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堀井雄二が『ドラクエ』とゲーム制作の発想についてたっぷりと語る。「“人生はRPG”というふうに考えると、辛いときにもがんばれるかもしれません」。

堀井雄二が『ドラクエ』とゲーム制作の発想についてたっぷりと語る。「“人生はRPG”というふうに考えると、辛いときにもがんばれるかもしれません」。
 2025年11月14日、韓国・釜山で開催されたゲームショウ“G-STAR”のカンファレンス“G-CON2025”に、「ドラゴンクエスト」の生みの親である堀井雄二氏が登壇。講演が行われた。ファミ通グループ代表の林克彦がモデレーターを務めた、その内容をリポートする。
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堀井雄二 氏ほりい ゆうじ

1954年生まれ。アーマープロジェクト代表取締役。1983年にPC用アドベンチャーゲーム『ポートピア連続殺人事件』、1986年に『ドラゴンクエスト』をリリース。以降40年以上にわたりゲーム開発を続けている。近作はHD-2D版『ドラゴンクエスト I&II』。2025年に旭日小綬章受章。

韓国で語られた「DQ」秘話

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――本日は「ドラゴンクエスト」シリーズの生みの親で、いまもなお精力的にゲーム開発を続けていらっしゃいます、日本を代表するゲームデザイナーの堀井雄二さんにお越しいただいて、お話を伺っていきたいと思います。
 
堀井 
よろしくお願いします。釜山は20年前くらいに一度ゲームショウに来たことがあって、それ以来ですね。

――とても貴重な機会かと思います。ご来場の皆さんもとても楽しみにしていらっしゃると思うんですけれども、ちなみに、皆さん「DQ」好きな方、手を挙げていただいてよろしいですか。

(観客から多くの手が挙がる)

堀井 
おお。

――韓国でもこれだけ人気があるということで、とてもうれしいですね。最初に、先日、堀井さんが“旭日章”を受賞されました。これは産業ですとか文化、政治、経済、さまざまな分野において類いまれなる功績をあげた方に贈られる、ゲームデザイナーとしては初めての受賞ということなんです。その感想というか、お気持ちをお聞きしてよろしいですか。

堀井 
そうですね。かつてゲームって、やってるとよくないとか、世間から冷たい目で見られていたんです。だけど、ゲームクリエイターが表彰される時代が来たんだなと。ゲームがこうやって国から表彰されるというのはすごく、感無量ですね。

『ドラゴンクエスト』誕生物語

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――まず「DQ」シリーズの原点についてお伺います。初代『ドラゴンクエスト』が発売されたのが1986年で、まだRPGというものがほとんどないころ、PCで『ウィザードリィ』や『ウルティマ』が遊べたくらいの時代だったと思います。そういった中で堀井さんがあの当時『ドラゴンクエスト』を作ろうと思ったのはどういったきっかけだったのか、思い出しながら話していただいてよろしいですか。

堀井 
そうですね。当時、RPGってマニアックなゲームで、PCでしか遊べなくて、ゲームマニアの大人たちでちょっと遊んでるぐらいのジャンルだったんですね。

 それから日本でファミコンが流行ったとき、「アクションゲームしかないファミコンにRPGを出したら絶対にウケる」と思ったんですね。

 だから、本当に小さな容量の64キロバイトのROMに、いまスマホの写真の何万分の1ぐらいのメモリに、プログラム、グラフィック、ストーリーを入れて作り上げたんですね。

――発売当時のファミコンって、アクションゲームやスポーツゲームとかしかない時代でしたよね。

堀井 
そうですね。だから、ファミコンで文字で遊ぶゲームって、初めてだったと思うんですよ。

――堀井さんはもともとアドベンチャーゲームも作られてましたけれど、やっぱり当時から、物語というか、文章・シナリオとセットで楽しませるということがお好きだったのしょうか。

堀井 
僕ね、マンガ家志望だったんです。マンガの原作とか、ライターとかをやっていまして。その後、コンピューターに出会い、コンピューターのインタラクティブ(双方向)性にとても惹かれて、「このインタラクティブ性を利用してマンガを描いたらどうなるんだろう」と思ったのが、「ドラクエ」を作る要因のひとつだと思いますね。

――なるほど。マンガ自体はどうしても一方通行で、それがゲームだったらインタラクティブに楽しませられるんじゃないか、という発想があったんですね。

堀井 
マンガではセリフでストーリーが進むんですね。だから、「DQ」シリーズも地の文なんてほとんどなくて、セリフだけで物語になるよう構成されてるんですよ。セリフがやっぱり読みやすいと思うんです。

――1980年代のRPG、たとえば『ウィザードリィ』とか『ウルティマ』とかがありましたが、硬派で難しいゲームでしたよね。それを「DQ」はとてもわかりやすく、とっつきやすくしたというか。そこにはマンガの発想みたいなものもあったんですね。

堀井 
そうですね。『ウィザードリィ』にしても自由度が高かったんですけど、自由度が高いということは、逆に難しいことでもあるんですね。だから、そこにストーリーというレールを敷いて、誰にでも遊べるようにと。

 ただ、「そのストーリー、そのレールから外れてもいいよ」っていうのが、小説や映画と異なる、コンピューターのよさだと思うんですよね。

――『ドラゴンクエスト』は、“勇者が世界を救うために冒険をする。最後の竜王を倒すために成長していく”という目的がありますが、その物語は当時どうやって考えられたのでしょうか。

堀井 
RPGのおもしろさのひとつは、“戦って自分が強くなっていく”という部分だと思うんですよ。

 経験値が貯まって強くなって、お金も儲かって強くなっていくと。そして、最終的に強くなった自分はどうすればいいかというと“魔王を倒す”というのが、すごく直接的でわかりやすい設定だと思います。

 マップもけっこう工夫していて、最初の町ラダトーム城から竜王の城が見えますよね。

――見えますね。

堀井 
「あそこに行けばいいんだ、あそこに魔王がいるんだ」っていうことが最初からわかれば、それが目標になって「じゃあどうしたら行けるんだろう」ということに興味が出ると思うんですよね。

――プレイヤーのモチベーションになりますよね。最初からそういったことを考えられてたんですね。堀井さんは基本におひとりでその企画を作られて、考えられいたんですよね。

堀井 
総合的なゲームデザインは僕の担当ですが、仲間たちといっしょに考えて作っていましたね。「こうしたい」って言って、プログラムしてもらったりとか。

――プレイヤーはここでこうおもしろがるんじゃないか、と想像しながら。

堀井 
そうですね。たとえばゲームが始まると最初に名前を入力するんですけど、そうすると王様に「おお ○○よ!」と、主人公の名前、自分の名前を呼んでもらえるんですよね。テレビ画面上で。

 そして、子どもたちにとって当時テレビって見るだけのものだったと思うんですよ。それが「テレビで自分の名前を呼んでくれた!」って、いきなりそういう驚きと喜ぶシーンにできるかなと思ったりしながら、作っていきましたね。

――そうか、『ドラゴンクエスト』が初めてやったことですね。プレイヤーが主人公の名前を自分で好きに決められる、それがちゃんと画面に表示されて、呼んでくれるという。

堀井 
ええ、それがインタラクティブ性だと思うんですね。当時の子どもたちが「あっこれが自分だ、戦うと強くなっていく、まさに自分なんだ」って感じてくれたんだと思います。

――まさにロールプレイングで、感覚が深くなるとより体験が楽しくなるっていうことですよね。そういった形で、インタラクティブ性をともなってプレイヤーを喜ばせたいとか、ワクワクさせたいという当時の思いは、いまも変わらないですか。

堀井 
そうですね、変わっていないですね。

 やっぱり人にとっていちばんの遊びというのが、“いまの自分たちがほかの人生を体験すること”だと思うんですよね。いろいろなゲームとか、小説とか、映画もそうですけれど、“違う自分を体験する”ということ。ゲームだとそれをより表現しやすいと思うんですね。自分がなりきるというか。

堀井雄二のRPG観

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――1986年に『ドラゴンクエスト』が発売され、その後、「DQ」に影響を受け、いろいろなRPGが生まれてきました。いわゆるJPRGの元祖となった「DQ」を作って、堀井さんから見るといろいろなRPGが出てきたことをどのように見ていらっしゃいましたか?

堀井 
ライバルでもありますが、楽しかったですね、『ファイナルファンタジー』とかも遊んでいましたし、『女神転生』も遊んだし、自分とはまた違う物語を体験できるっていうか。

 逆に言うと、自分で作ったものって自分でわかっているので、あまり遊べかったりするんです。人が作ったものはほんとにいちプレイヤーとして遊べたので。『
ゼルダの伝説』も相当はまって遊びましたね。

――いろいろなRPGが出てくる中で、堀井さんが刺激を受けたタイトルというのは?

堀井 
『ゼルダの伝説』はかなり遊びましたね。アクション性があり、いろいろできて。これこそオープンワールドであると思ったりもして。最近の『ティアキン』(『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ キングダム』)も全部クリアーしました。

――堀井さんは現役のゲームデザイナーでもある一方で、現役のゲームファン、ゲームプレイヤーでもあるんですね。

堀井 
いちプレイヤーとしてね(笑)。

――基本的にはRPGとかアドベンチャーとか物語性のあるゲームを作られることが多いと思いますが、アクションを作りたいとか、ほかのジャンルを開発してみたいという気持ちはありませんでしたか?

堀井 
僕は「物語を作りたい」という欲求が強かったですね。もともと物語が好きなので。テレビドラマとかもけっこうよく観るんですよ。たとえば韓国ドラマだったら『ペントハウス』とか、『私の夫と結婚して』とかもハマって見てましたよ。

――日常的に韓国ドラマも観てらっしゃるんですね。

堀井 
観ていますね、おもしろいですよね(笑)。

――「DQ」って、“「DQ」らしさ”というものを大切にしながら、毎回毎回新しいチャレンジをつねにしていると思います。物語はどういうふうにヒントや着想を得て作られているんですか?

堀井 
そうですね、ある意味“魔王を倒す”は決まっているんです。王道を目指しているので。

 その途中で「どんなイベントが起きたらおもしろいかな?」と考えるんですね。朝起きたら誰もいないとか、他人に間違えられて困っちゃうとか。僕はいたずら好きなので、そういうのをどんどん仕掛けて、それを積み重ねて大きなストーリーにしていく……ということを考えます。

――すこし突っ込んだことをお伺いしますと、作りかたとして、最初にゴールを設定してそこに向かって逆算して作っていくのか、それとも出発から積み上げて行くのかなどは、どのように考えて作られているでしょう。

堀井 
そのタイトルによって作りかたがいろいろと変わっているんですよ。

 さっき言ったようにイベントがつく場合もあるし。たとえば、“親子3代かけて魔王を倒す”っことを考えて、そこから発想したりとか。あとは、ゲームでも真剣にやってほしくて“結婚イベント”を作ったりとか。毎回「どういう遊びを提供するか」ということを考えますね。

 ほかには、ゲーム終盤で新しいマップが出てくるゲームってけっこうあるけど、逆手に取って「最初からふたつのマップを行き来するのはどうだろう?」って、『
VI』(『ドラゴンクエストVI 幻の大地』)の夢と現実の世界を思いついたり。発想はいろいろですね。

――そうやっていろいろと考えている時間が楽しいのですね。

堀井 
楽しいですね。

――実際に開発を進めていくのとどちらが楽しいですか?

堀井 
考えているときが楽しくて、形にするのはキツイですよね(笑)。膨大なデータを作ったりその膨大なデータの処理を書いたりとか。もちろん、それだけ完成したときの喜びはひとしおですが。

――山を登りきったような達成感が。さまざま行ってきたチャレンジのなかで、とりわけ「あれはたいへんだったな」と覚えているようなことはありますか?

堀井 
そうですね、『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』が発売日にたいへんな人数のお客さんが来てくれてものすごく長い行列ができたり、売り切れたり、かなり社会現象になりまして、次作への期待値もすごく高かったと思うんです。

 それでつぎの『
IV』をどうしようかととても悩みました。そのときに思いついたのが、「キャラクターを立てて、いろいろな章立てにして、仲間たちの人生を描いてみよう」と。

 主人公、勇者は自分なので、それを立てる意味でも、それ以外の個性的ないろいろなキャラクターが登場する。イベントも、キャラクターの魅力を引き出すために個別のストーリーを考える……という発想でできています。
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――『I』、『II』、『III』以上に、『DQIV』ではキャラクターをより掘り下げながら作ったという。
 
堀井 
やっぱり、マンガもそうなんですけど、お話よりもキャラクターが命かなと最近思うんです。というのは、たとえば『DQIV』では、アリーナとかライアンとかマーニャとか、いっぱい出しているんですけど、みんなどんな話だったかは覚えていなくても、キャラクターを覚えてくれているんですよね。
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――確かに、そうですね。
 
堀井 
おもしろいキャラクターができると、みんな「それをどうするんだ、どう動くんだ」と見たいと思うんです。それがおもしろさの要因になると思いますね。やっぱりいいゲームはキャラクターが立っていますよね。『ファイナルファンタジーVII』のセフィロスとかね。人気がありますよね。

――「DQ」シリーズって、“らしさ”を大切にしながら、一方で『ドラゴンクエストX』ではMMORPGにしたり、チャレンジをしているじゃないですか。それはすごく勇気が必要だと思うのですが、とくに『DQX』ではどのような判断をされて、ゴーサインを出されたのでしょう。

堀井 
DQX』はオンラインゲームなのですけど、あれは悩みましたね。

 開発から「ナンバリングにしてほしい」と言われて、どうしようかと。確かにナンバリング作品として出したほうがより多くの皆さんに遊んでもらえるんですよね。最初に発売された2012年当時、オンラインゲームで遊ぶことはまだまだ敷居が高かったですよね。本当にナンバリングにしていいのか? というのは悩みどころでした。

 だけど、それにより多くの人がプレイして、よりオンラインゲームの楽しさがわかってくれればと。

――せっかくならひとりでも多くの方に遊んでもらいたい、そのためにはナンバリングとして作ったほうがいいんじゃないかという判断が。

堀井 
そうです。とにかく手に取ってもらわないと始まらないので。

――いまは時代が変わっていますけど、かつて堀井さんが「DQはいちばん普及しているゲーム機で出したい」とおっしゃっていたのも、それもやっぱりひとりでも多くの方にあそんでほしいからということでしょうか?

堀井 
そういうことです。いまはもう、いろいろな、すべてのハードで発売されるということがふつうになりましたけどね。ありがたいことです。

HD-2D版『DQ I&II』、『DQIII』について

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――最近の「DQ」シリーズのチャレンジというところでは、2024年に『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』のHD-2D版リメイクが、そして2025年10月末に『ドラゴンクエストI&II』が発売されました。

堀井 
はい。
――私も『I』をクリアーして『II』を遊んでいるところです。これはリメイクではありますが、本当に新作を遊んでいるような感覚なんですね。ファミコン版の『ドラゴンクエスト』を遊んでいた記憶がすごく膨らんで、内容がより充実していて、本当に新しい『DQ』で遊んでいるような感覚です。原点ともいえるこの『DQ I』、そして『II』で、堀井さんはどういうところを大事にして制作されたのか、改めてお伺いできますか。

堀井 
今回、『III』を出した後に『I』を出したんですね。

 で、『I』は最初ファミコンで作っていて、すごくシンプルなゲームなんですよ。イベントも少ないし、セリフも、モンスターも少ないし。だから『III』を遊んだ後に『I』のリメイクを遊ぶときっと物足りないだろうなと思ったんです。

 プレイヤーの皆さんが当時遊んだ記憶、思い出って、美しくなっていると思うので、逆に「それを再現してみよう」と。みんな、こんな事を考えながら最初の『I』を遊んでくれたんじゃないかなというのを形にしました。

――『I』はパーティじゃなくて勇者ひとり旅なので、久しぶりに遊ぶと逆にすごく新鮮でしたね。

堀井 
今回モンスターは多数になりまして、勇者が使える呪文を増やしたりしています。オリジナルではずっと1対1でしたね。

――堀井さんもゲームを見ながら、「こここうしよう、ああしよう」というようなことをしながら開発を?

堀井 
そうですね、開発とやり取りをしながら作っています。

――『II』に関しては、今回どういったコンセプトで開発を行われたのでしょう。

堀井 
これまでは『I』、『II』、『III』の順に遊ぶと、『III』でちょっとドンデン返しがあったんですよね。今回は『III』からHD-2D版リメイクを発売していったので、『III』、『I』、『II』 というふうに遊ぶと、最後にちょっとしたことがあるとおもしろいなと思って、そこに力を入れましたね。『II』のエンディングは久しぶりに自分でシナリオを書いているんです。

――私はまだ最後まで行っていないので、楽しみにこの後もプレイしたいと思います。やっぱりご自分で書くと楽しいものですか?

堀井 
書くと楽しいですね。思い出します。とにかくいまは、ゲームもスタッフも増えてしまって、けっこう見て直すという作業が多くなっていて、ゼロから自分で書くということはなかなかなかったので。実際にバッと書いて、そのキャラクターのセリフを書くということを久しぶりにやったんですよ。なかなか懐かしい気がしましたね。

――それは堀井さんご自身で「やりたい」と。

堀井 
そうですね、やりたかったんですよ。『VII』くらいまでは本当にバーッとセリフを書いていたんですけど。方眼紙なんかを使ってね。だんだんとボリュームが増えて、分業化も進んで、そこまでできなくなっちゃいましたけど。

――『DQVII』といえば、2026年2月5日には『ドラゴンクエストVII Reimagined(リイマジンド)』が発売予定です。
堀井 
DQVII』も思い出深い作品なんです。このタイトルから対応ハードがスーパーファミコンからプレイステーションに移りましたでしょう。それまではROMカートリッジでメモリ容量との戦いがきびしかったんですよ。これがCD-ROMになって容量が一気に増えたんですね。何倍という。

 それで欲張ってですね、ちょっと作りすぎちゃった(笑)。話がいっぱいあるし、3Dの街も作れましたし、ぐるぐる回したりして。懐かしいねえ。

 『DQVII』にはいろいろな楽しみがあったんですけど、この作品では“マップを集めたら楽しいんじゃないか”という発想で作り始めたんですよ。石版を集めて、石版を集めたら新しいマップに行けると。だから石版をいろいろなところに隠したんですけど、マップがぐるぐる回せちゃうし、石版が見つからなくて挫折してしまった人も多かったんです。

 だからそのあたりを改良して、今回はかなり見つけやすくしています。

――リメイク版では削ぎ落とすというか、よりゲームに集中しやすく、遊びやすくなっているのでしょうか?

堀井 
“シェイプアップ+遊びやすい”ですね。

 キャラクターもドールルック、お人形さんを作ってそれを3Dデータ化していて、これがけっこういい感じなんですよ。それに合わせて町のマップもジオラマチックに作っていて、本当に歩いているだけで楽しい街に仕上がったなと思います。
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――今回グラフィックもすごく特徴的で、見た目からしておもしろいですよね。
 
堀井 
そうなんですよ。

――いま開発中だと思いますが、こちらも堀井さんがしっかりと見ていらっしゃると思いますが、いまから「とてもいいものになりそうだな」という予感がありますか?

堀井 
あっ、もうできてますから。

――そうなんですね!?

堀井 
ほぼできています。ぜんぜん遊べる状態になっていますよ。これは言ってよかったのかな?(笑)

――(笑)。それでは皆さん来年2月を楽しみにして問題ないですね。

堀井 
そうですね、ぜひお楽しみにしていただければと思います。
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堀井雄二の原動力

――堀井さんは1980年代からずっとゲームデザイナーとしてゲームを作られてきていて、ゲーム作りの意欲、モチベーションのところで、「もういいんじゃないかな」となるようなことってありませんでしたか。

堀井 
あまりないですね。やっぱり皆さんから期待されていることがひとつと、やっぱり僕、ゲームが好きなんですね。やっぱりやってると楽しいんで。で、遊んでると、「こういうときはこういう遊びを提供したいな」とか、いろいろと思いついちゃうんで、それをどんどん形してきたという感じですかね。 

――「もうゲーム作りをやめようかな」と考えたことは基本的にはなかったということですよね。

堀井 
そのときどきの辛さとかはありましたけどね。でも、ここまで続けたら、もうあとはずっと続けるしかないなと思って。

――ああ、それはとてもうれしいですね。堀井さんにとってのゲーム作りの楽しさというのは、ご自身ひとりの楽しさなのか、仲間と作ることも含めての楽しさなのかとか、ファンの皆さんに喜んでもらえることであるとか……。

堀井 
そうなりますね、はい。考えて仲間たちと話して作る楽しさと、あとやっぱり発売した後、皆さんに遊んでもらってそのフィードバックをもらえるというのは楽しいですね。

――昔はアンケートはがきがメインだったと思うんですけど、いまはどのようにプレイヤーの声を見ていらっしゃるんですか?

堀井 
X(Twitter)もあるけど、意外とゲーム実況も見ています。実況者のプレイもおもしろかったりしますよね。

――堀井さんもけっこう実況見てらっしゃるんですか。

堀井 
見ているんですよ。自分で作ったものを「あ、こう遊んでいるんだ」とか、実況者によって反応がぜんぜん違ったりして。それぞれのキャラクターが出ていますよね。人気あるゲーム実況者の方にはすごくたくさんのフォロワーがいたりして。

 いまはゲームを遊ぶのもそうだし、ゲームをする人を見るのも一種の娯楽になってきましたよね。

――実際にゲームを作っている堀井さんからすると、気持ちとしては、実況を見るだけではなくて実際に遊んでほしいという気持ちもお持ちになられるのでは?

堀井 
いちばんは実況を見て「おもしろい」と思って、そして遊んでくれたらベストですよね。ですから一応制限は設けているんです。「これ以上はやめてね」というようなガイドラインは。

――実況者の方も、堀井さんが見ていると思ったらびっくりしますよね(笑)。

堀井 
コロナ禍があって、ゲーム実況を見ている人は増えたと思うんですよね。

――会場の方で「ゲーム実況見てるよ」という人は……?

(会場の手が挙がる)

堀井 
やっぱりけっこういますよね。

シナリオとユーモア

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――あとお伺いしたいのが、「DQ」ってシリアスなシナリオ、重い場面もありながら、一方で要所に遊び心というかユーモアが織り交ぜられているじゃないですか。それって堀井さんのいたずら心と言っていいのか、マインドが出ているのではないかなと思うのですが。

堀井 
そうですね、いたずら心があると思います。子どものころからいたずら好きだったので。関西弁で言うところの“いちびり”っていうの。いちびりってわかりますかね? わからないですよね(笑)。

――(笑)。

堀井 
いたずらっ子というような意味なんですけど。いたずらを仕掛けて楽しむとか。

――シナリオというかセリフを考えている中で、やっぱりここでちょっとおもしろいものを入れとこうみたいなことを、全体のバランス見ながら織り込んでいるということでしょうか。

堀井 
“その状況でなんと言われたらプレイヤーが「おっ」と思うかな”って。たとえば『I』の竜王に会うときに「よく来たな、仲間にならないか」って言われるんですよね。世界の半分をやるからって。それがいちばん驚かれるなと思ったんで、そういうセリフを書いて。

 たとえば『
II』だとサマルトリアの王子を一生懸命自分が探すんですよ。それでやっとみつかったら、向こうが「いやー さがしましたよ!」って言うんです。俺だよ! って(笑)。

――探したのはこっちだよ! って(笑)。

堀井 
……というツッコミを想定して書いています。

――そういう、プレイヤーが驚くんじゃないかとか喜ぶんじゃないかということを。

堀井 
そうそう、想像しながら書いています。

――それはやっぱり、最初の話に戻りますけど、堀井さんがマンガ家志望だったりライターをやられていたという経験が生きているんですか。

堀井 
それはありますね。セリフだけで話を進めるとか、ストーリーの組み立てかたは。

――シリアスな重たいシーンと、ユーモアのあるシーンの気持ちの切り替えはどのようにされるんですか?

堀井 
やっぱりね、ずっと重いと、やっぱ遊ぶほうも気が重たくなっちゃうんですよね。明るいシーンがあると悲しいシーンも引き立つと思うので、そういうギャップですかね。だいたいドラマってそうなんです。大喜びのあと、どんどんと落とされる。

――起承転結は大きい流れであって。

堀井 
小さい中でもありますし。

――さらに細かく、細かい喜びと悲しみみたいなことを織り交ぜながらシナリオを考えていくのでしょうか?

堀井 
プレイヤー的には、ちょっと意表を突かれるとおもしろいと思うと思うんですよね。そこを、“どう意表を突くか”ということを考えていますね。

――堀井さんがシナリオを書かれるときは、たとえば夜に集中して書くのか、何か決まったやりかたはあるんですか。

堀井 
昔は夜中に書いていました。集中しやすいんですよね。昼間はテレビなんか観てだらだらしちゃって、だらだらしてたから「やんなきゃ!」と思ってエンジンが掛かって書いていました。

――スケジュールに余裕を持って書くか、ギリギリかでいうとどちらですか?

堀井 
それはもうギリギリですね。夏休みの宿題も終わりかけでやるというタイプだったので(笑)。性格はいまでも変わっていなくて、「明日できることは明日しよう」って。

 ただね、集中するために何もしない時間って必要なんですね。何もしない時間があって、ちょっとずつアイドリングをかけていって、やっとエンジンがかかる、みたいな。

――筆が乗ると速いんですか?

堀井 
速い、速い。そうなるまでが時間掛かるんですよ。

――遊ばれているゲームとか、ふだん観られているドラマや本などが、シナリオのヒントになったり、ほかのものから受ける影響というのはあるんですか。

堀井 
たぶん、どれも直接的ではないんですけど。あると思いますね。

――直接的ではないんだけど、いろいろなインプットをしていらっしゃる。

堀井 
そうですね、こういう展開もあるんだなとか、そういうものがたぶん自分の中に入ってきてると思うんですよ。考えたときに、「こういうときはこういう風にすればおもしろいかな」とか。

――ゲームを作っている皆さんと話をすると、インプットが大事だと。ゲームだけじゃなくて、ほかのエンターテインメントを含めていろいろなインプットをつねにした方がいいって話をよく聞くんです。

堀井 
本当その通りですよね。出し続けていると枯渇しちゃうんで。やっぱり楽しいものを楽しんで、それを出すっていう形がいいと思いますね。ゲーム以外にもいろいろなテレビとか、映画とか、マンガを読んだりとか。それもやっぱり肥やしになるので。

――そしてそれをさらに自分のもの作りに変換していくと。

堀井 
たとえば、すごくおもしろい物語があったとして、「これをゲームするにはどうしたらいいんだろう」みたいなことを考えるとか。一方的なメディアのものをインタラクティブに変えて考えてみる、その中でいろいろななアイデアが生まれるかもしれないですよね。

これからの展望

――さきほど、おそらくこれからもずっとゲームを作っていくんだというお話をされていましたが、これからどんなことをやりたいかというような思っていることがあったら教えていただけますか。

堀井 
最近、AIがすごいなと思っているんです。チャットGPTとか。いろいろな相談とか、すごくロジカルなんですよね。

――堀井さんも使っていらっしゃる?

堀井 
使っていますね。雑談の相手とか話し相手にしている人もけっこういると思うんですよ。ああいうAIを使ってですね、たとえば、クイズゲームとか、犯人探しみたいなミステリーとかができたらおもしろいなと。

 部下と会話をしながら犯人を見つけていくとか。AIが聞き込みをやって、聞くと「こういうこと答えている」って教えてくれるとか。実際に会話でやり取りしながら、雑談しながら事件を解決する……なんてことが本当にできると、楽しいんじゃないかな。

――おもしろそうですね。でもこれ、いま話しちゃって大丈夫なんですか。

堀井 
大丈夫、大丈夫(笑)。

――いまAIは調べ物とかに便利ですけど、そういうものもゲームに組み込みたいと考えていらっしゃるんですね。

堀井 
はい。あとはVRもありますね。あれは装着したままだとけっこうキツイので、どういうふうに使っていくかって。

――新しいテクノロジーとか、いま世の中に出たというような遊びとか、そういったものはすごく気にしているんですね。

堀井 
ゲームもそのうち、モニターの中から出ていくんじゃないかとおもうんです。バーチャルがリアルを侵食する的な。オンラインゲームとかすると自分の人生が変わったりしますよね。知り合いが増えたりとか、実際にそこで結婚している人もいたりするわけですよ、相手が見つかって。ゲームを遊んでいて人生が変わるなんて、すばらしいことですよね。

「DQ」40周年

――初代『ドラゴンクエスト』発売が1986年ですから、来年2026年で40周年なんですよね。

堀井 
そうなんです、40年ですよね。

――思い返すとどのように感じますか。

堀井 
作ったときは長かったですね。なかなかマスターが上がんないことがあったりとかしました(笑)。でも、思い返してみると、けっこうあっという間でしたね。「あっ40年経ったんだ」って。

――40年愛され続ける理由というのは、堀井さんとしては何が秘訣だったと思われますか。

堀井 
ゲームというのは一種のコミュニケーションツールだと思うんですよね。

 レベルアップをしたり、謎を解いたりしたときに友だちに自慢したりだとか。お兄ちゃんに頼まれて延々とレベル上げをさせられるとか(笑)、何かを最初に見つけてクラスで英雄になったとか、そういう思い出といっしょに「ドラゴンクエスト」があるからだと思うんですよ。

――そうですね、たしかにそうです。おそらくここにいるみなさんもそうだと思うんですけど、あのときのあのシーンとか、あの自分の選択だったりとか、何回も倒されて悔しい思いをしながらも立ち向かった記憶って、やっぱり忘れないんですよね。

堀井 
自分の行動として覚えているので、環境もいっしょに覚えていると思うので。ゲームを遊んでいて母親に怒られたというのもあるだろうし、懐かしさと、友だちと、いろいろな思い出があるので、ずっと愛されていると思います。

――当時の堀井さんや作ってらっしゃった皆さんが、そういう風になるように、シナリオだったりとかシステムとか、いろんな工夫をされた結果でもあるんですよね。

堀井 
うれしいですよね、そうやって覚えてくれて。ずっと「DQ」が出るたびに遊んでくださる方もたくさんいらっしゃるので。

座右の銘“人生はRPG”

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――堀井さんがよく「人生はRPG」という言葉をよくおっしゃると思うのですけど。この言葉の意味というのを改めてお伺いできますか。

堀井 
人生の中で、自分の役割を演じるっていうことですよね。いろいろな辛いことあると思うんですけども、ゲームとして思えば、辛いこともね、クリアーできていくんじゃないかと思うんですよね。

――いっとき辛い局面があったとしても。

堀井 
苦しいときがあっても。ゲームで僕がこれを倒したんだ、ゲームでいっぱい辛いことがあったけど、やったんだというような気持ちで。現実世界でなかなかうまくいかないっていうとき、いろいろね、考えて、倒すことを考えてもらえればいいかなと思って。

――考えかた、そうですよね、「いまめちゃめちゃ辛いけど、これがんばったら経験値が溜まってレベルアップするんじゃないか」って思えば乗り越えやすくなるかもしれないですよね。

堀井 
幸せっていうのは考えかたで、気持ちの持ちかたというのはあると思うので。

開発者へのエール

――この場には韓国のゲーム業界の関係者の皆さんとか、それからゲームを作ってる皆さん、それからこれからゲームを作ろうと思ってる皆さんがたくさんいらっしゃると思うんですけども、何か皆さんへのメッセージとかエールみたいなものをお願いできますか。

堀井 
きっと皆さん、「こういうゲームを作りたい」ですとか、熱意や頭の中にアイデアを持っていると思うんですよ。でね、その、なんか頭の中にあるのは傑作なんですよ。それをどう形に生かすかっていう、ここがね、難しくて。

 形にするときの辛さとか困難とか、いろいろなものがあるんですけど、とにかく頭のある傑作を形にすることを、心掛けてください。とにかく作ることで、いろいろな失敗があったりとか、傷つくことがあったりとか、すると思うんですけど、それはぜんぶ勉強になるので。失敗しても。

 だから、とにかく頭の中だけじゃなくて、外に出すということをやってみてください!ということですかね。

――頭の中にあるものを形にする、というのは、たとえば堀井さんは、どういう風にして最初やられていたんでしょう。プログラムにするとか、書き物にしてみるとか……。

堀井 
僕は最初にプログラムを覚えて、それで作ったんです。最初に作った『ポートピア連続殺人事件』も、自分で絵を描いて、とにかく見せるんですね。それはそれで、楽しい仕事でした。

 やってみることで、いろいろなできないことが出てきたりして、そうしたら「つぎはこれを覚えよう」とかって、なるんですよね。

――実際、頭の中にあることがすべて実現できるわけではないと。でも、それを工夫して、どうすればいいんだろうみたいなことは、やっぱアクションしないとわからないですものね。

堀井 
僕が最初プログラムを覚えたとき、BASICを覚えたんですけども、BASICの命令は4つしか覚えていなかったんです。INPUT文とかPRINT文と……。使える少ない命令文で“何かを入力すると何かを答える”という形で話を進めたのが『ポートピア連続殺人事件』だったんですよ。

 で、それで作ってるうちに、「こういうことやりたいな」っていうことで、これをやるにはどういう言葉と命令を覚えばいいかなと考えながら、1個ずつ覚えていったんです。

――最初の基礎的なプログラムからゲーム作りを始めて、もっとやっぱり盛り込みたいからということで、プログラムの知識も増やしていったと。

堀井 
とりあえず4つの命令だけ覚えてやった。たとえば、いきなりでっかい教科書を買って全部覚えようと思ったら、できなかったですよ。

――そうですよね。いきなりすべてを、100を当然覚えられないので、それを少しずつ少しずつ覚えることで、自分のスキルというか、レベルも上がっていく。

堀井 
僕、ゲームをするときも、作るときもそういう考えかたで、チュートリアルでも全部は教えないんですよ。

 最初にあんまりたくさんのことを教えちゃうと、逆にめんどくさいと思われちゃうんで。だから、なんとなくちょっとだけ覚えて、で、ほんとにわかんなくていいと。わかっている気持ちにさせればいいと思っていますね。

 わかったような気持ちになって、「じゃあ今度はこうしたらいい、こんなこと思いついた」ってやって、どんどんこう、技術を上げていくみたいな。

――ちょっとずつ、プレイヤーも知らないうちに。そういう作りかたですね。最初から全てを詰め込む必要もない。

堀井 
必要ないんですよね。まず取っ掛かりから作ってどんどんそれで広げていくっていうのは、やっぱ作る方も遊ぶ方もそのほうがやりやすいと思います。

――そうですね。お話を聞いていて、堀井さんがつねに遊び手の気持ちになっていろんなことを考えてる気がとてもしました。こういうゲーム作りの話をしていただくことはとても貴重でしたし、おそらく聞いてらっしゃる皆さん、とても楽しい時間だったんじゃないかなという風に思います。ありがとうございました。

堀井 
こちらこそありがとうございました。
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