時期ならセーブできるROMカセットになる」と聞いたので、仲間も増やせるし、転職もできる冒険が実現すると思ったんです。

――当時は技術の進化も日進月歩でしたからね。『ドラゴンクエスト』の開発スパンが短かったこともあると思いますが。

堀井
 そうですね。『DQI』は数ヵ月、『DQII』は半年くらい、『DQIII』は1年で作っていますから。

――あれだけゲームシステムが増えた『DQIII』を1年で作れたことは驚異ですね……。事前に仕込みをされていたわけでもなく?

堀井
 とくにしていませんでしたね。『DQI』と『DQII』を作ったノウハウがあったからできたという感じです。

――とはいえ、ですよ(笑)。当時の堀井さんは、マップやセリフを手書きで書かれていたんですよね?

堀井
 手書きですね。町の人のセリフをぜんぶ書いて渡して。最初、フィールドマップはPC-8800シリーズのエディターを使って作っていた記憶があります。

――すさまじい仕事量です……。

堀井
 がんばっていました(笑)。当時は本当にずっとゲームを作っていましたから。徹夜があたりまえでしたね。プログラマーさんも、机の下に段ボールを敷いて寝ているとか、そんな時代でした。

――それまで「やりたい」と頭の中に思い描いていたものを『DQIII』で一気に出せた感じなのでしょうか?

堀井
 『DQII』がある程度ヒットすると見込めたので、このときも『DQII』の発売前から『DQIII』の開発に取りかかっていました。先ほど言った通り、その時点でセーブ機能を搭載できることがわかっていたので、「本来やりたかったことはこれでできるな」と思いましたね。
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――そのうえで“ロト三部作”として成立させられる仕掛けを仕込まれて。
堀井
 『DQII』が数百年後の世界で、『DQIII』もまた同じ……というのは芸がないと思ったんです(笑)。ちょっと驚きがあったほうがいいかな? と思って、いっそ時間を戻しちゃおうと。

――結果的に、『DQIII』は社会現象になるほどの大ヒットになりました。ヒットを狙って作っていたとは思いますが、あそこまで大規模になるとは思わなかったんですよね。

堀井
 まったくの想定外でした。もちろん勝算があって作っていましたけれど、ゲームを買うためにあれほどの行列ができるとは思っていませんでしたから。新宿まで自転車に乗って行列を見に行ったんですけれど、寒いのにみんなが徹夜で並んでくれていて、「悪いな……」と思った記憶がありますね。

――いまだに“ゲームの行列といえば『DQIII』”という印象が強い方も多いと思います。

堀井
 真偽はわからないのですが、いちばん長い列は池袋から護国寺(編注:現在の駅間で計算すると約4km)まで並んだという話も聞きました。

――それだけのヒットを記録した後、堀井さんを取り巻く環境は大きく変わりませんでしたか?

堀井
 あまり変わらなかったですね。正直、当時はゲームを作るのと記事を書くので一杯一杯だったので、そんなに周りのことが見えていなかったですね(笑)。
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『ドラゴンクエスト』シリーズが載っている過去の週刊ファミ通を読みながら、本インタビューは実施されました。『DQI』の記事は創刊号から掲載!

『DQIV』開発時に直面した悩み

――『DQIII』がヒットして、すぐに続編を出そうという話になったのではないでしょうか? 実際には『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』(1990年2月11日発売)まで2年という時間がかかりましたが。

堀井
 そうですね。ただ、『DQIV』はけっこう悩んだんです。『DQIII』が社会現象になったからこそ、『DQIV』への期待がどんどん高まっていて……「どうしよう?」って。それで、物語をオムニバス形式にしてみました。
堀井雄二氏『ドラクエ』の40年を語るスペシャルインタビュー。セリフやマップのこだわり、『ドラゴンクエスト』らしさ、ゲームデザイナーとしての転機……歴代ナンバリング開発秘話とともに振り返る
――『DQIV』と言えば、“AI”という言葉を浸透させた功績もあるタイトルだと思います。
堀井
 『DQIV』は8人パーティにしたので、戦闘中にコマンドを入力するのは面倒じゃないかな? と思ったんです。もともと『DQIV』のコンセプトにしていたのが、“仲間たちには仲間たちの人生がある”というものでした。だったら、仲間が自分で考えて動いていいんじゃないかと、勝手に戦ってくれる学習型のプログラムを“AI”として構築したんです。

――プログラム自体にも堀井さんの意向を入れつつ?

堀井
 そうですね。当時プログラムを担当していた山名くん(※3)と話して決めていきました。
※3……山名学氏。『DQIII』からプログラマーとして参加、『DQIV』ではAIの構築に尽力し、『DQV』ではディレクターを担当した。のちにハートビートを設立し、シリーズの開発に従事。
――『DQIV』から『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』(1992年9月27日発売)、そして『ドラゴンクエストVI 幻の大地』(1995年12月9日発売)までの3本は“天空三作品”と言われるようになるわけですが、これは『DQIV』の段階で何かしらのプランがあったのでしょうか?

堀井
 それは後付けですね(笑)。『DQIV』のときは、そんなことはぜんぜん考えていなくて。『DQVI』を作ったときに「なんかつながったな!」と思ったくらいでした。

――オムニバスにするというコンセプトから、『DQIV』ではこれまで以上に個性的な仲間キャラクターが登場しました。『トルネコの大冒険 不思議のダンジョン』というスピンオフタイトルも生まれて。

堀井
 『トルネコの大冒険』は、中村くん(中村光一氏)が『Rogue(ローグ)』(※4)にハマっていて、「『ローグ』のようなゲームを作りたいから『ドラゴンクエスト』のキャラクターを使わせてほしい」という話があったので、「商人というトルネコだったらぴったりなんじゃない?」という感じで。
※4……1980年に発表されたダンジョン探索型のRPG。自動生成のダンジョンに入り、倒されるまでに到達したダンジョンの階層やスコアを競うシステムで、“ローグライク”の語源とも言われるようになった。
――堀井さんも当時は『ローグ』にハマっていたのですか?

堀井
 遊んでみました。ただ、『ローグ』は死ぬとぜんぶリセットされちゃうんですよ。でも『ドラゴンクエスト』でやるなら「ぜんぶリセットになるのはツラい」という話をして、せめてアイテムは残してあげようなんていう話をしましたね。

――『DQIV』ではマップの密度も上がって、ファミ通でもフィールドマップのポスターを付録にしたことがありました。
堀井雄二氏『ドラクエ』の40年を語るスペシャルインタビュー。セリフやマップのこだわり、『ドラゴンクエスト』らしさ、ゲームデザイナーとしての転機……歴代ナンバリング開発秘話とともに振り返る
堀井
 なつかしいですね。当時、マップはエディターで作っていましたね。コンピューター版の方眼紙みたいなもので。

――『ドラゴンクエスト』のマップは現実に近いものがあったり、何度も行き来して完全に覚えてしまったプレイヤーも多いと思うのですが、『ドラゴンクエスト』の開発において地図はわりと序盤に作られるのでしょうか?

堀井
 最初に大まかな白地図を作るんです。その後にどんな町を出すのかを決めて、町のマップを作ってそこに人を置く。町の概要が決まったら、それに合わせて周囲の細かい地形を決めていく……という感じです。

――世界を作りながら、頭の中でストーリーを作っていくのですか?

堀井
 そうですね。町を作った後に、「この町でどんなことが起きたらおもしろいだろうか」と考えるんです。たとえば、「この町では1日だけ王様になれるようにしよう」とか、「この町で朝に起きたら誰もいなかったらどうだろう?」なんて感じで、いろいろな仕掛けを考えましたね。

――『DQIII』は、現実の世界地図がベースになっていたのは驚きました。実際の場所とゲーム内の町のイメージが通じる部分も想像を掻き立てられて。しかし、『DQIV』あたりから世界がどんどん広がるうえにオリジナリティーも必要となると、マップを作るのもかなりたいへんだったのでは?

堀井
 そうですね。白地図と言っても適当に作ると、地図に見えないんですよ。日本人の感覚だと思うんですけれど、南半球に海が多くないと地図に見えないんですよね。収まりが悪いというか。地図をひっくり返して見てみると、なんとなくその感覚がわかると思いますけれど。

――確かに!

堀井
 北極から見た世界地図も、日本人からは地図に見えないんです。ヨーロッパやアメリカの人が『ドラゴンクエスト』のマップを見たら、また違う感覚になるとは思うのですが。

――日本人から見ると北半球は大きな大陸がどんとあって、南半球は海が広いイメージですから。その視点で『ドラゴンクエスト』のマップを見るとおもしろそうです。地図ができたら各キャラクターの出発地点を決めたり……?

堀井
 そうですね。マップとストーリーの位置はすごく考えています。
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――『DQIV』からは仲間キャラクターの名前も固定されましたが、そもそもあの名前はどうやって決めたのでしょうか?

堀井
 覚えやすいのはもちろん、印象に残る名前にしなければいけないので、世界の人名辞典を読んで考えたり。地名や国名も同じで、適当に決めると、地名や国名と思えないものになってしまうんですよ。逆に、たとえば“○○○ガルド”といった格式を感じさせる名前を付けると、由緒ある地名や国名っぽく見えますよね。

――なるほど!

堀井
 こういうのも、ボクが全部考えていました。シリーズが進んでいってスタッフが増えてからは、スタッフが挙げてくれた候補の中から決めたり、候補をモジって新たな名前を付け直すという形になっていきましたけれど。

――そういうスタイルになっていくのは、一気にゲームのボリュームが増えた『DQVII』あたりからですか?

堀井
 そうですね。人数で言えば、『DQVII』から開発環境は大きく変わったと思います。

いまだに語られる『DQV』の“アレ”

――『DQV』では、物語が3世代にわたって描かれるという、壮大なものになりました。それだけでも驚きだったわけですが、なんと言ってもインパクトが大きかったのはやはり結婚です。

堀井
 ゲームではあるのですが、プレイヤーの皆さんには真剣に悩んでもらおうと思ったんです。それが『DQV』の出発点でしたね。そこから結婚というアイデアが生まれ、それがあるからこそ、親子三代の物語にしようと思いました。

 一代ずつ主人公を変えるというアイデアもありましたが、それじゃつまらないと思い、最初は子どもだった主人公が青年になり、そして親になるというストーリーはおもしろいだろうなと考えました。

――最終的な“勇者”が子どもたちだったというのも含め、ストーリーは驚きの連続でした。

堀井
 親子三代の物語にすると決めたからこそ『DQV』で悩んだのは、「どうやって物語の時間を経過させるか」ということでした。悩んだ結果、子どもから大人になるまでは奴隷という立場にして一気に時間を進めて、親になって子どもが成長するまでは石化という形で時間の流れを表現しました。
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――細々と時間の流れを描くのは冗長になるでしょうし、いっそのこと10年単位で時間を進めてしまおうと。
堀井
 ええ。そういう設定なら、よくある「そして〇年が過ぎた……」という部分に、リアリティーが出るかなと思って。

――そのため、主人公はなかなか酷なことに……(笑)。

堀井
 当時から「主人公の状況ってけっこう悲惨じゃない?」という声がありましたね。

――後のリメイク版ではデボラという花嫁候補が増えましたが、当時は結婚相手の選択肢としてふたりがベストという判断だったのでしょうか?

堀井
 容量や開発の手間ということもありましたが、やっぱりふたりのうちのどちらかを選ぶという決断を下してほしかった。“冒険の書”を3つ用意していたので、そこはうまく活かしてくれるんじゃないかな、と。『ドラゴンクエスト』はいつでも取り返しがつくように作っているので……取り返しがつかないゲームと思われるのは困りますから(笑)。

――ちなみに、どちらを選ぶかで論争(?)が起きたのも計算通りでしたか?

堀井
 ある程度は……ですね。でも、女性にフローラ派が多かったのは想像していませんでした。「ビアンカはあざといよね」なんて言われるとは思わなかった(笑)。

――何度もリメイクされていますが、プレイヤーが遊んだ時代によって、花嫁候補の印象は変わったりしているのでしょうか?

堀井
 個人的には、そこはあまり変わらない気がします。男性はビアンカを選ぶ人が、女性はフローラを選ぶ人が多い印象です。

――人生の一大事で決断に悩んでもらうのがコンセプトだったとはいえ、『DQV』がここまで長いあいだ語られるようになるというのは……。

堀井
 まったくの想定外ですね。あと、『DQV』の結婚に関していちばんビックリしたのは「ビアンカとフローラの名前の由来は、“ビールにしますか? お風呂にしますか?” に違いない」なんて言われたことです。言われてみればそうも取れるのですが、当時はそんなことを考えもしなかったので。

――こじつけにしてはよくできていますからね(笑)。

堀井
 そうなんです。よく思いついたものだと感心しました(笑)。
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『DQVI』にシリアスな話が増えた理由

――『DQVI』では、どのようなコンセプトを打ち立てたのでしょうか?

堀井
 『DQVI』は「ゲームが進むともうひとつの世界マップが出現するという展開はよくあるけど、別の大陸に行くのはよくある展開だ。ならば、いきなりふたつの世界の大陸を行ったり来たりするというのはどうだろう?」という発想から生まれました。

――開発がスタートする段階で、二重の世界を作るというコンセプトがあったのですね。

堀井
 ええ。そのうえで「じつは出発点の大陸のほうが夢だった」というサプライズを入れることにしました。
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――夢オチの逆パターンという。
堀井
 そうです。その事実がわかってから、本当の自分を探していく旅になると。当時は“自分探し”というワードが、人生のテーマのひとつとして流行っていたのでその要素も織り交ぜました。

――なるほど! 

堀井
 ゲームのテーマが決まったまではよかったのですが、「自分探しの旅からどうやって魔王を倒して結末まで持っていくか」という点にすごく悩みました(笑)。

――びっくりさせる要素を早めに決めたからこその悩みですね(笑)。二重世界という構造もあって、『DQVI』はボリュームも増えましたし、それに比例したのか、シリアスなエピソードも増えました。ここにはどのような狙いがあったのですか?

堀井
 現実と夢のギャップを物語に活かすことを考えていたので、多少はシリアスというか、プレイヤーにとってリアリティーのある話が多いほうがおもしろいかなと思ったんです。そこで、“ギャップ”を意識したシナリオを多めに書いていきました。

――なるほど。ギャップを感じさせるなら、楽しい・おもしろいエピソードだけではダメですよね。

堀井
 そうなんです。エピソードで言うと、テリーとミレーユの話は悩みました。ミレーユの過去はなかなかつらいものになっていますが、そこをあまり深掘りすると子どもでも遊べるゲームにならなくなってしまう。あまり細かい部分まで描かずに、想像に任せる部分が多くなったと思います

――あまりに不幸せなキャラクターだとプレイヤーも引いてしまいますから。仲間キャラクターの個性は『ドラゴンクエスト』でも大きな魅力ですが、そういった部分で悩むことはありませんか?

堀井
 だいたいバランスを考えてキャラクターを構築していきますね。そんな難しい話ではなく、単純に“おっさん枠”とか“ヒロイン枠”とか……。

――戦士とかではなく、おっさん枠なんですね(笑)。

堀井
 そうそう(笑)。男女比も考えつつ、うまく人気や印象が散るようにします。

――仲間の人数は、開発当初から決めていたのでしょうか?

堀井
 だいたい8人くらいにしようと決めていました。おもしろくなりそうなら、それに合わせて増減させればいいかなという感じで。

――個人的には、8人でうまく個性がバラけるようになっていた印象ですね。

堀井
 はい。これは『DQVI』だけではなく、ある程度まで登場キャラクターが固まったら鳥山さんにイラストをお願いするという流れで進めていました。

イラストありきでできる物語や設定も

――『DQVI』では、いまも人気の高いイケメン枠のテリーが登場しました。『ドラゴンクエスト』のイケメンと言ったらテリーというファンも多いです。

堀井
 テリーはもともと主人公候補だったのですが、『ドラゴンクエスト』シリーズの主人公にしてはちょっとアクが強いかなと思って、仲間のひとりにしたんです。

――ちなみに、テリーのように「もともとは別の立場のキャラクターだったけれど……」みたいなことは、ほかにもあったのでしょうか?

堀井
 『DQVI』が初めてですね。『ドラゴンクエスト』シリーズでほかに同じことが起きたのは『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』(2004年11月27日発売)です。

 マルチェロのイラストは、もともとククールのものだったのですが、ククールというキャラクターの設定にしてはちょっとイメージが濃すぎるかなと。で、ククールだったイラストをマルチェロに活かしつつ、新たにイケメンキャラとして描き換えてもらいました。その流れもあって、ふたりを兄弟の設定にしてお話を作ったんです。

――そうだったんですね。

堀井
 じつは、鳥山さんのイラストから発想を広げて、お話や設定を作ることも多いんですよ。鳥山さんって、こちらがお願いしたもの以外に、ちょっとした何かを遊びで描いてくれることが多くて。

 たとえば『
DQVIII』のトーポはまさにそれで、キャラクターのイラストに描かれていたネズミを見て、「あ、かわいい。これを使おう!」という感じでゲームに登場させました。

――『ドラゴンクエストX オンライン』(2012年8月2日発売)のドルボードも、そんな形で生まれたとおっしゃっていましたね。

堀井
 そうそう。あれもドワーフの絵に描いてあったものを使わせてもらったので。
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――少し話が逸れましたが、そもそも主人公としてテリーが描かれたのなら、人気が出るのも納得ですね。
堀井
 鳥山さんはいつも「主人公がいちばん苦労する」と言っていましたね。主人公らしいという部分を描くのが難しいらしくて。

――毎回、堀井さんが今回はどんな主人公なのかを鳥山さんに説明して描いてもらうわけですよね?

堀井
 そうです。で、ちょっとイメージが違ったら、また説明して描いてもらって……という感じです。いちばん難産だったのは『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』(2017年7月19日発売)でしたね。5~6回はキャッチボールした記憶があります。

――なかなかしっくり来るものにならなかった?

堀井
 そうですね。感覚的なものなのですが、主人公っぽさが足りないとか、モブっぽさがあるとか、アクが強すぎる、いやアクが足りないとか……いろいろありました。主人公は、プレイヤーが好感を持てて、真っ直ぐな感じもありながら、ちょうどいいバランスの魅力があるキャラクターにしなきゃいけないので、難しいんです。

スタッフを増員して開発に挑んだ『DQVII』

――堀井さんの中でも開発に苦労されたという印象が強い『DQVII』ですが、コンセプトはどのように考えたのでしょうか?

堀井
 『DQVI』のつぎは「どのような遊びで楽しんでもらえたらいいだろうか」といろいろ考えたのですが、マップを集めるのは楽しいんじゃないかと。

――なるほど。その発想が“石版”につながったわけですね?
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堀井
 そうです。しかもそのとき、『MYST』(※5)という謎解きのゲームにハマっていて。いい雰囲気の作品だったので、『MYST』の本のように、最初に謎の神殿があって、謎解きをしてもらう導入はおもしろいんじゃないかな? と思ったんです。
※5……1993年に発表されたアドベンチャーゲーム。本の世界に迷い込んだプレイヤーは、プリレンダリングの静止画や動画の中を冒険する。操作はマウスカーソルとクリックのみで、文字情報が極端に少ないビジュアルメインのゲーム性が話題になった。
――それもビックリさせられたところです。ゲームを始めても謎解きがメインで、なかなか戦闘が始まらない『ドラゴンクエスト』というのは予想外でした。そして『DQVII』では、ボリュームがガツンと増えたことも衝撃でした。

堀井
 いままでのROMカセットから記録媒体がCD-ROMになって、容量がとんでもなく増えましたから(笑)。

――明らかに開発の作業量が増えることを予見して、当時のファミ通にシナリオライター募集の広告を載せたられたのでしょうか? あの広告を覚えている読者も多くて。

堀井
 そうそう! 募集しましたね。それで藤澤くん(藤澤仁氏)たちが入ってきてくれたんです。

――それ以前にもスタッフは募集されていたのですか?

堀井
 多少は募集したこともありましたが、そこまで大規模なものではなくて、『DQVII』の開発でたくさんのスタッフに入ってもらいました。ある程度まで開発は進んでいたのですが、作業が膨大になっていったので、開発の途中から加わってもらいましたね。

――興味本位で訊いてしまうのですが、どのような方法で選考されたのですか?

堀井
 最初にプロット、人物を置いたマップ、シナリオ進行に関わるセリフが書いてある見本を渡して、「これと同じようにシナリオを書いてみてください」と。

――かなり実践的なテストだったんですね。

堀井
 そうですね。仕上げてもらったものを読んで、よさそうな人を面接してコミュニケーションできるかどうかを確認しながら、採用する人を決めました。

――テストである程度まで書けることがわかったら、『DQVII』の現場でさっそく……という感じですか?

堀井
 実際にちょっとしたシナリオから書いてもらいましたね。

――『DQVII』のコンセプトや大枠は決まっているから、あとはどんどん実作業を進めるという。

堀井
 そうです。シナリオスタッフが増えたことで、ゲーム中に仲間と話せるという新しい会話システムもできると思い、実装しました。

――スタッフの増員がなければ、あの会話システムはできなかった!

堀井
 はい。女性の仲間と話すときに、あまりふつうではおもしろくない、むしろボロクソに言われたら楽しいだろうなと考えて、マリベルのキャラクターができました。いまでいう“ツンデレ”のキャラクターですね。当時はまだツンデレという言葉はなかったですけれど。

――ツンデレというカテゴリーが生まれたのは、『DQVII』から数年後でしたね。マリベルのセリフは書いていておもしろかったですか?

堀井
 ええ、楽しかったですよ(笑)。

――マリベルはかなりノリノリで筆も進んだと思いますが(笑)、逆に筆が進みにくいキャラクターがいたりするのでしょうか?

堀井
 ノリの問題ではないのですが、ふつうの町の人のセリフがいちばん難しいんですね。進行に関わるような、決められたことを言うキャラクターはいいのですが、とくに大事なことを言うわけでもなく、雰囲気作りという役割を持つキャラクターも多いじゃないですか。そこがいちばん難しい。

――ふつうに暮らしていて、家の中にいて……。

堀井
 そうそう、町でたいへんなことが起きていたとしても、その状況を織り交ぜながらその人になりきった言葉を書くのは難しいんです。しかも、そこをないがしろにしてしまうと、世界観が薄っぺらくなってしまう。

――確かにそうですね。ふつうの人に話しかけたり、タンスを調べたりツボを割ったりしてあちこち見て回ってこそ『ドラゴンクエスト』の旅という感じがしますし。

堀井
 シリーズを重ねるうちに容量が増えて、マップも増える。何でもない町の人の人数もどんどん増えていく。そうなると、いちいち話しかけるのも面倒になるプレイヤーもいるだろうなと思ったので、大事なことを話す人の吹き出しだけは色を変えるといった工夫もしました。

――最短距離でも楽しめるけれど、気が向いたら全員に話しかけても冒険の楽しさは変わらない。

堀井
 そうです。雰囲気を担当するようなキャラクターでも全員に話しかけるプレイヤーはいますし、何気ない会話でもおもしろさは必要なので、いつも難しいんですよね。
堀井雄二氏『ドラクエ』の40年を語るスペシャルインタビュー。セリフやマップのこだわり、『ドラゴンクエスト』らしさ、ゲームデザイナーとしての転機……歴代ナンバリング開発秘話とともに振り返る
――『DQVII』のキモはマップ集めですから、当然そういう雰囲気担当の人もいままでの作品以上にドカンと増えたわけですね。

堀井
 ええ。それにマップ集めがキモなので、最初は世界中に石版をばらまいて、どの石版マップから集めても物語を進められるように作ろうとしていたんです。

――ええ!? それは難しすぎませんか……。

堀井
 そうなんです。挑戦してみたのですが、話が破綻しちゃうんですよ(笑)。仕方がないから、ある程度は順番をつけることにしました。入手の順番が前後しても大丈夫な石版もありますが、大筋に関わる部分はある程度の道筋をつけて。

――結果的には断念されたとはいえ、オープンワールドにつながるアイデアですよね。そんな高みを目指していたというだけでも驚きです。ちなみに、『DQVII』で対応機種がプレイステーションになりましたね。

堀井
 当時、カートリッジというかROMの値段がどんどん高くなっていって、ゲームが1万円を超える値段になるのはどうかなという感じは持っていたんです。容量を増やすともっと値段が高くなるので、CD-ROMも選択肢のひとつではないかなと思いました。

――CD-ROMにすると値段は抑えられるかもしれないけれど、逆に容量がたくさんあるので作り込みが……。

堀井
 それはそれでたいへんなんですよね。実際にたいへんでしたし、開発費も上がりました(苦笑)。昔は10人くらいで1年かけて作っていたものが、何百人という単位で何年もかけて作るようになりましたから。

――でも、その容量を活かして『DQVII』では立体的なマップを作れるようになりました。

堀井
 3D視点になってマップをグルグル回せるようにしたのですが、逆に石版が見つかりにくいという声が挙がってしまって。いろいろヒントは置いたんですけどね。

――3Dの視点変更による謎解きというものにプレイヤーが慣れていなかったこともあったんですよね。石版の配置も含めて謎解きの難度を決めるのは難しかったと思います。

堀井
 ボクは簡単にしたつもりで、作り手が簡単と思うくらいがちょうどいい難度だと思っていたのですが、それでも『DQVII』の謎解きはちょっと難しかったみたいで。3D視点だとマップを回して調べることを忘れちゃうんですよね。それが狭い空間だったらよかったのですが、世界が広すぎたのでさらに難しかったんだと思います。

 『
ドラゴンクエストVII Reimagined』で石版探しをシェイプアップしたのですが、評判がいいのでよかったなと。戦闘も快適だし、キャラクターやマップもジオラマっぽくてかわいいし……キーファもたねを返してくれますし(笑)。


――オリジナル版でも装備品は返してくれるんですけどね。

堀井
 当時はたねを返してほしいとまで言われると思っていなかったんです(笑)。

『DQI』の理想が『DQVIII』で結実

――『DQVIII』は、見た目も含めて『ドラゴンクエスト』が大きく変わった作品だと思います。

堀井
 「つぎの作品はどうしよう?」と悩んでいたタイミングで、たまたまレベルファイブさんと知り合いました。ボクも『ダーククラウド』(※6)という3DCGのゲームを見ていたので、日野(日野晃博氏)さんとお会いして話したら、「ぜひ『ドラゴンクエスト』を作ってみたい」と。それからあまり時間を置かずに『DQVIII』のプロトタイプを見せてもらえることになったんです。
※6……レベルファイブが開発し、ソニー・コンピュータエンタテインメント(現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)から発売されたプレイステーション2用のアクションRPG。ダンジョンを進むRPG要素とパーツを使ったジオラマ要素の組み合わせで、とくに海外で高評価を獲得した。
――その時点で3DCGの状態だったのですか?

堀井
 そうです。鳥山さんのキャラクターもちゃんと3DCGで動いていて「これはスゴいな」と思い、レベルファイブさんに開発をお願いすることにしました。

――その時点で『DQVIII』の具体的なコンセプトは決まっていたのですか?

堀井
 まだ決まっていなかったのですが、すべてを3DCGにできる見通しが立ったので、「見渡す限りの世界がある」ということをコンセプトにしました。これはそのまま『DQVIII』発売時のキャッチコピーになりましたね。
堀井雄二氏『ドラクエ』の40年を語るスペシャルインタビュー。セリフやマップのこだわり、『ドラゴンクエスト』らしさ、ゲームデザイナーとしての転機……歴代ナンバリング開発秘話とともに振り返る
――『DQVIII』の画面を初めて観たときは、かなり驚きました。キャラクターの頭身も上がって、一気に大人っぽくなったというか、世界の広さがリアルに感じられて。
堀井
 そうですね。表現の幅は大きく広がりました。おかげで、お姫様を馬にしようとか、いろいろ驚かせるような仕掛けのアイデアも生まれましたね。

――『DQVIII』のロゴに描かれているティアラと馬車が、じつは伏線になっていることに気付いて感動しました。

堀井
 ただ、いま思えばお姫様に馬車を引かせるのはどうなんだろうと思いますけどね。まあゲームだからいいか……と(笑)。

――すべてが3DCGになった『DQVIII』の世界は、当時の堀井さん的にはどのように思われたのでしょうか?

堀井
 『DQI』のころから頭の中で思い描いていたものが、『DQVIII』のような世界だったんです。それがついに実現できたので、当時は本当に感動しました。いまでこそ、3DCGの世界はあたりまえになりましたけど。

――ファミコンの時代から約20年で、比べものにならないくらいゲームが進化しましたから、感慨もひとしおだったのではないかと思います。

堀井
 キャラクターの見た目も大きく変わったので、当時は「これは『ドラゴンクエスト』らしくない」といった意見もいただきましたが、実際にゲームが出て遊んでもらったら「これはやっぱり『ドラゴンクエスト』だった」となる人が多かったですね。

――『DQVII』からの変化が大きかったですから。『DQVIII』には錬金釜やバトルロード、テンションなど、後につながる新要素もいろいろと盛り込まれていましたね。
堀井雄二氏『ドラクエ』の40年を語るスペシャルインタビュー。セリフやマップのこだわり、『ドラゴンクエスト』らしさ、ゲームデザイナーとしての転機……歴代ナンバリング開発秘話とともに振り返る
堀井
 錬金釜やバトルロードに関しては、ほかのゲームにもあるような要素を『ドラゴンクエスト』にも取り入れたいと思ったことから生まれました。テンションシステムに関しては、開発している当時に「テンションを上げていこう!」みたいな言葉が流行ったので、それを使うことにしたんです。

――そう言われると、ノリや勢いを表すのにテンションという言葉を使うのが一般化したのは、2000年代序盤あたりだった気もしますね。

堀井
 それに『DQVIII』は、まだ基本がランダムエンカウントなんですよ。できればシンボルエンカウントにしたかったのですが、まだ技術的に追いつかなくて。強敵だけはシンボルを置くようにしたりしましたが。

――理想はシンボルエンカウントだった?

堀井
 はい。自分で戦うかどうかを選べたほうがいいと思っていたので。まあ、どちらのエンカウントシステムが『ドラゴンクエスト』らしいのかは、いまも意見が分かれるところなのですが。

――『DQVIII』からはゲームの作りかたも変わったのではないでしょうか? マップを作るのも、3DCGになってこれまでのようにはいかなくなりますよね。

堀井
 そうなんです。平面図をベースにして3Dに起こしてもらいましたね。ただ、大きく変わった点があって……。立体になったぶん、階段の場所などで嘘がつけなくなったんですよ。変なところにあると不自然に見えるので、「こんな場所に階段が!」みたいなことが難しくなりました。

――作るのに苦労するかもしれないけれど、それでも3DCGがよかった?

堀井
 ええ、3DCGが『DQVIII』のいちばんのウリだと思っていたので。レベルファイブさんの手腕もあって、その点は安心して作れました。
堀井雄二氏『ドラクエ』の40年を語るスペシャルインタビュー。セリフやマップのこだわり、『ドラゴンクエスト』らしさ、ゲームデザイナーとしての転機……歴代ナンバリング開発秘話とともに振り返る

プレイヤーどうしのつながりを目指した『DQIX』

――『DQVIII』でリッチな3DCGとなり、正統進化していくのかと思いきや……『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』(2009年7月11日発売)でニンテンドーDSに移行したことには驚かされました。

堀井
 『DQIX』をニンテンドーDSで作ったのは、ローカルネットワークを使った遊びがすぐにできたからなんです。当時はまだネットワークゲームがそう多くない時代で、敷居が高かった。でもニンテンドーDSなら、電源を入れたらすぐに人とつながれます。

 これはスゴいシステムだと思いましたし、このネットワーク機能を使って『ドラゴンクエスト』を作りたいと。

堀井
 これはおもしろい遊びになるし、みんなも驚いてくれるだろうなと思って発表したら、「え? ニンテンドーDSなの?」って、かなりたたかれたりして。当時はちょっとヘコみましたね(笑)。

――『DQVIII』の雰囲気を継いだ続編を望んだ人が多かったというのはあったかもしれませんね。

堀井
 クエストを気軽にダウンロードできたり、友だちとオフラインで冒険できたりするのは、新しくて楽しい遊びになると思ったんですよね。

――実際、すごくおもしろかったですし、多くの人が楽しみました。これも社会現象になりましたから。

堀井
 ただ、予想外だったのは“まさゆきの地図”の登場ですね。もともと、すれちがい通信を使って地図を交換できるようにしていたので、いいボスがいる地図を見つけたプレイヤーの中から有名人を作っちゃおうというアイデアはあったんです。ただ、あんなに便利な地図が、あんなに早い段階でできるとは思わなくて(笑)。
堀井雄二氏『ドラクエ』の40年を語るスペシャルインタビュー。セリフやマップのこだわり、『ドラゴンクエスト』らしさ、ゲームデザイナーとしての転機……歴代ナンバリング開発秘話とともに振り返る
――かなり早かったですからね。
堀井
 ボクもすれちがい通信で秋葉原まで地図をもらいに行きましたから。現実の世界でゲームの地図を探しに行くという行為に、「バーチャルがリアルを侵食したぞ!」と興奮した覚えがあります。

――あと、『DQIX』といえば……サンディです(笑)。

堀井
 当時は携帯小説やギャルという存在に興味があって、そこからサンディというキャラクターが生まれたのですが……これも物議を醸した感じが(笑)。結果、好きだという声も多かったのでよかったのですが。
堀井雄二氏『ドラクエ』の40年を語るスペシャルインタビュー。セリフやマップのこだわり、『ドラゴンクエスト』らしさ、ゲームデザイナーとしての転機……歴代ナンバリング開発秘話とともに振り返る
――サンディこそ、いい裏切りというか。すごくいいキャラクターだったと思います!

『DQX』でオンラインの敷居をとにかく低く!

――『DQIX』で“ほかの人といっしょに遊ぶ『ドラゴンクエスト』”というものを経験した後、満を持して『DQX』のリリースとなりました。

堀井
 『DQX』のコンセプトはもちろんオンラインです。いちばん人気があるプラットフォームで『ドラゴンクエスト』を出そうということでWiiにしたのですが、今度は「ニンテンドーDSじゃなくてWiiなの?」という声もありました。

――当時はほかのプラットフォームのほうがオンライン向きというイメージが強かったという側面もあると思います。

堀井
 ただ、なるべくオンラインゲームの敷居を低くしたかったんですよね。この『DQX』でいちばん悩んだのは種族でした。“主人公が人間ではない”ということを『ドラゴンクエスト』でやっていいのかと。ゲームを始めていきなり「自分の種族は○○だ」と言われても、ピンと来ないんじゃないですか。

――そうかもしれません。

堀井
 でも、オンラインゲームでは、いろいろな種族がいたほうが画面的にも楽しいだろうという確信はありました。だから人間から始まって、一度死んでから五つの種族を選んで転生するというお話にしたんです。しかも、最初はオフラインから始めてオンラインになるという流れにして、いきなり他人と遊ぶことがないようにしました。

――オンラインゲームに慣れていない人のために、かなり気を遣っていることがわかる導入でした。

堀井
 そうですね。ゲームとしてもいろいろな意味でなるべく簡単にして。


――とは言え、位置取りや押し合いなど、テクニカルに遊べる部分は残しつつ……他人との遊びというポイントと、ソロでも楽しめるポイントのバランスは『ドラゴンクエスト』らしさを感じる部分でした。

堀井
 位置取りはいわゆる“相撲”ですよね……。そこは藤澤くんがこだわったところですね。ゲームシステム的には作るのが難しかったようですが、遊んでいて楽しかったです。

――結果、『DQX』を象徴するバトルシステムになりました。

堀井
 当時はほかのMMORPG……たとえば『ファイナルファンタジーXI』も遊んでみたのですが、ボクはだいたいソロで遊ぶんですね。ただ、途中からソロプレイがキツくなる。

――多くのMMORPGが多人数でのプレイが前提なので、ソロではどうしても難度が上がりがちです。

堀井
 オンラインでほかの人とパーティを組むというのは、濃い人間関係を築くことが求められるので、それはそれでたいへんだなと。ボクとしては、ほかの人の気配がするくらいがうれしいんですよ。

――ちょうどいい距離感みたいな?

堀井
 そうですね、距離感は大事だと思います。なので、ほかのプレイヤーに自分が作ったキャラクターを使ってもらえる“サポート仲間”というシステムを作ったんです。人間が操るキャラクターではないので気楽に使えるし、プレイを中断するほうも楽しい気持ちで終われますから。

――確かに、「中断しているあいだに誰かが育ててくれているかも?」と思えるのは、ほかのオンラインゲームではあまり見かけない仕組みでした。

堀井
 ただ、ソロが好きな僕も初期はパーティを組んでよく遊んでいました。タコメットを狩ったり……。

――向こうには堀井さんとはわからないように?

堀井
 ナイショで野良のパーティに入って。ふつうに遊んでいるぶんにはバレないですから(笑)。

――そんな『DQX』も、サービス開始からもう14年です。

堀井
 長いですよね。いまだに毎日、多くの人がアクセスしてくれていますから。いまは『ドラゴンクエスト』の遊園地みたいに楽しめるオンラインゲームになれたんじゃないかと思います。

――『DQX』のメインストーリーも、バージョン8となる『時空の迷い子たち』(2026年6月25日発売)で大団円を迎えました。

堀井
 『ドラゴンクエスト』が好きな方なら、「物語が完結したなら遊んでみようかな?」と考える人もいると思うんです。しかも、“スラミィ”というGoogle Geminiを活かしたAIのキャラクターも追加されます。

――『DQIV』のころのAIとは違って、最新AIですからね。

堀井
 最近のAIは本当に賢いですから、楽しいですよ。何かを聞いても、あまり嘘も言わなくなりましたし。ひと昔前はAIにボクのことを聞いたら、「任天堂の社員です」なんて言われましたから(笑)。

――すごい嘘ですね(笑)。

堀井
 そのへんも進化して、最近ではいろいろなことができるようになりました。スラミィは話し相手となってくれるので、AIに触れることに対する敷居を低くしてくれると思います。
堀井雄二氏『ドラクエ』の40年を語るスペシャルインタビュー。セリフやマップのこだわり、『ドラゴンクエスト』らしさ、ゲームデザイナーとしての転機……歴代ナンバリング開発秘話とともに振り返る
公式配信動画のキャプチャーです。

『ドラゴンクエスト』の集大成として作られた『DQXI』

――『DQX』は続きつつも、2017年には『ドラゴンクエスト』シリーズの集大成とも言える『DQXI』が発売されました。

堀井
 『DQX』で『ドラゴンクエスト』はグルリと大きく1周回った。そして『DQXI』は、新しい『ドラゴンクエスト』としてイチからのスタートを切るものにしようと思いました。

 “過ぎ去りし時を求めて”という言葉はプレイヤーのことも意味しているのですが、作中にいろいろなオマージュを入れて、ある意味で『ドラゴンクエスト』の集大成になるように作りました。

――プレイステーション4とニンテンドー3DSというふたつのプラットフォームで展開する点も驚きでした。

堀井
 プラットフォームによる映像やグラフィックの違いもそうですし、2Dモードと3Dモードの両方もあって作るものがすごく多くて……。けっこう無茶な挑戦でしたね(笑)。


――堀井さんからしても、かなり無茶だったんですね(笑)。

堀井
 「可能だ」という話だったので、「じゃあやろう!」と。そう言ったものの、けっこうたいへんでした。

――『DQXI』は物語としても、驚きが多かった作品でした。冒頭で主人公が捕まりますし。

堀井
 いきなり捕まる勇者はいなかったので、ビックリするかなと思って(笑)。

――狙い通りです。中盤以降にも大きな仕掛けがあって。

堀井
 ボクはタイムリープものが大好きなんですよ。タイムパラドックスで整合性を考えるのはたいへんなのですが、個人的には「おもしろければ多少辻褄が合っていなくてもオッケーだ」と思っているんです。勢いで行っちゃっても、誰も変には思わないだろうと。

――おもしろいことが最優先なのは、『ドラゴンクエスト』というか、堀井さんらしいところだと思います。あと、『DQXI』はキャラクター人気も高かった印象があります。

堀井
 そうですね。テリーの系譜ともいえるカミュも人気でしたし、意外とホメロスが人気を集めたりして。シルビアも、ある意味でリアリティーのある、いいキャラクターでした。

――シルビアの個性はシリーズの中でも光っていますし、時代性もありましたから。

『ドラゴンクエスト』らしさとは?

――『DQXI』までを振り返っていただきましたが、堀井さんの中では、『ドラゴンクエスト』を作るうえで「絶対に何かでプレイヤーを驚かせよう」という部分は欠かせないのかもしれませんね。

堀井
 それはありますね。もともとイタズラ好きなので、驚かせようとか、意表を突こうという思いは強いと思います。『ポートピア連続殺人事件』のころからそうですから(笑)。『DQI』のときも、「竜王が何て言ったら驚くだろう?」なんて。

――結果、世界の半分をもらうとたいへんなことになる(笑)。そういう驚きを提供したいという思いが堀井さんの中心にあることに加え、『ドラゴンクエスト』はセリフ回しも独特ですよね。そのあたりは、もともと堀井さんが漫画家志望であったり、小池一夫先生の劇画村塾(※7)に行かれたりした経験も大きかったのですか?
※7……マンガ原作者として数多くの作品に携わった小池一夫氏が立ち上げた、私設のクリエイター養成塾。
堀井
 マンガはキャラクターが軸になるので、自分が主人公になるゲームとはちょっと違うんですけれど、主人公を周囲の人物から立てていくという物語の構成は、マンガの作りかたに共通する部分があるかもしれません。あと、いちばん大きかった学びは、ストーリーはセリフで書くようにして、地の文を使わないということでしょうか。

――確かに『ドラゴンクエスト』では、地の文での説明はほとんどありません。

堀井
 基本的にセリフで世界を構築していくことは心がけていますね。あと、マンガの吹き出しといっしょで、あまり長いセリフは読みたくないので、できるだけ短い言葉でおもしろく見せることを気にしています。

――できるだけ短く、でもきちんと伝えるという部分は、堀井さんのライター経験も活きているのでは?

堀井
 そうですね。セリフを短くするための工夫とかはそうかもしれません。

――モノローグが少ないことも特徴だと思います。

堀井
 いきなりセリフから始めますからね。たぶん、地の文よりセリフのほうが人は読みやすいんです。そのほうが頭に入ってくるというか……。

――そうですね。堀井さんが巧みなのは、ふだんの生活ではあまり使わないけれど印象深い言葉を、上手に使われていることだと思うんです。さらに言えば、そのうえでセリフが頭の中で再生しやすくなっているという点もあります。

堀井
 そのへんは感覚なんですけれど(笑)、日本語はニュアンスを乗せやすい言葉なので、短いながらもセリフが印象深くなるようにする。ここは意識しています。

 あとは読みやすくすることですね。たとえば、死体を表すのに“したい”という言葉を使うと、「~したい」という文言にも読めてしまうので、“しかばね”という言葉を使ったり。

――説明していただくと納得です。

堀井
 メニューやアイテムの名前も、ひらがなでも伝わるようにして。呪文はカタカナで擬音をメインに、ギラやメラ、バギとか。
堀井雄二氏『ドラクエ』の40年を語るスペシャルインタビュー。セリフやマップのこだわり、『ドラゴンクエスト』らしさ、ゲームデザイナーとしての転機……歴代ナンバリング開発秘話とともに振り返る
――そういった呪文の命名センスもすごいと思います。ホイミなどは、その最たるものかと思うのですが。

堀井
 ホイミは“身を守る”、“保つ”みたいなイメージからですね。その後に、ベホイミ、ベホマみたいな感じで、「ベ」が付くと強くなって「マ」が最上級になる……みたいな文法を作って。

――なるほど。こと『DQI』にいたっては容量の問題で文字の種類まで制限されている(ひらがなは全種使えたがカタカナは20文字ほどしか使えなかった)のに、そういう部分にまで気を配れるのは驚異です。では、堀井さんの中で『ドラゴンクエスト』として守るべきルールのようなものはありますか?

堀井
 誰でも安心して遊べて、あたたかみがあって、わかりやすくて、ワクワクできて、肩肘張らずにすんなりゲームの中に入っていけるもの。それができていれば、『ドラゴンクエスト』なんじゃないかなと思います。

――「これがないと『ドラゴンクエスト』とは言えない!」的なものはあまりないのでしょうか? コマンドウインドウなどは象徴的ですが。

堀井
 わかりやすければ何でもいいと思っています。『DQVII Reimagined』もちょっと変えましたけれど、遊びやすかったのでよかったなと思いましたし。ボクはあまりマニュアルを読まないのですが、そんなボクでもわかるように作られていて、時代に合ったおもしろさがあればいいと思うんです。

――堀井さんがそういう柔軟な発想だからこそ、スピンオフ作品も多く出ているのかもしれませんね。

堀井
 スピンオフはいっぱい出ましたね。ボクは『ドラゴンクエストビルダーズ』シリーズが好きなんです。『ドラゴンクエストヒーローズ』もボイスをたっぷり入れて転機になりましたね。

――『ドラゴンクエストモンスターズ』も一大シリーズになりました。

堀井
 最初の『ドラゴンクエストモンスターズ』がけっこう売れたんですよね。子どもたちが通信ケーブルをつないで対戦してくれて。

――大人もです! ファミ通編集部でも大いに流行って、最強のゴールデンスライムの育成に力を注いでいましたから。

堀井
 最近だと、年齢を問わずに遊ばれているのは『ドラゴンクエストウォーク』ですかね。“おみやげ”を旅行の目的にされている方も多かったり。


――そうですね。『ドラゴンクエスト』でありながらも、これまでとはまったく違う遊びでしたから。健康という側面へのアプローチも斬新でしたし。

堀井
 麻雀もできたりしてね(笑)。本当に『ドラゴンクエスト』ではいろいろな遊びができるようになりました。

堀井氏の人生の転機となったタイミング

――この40年を振り返ったとき、堀井さんの人生の中で大きな転機がいくつかあったと思います。とくに大きかった転機は、どんなものになりますか?

堀井
 細かいものを含めるといろいろあるのですが、いちばん最初の転機は27歳くらいのとき。お正月の新聞で「これからはマイコンだ!」と銘打ったマイコン特集が載っていて。それを読んで「じゃあ買ってみようかな」と思って、PC-6001を買ったんです。それまでコンピューターに触れたことがなかったのに。これがひとつめの転機ですね。

――なんというフットワークの軽さ(笑)。

堀井
 それに付いていたBASICという言語の教則本があったのですが、とてもわかりやすくて。あっという間にBASICを覚えちゃったんですよ。

――そこまでBASICに熱中した理由は?

堀井
 プログラムで何かを作ると画面内にあるものが動くというのが、単純に楽しかったんです。だから、BASICも“勉強した”という感覚はなくて、ボクにとってはおもちゃみたいなものでした。それで、見よう見まねでゲームを作ったりしていました。

――ライターとして執筆活動も行いつつ?

堀井
 そうです。で、そのときたまたまエニックスがゲームコンテストをやるということを聞いて。週刊少年ジャンプに載せる宣伝記事を担当することになったのですが、そのついでに自分も応募してみようと思って。できていたゲームを送って、いざ取材に行ったら自分のゲームが入選していたんです(笑)。これが第2の転機ですね。

――ゲームコンテストがなければ、『ドラゴンクエスト』は生まれなかったかもしれないのですね。

堀井
 そうですね。まだエニックスも3人しかいないころでした(笑)。入選したことを機にゲームを作ってほしいと言われたんです。もともと本職はライターだったので、道楽で作っていたようなものだったんですけれど。

――道楽がこんなことになるとは……(笑)。

堀井
 第3の転機は、『DQIII』が社会現象になるほどヒットしたので、「じゃあゲームデザイナーを本職にしよう」と思って。

――『ドラゴンクエスト』はもちろん、『ポートピア連続殺人事件』なども作られていたのに、それまで本職という感覚はなかったのですか?

堀井
 道楽という感じでしたね。だから、『DQIII』のタイミングで、連載していた“ファミコン神拳”をやめることにしました。

――そこでようやく、というのが驚きです。

堀井
 そんなにヒットが続くなんて思っていなかったですから(笑)。そこからは、ずっとゲームを作り続けている感じなので。大きな転機というとそんなところでしょうか。
堀井雄二氏『ドラクエ』の40年を語るスペシャルインタビュー。セリフやマップのこだわり、『ドラゴンクエスト』らしさ、ゲームデザイナーとしての転機……歴代ナンバリング開発秘話とともに振り返る
――余談ですが、『ドラゴンクエスト』と同じくファミ通も40周年を迎えたのですが、堀井さんの中でファミ通に関連した印象深いエピソードはありますか?

堀井
 もともと東府屋ファミ坊(塩崎剛三氏。ファミ通の2代目編集長を務めた)と仲がよくて、最初のころ“虹色ディップスイッチ”という連載をしていたんです。『ログイン』時代、彼が『ポートピア連続殺人事件』を取材に来たときに知り合って。『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』の取材旅行を記事にしたりしましたね。

――その後、『ログイン』のコーナーから独立する形でファミコン通信が創刊されました。

堀井
 おもしろい本を作ったなと思いましたね。あと、じつはボク、確か『デジタル・デビル物語 女神転生』で宝箱を何回も取れるという秘技を見つけて、ガバスをもらおうと応募したことがあるんです。

――ええ!?

堀井
 だけど、「あの堀井さんですか?」という連絡が編集部から来て、なんだかんだでウヤムヤになって、ガバスをもらえなかったんですよね。記憶では、その秘技は掲載されたと思うんだけどなあ……。

――今度、ガバスをお持ちします!

いまの若いプレイヤーを堀井氏が分析

――長い歴史の中で、リメイクも何度か出ていますが、そのたびに若い方が遊んでくれることも人気が続く一因です。いろいろな感想が寄せられていると思いますが、若いプレイヤーの感覚が当時と違う感じはしますか?

堀井
 いまはコア志向な子とライトに遊ぶ子との差が、以前より大きくなったような気がしますね。コアな子はものすごくやり込むし、ゲームについて調べるけれど、ライトに遊ぶ子は大事なセリフだけを読みながらサクッとクリアーする。昔よりも、遊びかたの好みがハッキリ分かれているような気がします。

――そういう傾向はあるかもしれません。

堀井
 ライトな感覚という点で言うと、ゲーム実況で楽しむ人も増えましたね。昔は“人がゲームをしている様子をずっと観る”なんて娯楽はなかったですから。友だちが遊んでいるのを後ろから観ることはありましたが。

――そうですね。基本は自分でプレイすることがメインの楽しみかたでした。

堀井
 でも、いまやゲーム実況がメジャーになっています。そのMCがおもしろくてゲームにファンが付くということは、以前は考えられなかったですから。

――堀井さんはそういった実況動画などは観るのでしょうか?

堀井
 自分の作ったゲームがどう遊ばれているのかを観るのは楽しいですよ。ただ、宣伝になるのかどうなのかはわからない部分もありますけど(笑)。実況でお腹いっぱいになる人もきっといるだろうし、観てやりたくなる人もいるだろうし……それがまだわからないんですよね。

――RPGはストーリーありきですから、アドベンチャーのつぎくらいにツラいジャンルかもしれないですね。

堀井
 アクションだったら、うまいプレイを観て「自分でも!」ってなるんですけどね(笑)。

――少し趣向を変えた質問をさせてください。40年間、『ドラゴンクエスト』という作品を作り続けていた堀井さんですが、これから社会に出る、あるいは社会に出たばかりの方に、ご自身の経験を踏まえてアドバイスはありますか?

堀井
 最近は、いろいろな体験型のイベントに行くような方が増えていて。以前はRPG特有だった、“自分が主人公”という考えかたが定着しているように思えます。なので、若い方には、「じゃあ何の主人公になる?」ということを考えるといいんじゃないかなと思いますね。

――自分の得意なことを考える、ということですか?

堀井
 そうですね。得意技的なものがあると、1歩先にいけるんじゃないかと思うので、がんばって考えてほしいですね。

――では最後に、今後のことを……となると、伺うことがひとつになってしまいそうなのですが(笑)。

堀井
 50周年を目指してがんばります!(笑) 50周年では、東京ドームでイベントでもしてみたいですね(笑)。

――何をやるか次第ですけれど……東京ドームでも足りないくらい人が集まる可能性すらあります。

堀井
 なんだろう……ふつうに野球をやったりして(笑)。

――それは、本当にビックリしますね(笑)。
堀井雄二氏『ドラクエ』の40年を語るスペシャルインタビュー。セリフやマップのこだわり、『ドラゴンクエスト』らしさ、ゲームデザイナーとしての転機……歴代ナンバリング開発秘話とともに振り返る堀井雄二氏『ドラクエ』の40年を語るスペシャルインタビュー。セリフやマップのこだわり、『ドラゴンクエスト』らしさ、ゲームデザイナーとしての転機……歴代ナンバリング開発秘話とともに振り返る堀井雄二氏『ドラクエ』の40年を語るスペシャルインタビュー。セリフやマップのこだわり、『ドラゴンクエスト』らしさ、ゲームデザイナーとしての転機……歴代ナンバリング開発秘話とともに振り返る
取材では堀井氏にお願いして『ドラゴンクエスト』40周年を記念したイラストを描いていただきました!
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